それから、トーナメントが始まった。
 早速俺が呼ばれた。師匠や燈焔様より先だった。
 通路を横切り、階段へと向かう。歩き出した時に聞いた、師匠の「頑張ってね」という声が脳裏に何度も響いた。俺よりも、師匠の方が心配だというのに。暢気なものである。

 俺の初戦の相手は、いつか師匠が授業参観で戦った、黄禄様だった。
 体術が得意な高仙だ。
 だが、戦い方は分かる。あの時の師匠と同じようにやれば良いのだ。

 開始の合図と共に、俺は足に力を込めて移動した。
 そして背後にまわり、黄禄様を手で押した。

 勝敗は一瞬で決まった。

 黄禄様が結界まで吹き飛んだからだ。
 現在の俺は、手に仙気をこめれば、大体の相手を倒せる。

 ――楽勝だったし、余裕がある。

 思っていたよりもあっけなかったし、緊張もしなかった。こんなものかと考えながら、ちょっとだけ楽しくなってきて、明るい気分で俺は階段を上がった。
 すると青鼠とすれ違った。
 青鼠は今年から認定道士だ。これまでは認定試験に、座学で落ちていたらしい。寝ていたからな。

 師匠達の所に戻ると、「やったな」と燈焔様に声をかけられた。玉藍様も笑顔だ。師匠の言葉を待っていると、ポツリと声が響いてきた。

「青鼠くん、負けたね」

 見ていなかった俺と、青鼠の師匠の燈焔様は息を飲んだ。青鼠が意識を失ったらしく、地に倒れている。ポカンとした。

 トーナメントは……一回戦から、何があるか分からないんだな。さっきすれ違ったばかりなのに。信じられない。
 波乱だ。
 俺は、師匠が褒めてくれなかったことなど、どうでもよくなってしまった。なにせ、一瞬で決着がついたらしいのだ。もっとしっかり見ていないと、後々困るのは俺だ。

 次に呼ばれたのは師匠だった。
 師匠を見送りながら、改めて表を見る。
 そこで気づいた。昨年の準優勝だったらしく、燈焔様は一回戦がシードだったのだ。呼ばれないはずである。

 俺はドキドキしながら見守っていた。
 師匠は、いつも通りの無表情で、対戦相手を見ている。
 唯乙様だ。眼鏡をかけていた彼は、それを外した。気迫が伝わってきたように思う。

「うわぁ、見物」

 玉藍様の声に、視線を向けた。彼は、頬に手を添えて楽しそうにしている。
 俺なんて心臓が潰れそうなのに。
 燈焔様は、腕を組んでいた。

「どうだろうな――聖四大仙は、底怪ともちょくちょく戦ってるわけだしな。森羅の場合は、文献執筆と研究の方が得意っぽいだろ。でもまぁ、仮にも森羅は森羅だし」
「また背中突き飛ばして勝っちゃったりして」
「まさかそれは無ぇだろ。一番最後に最上仙になったとはいえ、唯乙は聖四大仙まで一気にかけあがったわけだし。風使いとしては一流だろ」
「どうだろうねぇ。だってさぁ、私達より後に最上仙になったのにさ。実力なら燈焔の方がどう考えても上でしょう? それなのに聖四大仙ってさ。私達の中で唯乙だけ、太鼎教主様が直々に人間界から連れてきたから、勘ぐっちゃうよね。南極様の後釜を狙ってるのも、はっきり分かるし」
「まぁそう言うなって。考え過ぎかも知れないぞ」

 二人の雑談を聞いていると、観客席に音声が響いてきた。
 これは、会場の声を拾っているのだ。唯乙様の自信たっぷりの声が聞こえる。笑っているようだ。視線を向けると、彼の後ろで縛った長い髪が光を反射していた。

