俺は十二歳になった。今年の師走で、十三歳になる。相変わらず背は伸びない。まだ二次性徴が来ないのだ。
 青い空を見上げた。白い雲がたなびいている。岩の上でそれを眺め、溜息をついた。

 ここのところ俺は、憂鬱な気分なのだ。

 ぐるぐる山は、現在夏だ。無駄に暑い。蝉時雨が響いてくる。俺は気を取り直して、岩から飛び降り、洞府へと戻ることにした。ここは、おさかな洞の裏手にある鍛錬場だ。昔はただの岩が浮いた庭だと思っていたんだけどな。表にまわって玄関から中に入る。

 そしてリビングに行くと、もういるのが自然である気がする玉藍様がコーヒーカップを持っていた。「おかえり」なんて声をかけてくれる。
 頷いた俺がソファに座ると、思い出したように彼が言った。

「環くんはさぁ、今年も仙人免許試験受けないの?」

 素朴な疑問だという風に言われた。俺は師匠から麦茶を受け取りつつ、顔を背けた。
 俺が憂鬱な理由はこれだ。毎年初秋に行われる仙人免許試験だ。
 俺は昨年も一昨年もその前の年も、試験を受けなかった。一応試験は、学校を卒業した翌年の次の秋から受けられる。つまり、卒業後一度も受験していないのだ。

 最初の年は、まだ認定道士になって一年目だったから、何も言われなかった。
 だけどその年の鍛錬披露会で、ようやく使えるようになった三行・水火風を使ったら、高等道士になってしまったのだ。その時は嬉しかった。

 さらに翌年には、やはり嬉しくてできるようになった四行結界を披露した。
 この年、受験しなかったところ、皆に不思議がられた。その次の年も出なかった所、現在周囲からは、「今年こそ出るように」と圧力をかけられている。これまで何も言わなかった師匠ですら、俺に度々受けるようにと言ってくるのだ。

 元々俺は、別に仙人になりたいわけではないのだ。ただ、師匠と一緒にいたいだけだ。

 だからこそ、憂鬱になる。仮に試験に合格して許仙になったら、俺は許仙住宅に引っ越さなければならない。ようするにこの洞府を出なければならないのだ。

 ――師匠は俺がいなくなっても、寂しくないんだろうか?

 そう思うと、無性に悲しくなるのだ。同時にイライラする。師匠のことは変わらず大好きなのだが、ついその苛立ちをぶつけてしまうのだ。何故なのか最近は、八つ当たりぎみに、思ってもいないことまで言ってしまう。

「森羅、麦茶おかわり」

 師匠が溜息をついた。ここのところ、俺は師匠を呼び捨てにしている。森羅様の溜息の理由はこれだ。沈黙した師匠は、それから麦茶を注いでくれた。もう注意するのは諦めたらしい。

 するとそんな俺達を見ていた玉藍様が、頬杖をついた。

「反抗期かぁ……」
「そ、そんなんじゃない!」

 思わず俺は叫んでしまった。
 する時スクスと玉藍様に笑われた。
 その態度が、かんに障る。俺の味方はいないのだ。

 唯一といって良い、俺にこの話を振ってこない燈焔様は、ここのところ鍛錬披露会の準備で忙しいらしく、遊びに来ない。今年は燈焔様が実行委員長なのだ。鍛錬披露会は、毎年夏の終わりに開催される。高等道士は出場するのが義務だ。

