洞府に帰ると、南極の姿があった。久しぶりだ。
 俺がリビングに入った時、南極はこちらに手を振った。その間も口は動いていた。

「だけど本当に、森羅が出るって聞いて驚いたよ。何々、天変地異? 今度は『永久の夏』とか?」

 南極の笑顔と明るい声に、俺は顔を引きつらせた。
 シャレになってないだろ……。
 今では俺も底怪の脅威を理解しているから、呆れてしまいそうになった。なにせ『永久の冬』以降、地界ができて底怪も現れるようになったらしいんだからな。

 それから南極が、愚痴り始めた。

「で、ね。唯乙が本気でムカツクんだよね」

 響いてきたのは、聖四大仙の名前だった。
 慈覚様と同格の、和仙界一の風の使い手だと聞いている。

「俺をライバル視しててさぁ、俺を今の立場から、蹴落とそうとしてくるんだよねぇ。俺を誰だと思ってんのって感じ。無いわー。この前なんてさぁ――」

 俺は途中から、聞いていなかった。耳に入ってこなかったのだ。師匠を一瞥して、俺は考えることに夢中になった。ぼけっと、本当に師匠が出るのかと改めて思っていたのだ。

「――ね? 酷いでしょ?」

 すると南極に同意を求められた。やばい、聞いてなかった。どうでもいいし。
 その時師匠が、溜息をつきながらカップを置いた。

「他者の悪意に共感するほど暇じゃないよ」

 実際には師匠は暇そうだが、容赦なく言い切った。南極がそれを気にした様子はない。

「とりあえずムカツク奴なの! だからさ、森羅! ボコボコにしちゃっていいから!」「え?」

 続いた声に、俺は首を傾げた。何で師匠に言うんだ?
 そう思っていたら、南極が続けた。

「トーナメント表を見たら、唯乙と森羅だったよ。まぁ俺が、森羅をトーナメントに出場させる手続きしたんだけどさ」

 師匠もトーナメントに出るのか……?
 俺は耳を疑った。南極は、何を考えているのだ。
 一番危険な所じゃないか!

 この大会は、四行五術のそれぞれの部とトーナメントがある。
 昨年までは、仙術部門で出場していた俺だが、今年は半ば強制的に受付で、トーナメントに出ることにされてしまった。確か、同じ洞府の師弟は、トーナメントでは対角の位置に配置されるのだったと記憶している。

「しかも唯乙と当たるのは、初戦! あれでも聖四大仙の一人だから実力はあるんだよね。ま、森羅なら心配ないと思うけどさ!」

 俺は一気に不安になった。本当に大丈夫なのだろうか……。そもそも師匠は、戦いは嫌いだと言っていたから、あまり対人戦が得意じゃないのかも知れない。授業参観の時だって、さすがに聖四大仙と戦ったりはしなかったわけだし。

 聖四大仙は、本当に格が違う仙人達らしく、通常では会うこともできないと聞く。実際に俺は、慈覚様の具術を授業参観の時に見たではないか。言葉にならない。あのレベルの宝貝では、いくら師匠でもただではすまないだろう。

 師匠は南極に、何も答えなかった。

「ちなみに環の初戦の相手は、忘れた!」

 俺は南極の声に、脱力した。
 すると師匠がふと思い出したような顔をした。

「そんなことより南極。宝貝の管理しっかりしなよ」
「何の話?」

 ばっさりと話題を切りかえた師匠が続ける。

「深愁くんが何年か前に、却下した宝貝を作ってたよ」
「誰それ?」

 南極が首を傾げている。
 そうか、なるほど。
 今になって思えば、深愁の宝貝を完璧だと言いつつ却下したのって、師匠なんだな。

「それに、いや……そんな事って言うけど、これより重要な話はないね! とにかく、普通に勝ってね!」

 それから南極は、「あ、そういえば」と言って、手を叩いた。

「最近、森羅って『熱血腹黒』と『医学馬鹿』と仲良いみたいだね」

 俺にはすぐに誰のことか分かった。熱血は燈焔様、医学馬鹿は玉藍様に違いない。しかし燈焔様が腹黒? そう言うイメージはない。考えてみると醒宝様の所に、俺と青鼠を行かせたりはしたけど……。自分が知りたいことのために他人を利用するのは、腹黒といえるかもしれない。

「特に燈焔はさ、熱血なのに腹黒って新しいよね、俺は初めて見た。医学馬鹿は、ある意味研究者の姿勢としては悪くないけどね」

 その後もひとしきり様々な話題を口にした後、南極は帰っていった。
 和仙界一の情報通は、郵便配達をしている酒鶴童子だと言われているが、俺は、南極もすごいと思っている。南極は、常に口が動いている。もしかすると玉藍様より長時間話し続けられるかもしれない。疲れないのだろうか。

