タバコを指に挟んで、兆越が空を見上げた。つられて俺も見上げる。

「ま、これが俺の使った大規模幻術の一つだ。俺は今でも、少なくとも時生の教えるような社会の教科書上じゃ、忌避すべき大量虐殺魔であり、クーデター首謀者だろう? 表向きは、教主の座を狙ったって言われてる。混沌氏を祀る宗派を立ち上げようとしていたとか、な。森羅に治めて欲しいっていうのは本音だったが、別に混沌氏を祀る気はなかったんだよなぁ。ちなみに俺は一度も、太鼎教主様を殺そうとは思ったことはない」

 もう空は白くなりつつあったが、まだ星も瞬いていた。本日は、快晴らしい。

「だってあのじじい、元々森羅を教主にしたがっていたんだからな。しかもそれが無理だと悟ったら、俺に勧めてきたんだ。俺が教主になるんなら、単純にそれを飲めば良かっただけなんだから、クーデターなんか必要なかった」
「確かにそうだよな。それに、うん……森羅様を教主にしたいというのは、父さんも太鼎教主様も一緒だったんだよな」
「ああ。そういうことだ。森羅にやる気があれば、なにも問題は無かったんだけどな」
「――でも、次の教主様は、慈覚様だ。俺も、慈覚様が良いと思ってる」
「俺だって、慈覚は向いてると思ってる」

 兆越が喉で笑っている。心底、そう思っているという表情だ。

「まぁ俺も、天帝が実子に生まれる天数じゃなければ、その座を狙ったかもしれないけどな。まさか、自分の子供が天帝だとは、思わなかった。てっきり、慈覚にいつか子供ができたら、その子が天帝の器だろうと考えていたんだ。あいつは修行する前から、生まれつき才能に恵まれていたからな。きっと慈覚の子供なら、器に最適な能力を持っているだろうとすぐに予測できた。すぐに奇染の神託の続きを聞いて、自分の考えが間違ってたって気づいたけど。でも天帝が父親として選んだのは俺だった。だけど順当に考えるなら慈覚だと、普通は思うだろうな」
「え? なんで? だとすれば、どうして慈覚様じゃなくて、俺は父さんの子供に生まれたんだ?」
「慈覚より俺がモテるからとしか言えない……俺は、罪な男だな……」
「まさか! 顔がいいほうがモテるんだろ?」
「おいおいおい、それは一体どういう意味だ? 俺のほうが格好いいだろうが!」
「え、や、あ、あの……渋いかもしれないけど」
「まぁ、正直な話……こればっかりは、天数としかいえないかもしれないけどな。俺は、円華とあるいは出会うべくして出会ったのかもしれない。あんなに和仙界の女を隔離したのになぁ。しかも念には念をと、俺自身は人間界の地界スレスレの場所にいたのに。まさか明星宮の天満院から追いかけてきた相手が、仙女で母親なんていうのは、さぁ。明星宮も配慮しろよって思ったよ」
「そういえば、俺の母さんは、その……」
「俺が、天帝をお前の無意識下に押し込んだ後、逃がした。だからそのうち会える。今はこれ以上は言えない。ただ、無事だよ。気にするな。元気だ」
「そっか……元気なら、いいけど」
「円華はなぁ――ああ、お前玉藍って知ってるだろ?」
「うん。え? 玉藍様が関係してるのか?」
「あいつの双子の姉なんだよ」
「え」
「で、燈焔の初恋の人」
「は?」
「ようするに天満の弟子の愉楽の同期でもある。その頃までは、まだ男女共学だったからな。だからあの三人は、円華のことを知ってる。お前の母親だとも気づいてるかもな。この三人も、円華と一緒で、天満院にも在籍していたし、今もおそらく関わってる」
「天満院……」
「天満院に人気がないのは、全員が普段は、他の業務をこなして、他に在籍しているからだ。天満院の人間だとバレると厄介な仕事は結構あるからな。適当にその辺を歩いてる補佐官が、実は天満院と兼任してたりするから、お前も気をつけろよ」
「そうだったのか。だから人がいないのか……でも、どうして気づいてるんだ? 母さんが話したってこと?」
「いいや、見た感じでだよ。環は俺に顔は似てるけど、性格の根っこは円華似だし。俺はどちらかといえば、慎重派でネガティブだけど、お前は円華に似て明るそうだ」
「ま、まぁ俺はポジティブだって言われるけど」
「一応円華は、口調は、おしとやかなんだぞ。頭も良さそうで、冷静そうなの。だけど深く付き合うと熱血なんだよなぁ。あいつはなぁ、体術のエキスパートだった。それで天満院に入っただよ。俺の捜索のために。俺も体術、そこそこできるからな」
「父さんは、玉藍様とか燈焔様と、面識があるのか?」

