仙人になった俺は、『ぐるぐる山無限洞』という洞府を構えた。師匠に造ってもらったのだ。師匠は建築まで出来るらしい。ある日気がついたら、連れて行かれた。
 洞府紋は、『無限に太極』と言う名の紋をもらった。無限マークの輪の所に、太極図がそれぞれ描かれている。誇らしくて、何度も見てしまった。新しい道服も作った。その背中にも入れた。上が黒で、師匠と色違い。下は当然白だ。

 俺もそれから、仙人としての仕事を始めた。

 通常、仙人は明星宮から請け負って洞府で仕事をする。普通俺のような許仙は、師匠の補佐が仕事らしい。だが森羅様には、特に仕事が無かった。お給料どうしてるんだ……? 自給自足とはいえ、いらないのか? お金はどうしてるんだろう? 純粋に疑問に思った。

 そのため、俺はなんと明星宮で仕事をすることになった。直接出向いてだ。だから自分の洞府を使うことも、めったにない……。
 日常生活は、今まで通り師匠とおさかな洞で送っているしな。

 明星宮で働くことは、許仙では本来ならばあり得ないらしい。だが教主様からの辞令で、俺は、最上仙である十二玉仙の補佐をする事になったのだ。

 正直嫌々である。毎日が地獄だ。

 仕事自体が、ではない。そちらは次第に慣れた。
 もう働き初めて半年ほど経ったからかもしれない。
 ぐるぐる山の季節は秋だ。木の葉が色づいている。

 何が嫌なのかというと――俺が命じられたのが、慈覚様の補佐である事だ。なんでよりにもよって慈覚様なのだ。俺はあまり良い感情を最初から持っていなかった。なにせ師匠に敵対的な人なのだから。

 ただ、今では少し印象が変わった。かといって、良くなったわけでもない。
 慈覚様は、ものすごく、本当にすごく、厳しいのだ。自分にも他人にもだ。はじめは嫌がらせかと思ったほどだが、俺以外の全員に対しても厳しい。

 だが何も言えない。なぜならば一緒に仕事をする内に、慈覚様のすごさにも気づいたからだ。何がすごいかというと、まず仕事が本当にデキる。
 毎日大量の書類を片づけ、会議に出て、底怪退治の討伐隊にまで加わっている。

 いつ寝ているのだろう?

 俺よりも早く来ていて、俺よりも遅く帰る。
 食事をしている所は見るが、それも打ち合わせを兼ねていることがほとんどだ。
 慈覚様は、完璧人間だったのだ。

 性格は、氷のような人だ。

 ただ……本当に静かな印象で、師匠を相手にした時に見せたような激情は全然見せない。激昂した姿など、明星宮では一度も見たことがない。怒る時も冷静に怒るのだ。

 やはり彼は、師匠のことは、特別に嫌いなのだろうか。
 首を傾げながら、俺はこの日も仕事に励んでいた。

 すると討伐隊の先遣部隊が帰ってきた。俺は丁度慈覚様に書簡を持ってきたところだったので、報告内容が自然と聞こえてきた。

「不思議な底怪が出ました。恐らく……無の非定型です。第一級だと推察しました。人型です。こちらの攻撃に対抗策を講じてきたので、知性もあるようです。言語を理解しているようで、時折言葉のようなものを発します。全体は黒く口以外はありませんでした。その口から強い障気をまき散らしています」

 駆け込むように入ってきた高仙が、慈覚様に伝えた。すると慈覚様が、手にしていたペンの動きを止めた。そして静かに顔を上げる。僅かに目が細くなっていた。

「そうか。こちらで対策を練る。一時的に撤退しろ」

 頷いて高仙は出て行った。

 無に分類される四行が混ざり合った底怪には、定型と非定型が存在する。
 定型は、調べれば属性が判別できて、形もあるが、知性はない。
 非定型は、属性の判別がそもそも困難で、形が変化したり、属性自体も変化することが多い。中には知性があるものや、人型のものもいる。
 さらに底怪には、災害レベルがあって、第一級が一番強く、第五級が弱い。
 そんなことを考えていると、不意に慈覚様と目があった。

「迷宮図書館に行ってきてくれ。恐らくお前なら入れるだろう。そこで人型の底怪についての文献を集めてきてくれ」
「どこだそれ?」

 唐突だったので、敬語を忘れた。最近の俺は、むしろあまり使っていない。慈覚様はこれに関しては、注意してこないし、怒らない。まぁ慈覚様だって、師匠の森羅様に対して敬語はないしな。あるいは慈覚様の方が師匠よりも、位が高く偉いからかも知れないが。

「混沌氏が生じた時から存在しているとされている」
「混沌氏……」
「場所は、森羅に聞け。すぐに行ってくれ」

 師匠の名前が急に出てきたことに驚いたが、素直に俺は頷いた。早く職場を出たかったから、余計なことを尋ねるのはやめたのだ。こういう仕事の場合は、終わり次第洞府に帰って良いのである。早く終わらせてゆっくりしよう。

 そう考えながら、ぐるぐる山の坂を登った。最近では、随分と距離が短くなった。
 仙人になってから、坂を登る修行は無くなり、洞府に直結する道を師匠が開いてくれるようになったのだ。

