<2>信じる事


 人を信じる事は難しいけれど、人を信じない事は凄く楽な事だ。
 開店作業をしながら、ぼんやりと”リスナー”は思い出していた。

『なんだよ、乳首感じるの?』
『これまでに、女に開発されたのか――それとも、男か?』
『なんで? 慣らされてるんだろ?』
『触って欲しいなら、自分で脱げよ』
『直接触って欲しかったのか、下着まで下ろせ何て言ってないのにな』
『つまらないなぁ、啼けよ』
『お前さぁ、俺が本気でお前の事好きだとか思ってたのか』
『……何、笑ってんだよ? こんなの余裕だって? さすが、男なれしてるって噂だけはあるな。けど、これは、どうだろうな?』
『なんだ? 効くまで暫くあるって聞いてたんだけどな――……ああ、ココが好わけか』


 この直後からの記憶は曖昧で、ほとんど記憶がない。
 ただ、これらから導出されるのは四点だ。

 一点目は、悔しい事だけれどもどこかで恋心を悟られて、それを利用された事。
 二点目は、わざと酷い事を言って傷つけて、忘れさせられないようにした事。
 三点目は、それでも良いと思わせるくらいの快楽に落とそうとした事。
 四点目は、あちらが、こちらは男慣れしていると思っている事。

 勿論それが分かった以上、こちらにも対策の立て用はある。

 一点目は、好きなフリを続ければいい。適当に知られても問題のない情報でも流しておけば、信じたままでいるだろう。

 二点目は、正直、それ以外語彙はないのかという、笑ってしまう言葉責めの数々で――まぁ同時に、初めては優しくして欲しかっただなんて感傷的になってしまう自分自身にも嘲笑が向いてしまうのだけれど。何を言われても、傷ついたフリだけして、『嫌われないように頑張っている』姿を見せればいい。

 三点目は、媚薬など無しでも体で覚えているフリをするか、体の関係自体を持たなければいい。怖がっているフリでもして。

 四点目は、実際に男と居るところでも見せればいいだろう。”愛殺し”なんて言われる位なのだから、1.3点が失敗に終わる可能性を考慮して、何かしら反応してくるはずだ。例えば嫉妬しているフリだとか。

 考えるに、”玄米茶”だとて、”狐提灯”と殺りあおうとは思わないはずだから、目的は”黒キリン”――”殺戮人形”だろう。だとすれば、誰とも恋仲に無くて、情報屋だなんて呼ばれる自分が目を付けられたのも分かるなと、”リスナー”は考えた。

 暫しの間そんな事を考えた後、OPENの看板を出す。

 ――会いに店へ来る事はあるだろうか。あるいは、外で。
 ――あるとすれば、ベッドの上では豹変するとでも言うのかな。

 看板を出してすぐの事だった。
 すると珍しく、一人目の客は”ネコ缶”だった。

「いらっしゃい」
「お前、青野郁が本名か?」
「秘密」
「”黒キリン”の後輩もそう呼んでただろ。両親が亡くなったんじゃないのか。警察内で話が出てた。勿論、お前の事は話してないけどな」
「だったら何?」
「別に。ただ、コレをやるよ――飲み代だ」

 そう言って、ポイッと”ネコ缶”が分厚い封筒を差し出した。
 驚きながら”リスナー”が中を見ると、二百万円くらい入っていた。
 ポカンとして”リスナー”が視線を向けると、更に三冊の銀行の手帳が取り出された。

「一つは店の維持費にでも使え。青野郁名義で月に20万ずつ入ってた。もう一つは父親と母親の共同の通帳。三冊目は、母親の愛人が、青野郁にって。四冊目は父親の非嫡子の分だったから、警察官が渡しに行った」
「俺は――……」

 息を飲んだ”リスナー”が、反射的に麦酒を出しながら何か言いかけた時、”ネコ缶”がそれを遮った。

「お前の感傷に付き合う気もない。今日は半分は仕事で来た」

 気怠そうな目をしては居たが、”リスナー”は”ネコ缶”の優しさを知っている。
 知っている気がした。

「今回の件、”智徳法師”の復讐だと思うか?」
「それは無いんじゃない?」

 自分の分のカシスオレンジを用意しながら、”リスナー”が答える。

「”黒キリン”狙いだと思うか?」
「俺はその可能性が高いと思ってる」
「それが理由なら、何でお前の両親を殺したんだ? それも半端に、両親だけ。愛人や浮気相手、その子供も殺すだろう」

 ジョッキを傾けながら、僅かに”ネコ缶”が眼を細めた。

「――俺を懐柔するためじゃないかな」
「懐柔?」
「あの後輩、この前俺に告白してきて、ホテルで突っ込まれた」

 カシオレを飲みながら淡々と”リスナー”が告げると、”ネコ缶”が麦酒を吹きそうになった。

「アイツも、”玄米茶”の人間なのか?」
「本人曰く”芦屋道満”の子孫だとか、昔は言ってたけど、事実は知らない。ただ、そんな事言ってたくらいだから、”玄米茶”の人間でもおかしくないね」

