<*>”雨”(※/★)



 誰かが、性欲と残虐性は同一だと言っていた。

 そんな分析、少なくとも俺はイラナイ――ジッパーを下ろし、露わになった俺の鎖骨の上には、巨大な紫闇の眼球が張り付いている。

 皮膚の下を血管みたいに蠢く視神経にはもう慣れた。瞬きをするその姿も。

「うあああああ、アガ、がっ」

 汚く耳を汚す声で我に返った。ボロボロと本物の眼窩から、血と脳みそを垂れ流しにしている”贄羊”。今日の俺の獲物だ。

 暇だった雨上がりの昼間、明らかに≪騎士団≫の人間だと思しきリーマンが、四・五人で雑談しながら歩いていたのだ。どうせ”夜月時計の世界”の事など誰も知らないだろうからと、開けっぴろげに彼等は語っていた。曰く――俺、もうすぐ結婚するんだ、そう言って左手にはまる指輪を優しい顔で一瞥した彼。本当に馬鹿な奴らだと笑えてくる。俺達”贄黒羊”とは異なり、団体で≪異形≫に挑み、あるいは俺達を駆逐しようとしている集団に関して、俺は失笑を禁じ得ない。

 砕いて穴を開けた頭頂部に、俺は二本の指を差し込んだ。
 グチャリグチャリ、グニュリ、グチャリ、ベチョリ、まぁ擬音なんてどうでも良いか。
 日中雑談しながら、一刻も早く”夜月時計の世界”から抜け出したいと言って笑っていた平凡な男を見据えた。赤と黒で出来た血が、桃色とも灰色ともつかない暗い穴の中に、次から次へと満ちていく。

 俺は脳みそをかき混ぜながら、その柔らかな肉と脳の感触に、それなりに満足していた。もう、彼は駄目だろう。”朝陽時計の世界”が訪れたら、彼は消滅する。居なくなった彼のことを誰も覚えてはいないはずだから、結婚なんて無かったことになるのかな。そこまでは俺にも興味がない。

「だけど、信じられないなぁ」

 ぐちゃぐちゃと頭の中をかき混ぜながら、俺は眉間に皺を刻んだ。仮に性欲と残虐性が同一なのだとすれば、俺はこの、血肉と脳漿に溢れた二十代半ばのリーマンの頭の中に、アレをつっこんで、かき回したいって事なのか? ハッハッハ、馬鹿げている。そんなはずがない。

 指を引き抜き、頽れ意識を失い、とうに絶命した様子の”贄羊”を見据える。
 二本の指を顔の側に持ってきて、爪じゃない側をタラタラと染めている赤を見た。

 苺ジャムみたいだ。
 舐め取ってみたが、しかし――「不味っ」

 吐き気がしたが、側に落ちている白いビニール袋と、散乱した中身を見て、小首を傾げた。

 今、俺が殺した相手は、サンドイッチでも作る気だったのか。ホテルブレッドみたいな名前の、高そうな八枚切りの食パンと、レタス、トマト、チーズ、バター、スモークサーモン、タマネギなどが入っていた。後はいくつかの瓶――レバーペーストだとか、ブラックペッパーだとか、レモン汁だとか、オリーブオイルだとか。

 暇だったから、トマトだけ足で踏みつぶして、他は袋の中へと拾ってしまった。

 オリーブオイルの深緑色の瓶は割れてしまっていたので、気にもとめなかったような覚えがある。それから俺は、帰宅した。

「帰ったよ、母さん」

 俺は、車椅子の上に行儀良く座っている”母さん”を見た。
 理科室にありそうな、人体の骨の模型が座っている。違いはと言えば、所々に、髪の毛が数本生えていることか。

 この部屋で生きているのは、俺、それから大きな水槽に入っている、金魚だけだ。
 金魚自体も大きい。まるで鯉だ。あるいは、鯉の稚魚だったのかもしれない。

 俺の右手は、紅い血にまみれ、未だにつかみ取ってきた肉片を握りしめている。
 バターと混ぜたら、美味しいかな?



