<*>”リスナー”



 朝の五時。
 とっくに人気なんて無かった。
 看板をしまい、フロアの清掃をする。

 それが終わった頃には、”夜月時計の世界”から”朝陽時計の世界”という日常が、俺の手元に戻ってきているのだ。

 俺は池袋の一角にある、地下のBarを経営している。

 ――緑森の眼球が、右の太股に入り込んでから良かったと思うことは、一つだけだ。

 眠らなくて良くなったことだ。

 俺は昔から、眠るのが怖かったし、眠れない日々を過ごしていたのだ。
 寝なくて良い、その事実は俺を幸せにしてくれる。

 不眠症で不登校になってから、勿論他にも理由は沢山あったのだけれど、高校を休学した。だから今も在学したままで、俺は十九歳になった。当時、芦屋大樹あしやたいきとは同じクラスだった。向こうは恐らく俺のことなど覚えていないだろう。

 何でも今の芦屋は、家庭の事情(?)で、大学では”阿部祀理”君こと”安倍榊”様および、”殺戮人形”と呼ばれた過去を持つ”七木亮”を見張っているらしい。どんな家庭の事情なんだろって感じだよね、それ。


 何が言いたいのかって言うと――俺は、年齢を詐称して生きていると言うことだ。
 年齢不詳の情報屋あるいは故買屋・故売屋。
 今の俺のプロフィールはそれだけなんだ。それで良いし、それが良かった。
 皆二十代前半だと思っている様子である。

 なお、今でも帰宅願うようにして泣きながら神社参りを欠かさない両親の姿は、何度も遠くから見ている。俺が眼球を得て一度帰宅し、失踪を決意したあの夜から――三日後には捜索願が出され、一年後には両親がビラを配り、今では神頼みだ。

 両親が望んでいたレールに乗っていたならば、俺は普通の大学二年生になっていたのだろう。敷かれたレールの上を歩くのは、確かに楽だったが、適当に曖昧に巫山戯ながら片足で歩いていた俺は、あっけなく落下した。

 不眠のせいの休学が、まさか別の事態でここまで伸びるとは、両親も考えてはいなかっただろう。私立の学園の高校だから、六年までは籍を置けるらしい。籍が抜けて一年すれば、失踪届も七年目だから、俺は完全に消える。その日を俺は待ち遠しいと思っていた。

 何せ父は浮気相手との間に先日子供が生まれたし(まだ認知しかしていないから非嫡子で親権はないそうだ)。

 母は、愛人契約を結んでいた、余命短い老人に囲われていて、そちらの後妻に入ろうとしている。金が好きなのか、その老人が好きなのか、それとも別の何らかの考えがあるのかは分からない。

 ただ分かるのは、俺の両親は、俺さえいなければ、とっくに離婚していたと言うことだけだ。

 だが俺は、自分の存在を、経歴を、軌跡を消したいから、もうしばらくは彼等の前には何があっても姿を現すつもりはない。


 嗚呼――昼の世界が訪れた。

 シャワーを浴びてから、髪にワックスを付け、それから俺は今日の服装を考える。

 デカロゴ入りの帽子で良いか、くすんだ色のネイビーの。
 首に提げるのは決まっている、今日の気分は巨大な黄色のヘッドフォン、コード類は皆黒く、落下防止用なのかファッションなのかは知らないが、細めのチェーンがついている。

 靴はスニーカーで、そうだなぁ、ニューバランスのシブ色ボールド、紐は白。白いNのロゴが側部にある。

 あとは適当な金とも黄とも区別がつかない色あせ具合で何かが描かれたTシャツを着て、ゆったりした暗めの色のジーンズを穿いた。それからレトロなアウトドア系なのにハヤりの真っ黒デカリュックを肩にかけた頃には、外出用意が整っていた。

 勿論、眠気なんて無い。

 リュックの中身は、昨日の開店前に色々と入れ替えていたので、今日必要なモノは全て揃っている。情報屋、というのは、なにもハッカーだのクラッカーだのを指すわけではなく、字面通り、どんな情報でも売りますよ、と言う職業だ。時折、どこから得たのか分かるとまずいが情報を買い取って欲しい、時には俺同様――『俺の人生を買い取ってくれ』と売りに来る人間もいるから、故買屋だの故売屋などとも言われる。

 そんなこんなで、常に何かを聞きながら過ごしていた俺は、”リスナー”と呼ばれるようになった。最初は目の色から、”翡翠”あるいは、店を始めてからは”マスター”とも呼ばれた。ただ、”マスター”は、”贄羊”の”主人”と、かぶるからなんて理由にすぐに誰も呼ばなくなった。だから今では、己のことを”翡翠”と呼ぶのは、”灯”くらいだ。

