倉庫の奥の寝台で、師匠が上半身を起こしていた。まだ虚ろな瞳をしている。

「師匠……?」

 思わず不安になりながら、俺は声をかけた。そんな俺を見て、師匠が目を見開いた。

「環! 無事だったんだね」
「おう。師匠こそ」
「俺は平気だよ」

 そう言って立ち上がろうとした師匠の体が、再びがくりと揺れた。慌てたように燈焔様が支える。俺も手を伸ばしたが、遅かった。燈焔様がいなかったら、師匠は寝台から落下していただろう。

「ありがとう。助かったよ――燈焔、南極、ちょっと環のことを頼んでも良い?」

 師匠が静かに言った。俺が首を傾げると、燈焔様が眉を顰めた。

「どういう意味だ?」
「奇染に会いに行ってくるよ。今回だけは見過ごせない。環に手を出すなんて」
「会いにって、どうやって?」

 南極が、珍しく険しい表情をした。眉を顰めて師匠を見ている。

「俺なら多分見つけられる」
「落ち着け、てめぇ……まだ顔が真っ青だぞ」

 燈焔様が、ベッドから降りようとした師匠の腕を掴んだ。南極は、溜息をついている。

「手を出されたのは、環じゃなくて君でしょ」
「師匠、俺は平気だ」

 慌てて俺が言うと、師匠が目を細めた。
 それから俺を一瞥した。その横で南極が続ける。

「奇染の狙いが、君をおびき出すことだったらどうするの?」

 師匠は黙って俺を見ている。
 それから南極の言葉にはこたえず、ポツリと俺に言った。

「何か言っていた?」
「別に……何も聞いてないよ」
「そう」

 正確には、二回目に遭遇した朝には色々聞いたのだが。
 ただなんとなく、それは、師匠には言わない方が良い気がした。

「とにかく俺は行ってくるよ」

 そう断言した師匠に、南極が歩み寄った。そして、師匠がまばたきしたのとほぼ同時に、師匠の首の真後ろに手刀を叩き込んだ。俺が息を飲んだ時には、師匠が気を失って倒れていた。師匠の体を、南極が再び寝台に横たえる。

「な、南極? なにするんだよ?」
「こうでもしないと森羅は聞かないからね。すこし眠らせて、きちんと毒抜きして、冷静にさせよう」

 呆れたように言った後、南極が笑顔を浮かべた。もう既に、険しさは消えていた。俺が見慣れている笑みに戻っていた。

「まぁそういう事だから――燈焔、悪いんだけどさ。おさかな洞まで、二人のことを送ってもらえる? 君と環の休暇届は出しておくから」

 南極の言葉に、燈焔様は大きく頷いたのだった。

 そして俺達は洞府に戻り、師匠を寝室に運んだ。
 それから師匠が目を覚ますまでの間、燈焔様は側にいてくれた。

 夕方になって目を開けた師匠はと言えば、俺達を見ると疲れたような顔をした。

「南極って……最低だね」
「まぁまぁ。南極様のおかげで、てめぇの顔色も良くなったぞ」

 燈焔様が苦笑している。俺は、意を決して告げた。

「師匠、奇染に会いになんていかないでくれ。俺大丈夫だし、また何かある方が心配だ」

 すると師匠は俺をじっと見てから、微苦笑した。

「わかったよ。有難う」

 このようにして、奇染との遭遇事件は幕を下ろしたのだった。

 ――ただしばらくの間は、俺はこの件を忘れられなかった。

 その後、ようやく俺の気持ちに整理がついた頃、ぐるぐる山はいちょうの季節となった。
 秋と冬の間だ。
 教主戦まで後一ヶ月半。明星宮は大忙しだ。

 俺の誕生日も師走だ。誕生日を教えてから、師匠は毎年プレゼントをくれる。今年は何をくれるんだろうな。
 思えば俺は、師匠の誕生日を知らない。南極の話を思い出す限り、大昔だと言うことは分かるんだけど、それしか知らない。

 誕生日に限ったことではないけれど、今では俺もそこそこ収入もあるし、普段のお礼になにかプレゼントしてみようかな。

 だけど何が良いんだろう。師匠は何をあげたら喜ぶんだろう。さっぱり見当がつかない。

 実際にお店で商品を見て決めようではないか。今日は早めに仕事が終わったから、まだ時間もあるし。そこで早速、許仙達の商店街まで足を伸ばしてみた。

 衣類は、センスが良い物を師匠は自作しているから、不要だろう。
 食べ物も却下だな。ぐるぐる山には、大体なんでもある。

 入った雑貨店で、俺は店内を物色した。
 明日は休日だから、今日はゆっくり出来る。しばらく、ぶらぶらと歩いた。

 最初に目に入ったのは、白い鍵付きの日記帳だった。手に取ってみる。師匠は、日記とか書くのだろうか。

 続いて目を留めたのは、時計だ。師匠は腕時計を愛用している。しかし今回俺が見つけたのは、金色の懐中時計である。鎖の色も、金色だ。蓋がついていて、細かい意匠が施されていた。複雑で、なにが描いてあるのかはよく分からない。だが、なんとなく惹き付けられるものがあった。良いかも知れない。

 最後に俺が見たのは、パズルだった。それがちょっと不思議だった。比較的大きなサイズなのだが、絵がないのだ。真っ黒なのだ。絵がない。ただピースの線だけが浮かんでいる。

「まぁ三つもあれば、一つくらい気に入ってくれるよな」

 一人呟いて、俺は三つとも購入した。
 鍵付き日記帳、懐中時計、黒いパズルだ。
 それぞれ箱に入れてもらい、包装してもらった。

 それからぐるぐる山に戻ると、もう辺りは暗かった。
 だけど吐いた息が白いのは分かるから不思議だ。