「サンドイッチあるんだけど食べる?」

 翌日の昼、俺は学校をサボって、ぼけっと空き地の草の上に立っている”霙”を見つけた。”流転時計”は”コンポタ”だけではなく、俺も持っている。ただ、あちらは現実世界でも死なない効果を持っていて、俺が持つ時計は、”朝陽時計の世界”でも、人の死を持続させる効果がある。本来消滅してしまうはずの血肉を、時間が来ても持ち越せるのだ。けれどその事実を知る者は少ない。

「なんだって?」
「だから、サンドイッチ」
「毒でも入ってんのか?」
「そんな陰湿なこと、俺がすると思う?」
「あー、確かにお前は、明けっ広げにグロキャラだなぁ」

 嘆息した”霙”の前で、バスケットを開け、手渡した。
 どんな反応をするのか――そして、美味しいのだろうか。見守っていると、一つ手に取り、”霙”が眉を顰めた。

「なんだコレは?」
「血と脳漿とバターのサンド」
「……コレは?」
「赤い金魚とレタスのサンド。スモークサーモンの方が良かったかなぁ」
「あたりまえだろ――で、最後のコレは?」
「レタスとチーズとタマネギと……忘れちゃった」
「最後のだけが、まだ食えそうだな」

 溜息をついた”霙が”、バスケットの蓋を閉めた。
 食べないのだろうかと残念に思っていると、返された。

「食べないの?」
「愛妻弁当以外は、コンビニ飯でいいんだよ」
「愛妻とか、いるの? 君に?」

馬鹿にするように笑った俺の姿に、溜息をつきながら、右耳にはめているごついピアスを、”霙”が外していく。もういらない、そんな気分で、適当に草むらへと放り投げたようだった。

りにきたのか? それとも、犯りに来たのか?」

 まだ”朝陽時計の世界”の真っ直中だ。
 それでもごく自然な仕草で、”霙”が首を傾げる。

「――さぁ? サンドイッチを食べてもらいに来ただけだけど、ヤりたいの?」

 その言葉に長々と瞬きをした後、再びバスケットを受け取って、”霙”が蓋を開けた。
 ビチビチと跳ねている巨大な金魚を一瞥し、片手でそれを手に取る。
 指にもまた、高そうな銀のごつい指輪が填っていた。

 跳ねる金魚を噛み千切り、サンドイッチを一口”霙”が食べた。
 生臭い匂いが、俺の方にまで届いてくる。
 ”霙”の金髪と、金色の瞳を見据え、一体何を考えて、奇抜なサンドイッチを食べているのか思案した。

「こっちは、脳漿と血とバターだっけ?」

 続いて、赤とバターに塗れたサンドイッチを”霙”が食べた。

 もぐもぐと口を動かす、カニバリズムの趣味があるなんて聞いたこともない”霙”の行動に、己が製作したとはいえ、その行為に驚かずにはいられなかった。

「で、ラストが、口直しの――普通のか」

 それだけ言って、”霙”が奇妙なサンドイッチを完食した。

「頭おかしいんじゃないの?」
「お前がだろ、”雨”――俺は、俺のために作られた弁当は食べる主義なんだよ、優しいだろ」
「そんな優しさいらないよ。別に君のために作った訳じゃないしね。ただ”夜”なら兎も角、”昼”に、そんな奇を衒った行為をする”霙”には、脱帽って奴かな」
「どちらも俺には変わらないからな――どうせ狂って歪な世界なんだろ、此処は」

 気怠い瞳で、座った”霙”は、フェンスの向こうに見える、歩道を見据えていた。
 時折老婆や自転車が通り、道路を挟んで向かい側には、コンビニがある。

 そこに着崩した制服を着て座っている”霙”が、何を考えているのか何て、俺には興味がなかったし、雑談で聞く気すら起きなかった。

 だからただ、良く見知った”霙”の制服を眺める。

 俺は、一度も学内で、”霙”と遭遇した事はない。学年であれば、一つ上のはずだが、高一から”夜月時計の世界”に囚われ、日中は惰眠を貪ったり、その辺りでうたた寝をしている彼が、いかようにして単位を取っているのか、俺は知らなかった。噂では、両親が大枚をはたいて、何度か留学させるなどして、無理に単位を金を使って取らせているのだと聞いたことがある。例えば、校長室に飾られている、有名な画家のとある油絵もまた、”霙”の家族からの贈与品なのだとか。だが、それですら、俺にとっては、どうでも良い事実だった。どうでも良くないのは、”霙”の舌に、眼球がはまりこんでいるという、ただその現実だけだった。

