<*>”灯”……(※/★)



 誰も客のいない、暗いカウンター。暖色の照明すらない。BGMも何もない。
 だけど、別に薄暗くても構わなかったし、音が聞きたいわけでもなかった。

「ジンライム」
「こらこら未成年」
「何?」

 この”夜月時計の世界”に、20歳未満の飲酒を禁じる法律なんてあったっけと、僕は思わず失笑した。そしてそんな事を言いながらも、氷をガリガリと砕く”翡翠”を見る。”リスナー”、そう呼ばれることの方が多い彼は、銀に近い髪色をしている。瞳の色は翡翠そっくりな色だ。暫しの間待っていると、コルクで出来た敷物を渡されて、その丸の上にロックグラスがのった。

「全くさぁ……急に、泊めてくれ、だもんなぁ」
「僕はさ、仮に”夜月時計の世界”に法律があるのならば、殺人と殺戮とラブホの年齢制限撤廃と飲酒の許可が欲しい」
「お子様は大変だね」
「でしょう? だけどね、大人になりたいと思うほど子供でも無いんだ。困ったよ」
「大人は大人で忙しいからねぇ」

 そんな事を言って喉で笑ってから、自分の店の酒だからなのか、景気よく”翡翠”が焼酎をロックで飲み始めた。ダブルのロックだ。透明な硝子に入っているから、量がよく見える。

「”ネコ缶”と”智徳”と遊んだみたいだね」
「”智徳”とだけだよ。”ネコ缶”は、遠くから見てただけ。ストーカー気質だと思う、”ネコ缶”って」
「本人が聞いたら、麦酒吹くと思うよ」

 ”ネコ缶”の姿を思い出しているのか、”翡翠”が微笑したまま肩を竦めた。
 あの無精ヒゲの、変なコートを羽織った刑事は、この店の常連だ。

 淡々とこちらの力量を見極めるような、彼の黒い瞳が僕は、あまり好きではない。戦意と殺意と絶望と嘲笑がない交ぜになったような、”雨”の瞳が僕は多分好きなのだ。

 そんな事を考えていた時、丁度カランコロンと音を立てて、噂をしていた”ネコ缶”がやってきた。

「お久しぶりです」

 僕が声をかけると頷いてから、二つ隣の席へと”ネコ缶”が座った。
 僕には気なんて使わないくせに、”翡翠”が暖色のライトを付けて、昔はやった歌をBGMとして流し始める。

「とりあえず、生ビール」

 決まりきった”ネコ缶”の注文には、”翡翠”じゃなく僕ですら対応可能だろう。実際に注文を受ける前から、”リスナー”は準備を始めていた。

「なになに、仕事帰り? に、しては遅かったね。”智徳”の所にでも寄ってきたの?」

 ”翡翠”の声に、あからさまに”ネコ缶”が眉を顰めた。それから大変珍しいことに僕を見た。

「暫く見張ってたけどな、”雨”なら帰って、肉屋に行ってたぞ。そろそろ来るんじゃないか?」

 何故それを僕に伝えるのか、首を捻ってしまう。

 僕と”雨”は、別に友達でも何でもない。
 ”雨”が僕に気を遣うことがあるとすれば、どのようにして殺すかなのだろう。
 同じ学園の生徒だという事は知っているが、それ以上でも以下でもない。

 ――”雨”は、僕が嫌いだそうだ。

 僕の顔を見るだけで吐き気を催すのだという。一度、病院に行った方が良いのではないだろうか。そんな事を考えていたら、苦しくなって、ぼんやりとしたくなった。今日は制服のジャケットを着ていた僕は、シートをいくつか取り出して、無造作に錠剤を口へと放り込んだ。水溶性の物は甘いし、そうじゃないものは噛み砕くと苦かった。

「”灯”、何飲んでるんだ?」
「ジンとライムの混合物。ライムは、この店にあるのは、ジュースだけだそうです」
「止めておけ。まぁ、もう遅いだろうが、胃洗浄のあてでもあるのか?」
「別にフラフラでも≪異形≫くらい殺せるよ。人間なら、もっと楽に」
「アルコールと薬はレセプターが一緒らしいから、脳にダメージを負うらしいけどな」
「じゃあ、もう暫く”ネコ缶”は、お酒を飲んでないの?」
「まさか」

