<6>幸せな夢と不幸せな夢(※)



 僕は、ずっとずっと夢を見ている気がした。

 あるいはコレは夢ではなくて、現実なのかも知れないと、何度も何度も思ったけれど、日に何度か注射をされた時にだけ、その針の痛みに僅かにだけ意識を取り戻したから、多分夢だったのだろうと思う。

 夢の中での僕は、恐らく中学生くらいだった。外へと出てから、僕は漸く、体の大きさから年齢を判断するという事を覚えたから、そうだと分かったのかも知れない。

 その夢の中で僕は、やはり十字架のような木の柱に貼り付けにされていたが、もう伸ばされた両腕にも、拘束されている首の輪にも慣れきっていた。あるいは”智徳”に首輪を填められた時に、何も思わなかったのもコレが理由なのかも知れない。よく”リスナー”は、僕がフラッシュバックして何かを恐れるのではないかと気を遣ってくれたが、未だかつて、僕にはそう言う経験はない。だからフラッシュバックが何かもよく分からない。

 中学生くらいの僕は、淡い青の服を着ていた。時折医療ドラマに出てくるお医者さんが来ているような服だった。いや、患者さんかな。その時の僕は、左足の皮膚をあぶられていた。火で。逆側の足の皮膚は、メスで切られ、剥がされていた。

「やはり再生能力は、”夜月時計の世界”で怪我をする限り、”朝”には戻るようですね」

 淡々と誰かが言った。
 僕はもうその時、痛みも熱も感じなくなっていたから、何の話か分からなかった。

「”朝陽時計の世界”では、爪を抜いてみましょう。どうせ、治癒すれば生えてきますから」

 そう告げた誰かが、銀色の機具で、僕の足の爪を抜いていく。

 ポタポタと、床に敷かれた白いタオルに血が垂れていった。

「”灯”、”灯”!!」

 その時叫ぶような声がしたから、僕は現実へと視線を向けた。
 あるいは、幸福なこちらの方こそが、僕の妄想なのかも知れない。
 立っていたのは、”翡翠”だった。

「大丈夫?」
「……爪を抜かれたくらいじゃ、”昼”でも”夜”でも死なないよ」
「ッ、ああ、っ……本当、何で、本当……」

 何故なのか、”翡翠”が泣いていた。意味が分からなかったけど、

 僕は”眼球虫”を脱出してからは、泣いている人がいたら、慰めなければならないと学んでいた。だから、笑う事にした。笑顔だけでも、慰めになるらしいから。

「大丈夫?」

 笑いながら僕が言うと、”翡翠”が虚を突かれたように目を見開いた。

「……そっちこそ」
「僕は平気だよ」

 そう告げると何か言いたそうな顔をした後、”翡翠”が注射器を手に取った。

「天草先生に分析して貰ったんだけどね、いきなり抜くと、禁断症状で体が持たないらしいんだ。だから、暫くの間は、少しずつ減らす形で、クスリを打つ事になるよ」
「クスリ……」

 その声に、笑って、嗤っていた、”智徳”の顔が過ぎった。
 どうして彼は、好きな”雨”では無く、僕を連れて行ったのか――少しだけ分かる気がする。好きな相手にクスリを打ったり、誰かを殺させたり、そう言う『犬のような』事をさせたくなかったのだろう。見舞いに誰も来ないと”智徳”は言っていたけれど、本当は彼だって僕と一緒にいるのが苦痛だったのかも知れない。

 ”翡翠”の手で、注射針が刺さる感触がした。
 それからまた、僕は眠り込んで夢を見てしまったようだった。

「足を切り離しても、”朝”が来れば再生しますね」
「次は臓器で試すか」

 そんなやりとりは、日々僕の前で交わされている物だった。僕はアシもゾウキも、切り離され抜き取られる度に、単語を覚えていった。

 クスリ――薬だって、そうだった。

 ”智徳”と一緒にいた時は、彼が戻ってきた時に、昼夜を問わず打たれたが、”夜”のみ打たれる物に関しては、毒薬から新薬まで何でも摂取させられた。”夜”の間に癌細胞を移植され、治験実験をした事もあれば、極限まで血を抜かれた事もある。