 以前、あの二人は、兆越の顔を知らないと言っていた気がする。

「明星宮に匿われてから、天数鏡で見ていたからな。俺の方は、あいつらを知ってる。お前が知らない光景も、俺は確認してる」
「俺が知らない光景? 例えば?」
「そうだな――玉藍は医学やってるだろ? けどな、あいつも体術やばいできるからな。インドアなんて大嘘。アウトドアの申し子。玉藍の体術には、燈焔なんて足元にも及ばねぇよ。黒燿も、な。それを知ってるから、黒燿は、体術をやらない玉藍に嫌味を言ってる」
「そうなのか?」
「そ。まぁ玉藍にしてみれば、ただ単純に、医学に興味があるから、体術の研究もしていただけみたいだけどな。元々円華と玉藍の、あの双子の血術は筋血だからな。体術特化だ。できて当然といえば、当然だ」

 そういえばいつか、玉藍様は、『基本的には』戦わないと言っていたな……。
 だけど授業参観の時に、師匠の動きが、体術かどうか判別できなかったようだったが……あの素振りは、フェイクだったのだろうか……?

「それに玉藍は、シスコンといっても差し支えがないみたいだ。円華と俺の関係を話したら、俺は殺されてしまうかもしれない。ただじゃすまない。だから、あいつの前に顔を出す気にはならないな。今後も一生、面識は生まれないかもな」
「シスコン……」
「まぁ、燈焔に関しては、あいつも結婚してるから、俺も堂々と円華との仲を公言できるんだけどなぁ。とはいえ、なんかさぁ。嫌じゃないか? 自分の初恋の人の旦那を見るって。俺だったら嫌だから、配慮して、あいつの前にも、顔を出す気はない」
「え? 燈焔様って、結婚してんの?」
「奥さんは亡くなってるみたいだけどな」
「そ、そうだったんだ……」
「奥さんは、太鼎教主様の姪だったらしい。教主様の妹の子供だな」
「――は?」
「唯乙だっけ? 燈焔の子供」
「う、嘘だろ?」
「なんで俺が嘘をつくんだよ」

 そういえば、いつか玉藍様が鍛錬披露会で唯乙様に対する否定的見解を述べていた時、燈焔様はフォローしていたな……。だけど、本当なのだろうか……。信じられない。

「それさ、唯乙様は、知ってるのか?」
「さぁ?」

 絶対知らなそうだと俺は思った。
 兆越は面白がるような瞳をしている。

 そこでふと、俺は思った。二人の前に顔を出さないのはともかく……どうして冤罪をはらさないのだろう。

「あのさ――……なんで、大量虐殺なんてしてないって言わないんだ?」
「今の俺は慈覚達には事実を話して、ここに来る権利を得ているからな。もう親しい奴らは、真実を知ってる。俺にはそれで十分だ。別に、和仙界中の常識を変えてまわる気にはならない。信じてくれる相手に伝えられただけで満足だ」
「そっか」
「ああ、それに、他にも俺は大規模な幻術をいくつか使ってる。一々伝えてまわる気なんか起きないな。例えば、お前の中の天帝が表に現れて、奇染に神器を渡した後、俺は幻術をかけた。底怪が押し寄せてきた幻術で、お前の心の奥に天帝を押し込めた。そしてその後、もう一つ幻術をかけたんだ。それが俺と円華の死だ」

 やっぱり、俺が推測した通り、天帝は幻術にかかっていたらしい。

「天帝がかかってくれるかは、一種の賭けだった。だけどな、研究上、人間の肉体内にいる神仙には、効果があると確信してた。なにせ、南極に効いたことがあったからな。南極も最初は、和仙事変の幻術にかかってたんだよ。あの時は、俺、自分を天才だと思ったな」
「――ええと、父さんと母さんの死の幻術は……俺の記憶では、父さんが死んでて、母さんがその後死んだんだけど……」
「ああ、そうだ。おそらく、天帝には、逆の光景が見えたはずだ。これは、故意だ。俺が仕掛けた罠だ。もしも仮に天帝が森羅に取り入る過程で『人間の器と記憶が違う』と疑問に思った時、幻術だったと気づいて、俺の生存を予測し探すだろうと思ったんだ。そうすれば時間稼ぎになるからな」
「時間稼ぎ……」
「まさかずっと、幻術にかかり続けるとは、想定していなかった。いつかは気づくはずだと考えてたんだよ。だって俺はただの人間で、相手は神仙なんだからなぁ」

