師走も残すところ、後十日となった。今日は師走の二十一日だ。
 教主戦の投票は二十六日の午前九時から午後三時までの六時間だ。開票が午後三時半から午後九時までの予定となっている。開票作業は長引く可能性があるので、正式な結果発表は二十七日だ。

 それが終わってしまえば、二十八日には例年通り仕事納めと大掃除がある。

 二十九日から新年の三日まではお休みだ。
 ただ三日は、昨年までと同じで太鼎教主様への謁見や、教主様から全体への新年挨拶があるので、正確には明星宮は休みではない。二日も、三日の予行演習があるから、教主様ご自身は二十九から一日までの四日間しかお休みはないのだ。さらに教主様は、三十一と一日は、ときわ一族の年越し行事に参加するらしい。よって二十九と三十しか毎年休んでいないのだ。すごい。慈覚様でさえ二十九から二日の午前中までは例年休んでいるらしいのにな。勿論慈覚様も教主様になったら、二日は明星宮に、こなければならないだろう。そうなれば、俺も二日から仕事だ。

 そんなわけで、選挙運動は佳境に入っている。
 特に明日からは、演説や討論会の予定がびっしりだ。
 明星宮で行われるものもあれば、明星宮以外で行われるものもある。

 現時点でも通常業務の量は変わらないし、仕事はいっぱいいっぱいなのだが……明日からはそれが酷くなるのだ。どうするんだろう。絶対に無理だと思うんだよな。そんなことを考えながら、いつもの朝と同じように、俺は執務室に入った。慈覚様は、いなかった。

 視線を彷徨わせていたら、傍らの補佐官室の扉が開いていることに気づいた。
 顔を出すと、そちらに慈覚様がいた。そして目で、中へ来るように合図された。瞳が俺の方から中へと動いて、再び俺を捉えたのだ。

「――以上が、緊急に片づけなければならない仕事です」

 補佐官筆頭の長嵜様の説明が丁度終わったところだった。
 二人に歩みよりながら、書類の山を一瞥して、俺は、慈覚様にしかできない仕事だと理解した。二つも山がある。全部俺の頭よりも高く積み上がっている。まったく、気が遠くなってしまう。明星宮内にいるのであればなんとかこなせるだろうが、外に遊説にいってしまったら、この量は絶対にこなせない。

 さらに横に、三つの山がある。これは、補佐官で対応できるが、慈覚様の確認が必要な山だ。適宜慈覚様にも報告しつつ進めなければならない。慈覚様が直接やらない仕事だけでも、五十は山がある。なんだかんだと言っても、慈覚様はそちらにも目を通したり、引き受けたりすることが多かったのが常だ。

 ちなみにこれらはさらに再分別すると、全体の三分の一は第二総務にまわすことが可能だろう。だが、今回は勿論唯乙様もご多忙なので無理だ。

「仕方がないな」

 慈覚様が腕を組んだ。珍しく思案するような顔をしていた。

「――人手を借りる。仕事を分担しておいてくれ」
「人手?」

 俺が尋ねると、慈覚様が頷いた。

「特別事務官を任命する。俺のサインの代わりに使ってもらって良い。それと、守秘義務のないものを全て選別しておいてくれ。そちらは全て特別事務官にやってもらう。残りの仕事には全員で当たってもらう。それならば、ほぼ通常と同じ程度の作業量になるだろう。お前達になら、こなせるはずだ」

 確かにそうだった。慈覚様に確認したい時に出来ないことは辛いが、それ以外は問題なく仕事は進むはずだ。逆に慈覚様は、確認作業やサインから離れられるので、仕事が少し減ることになる。

「特別事務官の手配はこちらでしておく。午前中には選別を完了させてくれ。環もそちらを手伝え。特別事務官の候補に今から伝信傍を送るから、午後には来るだろう」
「はい」

 頷いた俺は、執務室に戻っていく慈覚様を見守った。特別事務官か。誰に頼むのだろう。

 基本的に、事務官は、最上仙以上でなければなることは出来ない。
 常時いる事務官は、南極の所の人々と、黒耀様と白夜様、磊落様だけだ。

 特別事務官とは、臨時で任命される事務官の事で、やはり最上仙以上でなければならないのだと聞いたことがある。本来は、有事の際に、最上仙を急遽、各部署の代表に配置する際などに用いられる任命システムだそうだ。だから『特別』なのだ。特別任命されるのは事務官だけなのである。

