「どうしてまわってるの?」
「ここは一本道だからね。中央にある頂上までは、こうして歩くんだよ」

 その声に、俺は頭の中で、歩いてきた道と頂上を想像した。そして、目を見開いた。

「もしかして、ぐるぐる山?」
「ぐるぐる山?」
「あの、お伽噺の! 真ん中に『おさかな洞』があるんだろ?」
「お伽噺?」
「ぐるぐる山には、まっすぐ道をぐるぐる登っていかないとたどり着けない洞府があるんだろ? おさかなのマークの洞府紋があるんだ! 間違った道を歩くと、入り口に戻されるって。ぐるぐる山では、何が起きても不思議じゃないんだってお話だった!」

 俺が意気揚々と告げると、青年が考え込むような顔をした。それから、吹き出すように微笑した。

「まぁ、間違ってはいないかな。誰が住んでいるかも知ってるの?」
「それは、永遠の謎なんだって!」
「じゃあその謎を、環は解いたんだ」
「え?」
「ぐるぐる山のおさかな洞は、俺の洞府だからね」
「本当? 本当に? あ、あの、し、師匠?」

 俺は、選んでくれた仙人のことを、師匠と呼ぶと言うことは知っていた。そして、聞いておかなければならないことも思いだした。

「師匠は、なんて言う名前なんだ?」
「森羅――……」
「しんら?」
「うん、そう」

 聞いたことがない。まぁおさかな洞の仙人のことなんてみんな知らないだろう。むしろ知ることが出来て、誇らしい。
 それから、雑談をしながら山頂まで登った。
 俺は、洞府に着くと、お魚のマークを探した。だが、みつからない。最初に目についたのは、入り口の所にある、丸の中にもっと丸い線が少しだけ入った紋だった。

「これ……」
「ああ、『基本右一つ巴』だよ。この……おさかな洞には、いくつかの洞府紋があるんだけどね、『入り口』は、この印なんだ。最初の内は、環もこの紋に慣れるようにね」
「お魚じゃないのか……」

 ちょっと残念な気持ちになり、俺は悲しくなった。すると苦笑した師匠が、ポンと俺の頭の上に手を置いた。

「一応お魚なんだよ。その内、太極魚についても教えてあげるから。よくみてごらん。おたまじゃくしみたいじゃないかな?」

 掌の感触が、くすぐったい。それが嬉しかったから、俺はよく分からなかったけど、頷くことにした。

 この日から、俺の洞府での生活が始まった。

 学校で習った限りだと、最初の一年間が選別のために初歩と文字を学校で教わる期間で、無事選別された後は、次の一年間は師匠と共に暮らすらしい。そこで、洞府ごとの基本規則を教えてもらうのだ。その後再び、学校へと通うようになる。
 俺は、五歳から六歳までの一年間、師匠に様々なことを教えてもらうことになった。

 最初に教えられたのは、起きる時間と寝る時間、ご飯の時間だった。
 朝は六時に起きる。夜は八時に寝る。ご飯は、朝七時、昼十二時、夜六時だった。午後三時には、おやつの時間がある。ごはんとおやつは、師匠が作ってくれた。

 俺は、俺だけの部屋をもらった。

 ここへ来てから数日は、食べては寝るだけの日々を過ごした。
 だけど、夜になると怖い夢を見た。腐っていく両親の夢だ。
 何度も飛び起きて、びっしょりと汗をかいた。
 お風呂は毎日夜の七時なのに、朝にはまたお風呂に入りたくなった。
 師匠の洞府には小さな温泉がある。
 ぐるぐる山の中央に建っている、はじめてみる形の四角い家が洞府だ。

 お部屋で俺は、何度も泣きながら目を覚ました。息苦しい。布団を握りしめて、すすり泣いた。わせん界にきてからは、久しく夢なんか見なかったのに。

 ある日堪えられなくなって、飛び起きた俺は、師匠の部屋の扉を開けた。
 寝台に横になっていた師匠は、俺に気づくと、寝転がったままで言った。

「おいで」

 無言で歩み寄り、俺は布団に潜り込んだ。すると、師匠は腕枕をしてくれた。
 その日はぐっすりと眠った。夢も見たけど、美味しいものをいっぱい食べる、楽しい夢だった。翌朝、目を覚ますと、俺は師匠に抱きしめられていた。師匠はまじまじと俺を見ている。一気に照れくさくなった。
 それ以来、俺は毎日、師匠と一緒に眠った。

 生活のリズムを覚えると、次に師匠は俺に、『挨拶』と『礼儀』を教えてくれた。
 挨拶は、学校でも習っていた。「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「おやすみなさい」だ。後は、「ありがとう」と「ごめんなさい」も覚えた。
 礼儀は、箸の使い方などだ。それまで持ち方なんて気にしたことがなかった俺は、一つずつ丁寧に教えて貰った。
 それから、一応、『ひらがな』と『カタカナ』を覚えていた俺に、師匠は『数字』と『漢字』を教えてくれた。だから今は分かる。仙人宗の一つ、天玄教を学ぶ、瞠若山の明星宮の太鼎教主様が開祖の和仙界。それが、ここだ。道士が、修行して、仙人になる場だ。

 続いて俺は、『四季』を習った。
 和仙界は、いつも晴れで、新緑の季節。ずっと同じだ。
 だけどここ、ぐるぐる山には、『四季』と『天候』がある。ただ、それらは、田畑や果樹園、牧場や、海に仙術で繋がる湖や川には影響をあまり与えない。食べ物が取れる場所だ。全部、師匠が作った『宝貝』で管理されている。

 宝貝とは、仙人や道士の力を使う道具の事だ。
 力の使い方には、五種類ある。それが、五術だと教えてもらった。
 仙術・体術・血術・幻術・具術だ。
 そして仙術は、地・水・火・風に分類できる。それが四行。

