「よし、次は、深愁」

 時生先生の声がした。俺は、深愁が『披露』ではなく『鍛錬』に出ると言うことに、少し驚いていた。てっきり、宝貝の披露をすると思っていたからだ。
 やはり体術なのだろうか?
 彼の師匠の黒耀様も見ているわけだし。黒耀様は森羅様に負けたけど、体術の権威であることに、かわりはないはずなのだから。俺はそんな風に考えていたのだが、深愁はやっぱり宝貝を持って前に出た。
 水鉄砲をいかつくしたような巨大な宝貝を持っている。黒光りしていた。

「誰にするんだ?」

 時生先生の声に、まっすぐ深愁が、俺の師匠を見た。え?

「森羅様、お願いします」

 師匠……大人気だな。でもあんなので撃たれたら、師匠は死んでしまうのではないだろうか。思わず俺は、隣に立つ深愁に聞いた。

「なんで師匠なんだよ?」
「俺の黒耀師匠に勝ったから。森羅様に勝ったら、宝貝のことも認めてもらえるかと思って」

 そう言うと、自信に満ちた顔で、深愁が円へ向かい歩いていく。彼の声を聞いていたようで、一瞥すると黒耀様が苦い顔をしている。次に師匠を見ると、腕を組んで険しい顔をしていた。発表が始まってから今までに、こんな表情は無かった。

「あの宝貝……」
「師匠?」
「ああ、なんでも無いよ」

 俺を見てから、師匠が歩いていった。
 そして一度目を伏せると、じっと深愁を見た。いつも通りの表情に戻っている。
 少し間をおいてから、時生先生が開始を告げた。

「よろしくお願いします」
「よろしく」

 静かに唇を動かした師匠が、袖から笛を取り出した。さっき吹いていた横笛だ。

「俺はこれで」

 一同が奇妙な沈黙に包まれた。
 いくら生徒が相手とはいえ、宝貝に向かって、笛?
 思わず眉を顰める。しかし深愁は頷くと、大きな声で言った。

「『万仙銃』発動し――」

 発動しろ、と深愁の口は確かに動いたのだが、そこに「ろ」の声は続かなかった。
 一歩速く笛の音が響く。だがその調べに声がかき消されたわけでは無かった。
 深愁が硬直している。

 なんだ?

 首を捻ろうとした俺は、それが出来ないことに気がついた。体が動かない。声を発しようとしたのだが、口も開かない。え?
 師匠だけは動けるらしく、笛を吹いたまま、すたすたと深愁に向かい歩いていく。首も動かないので、正面を見ているしかないので、ずっと俺は眺めていた。
 歩みよった師匠が銃型の宝貝に片手を伸ばす。そして宝貝を奪ってから、師匠が笛を下ろした。音も止んだ。

「勝者、森羅様」

 深愁が呆然としていた。俺もポカンと口を開ける。
 その後すぐに、深愁に銃を返した師匠が戻ってきた。
 すると燈焔様が驚いたように師匠を見た。

「それ、宝貝だったのか。教室で吹いた奴だろ?」

 師匠は笛を袖にしまってから、顔を上げた。頷いている。

「名前は?」
「……酔縫笛」

 答えるまでに、少し間があった。師匠……絶対今、名前をつけたな……! 師匠はよく分からない宝貝を沢山持っているのだが、その大半には名前がないと俺は知っている。

「てめぇ、すげぇな」

 燈焔様が顎に手を添えた。玉藍様と黒耀様も、じっと師匠を見ている。
 その時、燈焔様が続けた。

「血術は?」

 問われた師匠が細く息をついた。みんなが聞き耳を立てている。師匠のことが気になっているのだろう。馬鹿にしていた先程までとは明らかに違う。俺も気になっているんだけどな。だって師匠が全戦全勝するとは思ってもいなかったのだ。

「……時空間術?」
「何で疑問系なんだよ? ってことは、文月洞の縁者か。醒宝老と師弟関係か?」
「まぁそんな感じかな」

 確か醒宝老とは、三大老の一人だ。この和仙界の、歴史の生き証人と言われているらしい。そんなすごい人が、師匠の師匠なんだろうか。師匠にも、師匠がいたのか。まぁ、普通いるけどな。

 その時だった。

 不意に、師匠の表情がピクリと変わった。眉を顰めている。
 少し間をおいてから、玉藍様もまた、息を飲んだ。
 師匠は、西の空を一瞥している。見れば燈焔様もそちらを見て目を細めている。

「何か来るな。なんだ?」
「この気配ってさぁ……」

 先に呟いた燈焔様に向かい、玉藍様がおそるおそる声をかける。
 それから空に黒い影が見えた時、黒耀様が息を飲んだ。

「底怪だと?」

 黒耀様の声がした。そこで異変に気づいた周囲からも次々と声が上がった。先生達も空を見ている。直後、時生先生が声を上げた。

「生徒達は下がれ。生徒玄関の前に集まれ」

 一歩速く校舎に歩み寄り、愉楽先生が誘導を始めた。俺もそれに従うことに決める。俺は底怪を見るのが初めてだ。だけどその危険性は、嫌と言うほど習ってきた。師匠も逃げた方が良い。思わず、師匠の袖を引っ張る。

「師匠、早く!」
「先に避難していて。俺もすぐに行くから」

 頷いて俺は、走った。俺の方が歩幅が狭いから、先に行くべきだと考えたのだ。そしてだいぶ距離をあけた。その後、青鼠の隣に立ち、まだ校庭の中央付近にいる師匠達へと振り返る。

 その内に、巨大な蟲が辺りを覆い尽くした。蠅を大きくしたような存在だ。先程空に見えたものだろう。上を見ていた俺は、その時、校庭の周囲を覆っていた壁の一角から、ジュワジュワと音がすることに気づいた。見れば、壁が――溶けていた。

 そこから現れたのは、兎に角巨大な……底怪だった。

 あれがそうだと直感した。校舎の一階くらいの高さで、横幅は二十五メートルプールの半分くらいだ。楕円のような外殻をしていて、ドロドロと、ヘドロのような液体をまき散らしながら、緩慢に校庭へと進んでくる。
 底怪が通ってきた道は、地面が変色して陥没していた。そこも溶けているのだ。
 よく見ると、黒く細い手足が無数についている。触手とでも言えば良いのか。ミミズを真っ黒にしたような足だった。
 右側の上に、巨大な眼球があった。時折瞬きをする。睫はない。瞳の色は、黄土色だ。

 俺は動けない。体を怖気が這い上がる。

 その時、底怪の正面がぱっくりと開いた。紫色の巨大な舌が見える。
 それが、笑った。
 すると耳が痛くなった。

「四行・風――一行結界!」

 時生先生が叫ぶ。同時に、俺達の周囲に透明な壁が現れた。風だ。よく考えてみると、底怪の口から音波が出て、それで耳が痛くなったのだろう。風でそれが和らいだのだ。