無事に教主戦も終わり、仕事納めの日は休暇をもらった。
 なので俺は、一足早く年末年始の休暇に入った。

「師匠は寝てろって。俺がやるから」
「もう大丈夫だよ」

 師走の二十九日、本日はおさかな洞の大掃除をしている。病み上がりの師匠に向かって言うと、小さく溜息をつかれた。我ながら俺は過保護だろうか。

 昼食をとってから、俺は師匠に横になるようにと再度念押しして、自分の洞府に向かった。久しぶりに入った無限洞の掃除をする。埃を払って、掃いては拭いて、清めていく。

「大掃除か。けがれを落とすのか。人間にしては良い心がけだな」
「邪魔するなよ」

 ついてきた天帝犬が、尻尾を振っている。
 清潔に保つ結界をはってあるから、中は特に汚れてはいない。
 だが掃除をすれば、汚れは見つかるものだった。

 あまり帰ってこないとはいえ、ここは俺だけの洞府だ。勿論愛着がある。
 師匠が造ってくれたものでもあるしな!

 掃除をしている俺の側で、ちょこちょこと天帝犬が動き回っている。
 物珍しそうに、様々な場所に鼻をくっつけていた。

 ピクンと天帝犬が動きを止めた時、俺は最初は気づかずにアルバムの束に視線を落としていた。壁が陥没するドガンという音がしたのは、直後だった。驚いて振り返ると、天帝犬の首から先が、壁に空いた穴の向こうにすっぽりと入っていた。

「おいおい、壊すなよ……」
「抜けぬぞ、早く助けよ」
「ひっぱるぞ」

 俺は胴長の犬の体を持って、引っ張った。すると無事に抜けた。掃除にきたのに汚してしまった。なんということだ。ぽっかりと空いた穴の向こうを見る。すると何か光るものがあった。なんだ? 首を傾げて手を伸ばす。端っこを握って、それを取り出した。

「ほう。珍しいものを見た。余を讃えるが良い」
「お前は俺に謝るの! 壊したら謝るんだぞ!」
「見つけてやったのだから感謝するべきだ。それは、混沌鏡だ」
「混沌鏡? なんだそれ?」
「天数鏡と対をなす、混沌氏が持つ神器の一つだ。真実の過去を映す。天数鏡が現在を映すことに対してな」
「なんでそんなものがここに?」

 俺は手にした、小さな鏡を見た。鏡……なのだろうか。金縁の硝子にみえる。八角形だ。

「混沌氏の神器は、人間ごっこをしに混沌が『原初の浮島』に降りた際に、紛失したと聞いている」
「『原初の浮島』って、なんだ?」
「ここのことだ。和仙界全体が、今存在している場所だといえる」
「それが偶然出てきたって事か?」
「否だ。余が見つけ出したのだ。褒めよ」
「おお、すごいすごい」

 しゃがんだまま俺は天帝犬を撫でながら、道服の上着のポケットに『混沌鏡』をしまった。それから四行の地水火で壁を修繕した。

 そんなことをやっていたら、すっかり日が暮れていた。
 もう夜の八時だ。
 師匠は待っているだろうか。きちんと寝ているとは思えない。

 雪がやんだ夜空の月を一瞥してから、俺はおさかな洞に戻った。

「おかえり、環! 君も飲む?」
「南極、環に勧めるのは止めてもらえる?」

 すると南極が来ていた。熱燗の入った猪口を持っている。珍しく師匠も、手に酒を持っていた。師匠は、深い色合いの赤ワインの入るグラスを持っている。二人の間のテーブルには、チーズやクラッカー、ささかまぼこや焼いた細切りのイカなどがあった。

「環の食事は、ダイニングテーブルの上なんだ。今、持ってくるね」
「大丈夫だよ、師匠。向こうで食べる。だけど、南極なにやってるんだ? 忙しいんじゃないのか? 南極って毎年、年末年始の休み取らないんだろ?」

 確か教主様を含めて皆がいなくなるため、残っているのだったと思う。こういうところはすごい。なんだかんだいって南極が長期休暇を取ったという話は一度も聞いたことがない。

