艶(燈焔&森羅)





 ――太極府に、元々、燈焔は興味があった。それはあるいは、仙人としての『職務上』の純粋な興味だった、が、洞府の主である森羅自体に好奇心をそそられるようになっていたのを、本人はよく自覚していたし、別段後悔も無い。

 森羅の正体に気づいて以後も――特別に理由を付けるでもなく、既にそれが自然な事であるように、燈焔は、森羅の洞府に入り浸っている。ぐるぐる山はおさかな洞。幼稚なその名前に慣れ親しみ始めたのは、いつからだったのか。名前自体は、幼い頃から耳にしていた、御伽噺の存在だったが。

 最近での違いはといえば、必ずしも玉藍と共に顔を出すわけではないという事か。
 その理由にはいくつがあるが――一番の理由は、燈焔の『仕事』が理由だ。
 公にされているわけではない仕事であるから、それに関して燈焔が話した事は無い。

 知ってか知らずか(おそらくは知らないというより興味がないだろうが)――燈焔は、ソファに座って、いつも飄々としている森羅を本日も眺めた。

「ん」

 そして気づいた。
 いつも厚着の森羅の、僅かに見える首元に、小さな赤い痕が見える。
 虫刺され――ではないと、すぐに区別が可能な情事由来の赤い華。

「どうかした?」

 顔を上げた森羅が、首を傾げながら燈焔を見た。
 森羅の白い肌と、艶やかな黒髪を目にした時、燈焔は不思議と惹きつけられた。

 ――自分を好きではない女が好み。

 これは燈焔の自論だが、実を言えば性別は問わない。ただしあくまでもこの言葉は、独りよがりなものではなく、『他人に恋をしている人物の瞳』や、『他人と体を繋いだ後に増加する色気』に惹かれるという、燈焔なりには深い理由がある。

「なんかなぁ――いつもと違って僕には見えるぞ」
「どういう意味?」
「森羅、てめぇ一体どこの誰にお相手願ったんだ? 言えよ、友達だろ?」

 意地悪く燈焔が聞くと、森羅が僅かに体を固くした。
 しかし表情こそ変えず、平静を保とうとしているのが、燈焔にはよく理解できた。

「別に」
「あーあー。慈覚が知ったら怒るんじゃねぇの?」

 ニヤニヤとそう続けたのは、燈焔なりの悪戯心だった。傍目に見ても、慈覚が森羅を意識している事には既に気づいていたというのもある。だから新しくできたこの友人を、それこそ揶揄しようと感じていただけだ。

「……」

 どんな反論が返ってくるかと期待していた燈焔は、直後視線を下げて森羅が沈黙したものだから、虚を突かれた。心なしか、森羅の耳が赤く思える。

「ほう。まさかの慈覚様がお相手とはなぁ」

 カマをかけてみる。すると、勢い良く森羅が顔を上げた。

「別に慈覚と俺は、そういうんじゃない。たまたま、慈覚が溜まっていたみたいだったから、ただそれだけだよ」

 声だけは、いつもと同じく抑揚の無いものだった。
 しかし燈焔は微笑ましくなってしまった。
 ――ただそれだけ。そういうことにしたいのは、森羅だけだと確信していた。

「なるほどなるほど。師匠として、多忙で溜まってる弟子を抜いてやったわけだな。僕も過去に何度か弟子に性教育をした事があるから、分からんでもねぇぞ」
「……、……うん」
「特に僕達、十二玉仙は、いくらモテても多忙でそんな暇が無いからな。こうやって空き時間は、僕のように即物的でない人格者の仙人は、貴重な友人関係を優先しがちだし」
「へぇ」
「信じていないって顔だな。どの部分だ?」
「多忙? 即物的ではない? 人格者?」
「――貴重な友人であるという部分を疑われなくて良かったなぁ、僕は」

 冗談めかして燈焔が言うと、森羅が短く息を飲んだ。それから森羅はカップの中へと視線を落とす。先程から、彼が珈琲を飲む手は止まっている。

「しかしながら、いくら不老長寿の仙人であっても、時間は有限だ。だからまぁ、貴重な時間を割いて会う”友人”と――ま、体を重ねるというのは分からんでもない。特に親しさが勝る、家族に準じる弟子や師匠が相手ならな」