 だがそれらはいつも”夜”だったから、考えてみれば、あのように体がクスリを再度求めたり、快楽を求めたりするのは、”智徳”と過ごして初めて知った事だったのかも知れない。僕は、”智徳”の事が好きでも嫌いでもない。敵としてならば、一考する余地があるが、そうでない以上、興味があまりなかった。ただ、『”智徳”が”雨”を好き』ならば、応援しなければと思ったんだ。『”霙”が”雨”を好きだ』と言っていた時と一緒で。

 何故なのか理由は知らないけれど――僕は、”雨”が泣いているのを見るのが嫌いだ。
 そして”雨”の事が好きで苦しんでいる人達を見るのも、嫌いだ。

 そんな時は、どうしてなのか”霙”なら慰めてくれるんじゃないかだなんて、何時しか思うようになっていたけれど、”霙”もまた”雨”が泣きそうになると苦しそうな顔をするから。そんな表情の人々を見るのが僕は苦しい。多分僕もまた”雨”の泣き顔に辛くなるからだと思う。ただ”霙”が泣いているのは、泣きそうになっている姿は、何よりも辛い。だって、僕に初めて、きちんと話しかけてくれた、”他人”だったから。

「さすがに眼球の再生には時間がかかるな」
「でも、適合箇所としては、可能性が一番高いでしょう?」
「そうだな。”殺戮人形”が手に入れている以上」

 そんな話をぼんやりと聞いているのか見ているのか、よく分からなくなった時だった。

「”灯”、”灯”!!」

 また、”翡翠”の声が聞こえて、我に返った。

「今日からは、お薬、少し減らせるからね」
「……」

 何故”翡翠”が、そんなに嬉しそうな顔をしているのか、僕には分からなかった。

「全くさぁ、俺にくらい、連絡くれても良くない?」

 笑ってそんな事を言いながら、明らかに”翡翠”は泣いていた。
 こういう時は、謝るのだと僕は習った。

「――ごめんね」
「っ」

 僕に注射針を刺しながら、”翡翠”が息を飲んだ。
 そうしてまた、僕の意識は闇に絡め取られた。

「久しぶりだね”01”」

 それは、”灯屋”での出来事だった。
 ”翡翠”に連れられて向かった、骨董品屋さんだ。隣接して、同じオーナーがやっている雑貨店がある。

「今は、”灯”か」

 見覚えのある壮年男性は、茶色いコートの下に、白衣を着ていた。

「”贄黒羊”に、なったそうだね」
「いらっしゃいませ」

 僕は誰かが来たら、そう言うように習っていた。

「私の事を覚えているか?」
「……多分」
「名乗った事はないかも知れない。一宮宗春(いちみやときはる) と言う」
「……」

 その名前に覚えていなかった。
 ただ、酷く真剣な目でこちらを見ている事だけは分かった。

「今更だというのは分かって居るんだけどね。≪百鬼夜行≫が始まった。”眼球虫”に戻ってきて欲しい」

 淡々とその声を聴いていると、奥から”灯屋”の店主が出てきた。
 灯家時 雨さんだった。前に、”時雨”という名前は、襲名制だと聞いた事があるが、その時も今も、意味は分からない。

「一宮。言いたい事は分かるけどな、今、”灯”は、うちの大切な”子供”なんだよ」
「頼む灯家――もう、”殺戮人形”一人じゃ限界なんだ。安倍九尾は見捨てる選択をしてる。けどな、けど、私にはそんな選択は出来ない。せめて待機してくれるだけで良い。決して、”眼球虫”に戦力以外の期待はしない。ただ、”狐提灯”が駆けつける間だけ、それだけで良い。≪ヒト≫の戦力が待機していると、皆に知らせてくれれば良いんだ。戦う必要もない。だから――」

 僕は、その時、泣いている人や泣きそうな人がいたら、慰める事を学んでいた。

「――僕、行きます」
「”灯”!!」

 僕に名前をくれた、時雨さんが怒っているのは分かった。
 だけど――僕に出来る事があるのならばしたい、だなんて幻想に、その時かられていたんだ。それは多分、今でも変わらないんだけど。

