だが、当初と比べると格段に口数が増えている。

 外見も含めて、少しだけ今の師匠に近くなった。
 現在よりはまだやっぱりちょっと若いし、どことなく冷たい印象だけどな。

 このようにして、その日は、磊落様は帰っていった。

 翌朝、磊落様は十時に四階へとやってきた。

 そして師匠が来た後、十二時半頃、執務室の扉を叩いた。

「昼食は何時頃食べれば良いですか?」
「きりが良いところで食べて」
「明日は日曜日ですが、仕事は通常通りですか?」
「特に休日は決まってないんだ。学校は、南極の都合で、日曜日を休みにしてあるけど」

 師匠は書簡から顔を上げない。頷いて磊落様は出て行った。

 昼食後、磊落様は、やっと仕事に取りかかり始めた。
 開始前に時計をみた磊落様は、開始日時を手帳にメモしていた。

 そしてすぐに、一つの山を片づけた。
 あ、処理速度がすごく早い。

 見守っているとあっという間に時が流れた。
 時刻は、夜の一時になっていた。

 終了時間をメモした磊落様は、それから腕を組んだ。

 そして――何をするでもなく執務室の方を眺めはじめた。
 そのまま午前三時を過ぎた。何をしてるんだろう?

「あれ、まだやっていたの?」

 すると帰るところなのか電気を消しに来た様子の師匠が、驚いたように声をかけた。

「一段落したところです。本日は、もう少し残りたいと思うのですが」

 磊落様の声を聞きながら、師匠が珈琲サーバーに歩み寄り、珈琲を淹れた。

「あんまり無理はしないでね。じゃあ鍵は開けていくよ。空調も明かりもつけっぱなしで良いから」

 そう言って師匠は帰っていった。
 磊落様が時計を見ている。三時二十分だった。磊落様はそれも手帳にメモした。

 そのまま、今度は仕事指南書と、資料置き場を記してある三つの要となる巻物を眺めつつ、磊落様は珈琲を飲んでいた。珈琲サーバーの使い方を覚えたらしく、磊落様は何度かおかわりをして、満足そうに吐息していた。

 その内に、巻物を読み終えた磊落様は、窓の外を見ていた。

 次第に夜空が白み始めた頃――正確には四時四十二分、四階の扉が開いた。
 師匠が立っていた。着替えている。

「おはよう。まだ残ってたの?」

 紙袋を両手に持っている師匠が声をかけた。なんで紙袋なんだ? 布じゃ駄目なのか?

「おはようございます。今から帰るところです。今日はお休みを頂いても良いですか?」
「もちろんだよ。ゆっくり休んで」

 師匠の言葉に頷いて、磊落様が立ち上がった。
 手帳に、四時四十二分と書き、パタンと閉めている。
 その手帳と三つの巻物を鞄に入れると、磊落様は帰っていった。

 俺は思う。師匠のように明らかに無理をしている人に、無理をするなと言われても説得力がない。

 翌日磊落様は宣言通りに仕事を休んだ。

 そして、四日目。
 朝十時に磊落様はやってきた。
 彼は迷うことなく執務室の扉を叩いた。

「おはようございます。万象院様、少し宜しいですか?」

 頷いて師匠が顔を上げた。
 師匠の執務室の紙の山は、全て入れ替わっている。
 師匠の仕事消化量も早すぎるし多すぎる。慈覚様より仕事をする速度が速い気がした。

「どうしたの?」
「少し仕事の方法を変えても良いですか?」
「好きにして良いよ」
「ありがとうございます」

 淡々と礼を言い、磊落様が部屋から出た。
 彼は補佐官室に戻ると、白紙の巻物を広げた。それからペンを走らせる。
 この人も達筆だった。

 内容は、『勤務時間、午前九時から午後五時。午後五時を終了予定時とする』とある。
 次に、『昼休憩、正午から午後一時』と書いた。最後に『原則週休二日制とする。土曜日及び日曜日は終日休暇とする』としてあった。

 こ、これは……!