 おさかな洞に行くと、洞府の前で、師匠がいちじくを見ていた。

「早かったね。どうかしたの?」
「まだ仕事中だ。師匠、『迷宮図書館』って知ってるか?」

 俺が尋ねると、師匠が沈黙した。目を伏せて、腕を組んでいる。
 それから、改めて俺を見た。

「慈覚に何かを持ってくるように頼まれたの?」

 なんで分かったんだろうか。
 俺が慈覚様の補佐をしているからか。きっと、そうだろう。
 一人納得しながら俺は首を振った。

「仕事内容は言えない」

 これは補佐をする上で、最初に教えられた規則だ。師匠は俺から顔を背けると、溜息をついた。そして歩き出す。洞府の中へと進んだ師匠を見て、俺は慌てて追いかけた。

「おい、場所は?」
「……こっちだよ」

 どういうことだろうか。

 とりあえず着いていくと、師匠がリビングの壁の前に立った。
 何もないところ、窓の脇だ。玄関側に、庭に面した大きな窓があるのだ。天井から床まで、縦長に広がっている。

 窓の外には、黒いオブジェが見える。細長くて、上の部分がくぼんでいる代物だ。何のためにあるのかは不明だ。

 それから師匠は入り口とは逆の、端側の壁を押した。そことは反対側の角を合わせた場所ならば、昔から何かを隠するように壁紙が貼ってあるから、何かあっても不思議じゃない。しかしこちらは、本当に何もないのに。見守っていた俺は、思わず息を飲んだ。壁が急に消えたからだ。

 師匠はその奥に進んでいく。驚きながら中を見ると、そこには螺旋階段があった。くるくると輪になった階段が、下へと続いている。

「ついてきて」

 師匠が階段を下りていく。頷いて、俺も進んだ。
 それから長い距離を、地下に向かって歩いた。
 多分、キッチンから入れる地下よりも、ずっと下だ。

 階段の一番下に着くと、再び白い壁があった。
 師匠は、そこにも掌を当てて、静かに押した。

「上の壁も、ここも、俺以外は開けられないようになってる。だから、悪いけど、中まで一緒に行くよ。邪魔はしない」

 振り返ってそう言ってから、師匠がぽっかりと空いた長方形の入り口に足を踏み入れた。
 驚いて光が漏れてくる中を見る。真っ白な空間で、天井の灯りまで白く思えた。

 早速入って、その後すぐに俺は目を見開いた。高い天井や、突き当たりが見えない広い地下に驚いたのではない。膨大な量の書架が並んでいることに驚いたのだ。

「ここは一本道で、ジャンルごとに一番奥まで順に分類してある。何を探しているのかは聞かないけど、困ったら分類してある場所は伝えるよ」

 まるで迷路のようだ。
 確かに、迷宮と呼ばれるのも分かる。一本道か……。

 天井から床まで広がる本棚には、びっしりと隙間無く本が並んでいる。
 本の大きさや厚さは様々だ。
 最初に並んでいたのは、歴史書だった。それも――『日本列島の成り立ちと古代史』と書いてある。人間界についての本など、俺は初めて見た。

 そもそもこんな量の本など見たことがない。

 明星宮もそうだが、和仙界では、書籍と巻物がごちゃまぜに置いてあることが常なのだが、ここは見た限り、本しかない。

 俺はまっすぐ進み、先にいた師匠が立ち止まった場所を見た。料理の本が並んでいる。『簡単十分フレンチ』と書いてあったが、その意味はよく分からなかった。フレンチってなんだろうか。俺の知らない料理か? 今度聞いてみよう。師匠はまさにその本を抜き取ると、パラパラとめくった。

 それから俺は、一本道を突き当たりまで進み、曲がって次の通路に出た。そちらの道も、気が遠くなるほど長くて、突き当たりが見えない。横手を見て、本の合間から次の通路やその次の通路も見たが、そちらの突き当たりさえ見えない。

 これでは、底怪の本を探すことなど至難の業だ。俺は引き返した。
 そして師匠に聞くことに決めた。

「師匠、底怪の本ってどこにあるんだ?」
「ああ、こっちだよ」

 フレンチの本をしまい、師匠が歩き始めた。

 それから十回曲がった時、師匠が屈んだ。一番下の棚に、底怪の本が並んでいた。見上げれば、次の本棚は全部底怪の本だった。底怪の本だけで、百冊以上あると思う。ここから抜き出すことでさえ、かなり大変だ。俺はつい、師匠に漏らした。

「……あのな、無非定型で人型の底怪の本ってあるか?」
「あるね。吸血鬼に人狼、雪女に雪男。この辺が代表的だけど、特徴は?」

 全て俺は、聞いたことがなかった。

「ぜ、絶対に秘密だからな」
「うん。了解」
「黒くて、口だけがあって、口から強い障気を出すって聞いたぞ」
「――多分『影送り帝』の亜種だ。障気の色と武器は?」
「聞いてない。そんなの言ってなかった」

 頷いた師匠が背伸びをして、三つ先の本棚の上部から、一冊の本を抜き取った。まさしく『影送り帝の生態と対処』と書いてある。受け取って俺がめくると、聞いたイメージにすごく近い無非定型底怪の情報が記されていた。

「有難うな」
「別に良いよ」

 師匠はそう言うと引き返し始めた。俺も追いかける。
 後は、これを報告書にまとめるだけだ。
 慈覚様はまとめろとは言わなかったが、俺はいつも要約して渡している。慈覚様が他の仙人が渡した書簡に対して苛立つように「まとめろ」と口にしたのを見てからだ。

 それからリビングまで戻った。壁は、元の通りの白に戻った。音も何もしなかった。