<5>愛殺しと情報屋



 そこは”玄米茶”の本部だった。

「守備はどうや?」

 ”森”の声に、正面の灰色のソファに座りながら、”芦屋”は笑顔を浮かべた。

「散々最初に酷くしてやって、次からはドSのフリ――……もう”リスナー”の体はドMに堕とせたでしょうね。このあと少し優しくしてやって、それじゃ足りないって思わせれば完璧です」
「さすがやねぇ。で? 体だけじゃなくて、そこからが”愛殺し”の本領発揮でしょ?」
「まぁ俺のために店休むくらいで、高校時代から俺に興味持ってたのは分かってますからね。いっそ、ああいうタイプ――”独りで生きてるフリしてる寂しがりや”の方が、経験上は落としやすいですけどね」
「――それは、相手が”リスナー”でも?」
「ええ」

 自信満々に笑った”芦屋”を見て、『計画通り』”リスナー”に喰われるのは”芦屋”じゃないのかと、”森”は思う。自信過剰な人間ほど、落としやすい生き物は存在しない。

 ”リスナー”が相手ならば、尚更だ。

 ――まぁ、尤も二人ごと潰すのが目的だから、どちらか片方でも”いなく”なれば、まぁ満足だ。




 二人のそんな話を――当然”リスナー”は聞いていた。

 聞かなくても分かっていた。

 なのに、なのに、なのに、最初から分かっていたはずで、”芦屋”が”初めて好き”の”あくまでも自称のドS”だなんて、とうに調べは付いていたはずなのに。

 それなのに、笑っているのに、頬を温水が伝っていくのを”リスナー”は自覚していた。家族が死んだと聞いた時すら、涙なんて出なかったのに。

 そしてそれは、やはり今、現在進行中の恋なんかじゃない事も、よく分かっていた。
 ――嗚呼、やっぱり高校時代の恋だって、大切だから、忘れられない。

 息苦しくなって、煙草を銜えた。
 開店前で良かったなと心底思う。

「次は、どう動こうかな。どうやって恋人のフリ――の、フリをするべきか」

 こちらからすれば、”芦屋”と”智徳”を潰す事が目的だから、どちらか片方でも潰せればいいのだ。なお言えば、”芦屋”狙いだと見せかけて、”智徳”を潰したい。はっきり言って”智徳”は、邪魔だから。”森”よりも、よほど。

「”芦屋”の事が好きすぎて、”玄米茶”に入ってみるとか? 無いなぁ」

 そんな呟きを聞いている者は誰もいなかった。



 その日初めての客は、”コンポタ”だった。

「お、恋人が出来たって噂の”リスナー”じゃん」
「まぁね」
「けど、この盗聴機何?」

 一つだけ残っていたそれを指で潰した後、”コンポタ”が言った。

「さぁ?」
「ふぅん。まぁ、良いけど。今日はそうだな、ジャスミンハイ」

 頷いて”リスナー”が用意する。

「ねぇねぇ”リスナー”、恋人に会わせてよ」
「良いよ。何となく今日はそろそろ来る気がするから」
「何それ、愛の力?」

 ”コンポタ”が丁度そう言った時、扉が鈴の音をたてて、”芦屋”が入ってきた。
 そして、”コンポタ”から二つ離れた席に座る。

「とりあえず生」
「はいはい」

 慣れた様子で、”リスナー”が麦酒を差し出す。
 それを見るふりをして、一瞬だけ、”コンポタ”は”芦屋”を見た。
 ”智徳法師”と同じく、安倍晴明のライバルだった”芦屋道満”の子孫だ。

 四條由唯が本名の”コンポタ”は、向こうが自分を知っているかは兎も角、幼い頃から顔だけは覚えさせられていた。その相手が、”リスナー”の恋人で、盗聴器が破壊された瞬間にやってくるなんてできすぎている。だが、先ほどやってくる事を予測していた”リスナー”とて、情報屋の仕事からではなく、タイミング的に盗聴器の存在から口にしていた可能性が高い。

「珍しいね、お通し、今日はスクランブルエッグなんだ」

 ”コンポタ”は、話を振られるまで、とりあえず”リスナー”から直接聞くまでは黙秘を通す事にした。すると、傍らで、息を飲んだ”芦屋”を偶然見てしまった。本当にそれは一瞬で、直ぐに笑顔に戻ったのだけれど。

「美味しそうじゃない?」

 ”リスナー”の言葉に頷いて、”コンポタ”が静かに食べる。

「あ、えっとね、恋人」

 その時”リスナー”に紹介されて、”コンポタ”は満面の笑みを浮かべた。

「はじめまして。僕は此処では、”コンポタ”って渾名で呼ばれてるから、良かったらそう呼んで下さい。いやぁ、”リスナー”に、こんな格好いいカレシが出来るとは」
「はじめまして。俺は、”芦屋”です。格好良くなんてないっすよ」

 ――真意はどうあれ、今のところ気づかれている様子はない。
 安堵しつつ、”コンポタ”は、微笑んだ。

「所で、普段の”リスナー”ってどんな感じなの? やっぱり名前呼び?」
「まあ、名前と言えば名前っすかね」
「そうなんだ。甘えてきたりするの? それとも、”芦屋”くんが甘える側?」