「そういえば鍛錬披露会の季節だね」

 すると思い出したように玉藍様が言った。一瞬思考が読まれたのかと思ったが、これまで玉藍様にその術を使われたことはない。偶然だろう。

「環くんは、今年は何をやるの?」

 ムッとしていた俺は、顔を背けた。

「……何で出なきゃならないんだよ」

 小声で言うと、玉藍様と師匠が顔を見合わせる気配がした。それにまた腹が立った。

「森羅だって出てないだろ! なんで俺ばっかり」

 俺の言葉に、師匠が腕を組む。

「仙人は義務じゃないし」
「でもみんな出てるだろ!」

 強い口調で俺は怒鳴るように続けた。

「玉藍様でさえ出てるだろ!」

 すると玉藍様が笑みを引きつらせた。

「私でさえってどういう意味……?」

 彼の小さな声は、どこか切なそうだ。しかし俺は気にしないことに決める。
 だって事実なのだ。
 他の洞府からは、ほとんどの師匠が出ている。なのに一度も、森羅様は出たことが無い。

 見には来てくれるけど、それだけだ。「応援してる」とか「頑張ったね」だとか「おめでとう」しか言われない。そんなの決まり切った言葉じゃないか。
 俺が頬をふくらませて睨んでいると、師匠が目を伏せて肩を落とした。

「分かったよ」
「え?」

 響いた言葉に、思わず俺は声を上げた。

「そんなに言うんなら、出るよ」

 信じられなくて目を見開く。玉藍様も同様だったのか、不安そうに口を開いた。

「ちょっと、本気なの? 森羅」
「まぁね。その代わり、環もきちんと参加すること」
「お、おう……」

 本気で、信じられない。師匠は本当に出場するのか? 少し俺は考えた。
 もしかしたら、『披露』の方で出るつもりなのかも知れない。俺は『鍛錬』に出ることになっている。仙術が一番得意だと思われているようで、「登録しておいたからな」と受付で言われたのだ。師匠だけ『披露』だったら、ずるい。

「ひ、披露の方じゃ駄目だからな!」
「鍛錬に出れば良いんだね。それでいいよ」

 しかしあっさりと師匠は頷いた。
 今度こそ俺が目を丸くした時、玉藍様が情けない声を上げた。

「あのさ、披露にもちゃんと意義が……」
「黙っててくれ、玉藍様!」

 ぴしゃりと俺は告げた。玉藍様はうなだれていたが、そんなことより師匠のことが気になった。本気なんだろうか? 俺は自分で言ったというのに、不安になった。

 大会に向けて、俺は鍛錬に励むことで、その嫌な感覚を打ち消そうとした。
 ここのところ、俺は鍛錬を学校で行っている。
 認定道士と高等道士は、鍛錬場で修行に励むのが規則だ。鍛錬場は、学校と各自の洞府、それから明星宮のそばにある。俺は自分の行動に落ち込んだ。師匠と一緒にいたいのに、学校に来てるって矛盾してるよな……。

「調子はどうだ?」

 その日は、珍しく時生先生に声をかけられた。卒業してからは、初めてのことだった。

「まぁまぁです。どうかしたのか?」
「今年は俺が、鍛錬披露会の総合司会なんだ。持ち回りだからな。それで聞いておきたいことがあってな」
「なんだ?」
「無名山虚空洞とぐるぐる山おさかな洞のどちらで紹介すればいい? 昨年まではぐるぐる山だったみたいだが、今年は森羅先生も出ると聞いたぞ」
「先生は、師匠が万象院だって知ってたのか?」
「あたりまえだろ。教科書の改訂の時は、俺が直接お願いしてるしな。昔、授業参観の時も同じ事で迷ったから、あの時は結局山名も洞府名も言わなかったが」

 授業参観の事を思い出した。懐かしい。
 確かにあの時、時生先生は師匠のことを名前しか呼ばなかったな。
 俺はてっきり先生が、馴染みのない『おさかな洞』の名前を、覚えていないのだと思っていた気がする。

「それで今回は、どっちの名前を呼べばいい?」
「……おさかな洞にしてくれ」

 無意識に俺は呟いていた。
 すると先生が目を瞠った後、両頬を持ち上げて薄く笑った。
 確かに『おさかな洞』は、子供っぽいけど、俺はこの名前に愛着があるのだ。

 その日は、早めに切り上げることにした。