「”灯”――今日から、注射は一日、三本で良いって」

 また僕は、”翡翠”の声で我に返った。
 今まで一日に十数本打っていた注射が減った事の、何が嬉しいのか、僕にはいまいち理解できなかったが、やはり”翡翠”は嬉しそうだった。注射を――クスリを打つ事は、悪い事だったのだろう。

「そろそろ、意識がちゃんと戻ってくる頃だって。だから、だから――気合い入れて、俺美味しい物作るから、ちゃんと言ってね。食べたい物」

 その声に、僕はいつか”ゑル駄”を歩いていた時に、なにも食べたいと思う物が無かった事を思い出した。だから、食べたい物なんて、言えない。

 淡々と”翡翠”を見ていたら、優しい顔をして笑われた。

「結構長い間一緒にいたつもりだったのに、俺、”灯”の好きな食べ物を知らなかったんだ」

 苦笑混じりのその言葉に、僕は思案してから、聞いてみる事にした。
 確かにこれまでよりも、意識がはっきりしている気がする。

「この前、”ゑル駄”に行ったんだ」
「それって……”智徳”と?」
「ううん。”霙”と会った時」
「ああ、うん。それで?」
「”霙”と会う前に、何か食べなきゃと思って、食べたい物のお店を探したんだ」
「その時は何を食べたの?」
「食べたい物が何も無かった……それで、”霙”と会ったんだ。僕も、僕が何を好きなのか、分からない」

 つらつらと続けると、”翡翠”が虚を突かれたような顔をした。

「じゃあ……食べてみた事が無くて、食べてみたい物は?」
「――かき氷とか、ソフトクリームとか」

 気づけば口にしていたが、多分それは、”一人”で食べたい物じゃなかった。

「甘い物が好きなの?」
「ううん。冷たい物」
「そっか。分かった。じゃあ特製の冷製スープ持ってくるよ」

 ”翡翠”がそう言って朗らかに笑ったから、僕も静かに頷いた。

 その頃から、昔の夢は見なくなった。
 何がどうなったのかは分からなかったけれど、僕は”翡翠”の店にその日、顔を出す許可を得た。

 するとそこには、”霙”と”雨”がいた。

 この二人の組み合わせを、この店で見るのは初めての気がした。
 ”霙”の隣に座っている”雨”から、一つ椅子を空けて座る。
 が、一番最初に声をかけてきたのは、”霙”だった。

「んの、馬鹿!! どれだけ心配させれば気がすむんだよ!?」

 その声に、”智徳”は僕の心配など誰もしていないと言っていた事を思い出した。
 だから、”霙”の言葉がいまいち分からない。

「心配?」
「勝手に人の家から居なくなるわ、薬漬けにされて虐殺するわ、死にかけるわ」

 呆れたように”霙”が続けた。

「そもそもさぁ」

 その時、ガンと音を立てて”雨”がジョッキを置いた。

「フラれるとか悲しいけどさ、”灯”がいなくなる方が、何倍も辛いってわかんないわけ!?」

 酔ってるのか、”雨”が椅子を一つ移って、僕の隣に座った。

「よく、わかんない」

 率直にそう告げると、”翡翠”と”霙”そして”雨”に深々と溜息をつかれた。

「三角関係だろうが何だろうが、俺はお前を大切だと思ってる。心配ぐらいさせろよ」

 頬杖をついて、呆れたように”霙”に言われた。

「三角って言うか、一方通行だけどさ、恋って言うか、そんなの関係なく、なんで、なんで、いなくなるわけ? ”灯”がいなきゃ、俺達ダメなんだから!!」

 何故なのか、”雨”の目には涙が浮かんでいた。

「分かった? ”灯”」

 その時”翡翠”の声がしたから、僕は首を振った。

「全然分からない」
「「!」」
「あー」

 僕の返答に二人が息を飲み、”翡翠”が苦笑した。

「”智徳”と、まともにやり合えるのなんて、”ネコ缶”と”コンポタ”くらいじゃん? 勿論あの二人だって”灯”の心配はしてたと思うけどね、扇動したのは、そこの二人なんだよ。何て言うの、”友情”? それくらい、”灯”は、二人にとって居なきゃダメなんだよ」

