<*>再会


 それはある日、”黒キリン”が、”榊様”を連れて、店にやってきた日のことだった。
 珍しく”リスナー”は悩んでいた。”灯”の事である。
 これは、灯が行方不明になった日の出来事だ。

 しかし考えても考えても考えても、答えなんて出てこなかった。

 そんな時、不意に扉が開いた。鈴の音が鳴る。

「ちょ、ナナキさんも祀理さんも酷いっすよ。俺の事も、最近ナナキ先輩が行きつけの店に連れてってくれるって言ってたじゃないですか」

 入ってきたのは、学生だった。
 しかし目があった瞬間、思わず”リスナー”は息を飲む。

 あるいは――……これも”智徳”の策略なのではないかと思いながら。

 祀理の隣に腰を下ろしながら、青年が呟く。

「バイト終わりに、二人がここに入ってくの見たから、追いかけて来ちゃいました」

 懐かしい声がした。変わらぬ笑みで、そこには笑っている、嘗ての同級生が居た。それからメニューを見た後、真っ直ぐに彼は”リスナー”を見て、目を見開いた。

青野(しょうの) ……?」
「芦屋……」

 呟く声が、震えてしまった事を”リスナー”は理解していた。だが、音が出ないように、精一杯務めた。だが、間違いなく、そうだ間違いなく、そこにやってきた青年は――芦屋大(あしやたいき) 樹と言う名の嘗ての同級生だったのだ。忘れようとしても、それが出来ない、高校生の頃に恋をした相手。”榊様”と”殺戮人形”を、見張っているのだと
言うから、遭遇したっておかしくはない。

「――そんなお酒はないんだけど」

 それからわざと笑ってそう告げた。

「あ、いや……その……」
「何々どうしたの? 先輩が二人もいるみたいだし、奢って貰っちゃいなよ?」

 にこやかに、朗らかに、柔和に、けれど全部作り笑いで”リスナー”は告げた。

「同高の奴に――似てたから、ビックリしちゃって。すんません」

 謝り頭を下げた芦屋を見ながら、”リスナー”は務めて余裕たっぷりの顔をした。

「ふぅん。俺とじゃ年齢差在りすぎるから、勘違いだろうけど」
「俺、年齢言ってないっすよね?」

 だがまだ疑っているかのような表情をしていて、あちらも作り笑いだと分かる。

「Barのマスター舐めないでよ。さっき、先輩だって言ってたでしょ?」
「兄弟とか、います?」
「残念ながら、一人っ子だよ。そんなに似てるの? で、何飲む?」

 ――ここで、全て露見すれば、自分の計画は終わる。
 消えるという計画が。

「一杯目は、麦酒で」
「はいはい」

 頷きながら、手が震えそうになるのを、”リスナー”は押し殺した。
 一番は――……まさか自分の事を覚えているとは、思わなかった事だ。

 嘗てたった一人だけ、恋をした相手が。

 麦酒を差し出しながら、震える体を制して、”リスナー”は聞いてみた。

「その人は、どんな人だったの?」
「――好きだった奴です。男同士なのに、気持ち悪かったんだろうけど。一回だけキスして、その後からは、会えなくなりました。って、先輩達もひかないで下さいよ?」

 直後、入ってきた時同様、表情豊かな顔をして、芦屋がナナキと祀理へと視線を向けた。


 その様にして、その日の店はふけていった。


 ――まずは”灯”の居場所を探し出さなければ行けないのに。
 なのになのになのに、”リスナー”は動揺を殺しきれないで居た。
 店の裏口へと、ゴミ袋を持って移動する。
 それを、捨てた時だった。

「青野」
「っ」

 驚いて顔を上げれば、そこには険しい顔をした芦屋が立っていた。

「――人違いだよ。何? 忘れ物?」

 作り笑いで答えた”リスナー”の肩を強く押し、芦屋が、壁へと背を押し付けてくる。
 芦屋の瞳があまりにも真剣に見えて、”リスナー”は続ける言葉が見つからないで居た。

「ごまかすなよ」
「ごまかしてなんて――ッ」

 その時不意に口づけされて、唇を貪られる。深く入ってきた舌に、己の舌もまた蹂躙されて、体が震えた。

「止め……あ」

 ようやく唇が離れた時、見上げると苦しそうな芦屋の顔がそこにはあった。

「ずっと聞きたかった――……お前がいなくなったのは、俺が無理にキスしたせいか?」
「何を言って……だ、から、俺は、別人だって――」
「俺が青野の事を見違えるはずがないだろ」

 強く真剣な眼差しで言われ、両頬に芦屋の手が添えられた。

「今でも、今までも……ずっと好きだった。忘れられない」
「……」
「また、会いに来ても良いか?」
「……別に。お店は年中無休だよ、基本的に」
「それだけで十分だ。顔が見られるだけでも」

 芦屋はそれだけ言うと、呆然としている”リスナー”を残して帰って行ったのだった。

 ――今でも?
 ――今までも?
 ――好きだった?