 苦笑するように”ネコ缶”が笑った。

 僕らの唯一の共通点は、現実へと引き留めてくれる、お薬だ。

 それらは痛み止めでも、精神科で処方してくれるような代物でも、何でもない。
 ただ、ただただ、全く別の病のヒトが、なんて事はなく処方される薬剤――あるいは、重傷度が増すに従い処方量が変わる薬剤。だが何故なのかそれを舐めた時、僕らは狂わないでいられるのだ。薬を飲まない”霙”なんてとっくに頭がおかしくなっていると思う。

 僕が飲む、通常処方される薬を挙げるとするならば、睡眠導入剤関連の代物だ。寝た気にはなるが、夜起きている僕らは、昼間にも体が自然な睡眠を欲するらしい。

 だから日中に仕事をしている”ネコ缶”なんて、いつも眠そうなのだ。最も彼の場合は、目つきが悪いし表情筋があまり動かないから、気怠そうにしか見えないのだが。

 麦酒を飲み干し、”ネコ缶”がジョッキを置いた時だった。
 二杯目を用意しようと手を伸ばしていた”翡翠”が入り口へと視線を向ける――するとそこには、”雨”が立っていた。

「このお店って持ち込みありなの?」

 淡々と”雨”が言った。口元には笑みが浮かんでいる。

「まぁ――え、何を買ってきてくれたの?」
「肉。焼いたり煮たりしてある肉」

 カウンターへと歩み寄り、”雨”が白いビニール袋を差し出した。
 それを受け取りお礼を言ってから、笑顔で”翡翠”が瞳を輝かせた。

 美味しそうだ、みんなにプレゼントだね、何て言葉が聞こえてきたが、僕はただ静かに”雨”を見ていた。初めて見た時は、そうだった、雨が降りしきる中での事だった。いつでも殺せると、そう考えていた相手。



 だが――気づけば、そうでは無くなっていた。それは無論恋だとか愛だとか友情だとか、そんな生やさしい名前をしたものがもたらす結果ではなかった。

 ”雨”は、強い。

 それを自覚しているというのに、だというのに、例えば”智徳”に霧雨でも降らされただけで、僕の戦意は何処か鈍ってしまうのだ。あるいはいつか、僕が殺されることがあるとしたら、消滅させられるとしたならば、その相手は”雨”だろうなと思う。

 気分が悪くなって、僕は立ち上がった。

「あれ、何処行くの?」

 ”翡翠”の声に、簡素な階段を上がりながら応えた。

「二階」

 よく、殺し合いをした後に、肉なんか食えるなと思う。

 ギシギシと音を立ててのぼっていき、薄暗い室内の電気を付ける。
 室内は、相も変わらず埃っぽい。
 隣の部屋を使っている”翡翠”の部屋には、空気清浄機があるのだ
 が。

「――なに、昨日ここで寝たの?」

 その時唐突にかかった声に目を瞠った。気配など、何も無かった。まさか此処で殺し合いをする気ではないだろうなと、視線だけで背後を一瞥しながら、僕は首に絡まったテグスに指を這わせる。立っていたのは、やはり、と言うか何というか、”雨”だった。

「うん、まぁ」
「魔女タクの屋根裏部屋みたい」

 恐らくジブリ系の話なんだろうなぁとは思いながらも、僕は溜息をついた。

「此処で殺し合うのは迷惑だよ」
「知ってる」
「でも君は、僕に殺されたいみたいだね」

 そう告げると、テグスの糸がゆるまった。反射的にナイフで切り裂いてから、僕は”雨”の手首を強く掴み、傍らにあった寝台に押し倒した。他に選択肢はなかったのだ。狭い部屋だから、ベッドくらいしかない。

