<*>今日は雨が降っている



 今日は、雨が降っている。これは、京都旅行が終わったある日の記録だ。


 傘を持っていない”灯”は、下駄箱のある学校のエントランスで、ぼんやりと外を眺めていた。

 通り雨だろうか、止むだろうか、どうしたらいいのか。
 天候が雨だと、”雨”の事も”霙”の事も思い出すから、あんまり好きじゃなかった。

 でも、今なら――少しは好きになれた気がする。

 最近、”灯”は、”雨”と”霙”の仲を素直に応援できる気がしていた。

 精神的に安定している、のか、空虚に戻ったのかは分からないが、ただ少しだけ、穏やかになれたのは間違いない。本人に自覚は無いにしろ。

「”灯”?」

 その時だった。
 下校しようとしていた”霙”が、”灯”を見つけたのだ。
 声をかけられて、緩慢な動作で”灯”が振り返る。

「何やってんだよ?」
「……傘を持っていなくて」
「はぁ? 置き傘くらいしてねぇの? しかたねぇなぁ」

 靴を履き替え、傘を取り出しながら、”霙”が外を一瞥した。

「入れてやるよ。とりあえず駅で良いか? それともバス停?」
「……駅」

 ポツリと無表情で”灯”は呟いた。
 二人で同じ傘に入り、背が高い”霙”が傘を持つ。
 傘に打ち付ける雨の音を聞きながら、”灯”は俯いた。

 ――あいあい傘みたいだ。

 そんな事を考えている自分に気恥ずかしくなって、気づかれないように嘆息する。
 その上、何も話題が思いつかない。
 だが――そちらに問題は無かった。

「けど、お前も駅通だって知らなかったわ」

 いつだって”霙”が話しかけるからだ。

「今お前、”ネコ缶”のマンションに住んでるんだったよな? 祀理さんと一緒に」
「うん」
「今週末俺、結界張り直しにいくんだよ。今は”コンポタ”が貼ってるんだってな。アイツにそんな事が出来るとは知らなかったよ。ま、俺がはれるとも思ってなかっただろうけどなぁ」

 ダリィな、何て呟きながら、”霙”が正面を見る。
 ――わざわざ僕の家に来るなんて怠いんだろうな。
 そう考えると、”灯”は、溜息が出てしまった。

「場所、近いのか?」

 しかし霙は、ごく単純に、二時間以上かかる場所だったら嫌だなぁと思っていただけだ。

「……うん。”ネコ缶”が、学校から近いところを選んでくれたんだ」
「良かった。じゃ、”夜”になる前に行くわ」
「うん」

 頷きながら、何か話題をひねり出そうと、『うん』しか言っていない自分を”灯”は叱咤した。だが、何も知らない”灯”よりも”霙”は沢山のことを知っているのだから、共通の話題で”霙”に話せることはと言えば……と、”灯”は思案した。その末に、唯一のことを思い出した。”霙”は”雨”と付き合っているのだから、”雨”の話をしよう、と。

 まだに二人が付き合っていると、”灯”は、勘違いしているのだ。

「……雨は、『Cafeルルイエ』の『クトゥルゥ・チーズケーキ』が好きなんだって」
「あー?」

 なんだそれは、”雨”と二人でデートに行ったという事か、と考えながら、”霙”は眉間に皺を寄せた。――それにしても、すげぇ名前のCafeだな。

 もっとも実際には、”雨”が”灯”を誘おうとして失敗しただけである。
 それを”雨”が伝えた時、”灯”は、「ふぅん」と言って終わったのだ。
 ただ一応、”灯”の意識には残っていたのである。

「なんだよソレはぁ? イヤミか?」

 睨め付けるような顔で、”霙”が”灯”を見る。もう一緒に行った自慢だろうなと個人的に確信していた”霙”は思う。――結局やっぱり、”灯”だって”雨”の事が好きなんだろうと。

「?」

 しかし唯一の共通の話題を見つけて喋ってみたというのに、”霙”が怖い顔になったため、”灯”は首を傾げるしかない。小首を傾げつつ、何故か己が発言すると、『イヤミか?』と、いつも”霙”が言う事を思い出した。やはりあまりは口を開かない方が良いのだろうかと、”灯”は再び俯いた。

 一方の”霙”はイライラしていたので、自分も何か自慢してイヤミ返しをしてやろうと決意した。

「あいつは、ラーメンが好きなんだって。熱々の」

 フッと笑いながら”霙”が言った。

「そう」

 そうなんだ、と思いつつ、”灯”は熱さが分からないので、熱々とはどんな感覚なのだろうかと思案した。お日様みたいな感じなのだろうか、と考えるが、夏の暑さも感じず汗もかかないので、あまりよく分からない。

「ッ」

 その時思わず”霙”は、息を飲んだ。それが、”灯”に気づかれていないことを願った。

 ――そうだよ、コイツ、『冷たい』しか、分からないんだよな。ヤバイ。
 何て酷いことを言ってしまったのだろうかと、”霙”は自己嫌悪にかられた。

「……」

 必死で、”霙”は無表情で俯いている”灯”を一瞥してから、考える。
 ――よし、ここは、『こんな酷いことを言う奴に”雨”は渡せない』と思わせよう!
 嫌なキャラで行き、二人の仲を応援しようと”霙”は決意したのだ。

