授業参観が終わってから一ヶ月が経った。次の春で、俺は学校生活三年目になる。
 ぐるぐる山には、もう春の気配がある。所々で、梅の花が見える。雪が溶けているところもある。

 歩いていると、隣に青鼠が並んだ。めずらしい。何か用だろうか?

「洞府、逆方向だろ?」

 尋ねると、頭の後ろで両手を組み、青鼠が嘆息した。

「馬鹿師匠が、ぐるぐる山に来いって言ったんだよ。遊びに行ってるらしい」

 その言葉に、俺は『またか』と思った。
 ここ一ヶ月ほど、燈焔様と玉藍様は、おさかな洞に入り浸っているのだ。

「うあ、関節が痛ぇ」

 隣を歩きながら、青鼠が目を細めた。彼は、今では俺よりもずっと背が高い。十二歳になってから、いっきに成長期が訪れたらしい。腕と足の節々が痛いと最近嘆いている。

 二人でそれから坂を上り、洞府についた。すると師匠が玄関の前で出迎えてくれた。

「おかえり。青鼠くんはよく来たね」
「どうも」

 師匠の後に続いて二人で中に入る。
 リビングに向かうと、燈焔様がソファの後ろに腕を回して、足を組んでいた。その正面には、玉藍様が座っている。
 彼らの前には、抹茶のシフォンケーキがある。クリームが添えてあった。
 俺達二人にも同じものを出してくれた師匠は、それからレモネードも出してくれた。受け取って飲む。すごく美味しい。

 俺は、最上仙二人を見て思う。師匠にも、南極と許由以外のお友達が出来たのだ。俺には既に友達が沢山いる。だから師匠がちょっと可哀想だったのだ。師匠には、あんまり友達がいない気がしたから。本当に良かったなと考えて、俺は一人満足して頷いた。

 その時不意に、思い出したように燈焔様が言った。

「それにしても、南極様と知り合いとはなぁ。その上、慈覚とも知り合いなんだろ?」
「びっくりだよね」

 玉藍様が同意だというように声を上げる。師匠は特に答えず、珈琲の入ったカップに両手を添えているだけだ。

 俺から見て、左手に燈焔様、右手に玉藍様、正面に師匠が座っている。俺と青鼠は、テーブルを挟んで師匠の前、入り口のそばだ。

「しかも今日までの玉藍との会話。医学に精通してるってのは、僕にも分かるぞ」
「すっごいよね、私も本当に言葉を失ったよ」

 二人が師匠を褒めている。師匠は何も言わないが、かわりに俺が誇らしくなった。

「僕から見て、体術と四行仙術がすごかったのは、授業参観ではっきりしてるしな。その上、変わった宝貝まで持ってる。あんな笛、普通は無ぇぞ」

 そうなのだろうか。師匠の宝貝は大体変わっているので、俺にはよく分からない。師匠は伏し目がちに、カップを傾けているだけで、やっぱり無言だ。もっと話さないと、仲良くなれないと思う。心配だ。

「それで? 子供達も気になってると思うんだけど。どこで学んだの? 醒宝老だけじゃ、この知識は無理でしょ」

 確かにそれは気になる。
 ケーキにフォークを突き刺しながら、俺は師匠を見守った。
 俺の隣では、青鼠も興味津々という顔をしていた。

「別に。ただ、長く生きてるだけだよ」

 その返答に、燈焔様と玉藍様が顔を見合わせた。少なくとも、師匠の見た目はこの二人よりも若い。実年齢はいくつなんだろう? 思案していると、燈焔様が首を傾げた。

「ちなみにこの洞府の正式名称は何だ?」

 どういう意味だろう。ここは、おさかな洞だ。

「ぐるぐる山は兎も角、少なくとも『おさかな洞』じゃねぇだろ」

 しかしきっぱりと燈焔様は言う。それから俺は思い出してみた。お伽噺ではそう呼ばれていると、師匠にその名を告げたのは、元々は俺だ。

「特に無いよ」

 師匠が淡々と答えた。すると二人が黙ってしまった。名前が無いって言うことはないんじゃないだろうか。
 結局、師匠からは何も有益な情報を聞くことができなかった。

 それからしばらくは雑談をして、帰っていく三人を俺と師匠は見送った。

 もしかして師匠は、自分のことをあまり話したくないのだろうか?
 秘密にしたいのかも知れない。
 俺にも言えないのだろうか。そう考えると、胸がざわついた。

 さて、その翌日も、俺は青鼠と一緒に帰ってきた。
 洞府には、やはり燈焔様と玉藍様の姿があった。二人とも暇なのだろうか。
 俺達を出迎えてくれた師匠は、リビングに入ると溜息をついた。珍しい。

「君達、よくあきないね。たまにはどちらかの洞府に行ったら?」
「前は、基本的に私の洞府が多かったんだけどね。森羅も私の洞府に遊びに来る?」
「遠慮するよ」
「まぁ、このおさかな洞より居心地が良いところはないと思うよ。本当にこの洞府、すっごく居心地が良いんだもん」
「間違いねぇな」