 それから、鍛錬披露会の日までは、あっという間だった。
 まずは開会式があった。
 会場の高い位置に建設された壇上から、太鼎教主様が一同を見渡している。

 教主様は、禿頭で白いひげを生やしている。ひげは耳の上から、はえているように見えるから、もしかすると、残っている髪の毛とくっついているのかも知れない。
 老人だ。三大老と同じくらい年配に見える。実際は三人よりも年上のはずだが。おじいちゃんだ。クリーム色の長い道服をいつも着ていて、ボトムスは見えない。襟が大きく開いていて、中にも同じ合わせ目の薄手の服が見える。帯は薄い朱色だ。

 背中には、明星宮を、そして和仙界を象徴する『弓形月に丸二つ』の紋が入っている。

 明星宮には、いたる所にこの紋がある。
 日と月と星からとって、明星とつけたらしい。学校時代に座学で覚えた。

 長い挨拶が終わる。
 俺は教主様の一歩後ろにいる南極を見上げた。
 酒鶴童子の姿もある。

 酒鶴童子は、童子と名乗っているのに、老人だ。瓢箪みたいな形の頭をしている。灰色の髪を後ろで一つに縛っている。
 ただ彼は、とても小さい。大人の掌サイズなのだ。
 乗り物は本物の瓢箪で、いつもそれで空中に浮かんでいる。今も浮かんでいるのが小さく見える。手には『芭蕉扇』という宝貝を持っていて、それは酒鶴童子の背丈よりも大きい。葉っぱみたいだ。

 彼は南極の弟子だと思われがちだが、元々は『崑崙山』の『白鶴童子』に縁があるそうだ。だから、白鶴童子にかわって南極についてこの和仙界に来たらしい。

 こうして考えると、南極は見た目は二十代後半だが、かなりの歳だ。
 師匠より年上だと思う。

 長い挨拶が終わると、拍手が響いた。
 俺も手を叩きながら、気合いを入れ直す。

 『披露の部』『鍛錬の部』の順だ。

 鍛錬の部では、四行五術がさらに細分化されて部門ごとに行われる。

 思いの外時が早く流れて、気がつけばお弁当の時間になっていた。
 昼休憩だ。
 俺は師匠の顔を見たくなかったので、午前中は、ずっと泰岳と深愁、朱李と共に観戦していた。お昼もそのまま一緒に食べた。食後、三人に「頑張れ」と声をかけてもらった。やっぱり同期って良いな。

 それからトーナメント参加者が自由参加の、準備運動が行われた。各自が思い思いに、体を慣らすために会場を使って良い時間だ。
 師匠の姿をそれとなく探したが、どこにもいない。まぁ師匠が準備運動をするとは思えないけどな。俺は一応、体を温めた。
 燈焔様が監督官をしている。
 彼自身も出場するためか、燈焔様はきちんと体を動かしていた。

 トーナメントは、仙人と道士が混合で行われる。
 四行五術なら何を使っても良い異種混合戦だ。勿論、各術を組み合わせても良い。

 それから俺は、結局――師匠の隣に行くことにした。
 やはり……結果が気になるため、近くにいたかったのだ。正直、心配だ。いくら師匠が強いと言っても、実践慣れしているとは思えない。これまで出場していなかったのだから。

 準備運動をしていた面々が戻ると、ルールの説明があった。
 勿論、『相手が負けたら』勝負に勝った事になる。
 『負け』の条件は三つだ。

 会場は学校の校庭よりも広く長方形なのだが、その四方に観客席がある。観客席は二階から段を作って広がっている。二階と言っても、地面からはすごく高い位置にある。その一角に、教主様の特別席もあるのだ。そして、観客席の正面には、四行結界がはってある。教主様が自らはったらしい。ようするに会場内でなにをしようが、観客席には届かない。

 さて、一つ目の条件は、この『結界に触れた』場合だ。失格となる。
 二つ目の条件は、『怪我や意識喪失、動作困難により、試合続行が不可能だと判定された場合』だ。このパターンがかなり多いと聞いている。
 最後の三つ目が、『敗北宣言』だ。「参った」や「負けた」という風に、リタイアだと分かる言葉を口にすればいいそうだ。無理だと思ったら、迷わずこれを選ぶべきだろう。

 師匠も無理な相手に当たったら、これを選択して欲しい。俺は一人祈った。
 その時、師匠の隣に、燈焔様がやってきた。燈焔様は巻物を両手で広げながら、目を細めている。

「……なんか、偏ってねぇか?」

 言われてみれば、師匠側の山に、実力者がそろっていた。
 燈焔様も慈覚様もいる。
 南極が挙げていた唯乙様も勿論いる。

「……南極が組み合わせを、いじったんだと思うよ」

 呆れたような顔で、師匠が口を開いた。それを聞いて、玉藍様が瞳を輝かせた。彼もすぐそばにいたのだ。客席に座っている。

「きっと面白くなるようにだね! 確かに楽しみ!」
「てめぇは出ないから気楽だよなぁ。こっちは五格として負けると怒られるんだぞ。僕なんて強制参加だしな!」

 燈焔様が疲れたように声を上げた。実行委員長も大変なんだなろうな。