洞府に帰ると、師匠が水を撒いていた。ぐるぐる山には、春が来ている。

「師匠、ただいま」
「おかえり。今日はどうだった?」
「あのな! 俺、飛び級することになった! すごいだろ!」

 俺が言うと、師匠が手を止めて、こちらを見た。それから頬を持ち上げた。

「良かったね。さすがは環だ。今日はお祝いしようか」

 その言葉が嬉しくて、思わず師匠に抱きついた。
 すると師匠が吹き出してから、俺の頭を撫でてくれた。
 ただやっぱり……みんなと離れるのは寂しくて、ちょっとだけ泣いてしまった。

 だが、俺には師匠がいる。そばにいてくれる。

 夕食は、ごちそうだった。様々な料理に舌鼓を打つ。
 俺は野菜はあんまり好きじゃないが、このシーザーサラダは美味しい。

「そうだった、環。一年生が終わったら、君に渡そうと思っていたものがあるんだ」
「なんだ?」
「君専用の宝貝だよ。将来的には自分で作ることになるんだけど、最初は大体師匠が渡すんだ」
「で、でも俺、具術はまだ勉強してないぞ? これからみたいだ!」
「おさかな洞なりの具術を今度から教えるよ。もう体術と仙術の基礎は出来ているからね」
「有難う!」
「血術と幻術も段々始めよう。この二つは、確か学校では教わらないんじゃなかったかな。基本的に洞府で師匠から習うはずだ。血術は、各人が秘匿している場合が多いし、幻術は難易度が高いからね。幻術は扱える人間が少なくて、大体各洞府のオリジナルを教えるから。どちらも理論は座学でやると思うけど」
「そうなのか」

 ラザニアを皿に取りながら、俺は頷いた。
 どうしよう、グラタンも食べたい。食べ物のことばかりを考えていたので、師匠の話は、半分くらいしか聴いていなかった。迷った末、結局俺は、グラタンも食べることにした。

 食後、俺は師匠から宝貝を受け取った。意識を切り替える。
 箱の中に入っていたのは、ナイフが先についた鎖だった。
 鎖の端には、指輪がついている。

「これ、どんな風に使うんだ?」
「『元始万象縛』と言うんだよ。貸して」

 素直に渡すと、師匠が指輪をはめた。
 指輪は勝手に、指にあうサイズになるようだ。
 中指にはめた師匠が手を広げると、鎖がクルクルと回り始めた。

「まずは右回り、『重力制御』が出来る」

 師匠がそう言った瞬間、体が重くなった。
 ずんと上から押される感覚がして、思わず屈む。

「左回りは、『四行制御』だよ。仙術で使う属性の力を高める力だ。上手く使えば、四行の力を打ち消すことも出来る」

 なんだかすごそうだ。まじまじと見ていると、師匠が掌を振った。
 すると――鎖が伸びて、勢いよく、観葉植物にナイフが突き刺さった。

「物理的に攻撃することもできる。鎖で、相手を締め付けて動きを止めることもできるね。ただ、覚えておいて欲しいことがある」
「なに?」
「重力制御も、それに四行を打ち消す力も、物理的に鎖で拘束するのも、全て相手の動きを止めるため……戦いを終わらせるためのものだって言うことかな。無論武器にもなるけどね。俺はあんまり戦うのは好きじゃない。だから武器も好きじゃない」
「分かった。相手を傷つけないようにする」
「それだけじゃない。自分の身を守るんだよ。そして機を見て逃げること。逃げることは恥じゃない。環が生きていてくれるだけで、俺は嬉しいよ。正しく使ってね」

 それから再び、師匠は俺に宝貝を渡した。大切に使おう。

 それから春休みの間、俺は具術を習った。基本的な使い方を教えてもらったのだ。
 なかなか鎖は回転しないし、伸びもしなかった。
 使った後は、すごく疲れる。仙気が宝貝に取られるからだ。

 だからお風呂で疲れをとって、毎日ぐっすりと眠った。
 沢山食べて、体術などで体を動かしたりもした。
 こちらは、もはや修行というより、遊んでいる感覚になってきている。

 仙術の復習だって忘れない。
 留年するかもしれないという恐怖を味わってから、俺は毎日勉強しているのだ。

 そうしていると、日々はあっという間に過ぎた。

 今日から俺は、新しい教室に行く。
 まずは、特別クラスの授業だ。
 今年も一年、頑張ろう!