 ちなみに階級は、一番低いのが『補佐官』、真ん中が『秘書官』、一番上が『事務官』だ。補佐官と秘書官は主に高仙が務めている。最も数が多い。圧倒的多数の、各部署で働いている人々のことである。

 補佐官は、高仙以上が任命される。ごく稀に俺のような許仙も取り立てられる。基本的に三・四・五階の各区画の各部署の仕事する。
 医学広場だけ、補佐官ではなく『勤務医仙』と呼ばれる。
 あ、警務部も『警邏仙』と呼ばれているんだったかもしれない。

 四階なら全員が、慈覚様の補佐官といえる。二階だったら、唯乙様の補佐官とか、天満様の補佐官とかと別れる。このように、部署ごとと言うよりは、代表仙人の補佐官として認識される場合が多い。そして、欠員が出た場合には『臨時』補佐官が入る。補佐官には、『特別』は無いのだ。完全に一時的な配置だ。そのまま補佐官になる人も多いけど。俺も最初は、臨時補佐官だった。

 次に現在の俺の立ち位置である秘書官。これは代表最上仙の専属だ。部署はない。またいでいると言っても良いのかも知れない。直属の高仙や許仙だ。普通高仙なのだが、俺がいる以上、許仙でも良いのだと思う。空席の場合から数十人いる場合まであるそうだ。元始の間の人事や代表最上仙の直接指名で秘書官は任命される。ただしこれには『特別』も『臨時』もない。一度なったら、ずっとこの立場なのだ。

 ただし事務官などに昇進することはあるそうだが。例えば黒耀様がそうだ。彼は、昔は燈焔様の秘書官だったらしい。黒耀様が高仙になったその日に、燈焔様がインスピレーションで任命したという逸話を聞いたことがある。だが現在では、黒耀様は最上仙の上に五格下で、事務官だ。
 この事務官とは、それぞれが代表最上仙と同等の権力をもっている。基本的に代表最上仙のみが任命できる。

 俺は考えた。最上仙は基本的にほぼ全員が、明星宮で働いている。むしろ働いていない最上仙など聞いたことがない。だが今は選挙の風に煽られて、どの部署も多忙だ。一体、どこから慈覚様は、人手を探してくるんだろう。全く想像もつかなかった。

 それから俺達は必死で分類した。
 お昼を食べるのも忘れて作業した。

 一時半をまわった頃、ようやく作業に終わる目処が立った。
 ここのところは、こちらに詰めているため、俺はお弁当だ。
 昼時にはお茶が配布されるので、それを受け取り、近くの椅子をひいた。

 お弁当を広げて、溜息をつきながら座る。
 みんなで食べつつ最終確認だ。行儀は悪いかも知れないが、時間が無いのだ。

 最近はこういう日々が続いているので、俺はサンドイッチかオニギリにしてもらっている。基本的にはオニギリを頼んでいる。

 おかずを食べる暇がないと嘆いたら、師匠が具に気をつかってくれた。
 今日のオニギリの中身は、一種類目が、スコッチエッグだった。俺がゆで卵好きだから、この種類が多いんだと思う。小さなサイズのオニギリが、沢山入っている。外側は白ごまとバジル。これがまたけっこう彩り鮮やかだし、美味しいのだ。
 二種類目は、外側は焼き鮭をほぐしたものと白ごま。中には、エビフライが入っていた。こちらも美味しい。

 なお俺がお弁当を復活させたその日から、皆が興味津々になっていた。
 確かに見た目からして美味しそうだからな。

 食べていると、慈覚様が執務室の扉を開けて出てきた。

「終わったか?」

 俺達一同は、大きく頷いた。
 幾人かが食べていたものを飲み込んでから返事をする。

「では今後の三日間は、毎朝執務室にいる特別事務官にその日の書類を届けるように。残りの日数は、終わらなかった場合の調整日とする」

 食べている最中の俺は、もぐもぐと噛みながら頷いた。
 本当に、特別事務官が来るらしい。誰なんだろう?
 そう考えていると、慈覚様が執務室に振り返った。あ、誰かが出てくるぞ。