 別に呼び名に何て興味はなかったから、他の誰かは”情報屋”あるいは”故売屋”、”故買屋”と呼んでいたと耳にしても、訂正する気も起きなかった。

 何せそんな人々から得たお金で、店の経営をしているのだから。

 新宿界隈の雑踏に紛れ込みながら、俺は考える事にして、適当に座る場所を目で探した。
 丁度良く見つけたのは、スタバのオープン席。

 タッチパネルでぴこんと押せば勝手に、俺の年齢を20歳以上という事にしてくれるコンビニで買ったCoolの黒い箱の奴。実際、”ヤンキー”よりも自分の方が余程不良だろうなと、俺は思う。昔、メンソを吸うと不能になるなんて、誰かが言っていた気がしたが、忘れた。少なくとも、今日の待ち合わせ相手でない事だけは、確かだ。

 スマホで居場所を告げると、すぐに、正面に人影が立った。

「朝に会うのは、初めてか」
「早かったね、”冷梅”……しかも、俺より後に来たのに、アイスコーヒー持ってるし」
「頼んでくれば? 席は確保しておいてやるから」
「頼んできてよ。ダークモカチップフラペチーノ」
「煙草と甘い物を一緒に取る神経が俺には分からない」

 溜息をつきつつも、すぐに俺が希望した通りの品を持って、”冷梅”が戻ってきた。
 俺は笑顔で礼を告げ、それから深く煙草を吸い込んだ。

「で、話って何?」

 単刀直入に、”冷梅”が言った。
 彼は、一番大きな”贄羊”の集団である”遮断機”の”主人”だ。

「”黒キリン”に会ったんだってね」
「は?」

 俺の言葉に、怪訝そうな顔をして、本気で嫌そうに”冷梅”が眉間に皺を刻んだ。

「”殺戮人形”――キリングドール? だっけ。昨日、”雨”が泊まってったんだけど、横文字苦手だし、漢字で呼ぶのも長いから、”キリン”で良いじゃん、って事になったんだ。黒は、髪の色が黒かったから」
「下らねぇ」
「”冷梅”よりはカッコ可愛くない?」
「……否定はしない。で? ああ……要するに、実際に、殺ってる所見て生きてるのが俺だけだから、聞きに来たわけか。ま、言う事はない。それだけや。この前、あの馬鹿――”ネコ缶”? あいつも似たようなこと、聞きに来たけど、同じ事を言ったはずだ。聞いてない?」
「本人の口からは、ね。まぁ、”聴いて”たけどさ」

 黄色いヘッドフォンに片手を添えながら、俺は笑った。

 ――盗み聞きをされるのはいつものことなのかも知れないが、それを相手に伝えることは馬鹿げている。だが、馬鹿げた世界に身を置いている以上、何も言う気は起きない。そんな顔を、”冷梅”は、していた。

「そうだ、小耳に挟んだけど、”遮断機”は、”流転時計”の持ち主を捜しているみたいだね」
「っ」

 あからさまに息を飲み目を見開いた”冷梅”を見据え、静かに笑ってから俺はストローを噛んだ。

「他の”機関”もね」

 今、”夜月時計の世界”には、≪異形≫討伐を名目に、五つの組織がある。
 無論彼等の本音は分からないが。
 彼等は、”夜月時計の世界”の外側、”朝陽時計の世界”でも活動している。

 そして彼等が今、死ぬほど探しているのは、どちらの世界においても機能する”流転時計”なのだ。――同一名称の時計が複数あることも、それぞれの能力も伏せたままで、俺は”冷梅”の表情を見守る。

 なお、”遮断(しゃだんき) 機”を除いた五つの組織は、やはりそれぞれが名前を持っている。

 最も有名なのは、”狐提灯”だ。古から連綿と続く陰陽師の家柄の実力者の集まりで、安倍九尾家と呼ばれる≪異形≫対策の専門家がいるらしい。それ以上の詳しいことは、秘匿されている(が、最近少しずつ分かるようになってきた気がする)。

 残りは、商売人や医者が集う”絡繰傘(からくりがさ) ”。仮に俺が、”贄黒羊”でさえなければ、此処に所属していたことだろう。

 三つめは、”玄米茶(げんまいちゃ) ”だ。こちらは、近代以後に設立された組織で、安倍九尾家以外の、別の宗教――例えば仏教のいくつかの流派や、別の神道、あるいは良く言われるエクソシストなどの、≪異形≫を様々な名で呼びながらも、以前から相手にしていた組織だ。

 四つめは、組織・機関の中でも異質な、”眼球虫(がんきゅうむし) ”だ。それこそ、本の虫だとか、そんな風な意味合いで、ひたすら熱心に研究をしているのだ。主に、”贄黒羊”の眼球を。かといって、敵対しているわけでもない。ただ、捕まれば何をされるかは分からない。ここはそれに、嘗て”灯”が逃げてきた場所だ。