「――そこの角の肉屋」

 その時不意に”霙”が口を開いたから、俺は我に返った。

「焼き豚と牛の叩きが美味いんだ。持って行ってやれば?」
「誰に?」
「俺の所に来たって事は、大方”灯”に、優しくでもされたんだろ?」
「なんで……」
「あいつに優しくされるとお前、いっつも俺の所に来るよな」
「気のせいじゃない?」
「かもな」

 ポツリと、特に追求するでもなく、そう言って”霙”は煙草を取り出した。
 彼の中で、外見やアクセサリーを除いて、唯一不良じみているのは、喫煙行為だろう。

 ただそれも、”ゑル駄”で購入した、ニコチンもタールも害を与えない、ただ肺の中を煙で満たしてくれる、甘ったるい葉巻のような代物だった。真実を知らなければ、ただの未成年の喫煙に見えるだろうが、実際には違う。味を挙げるならば、JPSとアークロイヤルを混ぜたような品だった。

 火をつけた煙草の煙をプカプカと吐きながら、”霙”は己の首に、煌めくテグスが絡んだのを実感しているようだった。気づけば周囲は、いつの間にか逢魔が時を迎えていて、そこは、”夜月時計の世界”だった。

「もうすぐ閉まるぞ、あの肉屋。確か、八時までだったか」
「まだ六時前だよ」
「”リスナー”が、珍しく”灯”が飲みに来てるって言ってたぞ」
「だから?」

 首を傾げて、俺は嗤う。

 プチプチと最初から乱れていた”霙”のシャツをはだけさせ、ベルトを引き抜き、陰茎を露出させる。理由は知らないが、俺が擦るまでもなく勃起していた。そこへ、慣らすでもなく俺は乗る。ギチギチと音がした。

「ねぇ――首占めながら、上に乗られるって、どんな気分?」

 多少の息苦しさを感じながらも、このまま首を刎ねられれば死ぬな、だなんて冷静に”霙”は考えているようだった。

「ああ、そうだなぁ」

 そのまま無理に、俺の体を草むらに押し返し、押し倒し、吹き出すように”霙”が笑った。

「ンぁ」

 急に角度と深度が変わったせいで、俺が声混じりの息を吐く。

「鎖で首占められながら、犯される気分はどうなんだよ?」
「っ、く、ァ」

 黒いボトムスから細い鎖を外し、腕力では勝る”霙”が、金色の髪を揺らしながら、せせら笑った。俺の首に、鎖が巻き付く。

「首を絞めながら犯される気分、こうされる方が俺に聞くより、実感持てるんじゃないのか」

 それから甘い言葉を交わすでもなく、俺は、”霙”に体を暴かれた。
 熱と痛みが、それでも生きているのだという実感を与えてくれる。
 それだけが――あるいは、俺にとっての全てだった。

 なのに瞼を伏せて、キツく唇を噛めば、何時だって”灯”と初めて出会った時のことを思い出すのだ。



 あれは……集中豪雨だとか、ゲリラ豪雨だとか、そんな名前で呼ばれた、急な土砂降りの日のことだった。学校を途中で早退することにして、要するにサボることにして、暫く歩いていた時のことだ。

