10


 まぁ、壊れないことを願っているけどな。本当にいつまでも、この幸福が続くことを祈っているのだ。俺は本日、幸福が続くことを信じられるくらいには大人になったのだ。それが今年からの、俺だ。

 たまには不幸な日も、訪れるかも知れない。憂鬱になることもあるだろう。

 だけど、仮にそういう日々が、少しの間は続いても、俺は、楽しさを絶対に取り戻すことを、もう誓える。だから、目を伏せ俺は、心の中で和仙界の全員に向けて告げた。

 今年も、よろしくお願いします!

 そのうちに、明星宮の新体制も始まり、慈覚様の教主就任式が間近に迫った。
 打ち合わせの際には、仙女や女の子の道士達も来た。これからは、男女平等の世の中が戻ってくるらしい。他に最近では、西方西洋と、外交を再開するという話があって、英和辞典や和英辞典という本の読書が推奨されている。

 兆越に関しては、和仙事変の記憶がみんなにあるから表には出てこないが、時折慈覚様の代打をしている。幻術で、姿をごまかして……慈覚様の代わりに、仕事をしているのだ。俺は次第にそれを見抜けるようになったのだが、周囲の人々は気づいていない。これって、まずいんじゃないのかな……。

 兆越の洞府もぐるぐる山の一角にあった。
 立ち入り禁止とされていた湖の中央に、ひっそりと存在したのだ。全然気付かなかった。だけど兆越もあんまりそこには帰らない。俺も兆越も、師匠の洞府に入り浸りだ。
 そして奇染もちょくちょく顔を出すようになった。ただ奇染は、旧世界の科学文明の調査をしているらしく、世界中を飛び回っている。だから、いつもいるわけではない。

 なお、最近では、休日に、俺は父さんに稽古をつけてもらっている。
 兆越は、とっても強い。いつも負けてばかりだ。それは幼い日の記憶とおんなじだ。

 また、時に貴重な暇な日は、慈覚様も遊びに来る。泰岳を連れてくることもある。
 慈覚様は、そういう日は、兆越と模擬戦をする。
 どちらも本気だから、ハラハラするものだ。

 泰岳の前では、兆越は、『客仙』だと名乗っている。
 時折明星宮で幻術を使わず歩く時も、そう名乗っている。
 その場合でも今のところ、誰も兆越だとは気づいていない様子だ。

 ――あるいは気づいていても言わないのだと思う。

 気づくような人は、和仙事変の真実に元々気づいていたらしい。

 ただ慈覚様が、「俺の友人だ」とか「兆越がこんなところを堂々と歩いているわけがないだろう」と、何度かごまかしているところも見た。慈覚様にそう断言されたら、反論できる人っていない気もするのだが……。

 そんなこんなで、俺の毎日は続いている。

 そして俺は、最近、初恋をした。
 打ち合わせで一緒になる、俺より二つ年下の仙女が相手だ。
 毎日俺は浮かれている。

 俺も恋を知ったのだと、師匠に自慢したら腹を抱えて笑われた。なんでだよ!

 また、来週には、兆越と共に、母さんに会いにいくことになっている。
 かなり楽しみだ。

 天帝犬と猫混沌は、相変わらず洞府にいる。

 こんな日々が、俺は嫌いじゃない。
 この世界が、やっぱり俺は大好きだ。

 きっと永久の冬により滅んでしまった旧世界を愛していた人だって、沢山いたとは思う。だけど、俺にとっては、今しかなくて、ここだけが現実だ。これからも長い長い寿命に従い、ずっと和仙界で、俺は生きていくのだろう。

 こうして継続していく日常が、俺はこれからも積み重なる事を願っている。祈っている。

 きっとその祈りは、天帝がいつか混沌に愛を知るようにと願った気持ちよりも強いはずだ。だって、俺の頭の中では、また、パチンとピースがはまる音がしたのだから。

 混沌氏のパズルは本当に完成したのかもしれないけど、天帝のパズルが完成したっていうことはないんじゃないのかなと、俺は疑っている。だって俺は今でもやっぱり、天帝でもあるはずだから。もしかしたら、この世界は全てパズルのピースのようなもので構成されているのかもしれない。何気ない日々が、パズルを作るために必要な、ピースなのだ。

「環、まだ仕事は終わらないの?」

 師匠の声で我に返った。ここ数日は、師匠が明星宮に、仕事を手伝いに来てくれているのだ。新年になってから、多忙な時は、慈覚様が容赦なく師匠を呼び出すようになったのだ。こき使っているのだ……。

「ああ、いや、もう終わったよ」

 俺が答えると、師匠が微笑んだ。

「じゃあ一緒に帰ろう」

 このようにして、師匠と一緒に明星宮を後にした。
 ……仕事が終わっていたのは、本当だ。嘘ではない。
 ただちょっとだけ、英和辞典を読む作業を明日にまわしただけである。

 歩きながら師匠は、俺がいつか渡した懐中時計を見ている。
 きちんと針が動いていることを確認して、俺は何とはなしに安堵した。
 その時師匠が顔を上げた。

「今夜は何が食べたい? いつもよりも、豪華な感じのメニューだとして」

 そういえば奇染が、丁度今日帰って来るって言っていたからな。
 彼の好物が良いかもしれない。

「ステーキ!」
「俺はお刺身がいいなぁ」
「楽だからか? ステーキだって、ただ焼くだけだろ」

 師匠がお肉よりも、お魚が好きだということを、俺はもうよく知っている。

「違うよ。旬のネタが美味しい季節だからだよ。みんなに食べさせたくてね」
「じゃ、おまかせで」

 もう決まっているんなら、聞かなくてもいいじゃないか。
 俺が溜息をつきながらそう言うと、パチンと師匠が懐中時計の蓋を閉じた。

 ――きっと俺のまぶたの裏と、時計の蓋の裏側は、同じ色をしているだろう。

 すべてを終わらせるような黒い色だ。いつか混沌氏が、この世界で示した闇色に違いない。ただ、あくまでも『ような』、だ。今の俺にとってその色は、終焉を意味しない。なにせその闇色は、夜の色によく似ているんだけど、俺は確かにお正月に、夜が白んでいったのを見たのだから。明けない夜はないのだ!

 それ以上に、俺は師匠のことを信じている。師匠は、滅亡を望まない。

 一番最初の日のことを、漠然と思い出した。
 小さな俺の手を握ってくれた師匠を、俺は選出の日の、あの瞬間から、ずっと信頼してきたのだと思う。信頼という言葉を知らなかった頃から、ずっとである。それが天数であっても、そうじゃなくとも、結果的に師匠の弟子で、俺は嬉しい。俺は師匠に、幸せにしてもらった。だから――他の誰かのことも、幸せにしてあげたいものである。

「なぁ師匠」
「なに?」
「俺もさ、そろそろ、弟子を取ろうかと思うんだ」
「うん、いいかもね。ただ先に、初恋を実らせようか。うまくいきそうなんでしょう?」
「黙ってくれ!」

 このようにして、俺達は道を進んだ。本当に、こんな日々が、幸せだ。
 二人で歩く、ぐるぐる山の坂道は、まだ終わりが見えない。
 今後の将来を象徴するように、どこまでも明るく続いている気がした。