 その言葉に、顔にこそ出さなかったが、”芦屋”はハッとした。

 ――これまで、甘えられた事などあったか?
 ――いつも、気を遣われては、いなかったか?
 ――体を重ねるのもキスも全て自分からではないか。それも、ほぼ無理矢理。

 そう考えれば、それが仕事で、相手の罠なのかも知れないと冷静な思考は言うのに、胸が苦しくなった……。そもそも、本当の笑顔すら、見た事がなのかも知れない。

 きっと、高校生の頃はそうじゃなかった。

 ”リスナー”は、青野は、時はおり自分に向かって笑ってくれたではないか。

「”芦屋”くんは、すごく優しいんだよ」

 その時、どこか切ない顔で、”リスナー”が笑った。
 そんな笑顔、作り笑いに、チラリと見えるだけの偽りの感情など見たくはなかった。
 こんな事を思ったのは、感じたのは、初めてだった。

 それから何人客が来ても、恋の行方を聞かれても、”芦屋”は曖昧に答える事しかできなかった。



「ごめんね、まだ閉店作業があって」

 二人きりの室内になったのは、午前七時ごろの事だった。
 いつもなら――”芦屋”だって、帰路についている時間帯だった。

 しかし、しかしだ。
 どうしても聞きたかった。

「お前、さ」
「んー? 何々? どうかしたの?」
「本当に俺の事が好きか?」
「あったりまえじゃん」

 急に何を言い出したのだという顔で、”リスナー”が顔を上げた。
 そこにあったのは、真剣な、険しい顔の”芦屋”――”愛殺し”の顔だった。

「それは、」
「うん?」
「俺が”玄米茶”の”愛殺し”で、お前が情報屋の”リスナー”だから、か?」

 その問は、いつか来るかも知れないと、何度も”リスナー”は考えていた。
 だから、答えなんて決まっている。決まっていた。
 ――そんなわけ無いじゃん、芦屋だから、好きなんだよ。

 そう答えて、それでキスでもするんだろう。それ以外の青写真なんて、描いた事がない。
 けれど――……

「あたりまえじゃん」

 己の口から出てきた想定外の言葉に、思わず”リスナー”は、息を飲んでいた。
 嗚呼、嗚呼、嗚呼。
 苦しくて、息苦しくて、上手く嗤えない。
 それでも精一杯嘲笑するように、唇で弧を描く。

 けれど最近の自分は、どうやら酷く涙もろいらしくて、瞳が見つめる世界が歪んでいく。

「それ以外の回答なんて無いでしょ、君だって」

 それでも、頑張って続きを言葉にする。
 ――嗚呼、嗚呼、嗚呼。
 結局、相手の思惑通りに、自分は”愛殺し”の蜘蛛の巣に絡め取られた蝶だったのだ。

 逆だとばかり思っていたのに。
 もう、もう、嘘をつかれて、優しくされて、それで――だって、もうやっぱり、好きなのだから。高校生の頃の思い出だといくら自分に言い聞かせたところで、辛くて辛くて辛くて仕方がない内心が、叫ぶのだ。

 ――好きだって。もうとっくに、愛してた。いや、過去形なんかじゃない。愛してるんだ。

「っ」

 その時、胸に頭を押し付けるようにして、抱きしめられた。
 きっとこれも、計画通りなんだろう。
 腕の強い温もりに、頭を抱き寄せるその感触に、背中を抱くその温度に縋り付きたくなる。

「じゃあ、何で泣いてんだよ、青野」
「泣いてなんかいない。気のせいだよ」
「ん、な、訳あるか」
「――計画通りになって良かったね」
「っ」
「けどね、俺、口だけは硬いから残念だけど、計画通りになったって、何も本当は君に利益なんか無いんだよ」
「そんな事、どうでも良い」
「良くないよ!! だって、”森”は……」
「俺だってそこまで馬鹿じゃねぇんだよ。わざわざ俺に仕事振ってきたんだぞ。調べるに決まってんだろ」

 怒鳴り合うように、二人は話す。いつしか、両方泣いていた。

「それこそ全部計画で――俺がお前の事気になってるなんて、さっき気づいたばっかだけど」
「っ」
「お前の泣き顔なんて見たくねぇんだよ、青野。甘えて、笑顔見せて欲しいんだよ。昔みたいに」
「だけど、芦屋――」
「良いんだよ、それで。もう一回始めよう。俺の恋人になってくれ。何にも関係無しに」

 青野の声を遮って、芦屋が言う。
 二人の始まりを見ていた者なんて、誰もいなかった――……






 ……――訳ではなかった。

「コレで二人とも潰れたね」

 クスクスと”森”が喉で笑った。
 最初から”芦屋”と”リスナー”を潰す計画を立てていた”玄米茶”の幹部だ。

「私にはただのキューピッドに見えたけど」

 ”雲母(キララ) ”の声に”森”が肩を竦める。

「恋は人を狂わせる――……ま、現実的な話し、その内デートでもするやろ。まぁ、単純にヤりもするだろうし。そうしたら、いくら情報屋最強の”リスナー”にも、その時は隙が生まれる。こちらが工作するには十分やんな」
「”芦屋”は?」
「これで、”贄黒羊”と”贄羊”には、攻撃できんやろ。根が優しいからなぁ。ま、その内勝手に死ぬ」


 そんな話をしながら、二人はお茶を静かに飲み干したのだった。