「決して俺の酒癖は悪くないぞ。醒宝老だって、今はもう絡み酒ではないしな」

 慈覚様が溜息をついた。

「慈覚の言葉は信用できないよ。大体、君は酔ってなくても、俺の後片付けを手伝ってくれたことは一度もない。太鼎との飲み会の時も、全部磊落に片付けさせてるんでしょ?」
「いいや、祀傳老も三分の一程度は片付けてくれているようだぞ。磊落師兄一人では、さすがにきついだろう」
「結局君は片付けてないじゃないか。どうせ笑ってるだけなんだろ?」
「そんなことはない。少なくとも、声を上げて笑うことは、めったになくなったからな」
「表情もいつもと変わらないの?」
「……酒の席でくらい、笑ったっていいだろう」
「ほら、やっぱり笑ってるわけだね。治ってないじゃないか」

 師匠が目を細めている。
 確かに、慈覚様本人が、何かを片付けている姿を、俺は見たことがない。イメージはきれい好きだけど、慈覚様は忙しいので、周囲が掃除を請け負っているのだ。例えば、俺とか。磊落様や祀傳様が片付けをしている光景は、混沌鏡で見たことがあるけど。
 それに、笑い上戸と言えないこともないだろう。普段笑わないんだから。
 しかし醒宝様が、絡み酒……?
 こちらもイメージにはない。飲んでも飲んでも平気そうだ。

「絡み酒は、わしではなくて奇染ではないか」

 好々爺がボソリと言った。

「どっちもどっちだよ」

 師匠が律儀に答えている。

 俺は、はたと思いついて、奇染の姿を探した。どこにいるんだろう?
 すると道服姿の彼が丁度、ダイニングからこちらへとやってきた。
 猫混沌を腕に抱いている。

「心外です」
「事実じゃないか」

 師匠の言葉に、奇染が嘆くように続けた。

「私も後片付けなんか手伝いませんよ」
「え」
「単純に、年功序列で、私よりも年下の弟子がいなかったから、空気を読んで、これまでは手伝っていたのですが、今はもう、必要ないでしょう? 環さんがいるのですから」

 その声に、醒宝様が息を飲んだ。

「空気を読む? おぬしにそんなことができたのか? わしは見たことがないぞ?」
「どういう意味です?」

 すると猫混沌を床に離しながら、奇染が目を細めた。
 唇だけで弧を描いている。

「奇染が余計なことを言わなければ、兆越は出ていかなかったではないか」
「実際に、兆越が出て行ってしまったのは、私の責任ですが……だからこそ、天帝にもっとも近しい者として、私はずっと兆越と環さんを見守る義務を果たしてきました」
「見守る? 今回とて、環に余計なことをおぬしが話さなければ、何も起きなかったかもしれぬではないか」

 醒宝様……容赦ないな。
 俺は何も言葉が見つからない。確かに、醒宝様が言った通りの側面もある気がする。
 しかし、奇染に動揺は見られなかった。むしろ呆れたように片手を持ち上げている。

「それに聞き捨てなりませんね。仮に私が環さんに何も伝えなかったら、一体どうなっていたことか。『天帝を消滅させるための短剣』は、私が環さんに『イメージを渡した』んですよ。あれが無かったら、どうなっていたことか」
「そんなもの、誰にでも渡せるではないか」
「でも誰も渡さなかったではありませんか。私は、責任を十分とったと思うのですが」

 奇染は譲らない。
 だけど、醒宝様も、全くひかない。
 仲が悪いのだろうか?

「責任をとるというのであれば、離山などせずに、明星宮で働けば良かったではないか! 一人だけ逃げおって! みんな働いておったのに!」
「死んでも嫌です。あんな激務」

 あ、やっぱりそういう認識なのか。

「第一、和仙界の仕事は、醒宝師兄でも、なんとかできたのではないですか? 確かに師兄は、兆越や慈覚よりは、仕事はできない。なのに部下に厳しくて、燈焔や玉藍にまで逃げられそうになる鬼畜上司です。それでも貴方の徹底した管理能力と、雑用を押し付ける天性の才能で、あの二人でさえ、逃げずにたえたではありませんか」

 天数鏡で、宴の光景を見た時、あの二人――地獄だったとか、トラウマだとか言っていた気がするな……。気のせいかな……。しかも昔から、顔を合わせるのを、回避していたよな。俺と青鼠を醒宝様の洞府に行かせたり……。