「……何?」

 しばらくの間無言で見ていると、珍しく”雨”が顔を背けた。こういう仕草をする時の”雨”は、痛みと快楽を求めているのだと、僕は知っている。無理にぶちぶちとシャツを引き破り、僕は笑った。

「抱かれに来たんなら、素直にそう言ったら?」
「悪いけど、そんなに困ってない」
「へぇ、ああ、そう」

 失笑したまま、僕は”雨”の左胸の真下にナイフを突き刺した。

「っ、ふァ」

 そのまま下へと引くと、白い肌が避けて、皮、脂肪、そして肉が見えてくる。

「う、ううッ、このドS」
「”雨”に言われたら、おしまいだよ」

 そう告げてから、乱暴に下衣をはぎ取って、僕は無理に自身を押し込んだ。

「ン、あ、ア――ッ!!」

 悲鳴が聞こえた。それが、下腹部の痛みによるものなのか、ナイフの痛みによるものなのか判別がつかなかったから、僕はナイフを引き抜いた。ダラダラとへそに向かって、血が滴っていく。それから、今度は震えている”雨”の太股にナイフを突き立てた。

「――――!!」

 声にならない様子で、目を見開いた”雨”の双眸からは、涙がこぼれ落ちていく。

 それは……きっと、多分、甘い情事なんかじゃなかった。

 犯すことで相手を苛む悔恨に僕は苦しみ、そんな僕を”雨”は嘲笑しているに過ぎない。
 血でグチョグチョと音を立てる、”雨”の内部を陰茎で抉る。
 漂う紅の匂いに、気づけば笑みがこぼれていた。

「痛っ、ァ――……ふぁ」
「痛くされないと、イけないんでしょ?」
「うあ、ぁア――っ、んぅ、あ、あ……」

 僕の自身はその時、既に固くなっていた。それは、”雨”の内部がもたらす熱に煽られたのか、それとも彼の泣き顔にそそられたのか、あるいは血の匂いに興奮を覚えたのか。自分でも何が理由なのかは、僕には分からなかった。

 ただお互いに分かることは、双方嫌いあっているという、その事実だけだ。

 それから暫し体を動かし蹂躙し、僕が精を放った時、ぐったりしたように”雨”が寝入ってしまった。すっかりベッドの下に落ちていた毛布を拾い、それを掛けてみる。

 その後シャワーを浴びてから、僕は下へと戻った。

「あれ、”雨”は?」
「さぁ?」
「さぁって……天井が、ギシギシ言ってたのは、俺の気のせいって事でいいのかな?」

 ”翡翠”の言葉に俺は失笑してから、メニューを一瞥した。

「ギネス」
「あれ、珍しいね、麦酒飲むの?」
「”ネコ缶”が、美味しそうに飲んでるからね」

 そう言って一瞥すると、”ネコ缶”がセンスの良い形をしたジョッキを見る。

「俺は日本麦酒しか飲まないけどな」
「ふぅん。なんで?」
「他の国のは、ぬるい」
「ちょっと”ネコ缶”。此処のは、ギネスも冷えてるから。営業妨害で、俺キレるよ」
「その前に、未成年に酒だしてるお前と、”灯”を逮捕してやる」

 そんなやりとりをしてから、僕はギネスを受け取った。
 泡が美味しい。

「所で、お前ら――っていうか”リスナー”。聞きたいことがあるんだ、”殺戮人形”って知ってるか?」

 ”ネコ缶”の声に、ジョッキを持ちながら、僕は首を傾げる。

 ――”殺戮人形キリングドール”……?

 思わず左手の肘をカウンターに突き、指で唇を撫でた。
 普段は右手で頬杖をつく僕なのに。

「調べておこうか?」

 情報屋だの故買屋だのと呼ばれている”翡翠”――”リスナー”の声に、くすんだ緑色のコートを揺らしながら、”ネコ缶”が頷く。

 そんな彼の瞳はいつもと同じで、飲んでいる癖に酔いの欠片も見せず鋭かったのだが……どこかその瞳に、悲愴や愛といった、僕には知る事がきっと一生無いのだろう感情が浮かんでいるように見えた。