「てめぇは、熱いの分からねぇもんなぁ!」

 失笑混じりにそう言ってみた。

「……うん」

 淡々と俯いたまま、”灯”が頷いた。別に、熱が云々ではなく、”灯”としては、必死に黙る事に全神経を集中させていただけだ。どうすれば、”霙”は怒らないのだろうか? ソレばかりを考えていたのである。怒られると、悲しいのだ。

 しかし”霙”はと言えば――ヤバイ、キツイ、無表情なのに悲しそうに見える、やっぱり俺、酷い事言い過ぎだろ……! と一人勘違いして苦しくなっていた。

 悶々と”霙”が言葉を探していた時、不意に”灯”は気がついた。
 ――そういえば、恐らく食べ物なのだろうが……。

「……ラーメンて、何?」

 そう言えば食べたことがないなぁと”灯”は思った。

「あ?」

 いつも通りの嫉妬の言葉が返ってきたことに、”霙”は心底安堵していた。
 ”霙”の中で、この”灯”の言葉は、『まさか”雨”と二人で食べに行ったわけじゃないよね?』という嫉妬と怒りの声に変換されたのだ。

「何処で食べたの?」

 しかし純粋に、”灯”は尋ねた。食べてみようかなと思ったのだ。

 だがこの言葉も”霙”には、『二人で何処に行ったの? 僕を差し置いて』という様な怒り混じりの嫉妬に聞こえた。”灯”は、いつも通りの無表情だ。とりあえず、言葉が返ってきた事に、それもいつも通りの嫉妬するような、嫌みなような、そう言った言葉が返ってきた事に、”霙”は安堵していた。――よ、よし! いつも通りのイヤミが返ってきた! というような、心境である。このまま煽り続けようと決意した。

「”雨”と二人で食べに行ったんだよ」

 わざとらしく”霙”は続けた。

 一方の”灯”は、幸せそうだなぁ、とは思いつつも首を傾げた。だって、だってだ。
 ――それじゃあ何処でラーメンが食べられるか分からない。
 そんな心境だったのだ。

「どこだったかなぁ。よく『二人』で行くんだけどなぁ、店の名前なんて忘れちまったよ」

 自慢げに”霙”は告げた。現実は、頻繁に行っているわけでも何でもなく、たった二回行った事があるだけである。

「へぇ」

 ”灯”は頷きながら、眼を細めた。”霙”には、ソレが嫉妬の眼差しに見えたが、実際には違う。――今度”雨”に聞いてみよう、あ、でも雑談する前に殺し合いが始まるんだった。”翡翠”なら知ってるかな。”灯”は、そんな事を考えていたのである。

 ――だけどラーメンて、ラーメンて言えば出てくるのかな? そもそも、どんな食べ物なんだろう。

 ”灯”は、ちょっと悩んだ。食べ物だとは思うのだ。誰かが、『ラーメンを食べた』と言っていた記憶がある。

「ラーメンって……」
「あ?」
「麺なの?」

 聞いてみることにして”灯”が、首を傾げながら、”霙”を見上げた。
 響いた言葉に、呆気にとられて”霙”は、目を見開いた。
 ――まさか、こいつ、浴衣の時と一緒で、ラーメンを知らないもしくは食べた事が無い?
 ――嫌、嘘だろ?
 正直狼狽えながら、そんな馬鹿なと思って”霙”は、それとなく聞く事にした。

「おい……」

 だが確かに考えてみると、味は分かるにしろ熱が分からない”灯”を、誰がラーメン屋に連れて行ったというのだろうか……困惑して”霙”は手が震えそうになった。

「何?」

 ”灯”は静かに顔を上げた。

「何ラーメンが好きだ?」

 いやでもそんなまさかなぁ、という心境で”霙”が聞く。

「種類がいっぱいあるの?」

 ”霙”の言葉に、”灯”が再び首を傾げた。
 ――麺以外にもあるのかな? ご飯とか? パスタとか? パンとか?
 そんな事を考える。ただ、確か、スープに入ってるんじゃなかったっけ、と考えた。

 看板は見たことある気がしたのだ、どこかで。
 ――違う看板だったのかな?

 あれは、ラーメンの看板では無かったのだろうかと、困惑する。
 その反応を眺めていた”霙”は、恐る恐る聞いてみた。

「……てめぇさぁ、ラーメン食べた事あるか?」
「ううん。無いよ」

 正直に”灯”は言った。だが、そんな事を聞かれると言う事は、”カレーライス”や”ハンバーグ”と同じくらい、有名な食べ物なのかなぁと考える。

「……う、あ、その……今から食べに行くか?」

 ”霙”が、おずおずと告げた。
 ――何俺の勘違いでイヤミでも嫉妬でも無かったのかよ、って事は、本当に、今までもずっと……うわぁ、いたたまれねぇ……。

 そんな心境だった。

「いいの?」

 ”霙”の声に、”灯”は思った。場所まで、案内してくれるのかぁ、
 ”霙”は、本当に優しいなぁ、と。

「ああ。どーせ暇だしなぁ」

 駅にもあるだろうしと、必死で”霙”は、せめて今自分に出来るであろう事を考えた。

「有難う」
「おう、気にすんな」

 そう言って笑いつつも、”霙”は、自己嫌悪でいっぱいだった。