「そういう人間は、一人入れば、十分ではありませんか。私は元々醒宝師兄と同じタイプで、兆越や慈覚みたいなワーカーホリックじゃありませんし」
「奇染よ。わしをなんだと思っておるのじゃ。わしは、おぬしよりは少なくとも、仕事ができる自信があるぞ。おぬしなど、好奇心にかまけて遊んでばかりおったじゃろうが。祀傳老の血縁者で一番達が悪い」
「でも私と醒宝師兄が一番気が合いますよね?」
「それは否定せぬ。しかしな、いつも影では呼び捨てているくせに、ここでだけわざとらしく師兄などと呼ぶな。そんなことでは、わしの心象は良くならぬからな。おぬしも今では環という弟弟子ができたのじゃから、もっと大人にならねば困るのだ。外見が子供だからといって、祀傳老と同じく中身まで幼稚ではならぬのじゃ」
「祀傳様に伝えておきますね」
「わしが悪かった」

 素直に醒宝様が謝った。腕を組んでいる奇染は笑顔のままだ。
 気が合うと言っているのだから、仲は悪くないのかもしれない。
 息もピッタリの言い合いをしていたのだから、よく話すのかもしれない。

 それに、なんだか楽しい雰囲気だ。
 俺はその空気に飲み込まれた。

「とりあえず料理を運んでくるよ」

 その時師匠が、そう言葉を挟んで、ダイニングの方に行った。見守っていると、早速様々なおかずがのったオードブルを持ってきた。本気で美味しそうだ。特に、エビフライ。俺は、今年、エビフライに目覚めてしまったのだ。オニギリの具材として運命的な出会いをしてしまったのだ。昔は特別好きではなかったんだけどな。

 場を見守っていた兆越が、師匠に声をかける。

「森羅、年越し蕎麦は、昔通り、日付が変わる頃か?」
「兆越は今でも蕎麦が好物なの?」
「むしろ今の方が、胃に優しく思えて好きかもしれない」
「胃薬なら、昔と同じ場所にあるよ」

 師匠はそう言うと、再びダイニングに戻っていった。
 まだまだ料理は沢山ある様子だ。

「美味そう」

 その時早速、兆越が手を伸ばした。箸を持っている。

「全員そろうのを待てといつも言っているだろうが」

 隣で呆れたように慈覚様が溜息をついた。『いつも』と口にした時、慈覚様は少し嬉しそうだった。なんだか見ていたら、温かい気持ちになる。が、すぐに俺は、思わず半眼になった。だって、慈覚様もまたフォークに手を伸ばしているのだ。

 そのまま二人は、オードブルに手を出した。
 え、先に食べるのか?
 師匠はまだ、忙しそうにしているのに!

「久しぶりに食べる森羅の飯はうまい。本当やべぇわ、師匠の飯」
「まったくだな。環がこういう時は、羨ましくなる」
「いや、むしろ進化したか?」
「ああ、環のお弁当を観察する限り、森羅の料理の腕前は、今でも向上し続けている」

 慈覚様が大きく頷いている。
 まさか俺のお弁当を観察していたとは……知らなかった!

 それから俺は、穏やかに笑った慈覚様を見た。
 兆越が苦笑するように目を細めた気配がした。

 ――二人は、いつの間にか、手に酒が揺れるグラスを持っていた。

 どうやら、醒宝様と奇染が言い合っていた時に、二人はお酒の準備をしていたらしい。だから無言だったのだ。俺は会話を聞くのに夢中で、ちっとも気付かなかった。

「何お前相変わらず笑い上戸なの?」
「うるさい。お前なんて、抱きつき魔の上にキス魔だろうが!」
「ちょ、環の前でそういう暴露しないでくれよ!」

 なんだか二人のやりとりは、俺と同期のみんなのやりとりみたいだ。仲が悪いのか良いのか分からないけど、とりあえず楽しそうなのだ。

 その間も、師匠が次々と料理を運んできた。
 俺はそれがどうしても気になってしまう。

「師匠座ってろよ。俺が皿を持ってくるから」
「環……ありがとう。みんなにも環を見習って欲しいよ」

 師匠の言葉に、慈覚様と兆越が酒を吹き出しそうになった。むせている。

 醒宝は笑っている。奇染もニヤニヤしていた。
 動く気配は、どちらにもないけど。

「わしは肉体的に歳なので」
「だそうですよ。ここはお若い慈覚と、外見年齢はともかくその同期の兆越の率先した気遣いを手本にしたいところです。私は、貴方達よりも、子供ですので。弟弟子として、兄弟子の良いところを、久方ぶりに見たい限りです」

 その後、俺だけが手伝った……。
 誰も俺には、兄弟子の良いところを見せる気は無い様子だった。