 玉藍様の声に、燈焔様が頷いた。師匠は、面倒くさそうな顔をしていた。ただ、別に迷惑だと思っているわけではない気がする。心なしか、楽しそうにも見える。

「お菓子も美味しいしね」

 そう言って玉藍様がフォークを口へと運んだ。

「僕は甘党じゃないけどな、これはハマる」

 燈焔様が、その時、お皿を落とした。息を飲んだ燈焔様に対して、師匠が嘆息する。それから、有象無象図を取り出した。カードを操り、白い『コロコロ』という掃除用具を取り出した。幸いお皿は割れていない。その上に手で大きな固まりを乗せてから、残るケーキの破片を、師匠がコロコロで取っていく。

「……え?」

 それを見て、玉藍様が虚をつかれた顔をした。

「まさかそれって、森羅万象図……?」
「違うよ。これは、コロコロだよ。掃除道具」
「いや、そっちじゃなくてさ」
「ああ、これは有象無象図だよ」

 師匠が答えると、安堵したように玉藍様が、小刻みに頷いた。

「まぁ違うよね。森羅万象図は、万象院様が持つと言われてる伝説の宝貝だし」

 その宝貝の名前に、俺は腕を組んだ。森羅万象図は、師匠と名前が似ている。どちらも森羅だ。破片を掃除しおえた師匠が立ち上がる。

「おかわりいる?」
「あ、私いる」
「僕にも珈琲をもう一杯くれ」

 声を上げた二人に頷いて、師匠がキッチンへと消えた。
 そして姿が見えなくなった時、小さな声で燈焔様が言った。

「お前らも気になるだろ?」
「森羅の事!」

 玉藍様が楽しそうに言葉を続けながら笑った。確かに……気になると言えば気になる。考えてみると、俺は師匠について、知らないことばかりなのだ。

「なにかヒントは無いのか?」

 青鼠が問うと、燈焔様が腕を組んだ。その視線が、こたつ布団に向く。『左一つ巴』のマークが並んでいる。それから顔を上げて、燈焔様が続けた。

「巴紋を使ってるのは、太極府の縁者だけだと言われている。僕も見るのは五回目だ。そもそも五人目がいるとは思ってなかった」
「太極府?」

 俺が首を傾げると、玉藍様が頬杖をついた。

「万象院様のお住まい」
「詳しくは知らねぇが、万象院様の縁者らしい醒宝老も『星に勾玉』だしな。巴紋も勾玉紋も太極図からきてる。星に勾玉は、六芒星の中に勾玉が描かれてるんだよな」

 燈焔様の声に首を傾げる。

「勾玉?」
「こういう形のオタマジャクシみたいな奴だ」

 そう言って燈焔様が、宙で指を動かした。指の軌跡にそって、小さな火が燃える。確かにオタマジャクシのような形をしていた。俺が頷いた時、火を消してから、燈焔様が両手を叩いた。

「よし! 醒宝老に聞きに行ってこい!」
「え。自分達で行けよ」

 青鼠が、焦ったように声を上げた。嫌そうな顔で、目を細めている。

「僕達は忙しいんだよ」
「そうそう」

 玉藍様が大きく頷いている。二人とも……お茶をしてるだけじゃないか……。とても暇そうだ。

「それにあの人は、若い私達のこと嫌ってるしね」
「だが、子供には甘ぇんだよな、あのジジイ」

 顔を見合わせて、二人が辟易したような顔をした。笑顔が引きつっている。怖い人なのだろうか? 俺は鬼のような形相の老人を想像した。

「これも修行の一環だ。宿題な」

 結局、そう口にした燈焔様に押し切られて、俺と青鼠は聞きに行くことになってしまった。

 翌日俺は、師匠に「宿題があるから帰りが遅くなる」と告げて学校へと向かった。
 一応、嘘は言っていない。学校の宿題とは言わなかったのだし。燈焔様からの宿題だとも言わなかったが……。

 醒宝様の住む、すいか山文月洞を目指しながら、二人で許仙住宅街を抜けた。
 許仙住宅街は、洞府は持たないが、仙人免許を持っている人々の住まいだ。
 他には、代々仙人を輩出している一族の家もある。そういう一族からは、仙気が使えない人間は絶対に生まれてこないらしい。特に、珍しい血術を使える一族が多いそうだ。

 例えば、泰岳も代々仙人を輩出している家の出だ。
 
 泰岳の血術の才は知らないけど。ただ以前師匠から、『血術は秘匿するもの』だと教わっていたので、聞いていなくて当然だと思っている。普段はなんでも話せる仲だけど。

 仙人は基本的に自給自足なのだが、許仙達は、仕事を分業している。そのため、近くに商店街がある。通貨は、明星宮が発行しているのだ。師匠といるとお金を使うことがないから、俺にはよく分からないけどな。