「私は選ばれた人間です。誰でもない、教主様に」

 明るい声で唯乙様が話している。俺は素直に耳を傾けた。

「南極様でさえ私に勝つことは不可能だ。そんな私が、貴方に負けるはずがない。私こそが一番に教主様のことを思っていて、支えるべき人材なのです」

 ……すごい自信だ。
 しかも南極のことをそれとなく否定している。思わず俺は、呟いてしまった。

「公共の場で、よく言えるな。みんなに聞こえてるって分かってないのか?」

 勿論、陰口なら良いというわけじゃないけど。ただ、いくらなんでも、こんな風に言わなくても良いと思うのだ。すると俺の声に、燈焔様と玉藍様が、ほぼ同時に溜息をついた。それから玉藍様が俺を見る。

「あれね、わざと言ってるんだよ。私達に聞こえるようにね。聞こえても構わないっていうか、寧ろ聞かせる気なんだよ」
「会議でもよく言ってるしな。南極様にこれでもかって言うほど突っかかって。あの勇気だけ見れば、大物だ」
「私は唯乙が、次期教主候補だって納得がいかないよ。そんな事になったら離山するかも」
「まぁ、まだ先の話だろ。譲渡する場合もあるって内々に言ってたらしいだけで、ただの噂かもしれねぇしな」
「でも慈覚と教主の座を争ってるじゃん。慈覚は相手にしてないけどね」
「とはいえ、今のところは、唯乙は少なくとも教主様にべったりだろ」

 太鼎教主様が、他の仙人にその座を譲ることなどあるのだろうか。
 考えつつも、俺は会場を見守る。視線を師匠達に戻したのだ。
 師匠は何も言わない。

「貴方が何者かは、察しがついています。貴方の理論や文献は完璧だ。ですがそれだけです。実戦は違う」

 俺はその言葉に息を飲んだ。唯乙様が師匠に喧嘩を売った。それも、師匠が万象院だと気づいているようなのにもかかわらずだ。俺は焦った。

 師匠は、結構、負けず嫌いだと思うからだ。

 しかも今回は、南極にも全力で応援されていた。喧嘩をして負けても、南極がなんとかしてくれるはずだ。ようするに、安心して喧嘩を買えるのだ。

「リタイアすることをお勧めします。これは私なりの、精一杯の敬意だ。公共の場で恥をかきたくはないでしょう?」

 その上、唯乙様は公共の場だと、しっかり理解しているようだった。
 やっぱり玉藍様達が言ったように、分かっていたのだ。
 俺は嫌な汗が伝ってくるのを感じた。唯乙様には、それだけ勝つ自信があるのだろう。

 師匠は、考えるように小首を傾げていた。

「まだ始まらないの?」

 そして師匠は、唯乙様をまるっと無視して、審判を見た。
 開始を告げる審判代表も、会場の四隅にいる審判員も、唯乙様でさえも、ポカンとしている。

「は、始め」

 そのようにして、師匠の初戦が始まった。

 唐突に突風が会場を襲う。
 唯乙様の仙術だ。
 その後、いくつも生まれた竜巻が、会場中を攻める。

 瞬きしながら見ていた時、上から薄いピンク色の花が降ってきた。気づいた時には、既に降り始めていたのだ。緑色の葉と花の形から、俺は蓮の花だと確信した。小さなサイズの蓮が会場中に落ちてくる。幻術だ。

「おい、これ、どっちだ? 目くらましだろ」

 燈焔様が小声で呟いた。
 てっきり唯乙様の術だとばかり思っていたから、俺は首を傾げる。
 視線を戻した時、唯乙様の背後に、巨大な鏡が現れた。

 直後、それに唯乙様が吸い込まれた。
 まるで有象無象図みたいだった。しかし大きさが違う。
 呆然としたような顔をした後、ドンドンと唯乙様が、鏡を中から叩き始めた。

「後は、わるだけだね」

 師匠の声が観客席まで届いた。
 音声が拾われたのだ。
 俺が呆気にとられていると、審判が宣言した。

「三分出てこられなかったら、戦闘不能と見なします」

 三分はすぐに経ち、師匠が勝った。