それから森を抜けて、俺達は目指す洞府の玄関前に立った。
 横に開く扉がある。

「ごめんくださーい」

 声をかけて、青鼠が扉を開けた。

 すると、玄関に一人の老人が座っていた。小柄で、白髪に長いひげをしている。目は線のようで、垂れ下がっている。しわが沢山あった。
 当然のようにそこにいたから、俺も青鼠も驚いた。びくりとしてしまう。
 心の準備がまだだったのだ……。

「は、はじめまして……こんにちは。その……俺は、ぐるぐる山は、おさかな洞の森羅様の弟子で、環と言います。お聞きしたいことがあってうかがいました」

 俺は必死に名乗った。苦手な敬語も頑張った。何せ、師匠のことを教えてもらいたいから、印象を悪くしたくない。俺は師匠について色々知りたかったのだ。

「俺は、ろうそく山は師走洞の燈焔様の弟子で、青鼠と言います」

 青鼠が深々と頭を下げた。それを見てから、老人が頬を持ち上げた。

「よく来たのう。わしは、このすいか山は文月洞の主、醒宝という。さぁて、中にあがっていくと良い。靴は脱ぐのじゃぞ」

 穏やかな声に安堵しながら、靴を脱ぐ。中へと入ると、畳の部屋に通された。

「座って良いぞ」

 座布団を渡してもらったので、お礼を言って受け取った。それから座ると、醒宝様は、俺達にようかんと緑茶を差し出した。なんだか、良い人そうだ。想像とは異なり、全然怖くない。思わず胸をなでおろした。

「して、今日はどのような用件で参ったのじゃ?」
「あ、その――ぐるぐる山のおさかな洞を知っていますか?」

 意を決して俺は聞いた。すると青鼠が続ける。

「森羅様の事を聞かせて欲しくて」

 俺達の声を聞いて、好々爺は腕を組んだ。

「何故じゃ?」

 そう言われても困る。単純に知りたいだけだ。しかし考えてみると、俺にはきちんと、知りたい理由があった。

「俺は、弟子なんだ」
「そのようじゃな。それで?」
「弟子として俺は、師匠が、底怪を手引きしてないって言うことを証明したいんだ。この前、学校に出たんだ。俺は絶対師匠は、悪いことなんてしないって信じてる。だけどあの時、師匠は疑われたんだ。師匠のことがもっと分かったら、みんなにちゃんと、師匠がやったんじゃないって言える気がする」

 俯きながら告げると、その場が静かになった。
 立ちこめた沈黙に、俺は切なくなった。

「なるほどのう」

 沈黙を破ったのは、醒宝様だった。
 俺が顔を上げると、三大老の一人は、にこやかに笑っていた。

「確かにあの方は、直接は教えてはくれぬかもしれぬな。じゃが、知りたいという気持ちはよく分かる」
「やっぱり知り合いなのか」

 思わず敬語も忘れて、俺は呟いた。しかし、醒宝様がそれを咎めることはなかった。

「ああ、存じておるよ」
「醒宝様は、師匠の師匠なのか?」

 ドキドキしながら、半ば確信を持って俺は聞いた。すると喉で笑って老人が首を振る。

「いいや」
「え?」

 てっきりそうだと思いこんでいた俺は、目を丸くした。青鼠も身を乗り出すようにして、耳を傾けている。

「森羅様が、わしの師匠なんじゃよ」
「は? 嘘だろ? 見えねぇよ、全然見えない。なぁ、環?」
「……う、うん。そ、そうだな」

 確かに、どこからどう見ても、醒宝様の方が年上にしか見えない。師弟関係にあるとしても、森羅様が弟子だという方がしっくりくる。見た目が逆だ。だから、にわかには信じがたい。しかし醒宝様が繰り返す。

「紛れもなく、わしが森羅様の弟子なのじゃよ」

 本当だとすれば――師匠が長生きしてるって言ったのは嘘じゃないんだな……。
 俺が曖昧に頷いた時、青鼠が腑に落ちない様子で口を開いた。

「でも醒宝様は、十二玉仙の一人だろ? 太鼎教主様の弟子のはずだろ」

 それを聞くと醒宝様が喉で笑った。
 十二玉仙は、俺も名前だけ聞いたことがある。聖四大仙、三大老、五格の計十二人の、太鼎教主様の弟子のことだ。この和仙界を動かしている人々のことだ。
 信じられないが、あの暇そうな燈焔様と玉藍様も、五格に数えられている。
 南極がいた華仙界の『崑崙山』で、元始天尊様が十二人の弟子をとっていた事に倣って、太鼎教主様も十二人の弟子をとったらしい。復習クラスの座学で習った。

「いかにもわしは、崑崙山は元始天尊様の弟子の十二神仙に倣って選ばれた、太鼎教主様の弟子の一人じゃ」

 すると醒宝様が微笑した。俺が頭の中で考えていたことが、ほぼそのまま繰り返された。心を読まれたのだ。その事実に目を見開く。そういう術の存在は知っていたけど、使われたのは初めてだ。

「元始天尊様は混沌氏の弟子じゃ」

 そう続けて、楽しそうに醒宝様が笑った。何が面白いのかは、よく分からない。ただふと気になった

「混沌氏って人間なのか……神様だと思ってた」

 青鼠が呟いた。俺と全く同じ事を考えていたらしい。俺達を見て、ゆっくりと大きく醒宝様が頷いた。

「いや、おるのじゃよ」

 嗄れた声で、どこか含みのある笑みを浮かべている。

「して、わしはな、名目上は太鼎教主様の弟子じゃが、手解きは森羅様に受けたのじゃ。南極様の紹介でな。実質、森羅様に教わったわけじゃ。よって今でも尊敬の念を表して、森羅様が用いている紋に近しい――元々、万象院様に連なる勾玉紋の一つを使っておる。正確には、使うことを許されたのじゃ。誇りじゃよ」

 嬉しそうな醒宝様の声に、なんだか少し心が温かくなった。

「わしにも森羅様のことは、分からないことだらけじゃが――一つ保証しよう。森羅様は大変優しいお方じゃ。そのことは、わしもよく存じているのじゃよ」
「知ってる」

 俺は頷いた。それは、誰よりも知っていると自負している。師匠の事が、俺だって少しは分かるのだ。特に優しいところは、いっぱい見てきた。

「そうか」

 醒宝様の笑顔が、さらに深くなった。

「ならば分かるじゃろうて。森羅様は決して、底怪を手引きしたりはせん。これだけはわしにも断言できる」

 その言葉に、俺は自信を持った。だから大きく何度も頷いた。
 やっぱり、師匠は絶対に悪いことはしない。

 それからようかんをごちそうになり、俺と青鼠は帰ることにした。

「またいつでも遊びに来ると良い」
「はい!」

 見送りに出てくれた醒宝様に向かい、青鼠が笑う。すると醒宝様がニヤリとした。青鼠を意地の悪い顔で見ている。

「それと浅はかな師匠には、自分で来るように伝えよ。歓迎はせぬし、会うつもりもないがの」

 燈焔様に聞いてこいと言われたことが、バレてる……!

「は、はい」

 答えた青鼠の声が震えていた。俺も震えそうになった。
 ただ――醒宝様は悪い人ではない気がする。
 それから青鼠と別れて洞府に戻った。