 その言葉に、ジョッキを傾けながら、”ネコ缶”が思案するような顔をした。
「ただ、”智徳”も”玄米茶”に肩入れしている”贄黒羊”だとしても、”狐提灯”と殺し合う気も、少なくとも今は無いだろ」
「――ねぇ、”ネコ缶”」
「なんだ?」
「どんな風に死んでたの? その……被害者は、さ」

 全部本当は、”リスナー”には見えた。けれど、鼓動が止まったのを認識した瞬間には、何故なのか吐き気がして、その後の光景を見ていられなかったのだ。芦屋という客が来た事もあるのだけれど。

「率直に言うぞ」
「どうぞ」

 ”リスナー”の声に、ジョッキを飲み干してから、”ネコ缶”が言う。

「赤い縄で出来た六芒星の中央に二人とも立っていた。心臓麻痺状態で。心臓麻痺ってのは、要するに、死因不明だって事だ。ただ、倒れるわけでもなく、普通に立っていたんだよ、死んでるのにな。その日は、旦那の浮気相手と話しをする事になっていたそうで、合い鍵を持っていたから中まで入ってきて、その光景を見つけたらしい。俺は、立ったまま死んでいたから呼ばれた。アレは、確実に神道関係者の殺し方だ。ただ直感で、ああいう殺し方は、”狐提灯”はしないと思ってな。”玄米茶”側の唯一の神道の”飛鳥(ひどり) ”の、殺り方だ。そう思って、”ゑル駄”の武器商人――”容”の所で聞き込みしたら、隠しもせずに一発で吐いた。だから多分、”玄米茶”の総意でもない」

 それを聴いて本当は、”リスナー”は、総意でないのだとしたら、何故”黒キリン”を狙っているのかを聞こうとしていた。だが、口から自然と出てきたのは、別の言葉だった。

「――苦しまなかったかな」

 ポツリと呟きながら”ネコ缶”の前に、新しいジョッキを置く。
 すると、ジョッキを手にしながら、”ネコ缶”が微笑した。

「ああ。俺が保証する。一発で、心臓は止まったはずだ。縄はその後張り巡らせられたはずだ。死後硬直の具合からも、それは分かる」

 ”ネコ缶”の言葉が嘘ではない事を、モニター越しで見ていた”リスナー”は、本当は知っていたのに。多分、誰かの口から聞きたかったのだ。

 それに安堵している自分がいて――ほぼそれと同時に、この店が盗聴されている可能性に思い至る。何せ二度も”芦屋”は、此処に訪れているのだから。利用しない手はない。

「――そう言えば俺さ」
「なんだ?」
「失恋しちゃったんだ」

 随分と珍しい話だなと思って、”ネコ缶”が頬杖をつく。

「お前、男切れた事無いだろ。お前の口から”失恋”なんて、初めて聞いた」
「俺じゃ勃たないんだって。気持ち悪いみたい、俺のあえぎ声とか、胸触るのとか」
「……突っ込まれる方だって言うのは、初めて聞いたな……」
「俺も初体験だよ」
「後ろで、下でも良いくらい、その……好きだったのか?」
「ねぇ、”ネコ缶”――」

 冗談で、抱いてと続けようとしたその時だった。
 勢いよく扉が開いた。

 そこには険しい顔をした、芦屋が立っていた。
 ――やっぱり、盗聴してたんだな。
 それが、”リスナー”の『率直』な感想だった。

「この前は悪かった、その俺、ベッドの上では豹変するって良く言われてて……」

 入ってくるなりのその言葉に、”ネコ缶”は腕を組んで、なるべく気配を消そうと奥の席に移動しようとする。どう考えても先ほどの”リスナー”の話しの話題は彼の事だろうと思ったからだ。その上、わざわざ自分の前で”ベッド”だなんて、聞こえるように口をされている。面倒事に巻き込まれるのは、ゴメンだった。

 ――だが、タイミングが良すぎたのが気になる。丁度ジョッキが空になったのもあり”リスナー”を一瞥すれば、小さく頷いていた。確か、ナナキの後輩だ。芦屋と言ったか。先ほども話題に上った相手だ。もしも盗聴したのだとすれば、”玄米茶”の話も聞かれている可能性が高い。

「芦屋……ううん。来てくれて、また会えて嬉しいよ。とりあえず座って。何飲む?」
「えっと、ジントニックって言うのを覚えてきたんだ」
「じゃあそれね」

 お通しのひじきの煮物を出した後、”リスナー”が奥へと消えた。
 なんだかこの店のお通しが、最近”ネコ缶”には、不思議に思える。
 料理にはまってでもいるのだろうか。

