こうして、折角の休みなのに、俺は職場に顔を出した。
 勢いよく回廊を走っていく天帝を追いかける。
 すると、真正面に黒耀様と深愁の姿があった。

「なにをやっているんだ?」

 黒耀様が怪訝そうにこちらを見た。
 天帝が、黒耀様に激突している。黒耀様が、天帝を持ち上げた。
 黒耀様は燈焔様の選挙運動の手伝いに来ていたのだろう。深愁も一緒に来たらしい。

「環の……弟……とか、か?」

 深愁がまじまじと天帝を見ている。

「失礼だぞ。余は天て――」
「ああ、まぁ! そんなようなものだ!」

 慌てて俺は天帝の口を手で封じて、宣言した。笑みが引きつりそうになった。こんな所で、天帝などと名乗ったら、大変なことになる気がしたのだ。すると頷いて、黒耀様が天帝を床に下ろした。

「もう少し静かにしろ」

 俺が頷いた時には、既に天帝は走り出していた。思いの外、足が速い。
 歩幅は小さいのにな。

 それから追いかけていくと、天帝が二階までかけていって、軽食店に入った。なにやってるんだよ、よりにもよって人気が多いところに……。

 辟易しながら中に入ると、燈焔様と玉藍様がいた。二人の間には、選挙運動用のチラシがある。一応二人もライバル同士なのにな。この二人の間には、争っているような気配は微塵もない。

 さて、彼らの席には、もう一人の姿があった。

 師匠の姿をした、混沌氏がいたのだ。
 こちらも今の天帝と同じくらいの外見だ。
 混沌氏は、燈焔様の膝の上に座っている。非常に堂々としている。無表情だが。

 本当に師匠にそっくりだ……。
 リンゴジュースを買ってもらったのか、ストローをくわえていた。

「おいおい環。なんだよこのお子様は。森羅の隠し子か?」

 燈焔様が俺を見つけるとニヤニヤ笑った。すると玉藍様まで楽しそうに言う。

「いやぁ、いたんだね。家庭的で理知的で、後は忘れたけど……完璧な女の人!」

 天帝がそれには構わず、まっすぐに走っていく。
 それを見て、ひょいと混沌氏は床に降りると、軽食店の中を走り出した。

 追いかける天帝、逃げる混沌氏。

 人々の足の間や肩の上をぴょんぴょんと跳んでおいかけっこをしている。

 今日は明星宮自体が基本的には休みだから、比較的すいていた。それでもかなりの人数がいる。多くの高仙達は立ち止まって、天帝と混沌氏を眺めていた。中には、微笑ましそうな顔をしている者もいる。

「なにをしてるんだ、煩いぞ」

 そこに、慈覚様の凛とした声が響いた。
 周囲が視線を向ける。会釈した人が多い。
 しかし天帝と混沌氏にとまる気配はない。

 特に混沌氏は、慈覚様の姿を見ると、そちらに方向を変えた。

「慈覚か」

 混沌氏が呟いたのが聞こえた。混沌氏は、そのまま慈覚様に向かって走っていく。
 最初は呆れたように嘆息していた慈覚様だったが、近距離になった瞬間目を見開いた。

「何を騒いで……森羅?」

 直後、混沌氏が慈覚様に勢いよく抱きついた。すると周囲に煙が溢れた。ポカンとして見守っていた俺は、その直後さらに口を大きく開けてしまった。

「何をした?」

 慈覚様……? っぽい声が響いた。しかし確証はない。もやが晴れると、慈覚様を服ごと小さくしたような子供が一人そこにいたのだ。ぶつかった衝撃で、その子は座り込みそうになっている。だが慈覚様らしき子供が、床につく前のギリギリのところで、混沌氏が腰を支えた。師匠によりそっくりになっている。二次性徴直前くらいの大きさになった。

「少し仙気を借りるよ」

 混沌氏はそう言って、慈覚様の体勢をただすと、ゆっくりと立ち上がった。
 そして俺達に振り返った。
 あ、なんか、強そうなんだけど……?