「食事中に悪いが、特別事務官を紹介する」

 慈覚様が補佐官室の窓際に立った。これから現れる今後数日間の一時的な上司の姿を、皆が固唾をのんで見守っている。慌てたようにお弁当を置いて姿勢を正した者も多かった。俺も緊張した。

 まず最初に見えたのは、揺れる大きな紙袋だった。
 それから俺は靴から順に見上げていき、その人物の顔をはっきりと確認した瞬間、思わず声を上げた。

「し、師匠!」
「やあ、環。執務室には宝貝のコンセントが無いらしいんだけど、こっちにはあるって聞いたんだ。どこにあるの?」

 俺の前に立った師匠は、いつもと変わらない様子で、紙袋から珈琲サーバーを取り出した。ごく普段通りの格好で、マイペースだ。宝貝の珈琲サーバーを持参するなんて余裕だな。緊張感の欠片もない。というか、なんでそんなものを?

「なにこれ?」
「俺、仕事する時は珈琲が無いと駄目なんだよね」

 オニギリを置き、俺はコンセントに近い、空いている台まで歩み寄った。ついてきた師匠が、その台に早速宝貝を設置した。五行水で水を入れ、火でお湯にし、その状態を維持するために、宝貝のプラグをコンセントに差したのである。

「仕事って……え、なんでここにいるんだよ?」

 師匠は、普段から珈琲は飲んでいるが、仕事をしている所など見たことがない。しかし考えてみれば、確かに師匠は、最上仙かそれ以上の天仙……さらには神仙といっても良い。特別事務官になる資格はある。

 だけど、師匠に仕事ができるのか?

 確かに師匠は何でもできそうだが……俺だって慣れるまでには暫くかったし、慈覚様のお仕事は、すぐに肩代わりできるような職務内容じゃない。

 そもそも慈覚様が師匠に頼むとは想像もしていなかった。

 それだけ余裕がないと言うことかも知れないけどな。
 考え込んでいた俺の前で、師匠が早速珈琲を淹れた。そして俺を見た。

「別に環の仕事を邪魔しに来たわけじゃないよ。朝、慈覚から伝信傍がきて、特別事務官になってほしいって頼まれたんだ」

 俺達がそんなやりとりをしていると、慈覚様が呆れたように溜息をついた。そから、声を上げて場の視線を集めなおした。

「こちらは、ぐるぐる山おさかな洞の森羅だ。今の話を聞いていて分かるとは思うが、秘書官の環の師匠だ。今後俺のサインの代わりは全て森羅のサインで良い。勿論森羅から差し戻された場合は、俺に対する時と同じように修正しろ。その範囲で分からないことは森羅に聞け。補佐官室と特別事務官の接点はこれぐらいだな。先程選別したこちらの仕事の一切を今から俺の執務室に運んでくれ。基本的に森羅はあちらにこもる」

 書類の山を慈覚様が一瞥した。その内の師匠の担当予定分の書類をいくつかを手に取り、慈覚様がそばの机にのせて、ドンと叩いた。優先度が高い書類だった。

「森羅、後は頼んだぞ」

 カップを傾けながら、師匠が頷いた。慈覚様が示した書類を見ている。

「環、午後は醒宝老との打ち合わせだからそちらに着いてきてくれ」

 声をかけられて、慌てて俺は頷いた。

 師匠はカップを持つと、慈覚様が置いた書類を手に執務室に向かった。早速仕事を開始するようだ。補佐官達が、残りの師匠の仕事を持って、追いかけていく。

 全て本日分だが、高い山だった。今日中に終わらせるというのは、勿論努力目標だ。

 あんなの慈覚様だって無理だろう。師匠に預けられた仕事は、本来であれば補佐官達が数十人で分担し、二週間はかけてやる量だ。少し仕事が遅れていたのである。

 だが、本当に師匠に出来るんだろうか……。師匠は、扉の前で一度俺達を見た。

「お世話になります。何かあれば声をかけて下さい」

 こうして師匠は慈覚様の執務室に消えた。寧ろ師匠が質問に行く側だと俺は思った。