 燈焔がそう告げると、森羅が静かにカップを置いた。
 そして夜のように黒い瞳で、まじまじと燈焔を見る。

「別に俺と慈覚は、貴重な友人関係でも、親しい師弟関係でも無いよ」

 ぽつりと響いたその声は、水のさざ波のように、二人きりの室内に響いていく。
 ――明確な否定。
 それが、燈焔には、少なからず不可思議に思えた。

「違うのか?」
「違うよ」

 少なくとも、愛情を持って環を育てている森羅を見る限り、『過去の弟子』とはいえ、慈覚に対してこのように否定をするのが、不思議に思えた。

「つまりは、『恋人』という新しい関係って意味で、それは惚気か?」
「ちっ、違……燈焔、君さ、たまに奇っ怪な発想をするよね」
「森羅は、わかりにくいように見えて、ずっと見ているとわかりやすいな」
「……俺の何がわかるって言うの?」
「何って?」

 ――慈覚を好きなんだろう?
 そう続けようして、燈焔は腕を組み、口を閉じた。
 森羅の瞳が、冷ややかなものに変わっていたからだ。

「有限の時間において、たかが一度、体をその時々の肉体的欲求で重ねたからといって、それを色恋沙汰に発展させて話すような、愚かな友人を俺は欲していないよ」

 そう言うと、森羅が再びカップを手にした。燈焔はそれを見て、苦笑する。

「友人の取捨選択に僕は懐疑的だからなぁ、答えに窮するが――ちなみに、どんな相手をお求めで?」
「――そうだね、例えば、そこに介在していたのがただの肉欲だと正確に理解してくれるような相手かな」

 不機嫌そうな森羅を見て、燈焔は手を叩いた。

「つまり、慈覚はセフレ、って事か?」
「……だから、継続的な関係ですらない」
「久しぶりでお互い溜まっていたのか?」
「そうじゃなくて――……誓って俺は、過去に弟子に手出しした事なんてない」

 続いて響いた声に、燈焔は微苦笑しながら半眼になった。

「悪いな、僕には、今の言葉は『慈覚は特別』だと聞こえたぞ?」

 すると、森羅がカップを取り落とした。咄嗟に手を伸ばして、空中で燈焔は、カップを受け止める。幸い残り少なかったらしき中身はこぼれなかった。

「だから、違うって言っているだろ?」
「怒るなよ。どう違うんだ?」
「弟子には、という話だよ。俺にだって相応の人としての肉欲はある。今、俺はきちんと仙人として、この和仙界で呼吸をしている以上――性欲の存在自体に何の不思議もないだろう?」
「おう。性欲が無かったら、それこそ南極様クラスで枯れているというか――まぁ、僕なら、お前がその域でも疑わないけどなぁ」

 燈焔がそう言うと、今度は森羅が体を固くした。
 それを見て――燈焔は顔が引き攣りそうになった。笑みが強張る。

「……へぇ。あの南極様と若道関係だったりするわけだ? すごいな。慈覚以上のお相手か」
「べ、別に、慈覚が南極以下だと感じた事はないけれどね」
「そこをフォローする必要は無いんじゃねぇか? ん? それは、森羅。お前の中の存在感という意味か?」
「――、っ、いや、だから……」
「……とりあえず、親バカならぬ弟子バカとして受け取っておけばいいか?」

 焦る森羅を見ていたら不憫になって、燈焔は落としどころを見つけて、そう告げた。
 すると、燈焔が拾ったカップを受け取りながら、森羅が俯いた。

「人間的な性欲と、愛を伴う恋愛感情の結びつきを――俺は、正確には理解できない」
「ほう。それはつまりは、僕ともヤれるが、僕を好きになる事は無いという感覚か? つまり、誰が相手でもある程度可能だが、それは恋じゃねぇという理解」
「燈焔が相手に限らず、そういう理解で良いよ」
「ふぅん。じゃ、試してみるか?」
「――何を?」
「肉欲の解消、あるいは、擬似的な恋愛遊戯」

 そう言って燈焔がニヤリと笑うと、森羅が辟易したような顔をした。
 それを見ながら、燈焔が続ける。

「果たしてそれにより、僕とお前の関係は、友人から変化があるのかどうなのか」

 森羅は静かに聴いていた後、嘆息してから立ち上がった。

「好きにすればいい。考察するのは自由だ」
「――そうか」
「そろそろ帰って」

 この日は頷き、燈焔はおさかな洞を後にした。
 帰り際、坂道を降りながら、自身の腕の下で痴態を晒す森羅を想像してみる。

「悪くねぇな」

 あるいはこれも、一つの契機だった。