――そもそも、兆越は、『天数が変わり、天仙となる天数を持つように変わったから、太鼎教主様の弟子ではなくなった』と、昨日、南極と師匠が話していた。天帝犬は気づいていないようだが、兆越は、天仙だったのである。

 俺は内心の動揺を必死でしずめる努力をしながら、楽しそうな目の天帝犬を見た。

「だから余はあやつを選んだのだ。天数が変わることなど、ほとんどありえぬからな。実に都合が良かった。そしてあの愚か者は、実に馬鹿げた踊りを披露してくれたものである」

 やっぱり、天帝は、兆越が天仙だと知らないのだ……。
 天数が変わることは、めったにないと師匠と南極も言っていたしな……。天帝が、ほとんどありえないと言ってもおかしくない。全然おかしくない。そのくらい、本来は変化するはずがないものなのだろう。

「次に余が外界を捉えた時には、すでに貴様の母親は死に、父親も虫の息だった。意識すらなかった。後は南極にそれとなく場所を感知させるだけで、余はこの和仙界に来ることが叶ったわけだ。混沌に気づかれることすらなく、な」

 自慢げに天帝犬が語り終えた。
 しかし、俺はめまいがした。

 ちなみに、天仙同士は、何故師弟関係になれないのだろうか。
 お互い偉い仙人だからなのだろうか。

「天仙になる条件って、あるのか?」
「基本的に、天仙とは、神仙に謁見できる者をいう。天仙になるには、そうだな、和仙界に限っていうのならば、貴様の師や南極に師事すれば可能だ。そこで認められれば、天仙となる権利を有する」
「じゃあ俺もなれるの?」
「ああ。この理屈で言えば、混沌の人の器が四行五術を教えた全ての者に、その可能性はある。しかし、天数があるのだ。名目上であっても、他の師がいる限り、混沌がいくら認めようとも、正確には、混沌に師事したことにはならない。よって、『太鼎教主の弟子である兆越』は、天仙にはなれない」
「なるほど。そっかぁ。兆越は、天仙じゃないんだな!」

 俺は、大きな声でそう口にしていた。ちょっとわざとらしかったかもしれない。
 だって俺が知る限り、兆越は、太鼎教主様の弟子ではないのだ。
 名目上も、森羅様の弟子なのだ。南極と師匠は、確かにそう話していたのだ。

「無論、その頃は、貴様が存在していなかったから、余も四百年に一度の祭祀においてしか、和仙界を見る機会は無かった。天数鏡は神界から降りてからでなければ使えぬからだ。だが余にとって四百年など一瞬だ。毎日見ていたようなものだ」

 なるほど。天帝は、やっぱり、絶対知らないんだな……。
 四百年に一度では、細かい変更に気づかなくても仕方ない……。

「東方東洋の仙人宗各教の教主のみ、教徒たる仙人の仙気が集うから、天仙に自動的にのぼることが可能だが、兆越は教主ではない。集う仙気が多い場合、天数に影響を与えることがあるという仮説もあるが、余は信じていない。所詮人間の仙気だ。余が定めた天数に影響を及ぼせるわけがない」

 天帝は自信たっぷりに笑っているのだが、俺はその仮説が正しい事を知っている。

「例外は、余を祀る一族のみだ。やつらは生まれついて、天仙の素質を持つ。開教の権利を持つのだ。奇染もその一人だ。それを除けば、選ばれた教主だけだ。天数以外ではな」
「じゃあ慈覚様は、天仙になれるのか?」
「可能である。しかしながら、奴は、余の父親ではない。慈覚には、例えば余に、『底怪の姿や障気を幻術で見せて、人間の器に閉じ込めること』は、不可能である。仮に兆越が天仙であったならば、それも可能だったかもしれないが。現実とは、残酷なものだろう?」

 ――つまり、父さんは天帝に、『底怪の姿や障気を幻術で見せて、人間の器に閉じ込めること』が、可能だったのだ。天帝が気づいていないだけで……。

 だとすれば、兆越が、『現在も生きている』ことには、納得がいく。
 父さんは、『終わらせなかった』のだろう。

「……現実は、残酷だな!」
「その通り! 少しは、貴様も話ができるようになってきたな!」

 俺は、天帝犬に、絶対に内心を悟られないようにと頑張った。
 それにしても天帝は、天帝犬を見る限りだが、自分に絶対的な自信を持っている。
 だから、まさか騙されるわけがないと過信しているんじゃないのだろうか。

 しっかりと騙されているのにな!