 仙人は、四行五術をおさめた人のことだ。おさめるために、修行するらしい。四行五術を使うために仙人や道士が用いる力――仙気を、精錬する事も一つの修行だ。
 具体的には、瞑想などを行う。
 全てに通じるのは、呼吸法と瞑想なんだって。それを用いて、仙気の扱いを覚えて、四行五術を自在に操るらしい。

 俺が言うと、なんだか難しい。
 だけど、師匠はわかりやすく教えてくれた。卵焼きを作りながら。
 まず、落ち着いて材料を用意する。深呼吸して落ち着くのだ。それから、完成した卵焼きをイメージする。瞑想して、想像するのだ。それから、手を洗う。仙術の水。そして卵をかき混ぜる。仙術の風。それを火にかける。仙術の火。この時、フライパンは鉄……まぁ土に近い。仙術の土だ。そんな感じだった。全てのことが、四行に基づいているらしい。

 仙術は、仙人と道士の生活に根付いている。

 体術は、体力を鍛えて、素手で戦うことだ。
 素手と言っても、仙気を手足に込めるんだけど。

 血術は、生まれつき使える才能らしい。癒しの力を持つ一族とか予知できる一族がいるそうだ。大なり小なり、みんなが能力を持っているという。俺にはどんな能力があるんだろう。考えていたある日、師匠が俺の前に、水の入った桶を持ってきた。

「ここに手を入れてみて」

 言われた通りにすると、どくんと手が、それから体が熱くなった。
 特に、右目が。焼けるようだった。

「……君の血術は、瞳血か」

 師匠がそう言ったことを覚えている。
 だけどそれがどんな能力なのかは、聞いていない。

 最後は、具術。宝貝に仙気をこめる方法だ。宝貝は、各洞府が開発したりしているらしい。学校では、汎用宝貝という誰でも使えるもので練習するみたいだと、師匠から聞いた。

「変わっていなければだけど」

 そう言っていたけど、師匠も学校を卒業したのだろうか。
 さて、具術は、師匠オリジナルの宝貝を使って見せてもらった。

 その日は二人で、お弁当を持って外へと出た。
 そしてぐるぐる山を見下ろせる、景色の良い場所まで案内された。

「見ていて」

 それまでお弁当以外手ぶらだって師匠が、袖から、小さなカードの束を取り出した。
 それをきってから、右手から左手にパラパラととばす。吸い込まれるみたいだ。今度は、左から右に。カードが流れていく。ポカンとして見ていた。すごい。

「環は、好きな動物は何?」
「え? ……猫?」

 俺は、他の動物を、犬と鳥しか知らなかった。俺の声に、師匠が静かに笑った。
 そしてカードを動かすのを止めた。師匠が束を右手で握る。柄が見える一番前のカードが、いつの間にか猫の絵になっていた。それから目を伏せて師匠が、呟くように言う。

「出ておいで」
「あ!」

 すると猫が、カードから出てきて、地面に着地した。カードの絵より勿論大きくなっていたし、そこにいたのは、本物の猫だ。

「抱いてごらん」

 俺はドキドキしながら手を差し出した。猫は、ふわふわの毛並みなのに、思ったよりもかたい。抱き上げると、温かかった。しばらく撫でる。師匠がまた唇を動かした。

「戻って」

 その言葉に呼応するように、猫がカードに吸い込まれた。厚手のカードの中には、猫の絵がある。

「これはね、『有象無象図』という宝貝だよ。描かれているものを取り出したりしまったり出来るんだ」

 これが、俺が初めて見た宝貝――具術だった。

 師匠と過ごす日々は、驚きに満ちていた。毎日が楽しい。
 たけどやっぱり、俺は仙人になりたいわけじゃない。
 ただ単に、一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、眠ったりするのが嬉しいのだ。ずっとここにいたい。それが叶うだけで、俺は満足だ。

 そのまま、あっという間に一年が経った。
 この頃になると、俺は花に水をあげる事や、料理のお手伝いも覚えていた。掃除も修行だと言われて、頑張った。師匠が読んでくれる絵巻に夢中になった。今は一人でもある程度読める。

「明日から、学校だね」

 ある日そう言われて、俺は初めて気がついた。

「学校には、きちんと坂を下りていくんだよ。帰りは登っておいで。これも修行だからね」
「お、おう」

 正直、不安があった。この穏やかな日々が変わってしまいそうで怖い。すると師匠が、ポンと俺の頭に手を置いた。

「大丈夫。環なら、できるよ」

 その言葉が純粋に嬉しかった。だから、頑張ろうと思った。

「手を出して」

 師匠の声に首を傾げる。師匠は、俺の左手の甲に、大きな判子のようなものをあてた。ピリリと少し痛んだ。それが離れると、俺の手の甲には、白と黒のオタマジャクシのようなマークが刻まれた。

「これ、何?」
「……ぐるぐる山の、一番肝要な洞府紋だよ。これがある限り、どこにいても、君は俺の弟子だ。何も心配はいらないよ」

 なんだか嬉しい。そっか。俺はちゃんと、弟子なんだな。

「ただね、あまり人に見せるものでもない。しっかりと布をまいておくこと」

 それから俺は、くるくると手に布を巻かれた。
 二人だけの秘密みたいな気がして、それすらもちょっとだけ嬉しかった。

 翌日俺は、師匠お手製のお弁当を鞄に入れた。
 そしてノートとペンを持ち、学校へと向かった。

「いってらっしゃい」

 見送ってくれた師匠の声が、今も脳裏に響いている。行って、来るのだ。また、戻ってきて良いのだ。俺はきちんと、ぐるぐる山の住人になっているのだ。