「そんな馬鹿な事、在るわけが無いじゃないか」

 気づくと嘲笑しながら、”リスナー”は目を伏せていたのだった。






 ――”玄米茶”の本部で、森が電話をかけたのは、その数日後のことである。

 彼は、今では見る事が少なくなった、携帯電話に耳を当てた。
 コール音は、三回。
 すぐに、繋がった。

「もしもし」
『あ、はい。芦屋です』
「守備は?」
『言われた通り、”リスナー”の本人確認をしましたよ』

 その言葉に、喉で”森”は笑った。

「で、どうだったんや」
『――別人でした』
「へぇ」

 聞きながら、嗚呼”嘘”だなと確信した。
 調べが付いていた通り、情報屋として名を馳せている”リスナー”は、”青野郁(しょうのいく) ”で間違いないだろう。”リスナー”の事を調べていたのだから、当然”芦屋”の事だって調べていたのだ。

「じゃ、もう不要やんな。とりあえず先に、”リスナー”って疑っとった奴の”家族”の事殺して置いてや。こっちが探ってたって、万が一にでも気づかれてたら、面倒やから」

 電話越しに、息を飲む声が聞こえた。

「やってさぁ、”リスナー”の家族やないんなら、生かしておく価値、無いやろ?」
『それ、は』
「出来へんのやったら、”忙しくて”無理やったら、他の誰かを回すけど?」
『いえ……一般人を、() るのにビビっただけなんで、俺がやります』
「ん、そか」

 それだけ会話をすると、電話は切れた。
 ツーツーツーと響く音を聞きながら、どうせ逃がすんだろうなと、”森”は考えていた。

 別に家族を逃がすのは良い。それよりも”芦屋”と共に家族を助けに向かうだろう”リスナー”を確保するのが最重要な用件だ。

 いつも結界に包まれた店に夜はいる上、昼の足取りは、電車のカードでさえ改竄している相手だ。そんな中で唯一見つけた条件が――”芦屋”だ。”芦屋”本人は、家の仕事関係だと思っている様子だが、大金を注ぎ込んでこの組織に引き抜いたのは、”森”だ。

「本当に、性格悪いね」

 その時、”森”に声がかかった。
 そこに立っていたのは、全身が紫色のベールに覆われた占い師だった。いつもは池袋のブックオフで占いをしているらしい。が、”リスナー”と肩を並べるほど、信用のおける情報屋だ。本人は”雲母(キララ) ”と名乗っているが、中世的な少年だと、”森”は知ってる。他にも二人ほど、情報に詳しい者が居て、一人は”ゑル駄”で武器商人を、もう一人は”ゑル駄”で珈琲がメインの喫茶店を経営している。

「何の話やん?」

「”リスナー”を”芦屋”ごと罠にはめる気なんでしょ」
「だとしてそれが、”占者(せんじゃ) ”に関係あるん?」
「昔から言うよね――人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られて死ねってさ」
「いつ占星術師から神道に鞍替えしたん?」

 二人はそんなやりとりをしてから別れた。





 カランコロン――そんな古くありふれた音を立てた扉を、”リスナー”が見据えた。
 そして僅かに眉を顰めはしたものの、作り笑いを浮かべ告げる。

「いらっしゃい。この前来た子だよね。何飲む?」
「青野」
「だから勘違いだってば。何飲む?」
「――真剣に聞いて欲しい事があるんだ。出来れば、店をCloseにして」
「それはちょっと出来ないなぁ。常連さんの頼みなら兎も角――また、どうして?」
「俺は今、”玄米茶”にいる。お前の家族を殺すように指令が出た」

 二人きりの空間が長くは続かないのだろうと察して、”芦屋”は続けた。
 短く息を飲んでから、”リスナー”が視線を落とす。

「……悪いけど、君の身元は調べさせて貰ったし、”玄米茶”に関わっているのも知ってたよ」
「っ」
「はっきり言うけど、本当に君は勘違いしているだけなんだよ。だからね、俺はそれこそ一般人が死んだと聞いたら相応に悲しむ心はあるけど、あくまで、今回『君が殺せ』と命じられた相手は、俺にとっては他人なんだ」

 淡々とそう告げながら、”リスナー”は、短く吐息した。
 それからメニューを差し出す。

「どんな酒が好き?」

 苦笑するように”リスナー”は告げた。
 多分本当に、それが知りたかったからだ。
 そして自分を心配するように、”芦屋”がここへと来てくれたのも嬉しい。

 芦屋は多分、自分が噂されるような”リスナー”と同一人物だとは言わなかったのだろう。だからこんな仕事が回ってきたのだと思う。

 確実に、”芦屋”ごと切り捨てるつもりで。

「――酒に詳しくないんだ……だから、とりあえず一杯目は麦酒をいつも頼んでる」

 心配してきてくれたのだろう事も、そんな一つ一つを知る事も、”リスナー”は嬉しかった。高校生の時の恋心なんて、と、いつか”黒キリン”と”榊様” が言ってはいたけれど。それでも、やっぱり大切なのだ。相手に思いを告げる事もなく、一度だけ唇に柔らかなキスをされた事があるだけの同級生だったのだ。