 やっぱり僕にはそれが良く分からなかった。

「どうして?」

 純粋に聞くと、張り手で”雨”に殴られた。
 その上、ついに”雨”は泣き出してしまった。

「あのね、”灯”。俺と君は友達だよね?」

 とりあえず”翡翠”の言葉に頷いてみる。前に教えられたからだ。

「この二人もね、恋心とか関係無しに、大切な、君の事”友達”だと思ってるんだよ。それを、学んで」

 ”翡翠”の苦笑する声に横を見れば、二人とも勢いよく酒を飲んでいた。

「……友達」

 恋よりも、僕にはそんなのハードルが高い。
 だって、恋は片思いなら一人で出来るけど、友達は二者以上じゃなきゃ出来ない。

「そう言う事だよ、二度と居なくなんな」

 グラスを置きながら、怒るように”霙”が言った。

「全くだよ!!」

 今度はジョッキを置きながら、涙声のまま”雨”が言う。

「お祭り、明後日なんだからね! 明日は浴衣を買いに行くんだからね!!」

 そんな二人の言葉に、僕は思わず笑ってしまった。
 僕に、僕なんかに、友達が新たに出来る幸せなんて、甘受できる権利はあるのだろうか?
 ただ――嬉しかったんだ。

「有難う」

 僕がそう言うと、不意に二人の視線が向いてから、それぞれがまた溜息をついて酒を飲み干したのだった。

 もうコレが夢でも幸せだから、それでも良いなと思った。







「珍しいやんなぁ、君が。失敗するなんて」

 似非エクシストが似非関西弁で”森”がそんな事を言う。金髪を揺らしながら、青色の瞳に嘲るような瞳を浮かべながら。

「自分でもそう思って自己嫌悪の真っ最中だから、話しかけないでもらえるかな。ぼくはたださ――……虐めようと思っていっただけなんだよ。執着してたらしい”雨”の名前を出せばきっと、傷つくと思ってね。まさか本気にして、あんな……ッ」

 苛立つように、”智徳”が側にあったダストボックスを蹴りつける。≪贄黒羊≫とのやりとり、() りとりは、”灯”が意識を失ったところで終わり、初めからとどめを刺す気など無かったのだろう”ネコ缶”の元から、”智徳”は逃避した。

 法師、住職、聖職者――ここは、様々な宗教の人間が集まる、”玄米茶 ”の本部だ。
 話しかけてきた、聖職者(エクソシスト) は、バチカンが公式には認めていない司祭の位にある若い青年だ。

「”贄黒羊”だから、失敗したん? それとも、”愛”とか”恋”とか、馬鹿げたイエス様の言葉を本気にしたん? いつから、宗派変えしとったの?」
「そんなんじゃないよ。ただね、まるで”カルト”だ。それも破壊的カルト。盲目的な人間を生み出せるという意味では、科学力と同じくらい”眼球虫”は放っておけないかもしれない」
「言い訳やんね。下らない」

 ”森”が金髪を揺らしながら嘲笑すると、”智徳”が睨め付けた。

「何の価値もない子供に、僕が本気になるはずがないだろう?」
「君の中では価値があったんや無いの?」
「だったらとっくに殺してる」
「あー怖い」

 怯えたように両腕で”森”が体を抱く。
 そのわざとらしく怯えた様子を見せた蒼い瞳に、”智徳”は半眼になった。

「一度も抱いた事はないよ」
「無いのと抱きたいと思うのは別やん」
「僕が知る限り、あの子は上しかヤった事がない」
「じゃあ後ろは処女やん。なに、いつか誰かにされるのを、指をくわえてみてるん?」

 意地悪く笑った”森”の言葉に、”智徳”は辟易したような顔をした。

「僕は、ヤる気すら起きなかったって言いたいんだけど」
「へぇ。まぁ、自分に対して言い訳して生きていくんも楽だろうけどね」

 鼻で笑ってから、”森”はそのまま部屋を出て行った。
残された”智徳”はといえば、吐き捨てるように息を吐き、”灯”の顔を思い出していたのだった。