解答





「余はパズルが好きだ」

 ――写真を片手に、『天帝』が口にした。
 それを眺めながら口角を持ち上げている天帝の外見は、環に酷似している。

 しかし――表情が違うだけで、ここまで与える印象が異なる事に、もし見る者がいたならば、驚いた事だろう。

 ……見る者、即ち観測者。

 それが己の役目では無い事を、『混沌氏』はよく知っていた。

 森羅にそっくりな――正確には、少し幼い外見だった頃の『人間』によく似た彼は、ただ無表情で、対面するソファに座っていた。もしもそれを別の観測者が眺めたならば、彼はあるいは灰色の猫の姿をしていた事だろう。

「また新しいパズルが手に入ったの? どれ?」

 特に興味も無かったが、混沌氏が静かに尋ねた。

 ――天帝の気まぐれに付き合わされる事になるならば、事前知識があるに越した事はない。その理由は一つだ。これから再び始まるのだろう、滑稽な賭けへの勝利のためだ。

 すると、混沌氏の言葉を聞いた天帝が、笑みを深めて唇の両端を持ち上げた。
 二人の合間に横たわる黒いテーブルの上に、写真を滑らせるように置く。
 それは混沌氏の目の前で止まった。

「……」

 そこにはいつか、環が片手で撮影した、森羅と二人並んでいる師弟の姿がある。

 おさかな洞の師弟の姿は、混沌氏にとっては既に見慣れたものであったが、感情は既にそこには付随しない。記憶はただの情報となり、神格のみに分かれた『猫』にとって、それらは懐かしさなど喚起しない。

 ――それでも、笑顔の二人の写真を見ていると、自身の奥深くで何かがざわついた気がした。だからスっと目を細めて、混沌氏は尋ねた。

「完成しても壊してまたやるんでしょう?」

 天帝の物作りは、いつも破壊を伴う。完成した時、彼はパズルをひっくり返す。
 混沌氏は、それをよく知っていた。
 人間の師弟とは異なり、二人の外見は、天帝の方が僅かに大人びている。
 しかし中身は、子供のままだ。己の方が老成していると混沌氏は考えている。

「いや、これは額縁に入れて飾る」

 すると、その時、混沌氏にとっては意外な言葉が帰ってきた。

「これは、余のパズルではない。既にピースがはめられている。違う者の手でな」
「君以外にパズルをする人なんていたの?」
「……これは、変化するパズルだ。生きている。いつか、完成を見てみたいものだな」
「この世界に、君以外の生き物なんていたの?」
「貴様がいる」
「僕が、生き物?」
「――意志は、生きている。感情とて生き物だ」

 天帝に、『命ある者』として扱われた――観測された経験が、これまでには無かったものだから、混沌氏は目を瞠る。すると薄く天帝が笑った。

「後始末は、よろしく頼む」
「君はいつもそうだね――僕は、『君』が完成するまでの間、無にならなければ良いの?」
「いいや。余もまた、人間の苦悩を学んだ。ああ、余の器であった滑稽な人間から――学んだ事もある」
「学び?」
「余が寂しかったと、『環』は言った」
「寂しい? ヒトの感情を知るのは、退化ではないの?」
「あるいはそうだとしても、余に後悔はない」
「どうして?」
「余もまた、見つけたからだ。新しいパズルを」
「どういう意味?」

 尋ねた混沌氏に向かい、天帝は余裕たっぷりに両頬を持ち上げた。

「余と貴様、二人きりのこの世界と、他者が存在する新たなるパズルの世界は、矛盾しないと気がついた。それでもなお、永劫、余と貴様の世界は二人だけである」

 そう言うと、天帝が天井を見上げた。

「愛という感情が介在する時、その世界の観測者は『二人』となる。余は貴様を見ている――よって、貴様が変わればひとつのパスルがまた生まれ、完成する。それはあるいは、過去のパズルの破壊であり……余が求めていた新しい世界と言える」

 上手く意味が理解できず、少年の外見の混沌氏が首を傾げた。

「混沌よ」
「なに?」
「余を愛せ。それが、それこそが、余が求めた新たなる世界であり、創造を渇望する『今』である」

 そう断言すると、天帝が床に降りた。
 その時には、胴長の茶色い犬の姿に変幻していた天帝は、扉へと向かって歩いていく。
 時間の進まないこの部屋から、そのまま天帝は出て行った。

 残された混沌氏は、白いその空間――あるいは『レンジ』の中でそのままに、首を傾げてから嘆息する。

「天帝は、やっぱり頭が悪いみたいだ」

 己に愛を教え用とした段階で、自分を愛せと、明確に伝えられたように混沌氏は感じていたから――何を今更と、考える。そして今、もう彼は、『愛』を知っている。

「もう、この世界を、消えない雪によく似た白が覆う事は無いのにね」

 混沌氏のそんな呟きは、誰も聴く者も無く、虚空へと溶けていく。
 ――既に今、二人は一緒にいる。あるいはそれは過去でもあり、未来でもある。
 ただ、ただただ、明確に残念な事が一つ。

「愛を知っても、僕にはその感情の伝え方が分からない」

 それが、ひとつのパズルの解答で、この時までその『愛』の形は、あるいは『恋』ではなく、別の名前をしていたのだろう。そう、例えば、『執着』だ。それは人の言葉で表すならば、『友人』だったのかもしれない。

「蓋の外は、果たしてどうなっているんだろう」

 ソファから降りた灰色の猫は、そう呟くと、扉へと向かった。
 先程、天帝が出て行った扉だ。

 出て行く――それは、あるいはレンジの外に出るという選択肢。

 その後ほどなくして、新しいパズルが始まった。