 兆越が、苦笑を飲み込んだ。どこか困ったような笑みだった。

「ただ、天帝は、南極いわく『頭が悪い』らしくて、全く気付かなかったけどな……力が莫大だからといって、頭脳明晰とは限らないんだな。で、気づかないのであれば、わざと気づかせる必要はない。だから俺は、現在に至るまで、黙っていたわけだ」

 俺は何とも言えない気持ちでそれを聞いていた。

「天帝が俺を探すために必要な時間を用いて、次の策を打つつもりだったんだけどなぁ……天帝が気づかないものだから、いくらでも時間があったっていう……まぁ、次の策を打つという案は、途中で無くなっていたけどな。俺はお前を、信じていたから」
「信じた? 何を?」
「だから、お前を。環のことを、信じるようになったんだ」
「え?」
「お前なら、絶対に、森羅を絶望させたりしないって、信じてた」
「なんだよそれ……」
「森羅があんなに穏やかな目で見るお前が、あいつを絶望させるんなら、もう誰にも救えない。俺はそう確信してた。お前は、森羅に辛い思いをさせないって信じてた」
「し、信じるなんて、そんな曖昧な感情で、この世界の命運を任せたのか? 俺に? そ、そんなの……そんなのさ、そんなの、もし、もし、もし俺があの時駄目だったらどうしたんだよ! 天帝を消すって決めなかったら、どうしてたんだよ?」
「そりゃ、諦めるしかなかっただろうな」

 くすくすと兆越が笑う。そんな父さんを、俺は睨んだ。

「失敗してたらみんないなくなっちゃてたんだぞ?」

 いつか、一度きりの人生だと、俺は天帝に対して啖呵を切ったことを思い出した。

「その場合は、消える気でいた。それに、俺にできることは全部やったと思ったし、後はお前を信じて見守ろうかと思ってな。ま、今でも慈覚は、ちょっと他人を信じすぎだと思うけどな。俺なら怖くて、部下にあんな量の仕事は任せられない。だけど、この点に限っては、俺は慈覚の信じ方を真似た。信じるとは素敵なことだったと気づいたよ」
「諦観してただけに思えるんだけど。なるようになれって、思ってたんじゃないのか?」
「信じた相手の手でもたらされた結果なら、なるようにしかならないだろ。実際に俺も、人を信じるなんて考えは、最後の最後まで持てなかったんだ。最後にやっと持てただけだ。だから慈覚にも、そして森羅にも天帝のことを何も話さなかったんだし。正直あの二人を信用してなかったとしかいえない」
「じゃあなんで俺を信じたんだ?」
「お前が俺の子供だったからかもしれない。なんていうか、長生きすると、子供や赤ちゃんに戻るみたいに、感情的になる人間がすごく多いんだ。俺はそれを馬鹿にしていた。だけどな、決してそれは悪いことじゃなかったんだ。自分の感情に素直に生きられる」
「感情……」
「俺はさ、環が生まれてから、少しだけ心に余裕を持てるようになったんだ。例えば、信じる気持ちにだって賭けられるくらいの余裕が生まれた。感情のままに、お前を信じたわけだ。これが親になったっていうことなのかもな。俺は自分の気持ちに素直になって、お前を信じたし、お前が生きているのが嬉しいと思ったし、この世界がきっと大丈夫だろうと考えた。実際、この世界は滅んでないだろ?」
「滅んでないけど……」
「俺はお前が好きだし、この世界も好きで、そしてこの世界の未来を信用していた。それだけだ。最初からお前や世界を信用できなかった点が、唯一の俺の過ちだ。だけど今は、俺も信じることを学んだ。多分それは、誰でもなく、紛れもなく、お前のおかげだ」

 一気にそう話してから、オブジェのくぼみに、兆越がタバコを押し付けた。消えていく火を見る。俺は、そうか、期待されていたのだろうか。信じてもらっていたのだろうか。