 突然な雨に見舞われて、地下鉄の駅まで走るか、雨が一段落するのを待つか、そんな事を考えながら、近隣の体育館の脇にある緊急用出口の下に身を寄せていた。

 体育館脇には、階段と屋根がついた、小さな扉があったのだ。

 あまりにも突然雨が降ってきたものだから、そこに先客がいることに、最初俺は気がつかなかった。驚いて視線を向けると、あちらも気怠そうにこちらを見ていた。

 制服からして、同じ学園の生徒だという事はすぐに分かった。
 そして、この時間である以上、相手もサボろうとしているのだとも。

 ただ、それが分かったからと言って、互いに傘を持っていない以外のそれ以上の共通点など見いだせず、無言のまま二人で屋根の下にいた。

「……薬、飲んでも良い?」

 声をかけられたのは、唐突な出来事だった。

「あ、はい」

 何故自分に断りなど入れるのだろうかと視線だけで見守る。すると、いかにも胃に悪そうな、冷たいブラックの缶コーヒーで、プチプチと二つの錠剤と、他のシートからもまた一つ、数えてみれば、計十錠の薬を彼は口にしていた。

 ――体調が悪いのだろうか?

 単純に疑問に思って首を捻った時、再び彼が俺を見た。

「君も飲む?」
「え?」
「”贄黒羊”なんでしょ? 僕にだって気配くらいは、分かる」

 その言葉に、先日の夜、不思議な二つ目の月の下で、自身の体にまとわりつき身体に接着した眼球のことを思い出した。それが――契機だった。きっと恐らくは、俺に、とっての。

 次第にその日を境に、”灯”と名乗った彼が、人の血を浴びる姿に慣れきっていた。



 そして。
 嗚呼、そして。

 この生き物を自分自身の手で殺したいと、いつからか思うようになった。

 始まりは――近隣で祭りが行われている夜のことだった。
 明るすぎる蛍光灯に、ライトアップされた緑色の公衆電話。
 そこで”灯”は、誰かと電話をしていた。携帯電話を持っているくせに。

 気づけばその電話ボックスを絡め取るように、武器のテグスを、俺は張り巡らせていた。

 さぁ、早く死ね。血飛沫を上げろ。黄ばんだ骨を露出し、藻掻け。
 クスクスとこぼれてきた笑みの中、俺はそれを見守っていた。

 出会った日が雨だったから、”雨”と呼ばれるようになっていた過去の現在でのことだった。しかし――無表情で外へと出てきた”灯”は、淡々と俺の放った糸を断ち切ると、正面に立った。

「僕らには、ただそこのお祭り会場で、甘いかき氷を食べる権利もあったはずなのにね」

 そんな言葉が響いた直後、”灯”のナイフで、首を掻き切られた。
 辛うじて致命傷だけは避けたが、自身の服を血液が濡らしていくのを俺は実感していた。

「かき氷、食べたかった?」
「まぁまぁかな。ただ君の血にまみれている砕かれた氷も美味しそうだけどね」

 それが本心なのか否か、俺には分からなかった。
 その様にして、けれど会う度に殺し合いが始まったのだった。



 気がつけば草むらで、血と精液に塗れ、俺は夜空を見上げていた。

「ああ、起きたのか」
「……俺、寝てた?」
「まぁまぁ、か。お前も、薬貰ってくれば?」
「何の? 何処で?」
「最近眠れなくて肩が凝って、とでも言えば、内科で何かくれる。何か甘い奴。”灯”は兎も角、”ネコ缶”クラスなら、内科じゃ出てこないだろうけどな」
「別に良いよ、俺は眠くなったら、ちゃんと寝るから」
「ヤって意識おとすの間違いじゃねぇの?」
「どう違うの?」
「知らない」

 そんなやりとりをしてから、服を整え、俺は立ち上がった。
 内部から滴る血と精液は、無理矢理止められていた。”霙”の、”殴る”以外の能力で。
 交わっていたはずなのに、残り香はブルガリブラックのそれだけだった。

「まだ、営業ってるかな?」
「何が?」
「お肉屋さん」

 時刻は七時四十四分。
 文字盤時計を見据え、”霙”が曖昧に頷いた。

「片付けに入ってなけりゃあ、な。仮に肉類しまってても、あそこは頼めば出してくれる」
「――行ってみるよ」
「ああ。まだ”リスナー”の所にいるみたいだから、会えなくてもツマミとして店が喜ぶ」

 そう言って、”霙”もまた、立ち上がった。
 そのようにして、二人は別れたのだった。