 緊張しながら扉を開けると、机の上に一人の生徒が座っていた。
 机の上には座っちゃ駄目なのにな。

 俺を見て顔を上げたのは、銀色の髪と目をした少年だった。初めて見る色だ。
 俺よりも背が高い。
 多分、十一歳のはずだ。俺の四つ上。

「よお。遅かったな」
「時間には間に合ってる」

 少年の言葉に時計を見た。まだ開始十五分前だ。

「まぁな。で、お前が噂のぐるぐる山の門下生か。たしか、きんぎょ洞?」
「おさかな洞!」
「似たようなもんだろ。俺は、ろうそく山師走洞の燈焔様の弟子で、青鼠って言う。ま、よろしくな」

 そう言うと、青鼠は右の口角を持ち上げて、楽しそうに笑った。

「去年まで俺一人でさ、つまんなかったんだよ」
「お、おう。なるほどな。俺は、環だ。ぐるぐる山のおさかな洞、森羅様の弟子」
「一応俺は先輩なんだから敬えよ。なんてな、嘘嘘。仲良くしような」

 青鼠が手を差し出した。やっぱり俺よりも大きいが、それでも子供らしくて俺の師匠とは違う。握りかえして頷いた。悪い奴ではなさそうだ。教室には二つしか机がないから、俺は空いている彼の隣の席に座る。その時扉が開いた。

「そろっていますね。良かったです。環くんは、はじめまして。私は、特進クラスの担任をしている愉楽といいます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「では、さっそく実力テストを――青鼠くんには復習テストを行います。二行・火風を見せて下さい。何をしても構いませんよ。教室には結界がはってありますから」

 いきなりだ。俺は狼狽えた。しかし隣で立ち上がった青鼠は、動揺するでもなく右手を掲げている。そして呟いた。

「火球、燃え上がれ」

 すると彼の手の上に、火の玉が現れた。周囲には風が渦巻いていて、一気にそれが燃え上がる。火の大きさも増していく。

「結構です。次は、環くん」
「あ、ああ」

 俺は、火の鳥を思い出した。火風は、他には分からない。俺には、応用なんて、できない。だけどここには棒がない。考えた末、右手の人差し指の上に、風で空気の膜を作り、その上に火をともした。火傷しないように、この状態にしたのだ。棒は無いけど、無い場所に火を起こすことも、今の俺にはできる。

「へぇ、やるじゃん」

 青鼠に言われて、我に返る。先生を見ると、笑顔で頷いていた。

「良いですね。今日の授業はここまでです」
「――え?」
「なにか?」

 時計を見るが、まだ開始してから、十分しか経っていない。

「いや、別に……」
「それではまた明日」

 愉楽先生はそう言うと出て行った。残された俺は、青鼠を見る。

「もう終わりなのか?」
「まぁな。大体こんな感じだ。具術もこんな感じだぞ。汎用宝貝の初級剣を借りて、素振りして終わりだ」
「そっか……」
「次、復習クラスだし。あっちは一日中みっちり」

 それも嫌だなと思った。俺はその後、青鼠に案内して貰い、次のクラスへと向かった。
 そこにはおじいちゃんや大人の姿もある。
 ――仙人や道士は見た目じゃ実年齢は分からないけどな。

 途中の休憩時、俺は青鼠と一緒にお弁当を食べた。

「お前の弁当美味そうだなぁ。誰が作ってんの?」
「師匠だ」
「俺の所と交換してくれ!」

 面白いことを言う。俺は笑いながら首を振っておいた。
 午後の授業自体は、時生先生に言われた通り、確かに聞いたことのないものばかりだった。必死でノートを取る。そんな俺の隣で、青鼠は寝ていた。

 そんな感じで、俺の二年目は始まった。
 帰宅すると、まずは具術の鍛錬をする日々だった。

 血術の鍛錬が始まったのは、一ヶ月後のことである。
 師匠は、俺に人形を渡した。髪の毛が毛糸だ。目は黒いボタン。

「コンニチハ」

 な、なんとそれは、喋った。ポカンとしていると、師匠が吹き出した。

「その人形の目を見て、『私ハ貴方ノ下僕デス』と言わせるように」

 そんなことが出来るのだろうか……?

「目をしっかり見るんだよ。特に右目で」

 以降、毎日この練習が始まった。
 次第に俺は、右目の奥が焼け付くような感覚を知った。なんだろう、これ。
 ちなみに今のところ、人形は従ってくれない。

 「バーカ、バーカ。誰ガ従ウカ!」

 結構イラッとすることを言ってくる。