 先程までとは明らかに仙気が違う。
 それになんで慈覚様が子供になってるんだよ!
 俺が疑問でいっぱいになっていると、そこに朗らかな声が響いた。

「慈覚は残った仙気と同等の姿になったんだよ。普通は人為的に仙気を抜き取るなんて出来ないんだけどね。まさに神の御業」

 入り口を見ると、南極が立っていた。現状を解説した南極が入ってくる。そして俺達の方まで歩いてきた。

「南極」

 その時、天帝が、満面の笑みを浮かべた。小さな歩幅で、南極に歩み寄っていく。

「なになに、君が俺に笑顔を向けるとか天変地異?」

 瞬間、天帝は何も言わずに、南極の腹部に正拳を叩き込んだ。おいおいおい! もろに入っている……。南極が一瞬だけ目を細めた。すると周囲に煙が漂った。
 ま、まさか、南極まで?

 困惑していると、もやが晴れた。そこには、俺の二次性徴前と同じくらいの姿になった天帝がいた。南極は、天帝の肩に手を添えて立っている。大人姿のままだ。

「仙気を抜かれても大人の姿って事は、南極ってすごい仙気なんだな」

 現実逃避気味に俺が呟くと、南極が首を振った。

「いや、俺は姿を作る方に仙気を回しただけ」

 そんなやりとりをしていた俺達の間で、天帝と混沌氏が向かい合った。
 すると二人の手元に金色の鱗粉が集まり始めた。甘い匂いがする。
 今度は何事だろうか……。

 なんとなく、その鱗粉を見て、嫌な予感がした。
 神器の事を思い出したからだ。しかしその後出現したものは、宝貝に見えた。

 まずは混沌氏が声を上げた。

「森羅万象図!」
「誘蛾刀!」

 天帝も負けてはいない。

 その場に、再び煙が立ちこめた。ああ、どうなってしまうのだろう。俺は思わず目を伏せた。それから煙が晴れた時、俺は微妙な気持ちになった。二人は、再び子供姿……いいや、幼児姿になっていたのだ。それこそ、二・三歳にみえる。その上、混沌氏の頭部には猫に似た耳が、天帝の後ろには、犬に似た長い毛並みの尻尾が生えていたのだ。二人とも、自分達よりも大きな宝貝を必死に持っている。しかし使う様子はない。

「無様だな……! なんだその姿は!」

 天帝が言うと、混沌氏がムッとした顔をした。

「自分だって尻尾が出てるよ。しかも剣を抜けさえしなかった!」

 二人が口論を始めた。それを見守りながら、南極が口を開いた。

「宝貝や神器の力が強すぎて、仙気が持って行かれたんだね。だから元の姿に戻りかけてるんだ。環、捕まえるよ!」
「おう!」

 南極の合図で、俺は床を蹴った。後ろから抱きしめるようにして、天帝を捕まえた。
 ほぼ同時に、正面では南極が混沌氏を捕まえた。

 俺達の腕の中でも、二人は相変わらず口論をしている。
 子供の口喧嘩にしかみえない。

「一体何がどうなってるんだ……?」

 十三歳くらいにみえる姿で、慈覚様が困惑した声を上げた。すると南極が視線を向ける。片腕で、混沌氏を抱き、もう一方の手で、慈覚様の肩に触れた。再び周囲を煙が包み、それが晴れた時には、元の通りの慈覚様が立っていた。彼は周囲を見渡している。

 そして、南極の手には、灰色の猫が抱かれていた。あ!
 俺は目を見開いた。あの猫!
 師匠が拾った猫だ!

 それから南極が店内を見渡しながら言った。

「天帝達が、環と森羅の姿を借りて遊んでいたんだ。このことは、ここにいる者だけの秘密とするように」

 店内が虚をつかれたように静かになった。慈覚様がその時呟いた。

「天帝達?」
「気にしなくて良いよ、慈覚」

 南極は、猫を床に下ろすと、こちらに歩みよってきた。猫は走って消えてしまった。
 嘘だろ、また逃げたぞ!
 しかし構わずに、南極は俺の姿をしている天帝に触れた。

 するとやっぱり煙が立ちこめた。南極の姿は変わらなかったが、俺の腕の中には、茶色い胴長の犬がいた。南極が仙気を奪い返したらしい。さっき神の御業って言っていたような気がするんだけどな……。南極はそれから、俺に向き直って犬を床に下ろした。

「環。しっかりと面倒を見てあげてね」
「いや、面倒って……しかも猫がいなくなったぞ」

 俺の言葉に南極が苦笑した。

「時空間術で帰ったみたいだよ」

 まぁ、帰ったんなら良いか。天界に戻ったのだろう。俺は一人頷いた。