 わざと不味い酒を作って、”リスナー”は、それを”芦屋”に渡した。
 すると、一口飲んだ”芦屋”の顔があからさまに引きつった。

「ごめん、大丈夫? その、芦屋に喜んで欲しくて気合い入れすぎちゃって……そ、その、俺まだ好きで、あ、ごめん、俺の事嫌いなのに……でもね、せめて、せめて、嫌いにならないで。酷い事言われても、芦屋の事が、好きで好きで、やっぱりこんな事いわれるのは、嫌いだから嫌だよね」

「いや、あの」
「もう一杯作るから」

 今度は普通のジントニックを作りながら、コレで一点目と二点目はクリアしたなと、表情は変えずに”リスナー”は、考える。ぞれから、ジントニックを渡すと、”芦屋”が安堵したような顔をした。

 それを見て満面の笑みを浮かべた後、カウンターから身を乗り出して囁く。

「気持ち悪くてゴメン、けど、けど俺、あんな風に乳首弄られたの初めてで、芦屋の手が忘れられないんだ……媚薬って言うのは怖いから、もう嫌何だけど」

 三点目も、これでクリアだ。最後は、四点目。

「ただ俺、イれる相手は沢山いるから、芦屋が無理に付き合ってくれなくても良いんだけど……ね……」

 よし、こちら側の作戦は、コレで終了だ。
 それとなく”リスナー”が”ネコ缶”を見ると、苦笑されて、それからまた、麦酒を頼まれた。確かに此処で帰られるのは不自然だから、有難い。

 素知らぬふりで、それから”リスナー”は、麦酒の用意をする。

 ――さて、”玄米茶”の”愛殺し”は、一体どう反応するのか。どんな行動をしてくるのか。

 ”リスナー”は、楽しみにしながら、ジョッキを渡し、自分の分にはシャンディガフを用意した。静かに口を付けながら、さも悲しそうな笑顔で、”芦屋”を見守る。

 すると――彼は、無表情だった。
 思わず息を飲みそうになる。

 ”リスナー”の予想では、てっきり苦しそうな顔か、あからさまな悲しい笑顔が返ってくると思っていたのだ。それも、凍り付くような、無表情。

「芦屋……?」

 怪訝に思って思わず声をかけると、それでも何の感情も見せずに、淡々と”芦屋”が答えた。明らかに、冷たい怒りと苛立ちを含んだ声だった。

「今日、店が終わったら”いつもの場所”に来いよ」
「……いつもの場所?」
「忘れた訳じゃないだろ、俺とお前がいつも一緒にいた場所」

 それだけ言うと、ジントニックを飲み干して、”芦屋”は出て行った。
 ――いつもの場所?

 考えてみれば、高校時代に……行かなくなる前に、過ごした人気のない公園くらいしか思い浮かばない。そこのコンクリート製のドラム缶のような穴の中で、二人で良く隠れて煙草を吸ったのだったっけ。

「おい」

 声をかけられハッとして、”ネコ缶”を見ると、盗聴器を三つほど持っていた。

「どうする? わざと置いてたんなら、今ならまだはめ直せるぞ」
「いや、全部外して置いて。それで全部?」
「ああ」

 ”ネコ缶”が、特別製の盗聴器確認装置を片手に持っていた。
 彼は仕事柄、こういうモノを常備している事が多いのだ。

「お前――失恋て嘘だろ」
「さぁ? 本当かもよ?」
「俺には脈有りに見えたけどな」
「な」

 何を馬鹿げた事を言うのだろうかと、自分のグラスを飲み干す。
 こと、”贄羊”の集団である各団体に関しては、”ネコ缶”が知らない可能性は低いし、先ほど”玄米茶”関連だとも伝えてある。

「――……”芦屋”は、ね。”愛殺し”って呼ばれてるんだ」
「”愛殺し”?」
「自分に惚れさせて、嬲って殺すんだって。勿論性的な意味でもあるし、殺すって言うのは字面のまんま」
「じゃあなんで、初回で殺さなかったんだ? お前の事を。”リスナー”を誘い出すなんて、滅多に機会がないだろ」
「さぁ? 何か聞きたい事でもあったんじゃない。だから、俺は惚れたフリして、どうでも良い情報をこれから流すけど、”こっち”を裏切る気はないよ。そこは安心して」





 その言葉に、新しい麦酒を頼みながら、”ネコ缶”が酒を飲んだ。

 ――だったら、尚更、だ。

 盗聴していたのだとしても、あの反応は、自分に対する嫉妬心を煽るような行動に見えた。それは、あるいは、自分もまた嫉妬する身であるから、そう感じるのかも知れないけれど。そんな風に考えながら、”ネコ缶”は”黒キリン”の事を思い出していた。