それから卵がゆを作ってもらい、師匠に薬を飲ませて貰った。紫とピンクで出来た楕円のカプセルに入っていた。小さい。これも師匠がつくったものだ。カプセルの中には、粉が入っているらしい。苦くないけど、飲み込むのがちょっと大変だった。

 師匠の言う通り、次の日にはすっかり熱も咳もなくなった。俺は元気になったけど、もう一日安静にしていることになったので、学校を休んだ。お薬は、念のため一週間は飲むように言われた。朝と昼と夕だ。俺はゆっくりと眠って過ごした。

 そして今日からは、また学校だ。お薬は、学校にも持って行くことになった。
 教室に入ると、まだ深愁は休みだった。長引いているみたいだ。泰岳の姿もない。

「治って良かったね……だけど、どうしてそんなに治るのが早いの?」

 俺を見て、朱李が驚いた顔をしている。

「師匠が薬をくれたんだ」
「僕の玉藍師匠のところには、薬をもらいに来なかったよね?」
「え? うん」
「玉藍様は、和仙界で数少ないお医者様だって聞いてたけど、環の師匠もお薬が作れるんだね」

 その言葉に、なんだか俺は誇らしくなった。俺の師匠はすごいんだな。
 授業が終わると、いつもの通り朱李の事を、師匠の玉藍様が迎えに来ていた。

「あれ、休んでいたんじゃないのかい?」
「師匠が薬をくれたら治りました」
「薬? どんな? 今持ってる?」
「持ってます。これ!」

 俺は、礼儀を習った時、敬語を使うことも教えてもらった。あんまり得意ではないが。

「――へぇ。見せて。日数からして、毒霞病だって診断したんだろうけど、君の師匠は、お医者さんなの? 医者は医者でも、その辺のお医者さんは、誤診しまくってるのが現状なんだけど」

 手を出した玉藍様の手に、俺は薬をケースごと乗せた。はじめは興味なさそうだった玉藍様の表情が、中身を見ると変わった。目を見開いたのだ。二度見している。

「え」
「どうかしたんですか? お師匠様」

 朱李が首を傾げている。すると玉藍様が興奮したように、勢いよく喋り始めた。

「これ、これ! カプセルじゃないか! 和仙界で、私以外にカプセルで薬を処方できる仙人がいるなんて! カプセルの知識があるなんて! すごい……信じられない! もしかして環くんの師匠は、高名なお医者様なの? どこの洞府? すごい! 本当、すごい!」

 少し考えた。師匠はお薬をくれることもあるが、お医者さんではないと思う。患者さんが来たことはないしな。
 それにしても、玉藍様のテンションがすごくあがっている。困惑しながら、俺は答えた。

「ぐ、ぐるぐる山のおさかな洞です」
「――え?」

 俺の言葉に、玉藍様が呆気にとられたように声を上げた。

「本当? それ、冗談じゃないの? 間違いなく、ぐるぐる山? あそこに洞府があったの? 知らなかった! 君の師匠、名前は?」
「森羅様です」
「森羅……うーん、聞いたこと無いけど、この技術をもっているってことは、論文の一つでも残していそうだな。後で明星宮の図書館で探してみよう……いや、それよりも直接聞きたい。ぜひ話がしたい! 環くん! 遊びに行っても良い? 良いよね!」

 玉藍様が、俺の両肩に手をおいて、揺さぶった。いきなりのことに、思わず頷いてしまった。するとにこやかに笑い、玉藍様が歩き始めた。
 ……病気が流行っていて、お医者さんは忙しいと思うのだが、遊びに出かけて良いのだろうか?

「僕、友達の洞府に行くの初めてだよ」

 その時朱李が微笑んだ。友達という言葉が、なんだか胸に響く。素直に嬉しい。

 こうして俺達は、三人でぐるぐる山へ向かった。
 坂を登っていると、玉藍様がすぐに息を荒くした。
 その後、わざとらしいほど大きな声をあげた。

「ちょっと……ふ、二人とも待って。なにこれ、私すっごくインドアなんだけど、何この坂!」

 俺は慣れているので何とも思わなかったが、きついらしい。仙人は体力が、俺達道士よりあるはずなのにな。
 首を傾げていると、不思議なことに、坂が急に終わって、洞府が見えた。あれ? 
 まだ十五分くらいしか歩いていないのに。いつもだったら一時間半は歩く。
 混乱していると、すぐに洞府の前に出た。そこでは、師匠が花を眺めている。

「いらっしゃい」

 師匠はそう言うと、玄関の扉を開けた。まっすぐ進んでいく。振り返ることもない。

「何この近代的な洞府。私の洞府と同じくらい最先端じゃないか!」

 俺の隣で玉藍様が呆気にとられたように言った。そうなのだろうか? ずっとここにいるから分からない。
 そのまま、まっすぐ俺達はリビングへと向かった。中に駆け込んだ玉藍様は、ソファをバシバシと叩いている。師匠は、一度ダイニングの方へ向かってから、戻ってきた。