「ああ、十年に一度の師走の二十九日は、特別なんだよ! 俺もお休みをもらってるんだ。別にいらいないんだけどねぇ。太鼎教主が、休めってうるさくてさぁ」

 十年に一度……。十年前の俺は、七歳だ。
 二十九日の記憶など、残念ながらない。
 あったとしても、この時間は間違いなく寝ていた。

「だから十年に一回は、森羅とお酒飲んでるんだよね。次にやる時は、環も一緒に飲もうね」
「楽しみにしてる。じゃ、ゆっくりしていってくれ」

 俺は南極にそう言ってから、師匠をじっと見た。俺は師匠がお酒を飲む姿をほとんど見たことがない。特に酔った姿は、一度も見ていない。大丈夫かな。俺は酒を飲んだことがないので、大丈夫の基準もよく分からないんだけどな。
 ただ、病み上がりにはあんまり飲まない方が良い気がしただけだ。
 目が合うと師匠が首を傾げたので、俺は笑って誤魔化した。

 そのままキッチンへと向かい、俺はその日はシチューを食べた。
 足りなかったので、パスタを茹でて、ナポリタンを作った。
 具はソーセージとコーン。粉チーズとパセリを適当にかけた。

 だが作っている内にお腹がいっぱいになってしまったので、夜食にしようと、自室に持って行くことにした。オリーブオイルも手に取る。固まった時のために。

 俺はあんまり部屋ではものを食べないのだが、俺の部屋からキッチンに行くにはリビングを経由するから、この後何度も顔を出して、二人の邪魔をしないようにしようと思ったのだ。飲み会を楽しんでもらいたい。なにせ十年に一度だというのだから。

 行儀は悪いが、足で部屋の扉を開ける。フォークは口で持っていた。

 ちなみに俺の部屋は、まだ大掃除をしていない。

 入ってすぐの勉強部屋、左手奥の寝室、左手入り口側の物置が俺の部屋だ。
 物置といっても、ほとんど使っていない。頻繁に利用するのは、クローゼットくらいだ。家具も不要物を押し込んである。
 例えば、横長の結構豪華なソファなどだ。置く場所がないから、ここに置いただけだ。クローゼットの扉が開かなくならないように、斜めにしてある。ソファの上には、後でしまう予定のシャツやベルトが少しかかっていたりする。その正面に、ソファよりも背の高い、丸い小さなテーブルがある。
 そこの上にナポリタンの皿と、オリーブオイルを置いた。フォークは皿の上に置く。テーブルの向こうには、一人がけのソファが二つある。これもやはり斜めにしてある。狭い部屋だから、クローゼットが本当に開かなくなってしまうのだ。

 俺は横長のソファの左端に座った。天帝犬は、一人がけ用のソファに飛び乗った。
 そういえば最近俺は、『天帝犬』と『猫混沌』と呼んでいる。
 だって、見た目が犬と猫なのだ。

「余も酒が飲みたい」
「犬って飲んで良いのか?」

 なんだか疲れたので、ソファに深々と背を預けた。すると天帝犬が黙った。
 俺は腕を組み、天井を見上げる。

「だけど南極が来るなんて、本当珍しい気がする」
「寂しかったのだろうな」
「え?」

 天帝犬が馬鹿にするように笑った。意味が分からず視線を向けると、天帝犬がソファから飛び降りた。先程まで座っていたところには、いつの間にか巨大な鏡が現れていた。

 俺はそれを知っている。『天数鏡』だ。

 以前に奇染に見せられたことがある。一切気配なく現れたそれを呆然と見ていると、天帝犬が俺の足下によってきた。

「見てみよ。何、混沌の人の体も南極も気づきはせん。余の力は莫大だ」

 そう言って天帝犬が、今度は、俺の隣にきた。テーブルの下に潜るように移動して、右端に寝そべる。見ろって、何をだ? 首を傾げていると、天数鏡に別の風景が映り始めた。

 夜桜が舞い散っている。

 幻想的で、目が釘付けになってしまう。
 見ていると、赤い菱形の敷物がみえた。巨大な台座にかかっているようだ。
 その上に、十二玉仙と太鼎教主様の姿が見えた。

 なにやってるんだろう?

