そして師匠の姿が階段に消えた時、俺はやっと一呼吸つけた。すぐにここへ戻ってくるはずだ。周囲も俺と、同様の気持ちだったらしい。ざわざわと声が響き始める。

「どうやって慈覚様の攻撃を避けたんだ?」
「さぁ?」

 近隣の席で、見知らぬ誰か達が話をしているのが聞こえた。

「何したんだ?」
「それは分かる。風を応用して、酸素を奪ったんだよ。呼吸を一時的に止めたんだ」

 そう言うことだったのかと、聞いていた俺は一人頷いた。
 すると別の席から違う声が聞こえてくる。

「あいつは化け物か?」
「慈覚様が敗れるなんて……」

 思わずムッとして、俺は声を上げた。

「化け物なんかじゃない! 俺の師匠だ! 誰よりも優しい人間だ!」

 するとぎょっとしたような顔をされた。
 我に返って、俺は恥ずかしくなり、顔から火が出るかと思った。慌てて周囲を見渡すと、玉藍様と燈焔様が、顔を見合わせて吹き出していた。聞かれた……!

「反抗期は終わりかな?」

 玉藍様の声に眉を顰める。
 俺の視線に気づいた燈焔様は、それからボソっと言った。

「本当に優しいと思うのか? いや、容赦なかっただろ。僕には、優しさは感じられなかったぞ。環は目の付け所が違うな……」

 思わず俺は黙り込んだのだった。

 ――いよいよ次は、決勝だ。

 戻ってきた師匠を見て、俺は目を細めた。溜息をついてしまう。
 だって戦うのは、俺達なのだ……。

「二人とも頑張ってね」

 審判席から名前を呼ばれた時、玉藍様に応援された。
 それから俺は、師匠と並んで階段へと向かった。

 まさか師匠と戦うことになるとは、考えてもいなかったのだ。
 一瞥すると、目があった。いつもと変わらない。それが、なんとなく辛い。

「なぁ、師匠……」

 俺は思わず呟いていた。師匠が首を傾げる。

「何?」
「もしも俺が勝ったら……出て行かなくても良いか?」

 俯きがちに俺が言うと、師匠が息を飲む気配がした。

「もしかして出て行くのが嫌で、免許試験を受けないの?」
「……悪いか?」
「――良いよ。その条件で」

 師匠は、あっさりと頷いた。勝つ自信があるからだろうな……。俺は、悲しくなった。

 会場で、俺は師匠と向き合った。
 開始の合図が響く。

 どうしたら、勝てるだろうか。

 師匠が相手だ。俺の、師匠だ。
 何も思い浮かばない。瞬時に色々と考えたのだが、敗北する未来しか思い描けない。何をしたところで、師匠は俺の一歩先を行く気がした。

 それでも、俺は戦わなければならない。
 そう決意し、きつく拳を握った――その時だった。

「リタイアするよ」

 師匠の淡々とした声が響いた。

「――え?」

 思わず声を上げた俺を見て、師匠が本日初めての笑みを浮かべる。

「俺も一緒にいたいからね」

 俺は不覚にも嬉し泣きしそうになった。じわりじわりと、胸が温かくなっていく。

 審判が、呆気にとられたように、こちらを見た。一拍間をおき、その後師匠の敗北を告げた。それから、俺の勝利を宣言した。会場から、ぽつりぽつりと拍手が聞こえてくる。すぐにそれは大きくなった。

「総合優勝は、ぐるぐる山はおさかな洞の環です」

 そう司会の時生先生に言われて、俺は喜びをかみしめた。

 それから、表彰式の前に、一度観客席へと戻ることになった。
 先に歩き始めた師匠に追いつきながら、俺は聞いた。

「な、なぁ、本当に、一緒にいたいって思ってるか?」

 すると振り返った師匠が、大きく頷いた。

「あたりまえじゃないか。環がいなくなったら、寂しいよ」

 俺が歓喜に震えていると、師匠がそれから思い出したように続けた。
 丁度、燈焔様と玉藍様の所に戻った時だ。

「でも、免許試験は受けてね」
「え、だってそうしたら許仙住宅に……」

 呟いた俺に対して、師匠が言う。

「ほとんど例がないとはいえ、認定道士が名目上仙人試験を受けられるように、仙人であれば、誰でも洞府を規定上はもてる」

 言葉を句切ると、師匠が腕を組んだ。

「ぐるぐる山に君の洞府を作ればいい。一つの山に、一つしか洞府を作っちゃ駄目ということはないから。食事も睡眠も今まで通りにすればいいよ。仕事の時だけ、洞府に行けばいい」

 考えてもいなかった方策を聞き、俺は目を見開いた。
 そして我に返ってから、何度も頷いた。

「そうだ、洞府紋も作らないとね」

 結局俺は、泣いてしてしまった。感涙だ。

「師匠……有難う」
「師匠って呼ばれるのは、久しぶりだね。今日は何回もそう呼んでくれた」
「これからもそう呼ぶ」

 すると呆れたような燈焔様の声が聞こえた。

「いやてめぇら、ちょっと待て。環は、まだ受かってねぇだろ。気が早い!」

 このようにして、鍛錬披露会は終了し、俺は初優勝を果たした。
 最後があの結果だったから、あまり実感はないが。

 大会の翌日には、南極が洞府に顔を出して、師匠をひとしきり褒めてから帰っていった。

 その後、初秋。俺は、試験を受けた。

 そして十三歳になり迎えた春、合格結果が出て、俺は正式に免許をもらい、史上最年少で仙人になった。
 免許試験は、四行五術をそれぞれ使ってみせる事だった。簡単だった。幼い頃から師匠に指示されていた修行の方がずっと難しかったのだからな。

 仙人を目指していなかった俺が、仙人になってしまった。

 でも、今でも師匠と一緒にご飯を食べている。
 流石に同じベッドでは眠らなくなったが。
 ただ、まだ背は伸びない。

 早く大きくなりたかった。