 最後が”騎士団”。一番平和的に≪異形≫を退治しているが、あからさまに、それこそ”遮断機”なみに、”贄黒羊”を憎んでいるらしい。きっと”雨”がいたぶったりしているからだろう。人数的には、”遮断機”に続いて第二位だが、力の強さで言えば、最弱だろう。だからなのか、俺にもあんまり興味が持てない集団だ。

 ぼんやりとそんな事を考えていると、俺の斜め向かいの席に”冷梅”が座った。

「死装束……だろうな、合わせ目が逆だった。そんな着物姿で、刀が瞳の視神経を巻き付けるように動いていた。確実に刀の威力を眼球が上げていたみたいだな。右手首に黒いのに金色に見えるでかい瞳が填ってたから、ああ……日蝕みたいな瞳だったな、”贄黒羊”なのは、間違いない。だけどな、あんな風に、視神経がまとわりついて、意志を持っているように青白く光っている所なんて初めて見た。それと――本人の瞳。確信はないけどな、左目だけが蒼く見えた。あの光は――気配からすれば、間違いなく”贄黒羊”のものだった。見た人間は、咄嗟に目を伏せて後退して跳んだ以外、氷づけになったとまでは言わないが、凍り付いたようになって、誰も動けないまま、殺された。俺同様動けた者も、淡々と殺されていったけどな。ただ、勘違いかも知れない。これまでに、人体の自然な位置に”贄黒羊”の瞳が、適合する大きさで填っているのを見たことはないし、そもそも二つも瞳を所持できるなんて話も聞いたことがない。後は殺し方……だな。”雨”だの”灯”だの”コンポタ”みたいに、虐殺を楽しむ猟奇的な感性を持ち合わせている様子は無かった。強いて言うなら、”ネコ缶”の屠り方に近い。だが、それでも甘いとしか言えなかった――もう死んだ仲間だけどな、殺された軍人がいた。そいつは訓練されていたし、人を命令通りに殺せた……けどな、それ以上だろうな。嗚呼、そうか、”黒キリン”には”首が長い”っていう生まれ持った特質がある、って感覚だ。象なら鼻が長い、出目金の目は出ている、カメレオンは擬態できる、そんな、当然であるかの如く、アイツは人を殺すのが自然なんだろうな。≪異形≫と変わらないのかも知れないな、ヒトの形をした≪異形≫。仮にそんな存在が生まれていたとしたら、ゾッとするしかないけどなぁ」

 蕩々と”冷梅”が語った。煙草の煙を吸ったり吐いたりしながら、時に微笑を浮かべて俺は聴いていた。

 ――人体に、自然に生まれながらの”眼球”は接着するのか?
 ――それは、普段は黒く擬態するのか?
 ――人間にしか見えない≪異形≫は、存在するのか。
 ――何故殺さなくなったのか、何故殺した際の記憶を”黒キリン”は失うのか。
 ――”眼球”の触手が武器に絡みつき、その威力を上げることがあるのか。

 考えることが増えた。
 嘆息して、煙草を消してから、俺は告げた。

「有難う。”流転時計”の持ち主だけど――」
「ああ」
「こちらで――”贄黒羊”側で把握しているのは、”コンポタ”だよ」
「”コンポタ”、か。他は?」
「他?」
「俺は別に、”贄黒羊”が、みんな知ってる話を聞きたいわけやない」
「うん。知ってる。俺的には、”雨”も”智徳法師”も持ってると思う」
「”流転時計”は、全部でいくつある?」
「それは個人的に調査中だし、分かったとしても、さっきのお話だけじゃ、報酬不足かな」
「そうか……なら、良い。分かったら、一応教えてくれ。報酬はそれまでに準備できればしとくわ」
「毎度あり」
「いや、もう一つ」
「ん?」
「――”流転時計”の効果は、全て同一か?」

 その言葉に、表情を変えそうになってしまったから、慌てて甘い飲み物を口にする。
 この質問の意図は何だ?

 まだ半信半疑の段階にしろ、少なくとも現在、”冷梅”は、それぞれの時計の効果が違うと推測しているようだ。

「キャッシュで500万円」
「あるわけないやろ」
「そ?」

 俺は曖昧に笑ってから、立ち上がった。
 困った時は無理難題をふっかけて、濁すに限る。

「有意義な時間だったよ。じゃあ、また」
「出来れば殺し合いの無い場で遭遇したいもんだ」
「同感」

 そう答えてから手を振り、俺は暫く歩いてから嘆息した。
 少なくとももう一人、俺は”流転時計”の持ち主を知っている。





――それは、俺だ。