 見守っていると、全員が朱色のさかずきを持った。日本酒がそそがれているみたいだ。
 玉藍様が教主様にお酒を注いでいる。
 まだ太鼎教主様が、教主様だ。慈覚様の就任式は年明けなのだ。

 俺は、このメンバーが勢揃いしているのを初めて見た。十二玉仙会議にはそろっているのかも知れないが、あそこは部外者立ち入り禁止だから分からない。

「さて、此度も十年が一巡りした」

 教主様が挨拶を始めた。皆が言葉を止めて、じっと教主様を見ている。当然慈覚様もいた。彼も含めて、全員が正装の道服だ。

「色々あったが、皆が息災で何よりだ。今夜は無礼講。ここに、十年に一度の『月桜の宴』を催そう。前の十年を振り返り、次の十年に思いを馳せようぞ。ここが私と、十二玉仙の親睦の場として続くように。乾杯!」

 教主様が、さかずきを掲げた。

 ――皆が飲み始める。
 『月桜の宴』というのは、初めて聞いた。師弟水入らずの飲み会なのだろう。
 それにしても、そうそうたる顔ぶれだ。

 どんな話をするのだろうか。俺が見ていて良いのだろうか。少し不安に思ったが、それはすぐに消えた。みんなただお酒を飲んでいるだけだったからである。

 最初に酔っぱらったのは、教主様だった。

 勢いよく五杯ほどあけると、おでこが真っ赤になったのだ。すごくわかりやすい。「どうぞどうぞ」と、止めずに注ぎまくった玉藍様と、「ささ、もういっぱい!」なんていいながら煽った燈焔様のことを、思わず俺は、鏡越しに半眼で見てしまった。

 周囲を見渡してみる。すると近くの席にいた三大老が目に入った。

「時が経つのは早いのう」
「そうだな、醒宝。あんたの外見を見ていると、歳月の残酷さを痛感する」
「その口封じてやろうかのう、祀傳老」

 醒宝様は笑顔を崩していないが、声は本気だった。
 祀傳様は子供姿だが堂々とさかずきを煽っている。その上、臆した様子もない。

「事実だろうが」

 祀傳様が笑った。こんなに幼く見えるのに、彼が三大老の中で一番歳上なのだから不思議だ。

 彼ら二人を眺めながら、北烙様が日本酒の瓶を引き寄せた。え?
 見ていると、彼は直接瓶に口を付けた。
 一気に酒が、半分以上減った……。嘘だろ、すごい。

「足りないのう」

 息継ぎをしてから瓶を空けて、北烙様が悲しそうに呟いた。

「いや、飲み過ぎじゃろうて」
「醒宝の言う通りだ」

 気づいた醒宝様と祀傳様が引きつった笑顔を浮かべている。
 だが北烙様は、溜息をつくばかりだ。

「いいや、足りぬ」

 腕を組み、祀傳様が近くの酒瓶に視線を向けた。
 それが浮かんでふよふよと近づいてくる。術だ。なんて無意味な使い方だ……。普通だったら、手で取るほうが楽なのに。それだけ仙気がありあまっているんだろうけど。

 それを北烙様が受け取った時、醒宝様が彼に尋ねた。

「それで? 今回も南極様はいらっしゃらぬのか?」
「来ぬ。南極様は、気を遣っておいでなのじゃ。今年も太鼎様はお誘いして、お休みをおしつけ……与えられたようじゃがな。どうせ南極様は、『うーん、無理かな!』とでも言ったのじゃろうて」

 北烙様が答えた。声まねがよく似ていた。前に燈焔様も声まねをしていたが、声まねを特技とする仙人は多いのだろうか? 本当、すごい似てたんだよ。

 そんな三人を見ていた時、大きな声がしたから、今度はそちらに視線を向けた。