 その意味は、今でも良く分からないのだが――確かにそれでも”リスナー”の中でそれは恋だった。初恋は実らないだなんて言葉は、真理をついていると思う。

「はい、どうぞ」

 ジョッキを差し出し、Barのマスターらしい笑顔を取り繕う。
 それから、”リスナー”もまた、珍しく麦酒をジョッキに注いだ。

「乾杯」

 ”リスナー”の声に、慌てたように”芦屋”がジョッキを持ちあげる。

「乾杯」

 いつか、こんな風に過ごしてみたかったから、”リスナー”は、それだけで満足していた。

「ねぇ、芦屋君」
「ん?」
「君に出来ないんだったら――俺が殺してきてあげようか?」

 それは親切心のつもりだった。もう何度も、何度も、そう何度も、”リスナー”は人を殺めてきた。”朝陽時計の世界”で、だ。静かに目を伏せ、それが両親だから何だというのだという気持ちで嘆息する――……そんな時だった。

 ガタン、そんな音がして、カウンター脇の机が持ち上げられていて、気がつけば抱きしめられていた。

「……芦屋君?」
「相変わらず頭悪いな、お前」

 少なくとも高校に行っていた頃は、成績で芦屋に負けた事なんて無い、そう言おうとして、それじゃあバレてしまうからと”リスナー”は口をつぐんだ。

「俺が殺せない理由があるとすれば――……お前が悲しむからに決まってんだろ」
「俺が……?」

 睨み付けてくる芦屋を、呆然としたように”リスナー”が見上げる。

「いつでもそうできただろ、お前には」
「っ」
「お前、本当は家族が好きなんだろ。毎日お弁当を作ってくれたお母さんの事も、誕生日にはプレゼントをくれたお父さんも。俺の前での青野は照れくさそうにいつも自慢してたよな」
「違」
「違わねぇよ。ってか、違うなんて言うって事は、お前やっぱり青野じゃねぇかよ」
「芦屋……芦屋っ」

 ついに”リスナー”は、その名前を呼んだ。

「だからって、だからって、何? 今更俺に出来る事なんて無い。もう俺には新しい居場所がある」
「そこに俺がいちゃだめなのかよ? そこから出て家族を守って駄目な理由なんてあるのかよ?」
「……っ」
「青野!!」
「ダメなんだ、ダメなんだよ、芦屋」
「どうして?」



「もう――死んでる」


 続いた”リスナー”の声に、芦屋は目を見開いた。

「ついさっきだ。君がこの店の扉を開けた時。俺は実家の光景を見た。ここでは、この店では、全部見えるんだ」
「誰が……」
「”飛鳥”……ヒドリだよ。君の所で言う、神道の。玄米茶は、仏教というか法師の”智徳”、エクソシストの”森”、”ゑル駄”にいる武器商人の”かんばせ”と珈琲屋っていうかカニバリズム至上主義の”畔蒜(アヒル) ”、そして君、”芦屋”だろ」
「そこまで調べついてたのか」
「情報屋舐めんな――それで、君が先にこの店に足を運んだら……つまり忙しそうだったら、他の者”飛鳥”を回すって、”森”は決めてたんだよ」
「!」
「さっき俺は、みんな死んでるの確認したよ。君が階段を下りてくる時にね」

 息を飲んだ”芦屋”の前で、”リスナー”は苦笑した。

「君は何も悪くない。悪くないから……けどね、けど、だけど……うあ、ああっ、俺、辛いのかな?」

 笑いながら、”リスナー”が言う。

「人は涙を流して初めて悲しいって自覚するなんて言うのに、俺からは涙が流れてこないんだよ。こんなにさ、何でなのか、胸が痛むのに」

 呟くような細い声だったが、確かにそれは”芦屋”には届いた。
 そして思わず彼は、”リスナー”を、更に強く抱きしめていた。

「ごめん、ごめんな」
「だから、君は何にも悪くな――」
「じゃあ、本当に悪くないんなら、お前を泣かせた自己嫌悪」
「待ってよ、だからさ、涙が出なくて――」
「心、みたいな名前してる、どっかが泣いてるんだろ」

 その様にして、客が暫く来なかった店の中で、二人は暫しの間抱き合い、そしてその後キスをしたのだった。




「えぐいねぇ」

 ポツリと”智徳”が呟いた。

「なにが?」

 クッキーを噛みながら、眼を細めて”森”が笑う。

「恋心を利用するとか」
「相思相愛なんやからいいやん。こっちはただ、『偶然』盗聴してしもうただけやし」
「家族まで殺して?」
「は? 今更何なん? そもそも”芦屋”家の大半を皆殺しにしたんは、本人はしらんにしても、”智徳”やん」
「まぁねぇ――ただ問題は」

 ”智徳”がマカロンを手に取りながら、天井を見上げた。

「どっちも、どれだけ本気で言ってるのかって事だよね。情報屋の”リスナー”と、”愛殺し”の”芦屋”くんだよ? 特に後者は、自分に惚れさせて殺すのが大得意の悦楽者」
「だから見てて面白いんやん。――自分が、”リスナー”の店に先に顔を出せば、家族が殺されるなんて、”芦屋”君は悟ってたやろ?」

そんな二人のやりとりは、静かに溶けていったのだった。