 現在の明星宮の勤務態勢とほぼ同じではないか。

 その他にもいくつか決めごとを書いた後、磊落様はそれを窓際に置いた。
 そして、六百分の一ほど減った机の上の山を見ている。一角がすっぽり空いているのは、師匠が片づけた分だ。山一つ分は磊落様がやったんだったな。

 それから磊落様は、別の白紙の巻物をそばに広げながら、それらの山を移動させ始めた。俺が見ている前で、仕事は『作業量』順に一から十までの種類に再分類された。そこに、さらに別の一から十で『優先度』をつけられた。その後、『確認の要不要』『署名の要不要』『資料量』などで位置が決定されていった。

 見ている内に、それまではただ整理されていただけだった書類の山が、きっちりと内容ごとに整頓もされた。その整頓内容を、磊落様は巻物に記す。几帳面だな。

 それらの作業が終わると、午後四時四十五分になっていた。
 休憩をした様子は無かったが……。

 それから『規則』と『分類』を書いたそれぞれの巻物を手に、磊落様が執務室に入った。

「万象院様、俺はこのように仕事をしようと考えているのですが、いかがでしょうか? それにともない、よろしければ、こちらの巻物にある順序で仕事を行って頂けると助かるのですが」

 その言葉に、師匠がペンを置いた。巻物を受け取る。
 先に開いたのは分類の方だった。

「助かるよ。これはわかりやすくて良いね」
「有難うございます。大体は、元々万象院様が並べておかれた順序とかわりませんが、俺が加わった場合は確認必須の場合などを考えるとこちらの順にして頂けると有難いです」
「そうだね。それと、休憩時間とかは自由だから、この通りにしてもらって良いよ。特に決まっていないし」
「ありがとうございます。この流れで卯月に間に合わないと判断したら、再度分類をしなおして、時間も検討します。また、原則ですので、朝は八時頃に来て、夜は七時頃帰ろうと思うのですが、宜しいですか?」
「うん。任せるよ」
「それでは今日はこれで失礼致します」

 このようにして、磊落様はその日、帰っていった。
 師匠はずっと仕事をしているようだった。

 その数日後、南極が顔を出した。

「はかどってる?」

 すると昼休憩中だった磊落様が、顔を上げてカップを置いた。彼は目を細めた。

「それなりには」

 磊落様がそう言って小さく頷いた。
 そこに丁度、師匠が珈琲を淹れに来た。

「二人とも順調だと良いんだけど。どんな感じ? あれ、何これ?」

 近場のソファに座り、南極がおいてあった『規則』の巻物を手に取った。開いてから暫く考えた顔をしていた南極は、その後、笑顔で首を傾げた。

「休みしか増えてないよ!」

 その言葉に、師匠がポツリと言った。

「能率の問題だから、俺は良いと思うけど」

 そして早速仕事に戻っていった。
 それを見送った後、南極がじっと磊落様を見た。
 俺から見ても、結構脅しが入っている表情に思えた。

「あのさぁ、森羅はああ言ってるけどさ? 本当に大丈夫なの?」

 磊落様は、目を伏せて南極の迫力を見ないようにしている。

「ええ。問題ないと思います」
「思いますじゃ困るんだけど。君には期待してるんだよ。それにさ、今後君だってそれなりの地位に――だから、そ、そうだよ。昇進とか!」
「興味がありません」
「え? 君専用の階とか、欲しいよね?」
「結構です。ご遠慮します。いりません」

 磊落様は、臆せずにきっぱりと南極に言った。すごい!
 ……ま、まぁ、確かに俺もいらないけどな。
 だってそれって、ワンフロア分、自分の仕事が増えるって事だもんな。

「俺は偉くなりたいわけじゃないです。ただ平穏に暮らしたいだけだ。やりたくないことはやりません」
「そ、そっか……ちなみに、やりたいことって何?」
「はじめは、最上仙は底怪退治をするのだと思っていたので、死にたくなかったため四行五術に打ち込みましたが、そうでないと分かった現在。後は毎日なるべく早く家に帰ってぐっすり眠るのが俺のやりたいことです」

 俺は磊落様をちょっと見直した。
 この人のおかげで、俺達は今、過労死から逃れていられるんだな……。
 そして仕事を沢山運んできたのは、南極だったんだな……。

 以後も磊落様がぶれることはなかった。