「どうぞ」
「あ、お構いなく」

 嬉しそうな顔で、堂々と玉藍様がソファに腰を下ろした。その前に師匠が、珈琲とクッキーを置いた。俺の好きなチョコチップもある。

「うわぁ……なにこれ、美味しそう!」

 玉藍様は一つ手に取ると、まじまじと見ていた。しばらくしてから朱李が、ビクビクしながら、玉藍様の隣に座った。俺も定位置に腰を下ろす。俺と朱李の前には、洋なしのジュースが置かれた。

「甘い……! 初めて食べたよ!」

 興奮している玉藍様は、瞳をキラキラさせて、クッキーを片手に師匠を見た。多分師匠よりも玉藍様の方が偉いから、堂々としているんだろう。

「改めまして、私はたつまき山は皐月洞の玉藍と言うんだ。よろしく、ええと――」
「森羅と言います」
「気楽にしてくれて良いからね!」
「はぁ」

 師匠が気のない声を上げた。これでは、どちらが家主か分からない。

「私は医学を専門としているんだ。君の作った薬を見て、びっくりしちゃってさ! 思わずお邪魔させてもらったよ」

 頷きながら、師匠はカップを傾けている。

「カプセルの生成方法は、万象院様が書き記したものしか伝わってないよね! 実際に生成したのは、多分この和仙界全体でも、私と君だけだよ!」

 万象院様とは……学校の教科書を記した人だ。

「この技術を実現できるなんて、並の高仙じゃ無理だよ! 医者は基本的に高仙以上しかいないけどさ。でも、君のことを見た覚えがない。え、まさか、許仙? 嘘! 信じられない! もっと認められるべきだよ!」

 淡々と聞いていた師匠が、それから玉藍様と視線を合わせた。

「俺は医者ではないので」
「え! それがもう、本当不思議! 確かに医者だったら、私が知らないはずはないけどさ! じゃあ、一体なんなの?」
「別に。ごく普通の仙人だよ」
「それが信じられないんだって!」

 玉藍様は、その後も早口で、すごいすごいと繰り返した。師匠はちょっとひき気味の表情で、それを聞いている。それにしても、師匠ってすごい人だったんだな。俺の中ではずっとすごかったけど。他の人に言われると、改めてすごいと実感する。

 それから玉藍様は、怒濤の勢いで質問しつつ語り始めた。

「――だからね、白血球が――」
「……白血球は――」

 なんと、なんとだ。師匠は理解していた。玉藍様とは異なり、いつも通りの静かな口調だが、的確に答えているようだった。その度に、玉藍様が嬉しそうな顔になる。

 そしてあっという間に日が暮れた。

「玉藍様。そろそろ、弟子を入浴させたいので」

 珈琲が無くなった時、師匠が言った。確かにお風呂の時間だった。まだ夕食を食べていないけどな。

「あ、ごめん、長居しすぎたね。私のことは、玉藍でいいよ。また来ても良い?」
「ええ」

 立ち上がった師匠が、玄関へと歩いていく。師匠は、あからさまに出て行って欲しそうな態度だった。だけど気を害するでもなく、楽しそうな表情のまま玉藍様は出て行った。慌てたように朱李もついていく。結局俺と朱李は遊ぶでもなく、喋るでもなかった。

「じゃあまたねー!」

 そんな玉藍様の声が響いてきた後、扉が閉まる音がした。なんだか一日が早かった。

 それから数日が経ち、教室にはみんなの顔がそろった。
 結局学校は十日間ほど午後がお休みだった。宿題の期限は、後四日と言われた。休んでいた深愁は、時間がみんなよりも少なくて、ちょっと可哀想だな。

「さて、本日から、通常の授業を行う。まず、午前中は、社会だ」

 時生先生の言葉に、俺はノートを開いた。今では、授業が始まる前に、ノートを準備しておくと言うことを覚えている。

「学ぶことの概要を、一通り伝えるからな。まず、最初にお前達が勉強するのは、『万物の起源』だ。どうやってこの世界が始まったのかを学ぶ。具体的には、神仙についてだ」

 一番目、神仙――そうノートに書いておいた。

「次に学ぶのは、『人間界の大厄災』についてだ。いわゆる『永久の冬』の事だ。ここでは人間界の歴史と、天界・仙人界・人間界・地界についても触れる。地界とは、『底怪』がやってくる場所でもある」

 俺は初めて聞く単語ばかりだったから、首を傾げた。有名なのだろうか? 永久の冬とは何だろう? 底怪も聞いたことがない。

「最後が一番重要だ。『和仙事変』について勉強する」

 その時、先生の顔が怖くなった。真剣な瞳で、室内を見回す。

「和仙事変について最初に言っておくことがある。お前達、これは和仙界の絶対的なルールだから、心しておくように。和仙事変の首謀者は『兆越』だ。兆越に遭遇したら、何を捨て置いても良い。兎に角――逃げるんだ」

 教室中に緊迫した空気が流れた。必死で俺は頷き、ノートにメモした。
 それから雰囲気を切り替えるように、先生が手を叩く。

「よし、十分休憩だ。戻ってきたら、『万物の起源』についてから始めるぞ」