 経験していなくたって、概念としては、僕にだって分かる。ミステリー作家が、殺人をせずとも、事件を書けるような、SF作家が知らない宇宙人を書けるような、そんな感覚なのかもしれない。

「どうしてそんな事を聞くの?」

 だからなのか、珍しく僕は尋ねていた。滅多に言葉を交わす事の無い”ネコ缶”に。
 大抵の僕らは、此処で無言で、何かを飲んだり食べたりしているだけなのだ。

「話せない――いや、話したくないというのが、正直なところだ。質問したくせに悪いが」

 苦笑が返ってきたのを見て、何となく直感で、嗚呼――その”誰か”は”ネコ缶”にとって、大切な誰かなのだろうと悟った。面白そうだから、見つけ次第殺してしまおうかな。

「あくまでも噂の範囲内で、僕も見かけたのは一度だけだけど」

 それでも僕は、忌々しい過去を思い出して、語っていた。気づけば勝手に口が動いていたのだ。自分自身でも、身体が制御できない感覚だった。

「小さい頃――……ただ、その時僕は、既に”贄黒羊”だったから、最初は召集されたんだ――現在までに数えるとしたら、前回の、そして今のところ最後の≪百鬼夜行≫に」
「百鬼夜行?」
「要は、≪異形≫の大群が、街を埋め尽くしたんだよ。大量の”贄羊”が死んだし、”贄黒羊”も大勢が喰われた。虫や怪異に、食い尽くされたんだよ、痛みも絶望も、何もかもが、あの夜を支配していた。それは、小さかった僕にも分かったよ」
「……≪異形≫の群れ、か」
「そ。だけどね、その場で僕たち≪ヒト≫は、全ての戦力を失うわけにはいかなかった。何せ、古から何度も何度も≪百鬼夜行≫が、街を闊歩する時が来るのは知られていたからね。だから、討伐する各機関は、戦力を一定程度残して、待避したんだ。安全な場所に。僕もあの頃は、所属していたから、待機側に回された――だけど、直前まで≪異形≫と戦っていたから、安倍九尾七木家の≪殺戮人形≫を目にしたことがある」
「っ」

 僕の声に、あからさまに息を飲んで、”ネコ缶”が目を見開いた。

「僕よりは少し年上だったけど、本当――人形が立ってるみたいだった。死に装束を着た、短髪の男の子の日本人形って言えば良いのかな。驚くほど色白で、だけど誰よりも返り血と体液を浴びているのに、それでも無表情で、ずっと刀を振っていたんだ」
「――それからどうなった?」
「名前も知らないけど、ただ噂では聞いた。さすがに、その時の≪百鬼夜行≫のせいで、身体は脆弱し、精神にも打撃を受け、記憶喪失になったんだったか、廃人になって目は開けてるのに何も言わず意識を持たないようになったんだったか」
「そうか」
「まぁ、同一人物だとは限らないけどね。ただ、同一人物だとしたら、彼は”強い”よ。僕の幼い頃の記憶だから、美化されているのかも知れないけれど、僕は彼にだけは勝てる気がしない」

 僕がそう告げると、長い間”ネコ缶”が瞬きをした。
 そして彼は一万円札をカウンターに置くと立ち上がった。

「助かった、”灯”。それと”リスナー”は、他の詳細を調べておいてくれ」

 そう言い残し、”ネコ缶”は帰って行った。

 僕は、”ネコ缶”が大切にしているものを壊すのが大好きだ――だから、いつかネコを殺めたし、今も何かを殺したいと思っている。

 その理由は多分、分からないが、分からないなりに、僕の中で”ネコ缶”は、それなりに、大切な相手だからなのだろう。

 ”雨”のように、興味がわかない相手とは異なる、本当に人間らしく愚劣で愚かな足掻きをする”ネコ缶”を見ているのが、楽しいのだ。

「次は何を飲む?」

 ”翡翠”の声で我に返った。

「じゃあ――お茶割り」

 嗚呼、暇で、暇で、暇で――だからこそ人生は美しくも醜くて面白くて嗤えるのだと、その時僕は思ったのだった。