 だけど……天帝は、兆越が生きていると知ったら、どんな行動に出るのだろうか……。
 俺は再度そう考えて、恐ろしくなった。
 静かに腕を組み、天井を見上げる。

「な、なぁ、天帝」
「なんだ?」

 俺は、実に何気ない様子を装い、自然になるようにして言葉を紡ぐことにした。

「お前、賭けが好きなんだろ?」
「嫌いではないな」
「俺とも賭けないか?」
「貴様と? あいにく余は、混沌以外に敗北したことは一度もないぞ」
「いいって、いいって。俺なんて、初体験だから」
「して、何を賭けるのだ?」
「兆越の生死」
「――なんだと?」
「天帝は、兆越が死んだところを見たんだろ? でもなんていうか、俺は、親子だからなのか、どこかで父さんが生きているような気がするんだ。生きていて欲しいって願ってるんだ。だ、だからさ! 俺は信じて、父さんが生きてる方に賭ける!」
「本当に賭け事の初心者のようだな。結果が見えている賭けを、自分の愚かな願いのためにするなど。良かろう。余は無論、兆越の死に賭ける」
「じゃ、報酬は、もし俺が勝ったら、兆越の命の保証な! せっかく生きてるところに再会できても、お前に殺されたら洒落にならないから!」
「それで良い。では仮に余が勝った場合、その体、全て余に明け渡せ」
「え……それは、ちょっと」
「相応のリスクを負うことも賭けの楽しみだ。そのことを身をもって教えてやる」
「――わかったよ」

 俺は、少し迷ったが、『現実』を信じることにした。

 それに、なんとなくだけど、もし賭けに負けて体を奪われたとしても、助けてもらえる気がしたのだ。師匠が絶対に助けてくれるだろうし、『天帝を騙し通したみんな』も、多分力になってくれる。騙したという意識が、人々に無かったとしても、少なくとも天数を、その結果が訪れるように変えたのは、人々の想いの力のはずなのだ。

 第一、他力本願だとはわかっているが、信じるというのは悪いことじゃないはずだ。

 天帝の能力の制御法を教えてもらえたならば、仮に乗っ取られた後でも、俺はまた復活できるような気もするしな。すぐに体を明け渡すなんて約束はしてないのだから、奪い返す方法を覚えてから報酬を支払ってもいいだろう。

 そもそも負ける気もしないし。
 天帝犬を見ていると、なんとなく勝てる気がしたのだ。
 これは直感だけど――もしかしたら瞳血の持つ、全てを見通す力が働いているのかもしれない。

 そんなやり取りをしているうちに、いつの間にか、日が暮れていた。

 ああ、本当に今年一年も終わるのだ。

 俺と天帝犬は、そろって部屋を出た。
 すると、師匠が階段をあがってきたところだった。

「ああ、環。ちょっといいかな?」
「ん? どうかしたのか?」

 首を傾げた俺をまじまじと見た後、師匠が視線を逸らした。
 それを追うと、階段の下を見ているのが分かる。

 その時リビングから時計の音が聞こえてきた。普通の柱時計の音だ。

 天帝の時計とは違う。天帝の時計からは針の音しか出ない。
 なのに、俺の頭の中では、不意に針が進んだ感覚がした。不思議な気持ちになる。
 新しいピースがはまったような感覚もした。

 もう夜の十時だ。思考を打ち消し、俺は鐘の音を数えた。
 俺は、とても長い時間、仕事のメモの整理に打ち込んでいたみたいだ。
 それに天帝犬とも話し込んでいたんだな。

 師匠が再び歩き始めた。
 だから俺も、追いかけて階段に向かう。

 二人で少し歩き、数段降りた。
 そこでまた、師匠が俺を一瞥した。
 俺の隣には、天帝犬もいる。

「環、驚かないで聞いてね」
「なに?」

 最近は、もう一生分驚いた気がするから、全然平気だと思うんだけどな……。

「君の父親が生きてる」
「おう」
「驚かないの?」
「……別に? それで?」
「俺の弟子でね――」
「兆越だろ?」
「知ってたの?」
「いや、別に」
「……来てるんだ」

 俺は、なんでもないフリで聞いていたんだけど、本当は、ドキドキしていた。

 ――賭けの勝利を確信して嬉しかったのだ。

 それだけではなく、驚いて鼓動がうるさいというのもある。
 だって、まさか、『来ている』とは、思わなかったのだ。

 師匠は、多分『俺』が全部知っていたと気づいているのに、それには触れない。まるで、俺が天帝犬に対して知らんぷりしてみせた時と、同じような顔で、師匠はこちらを見ている。多分だけど、師匠もまた、『天帝犬は知らない』ということを踏まえている気がした。