<*>”コンポタ”



 僕は、きっと俗に言うのならば、”当たり屋”の仕事をしている。
 不思議な黄色の巨大な眼球が右肩に張り付いた日、”流転時計”を、僕は拾った。
 見た目は普通の懐中時計だった。

 ただし足首につける仕様らしく、それは所持している人間にしか視えないのだとか。
 ”贄黒羊”の中でも、滅多に持っている人がいないらしい。

 自慢に思って、僕はそれを見せて歩いた。

 一番気分が良かったのは、時計が見たければ、足を舐めろと言って、”ネコ缶”を跪かせたことだろうか。あの時の嫌そうな顔――本当、ゾクゾクする。僕は、子供が嫌いだ。だから、それなりに(あくまでもそれなりに)大人な”ネコ缶”――嵯峨旭刑事の事は好きだ。なぜなら僕は、大嫌いなのが子供だとすれば、大好きなのが『僕を嫌いな人』だから。

 嫌いって良いよね。

 それだけ僕に執着してるって事だから、気分が良くなる。
 そんな事を考えながら、僕は、今日は派遣先の工場で、パンフレットに紙を挟むお仕事をしていた。恐らく後五日前後で辞めるだろう。

 僕は、派遣で生きている。ただ、派遣ですら続かないというか、続ける気もない。

 今年一年だけを振り返っても、ベンチャー企業のSE→ケーキの工場→一次受けのIT会社→コンビニ→印刷会社、等々はまわった。コンビニにも派遣ってあるんだと少しだけ意外に思った覚えがある。

 まぁそんな僕は、基本的に、お金が貯まれば仕事を辞め、お金が無くなったらまた働くというのを繰り返している。

 それが、ある意味真っ当な仕事だ。体裁は兎も角。

 真っ当ではない仕事――僕は、”当たり屋家業”を営んでいる。
 わざと車の前に飛び出して、人身事故を起こして、相手から金をせびるのだ。
 強請だ強請。

 何せ”流転時計”を手に入れてから、僕は”朝陽の世界”でも、死ななくなったのだから。何処までされれば死ぬのかだとか、不老なのかだとかは、検証していないから分からない。

 だが、別にいいやと思って生きている。
 ああ――初めて、”ネコ缶”と出会ったのも、そんな時のことだったな。

 あの日僕は、仕事帰りに、暗い道路を歩いていた。勿論歩道で、横断歩道のすぐ側に待機していたのだ。後は、丁度良い車を見つけて、轢かれればいい。

 夜という事もあって、どの車もスピードを上げていたが、中々人気が絶えないため、示談の対象が見つからない。

 今夜は諦めようかと嘆息した――その時だった。

 周囲の人影が消えた時、黒塗りの車が走ってきた。
 僕は勿論、車道へと躍り出た。さて、どんな反応が返ってくるか。
 楽しみにしていたが、車は僕を轢き、そのまま走り去った。え?

 何コレ、何コレ、ひき逃げ?

 僕は自分が悪いことをしている自信はあったが、基本的に”朝陽時計の世界”の法にひっかかる様な行為は許容できない、不思議な正義感を持っていた。殺すのと、酒を飲むのと、煙草を吸うことだけは、個人的に許可しているが。

 僕を轢いても停止しなかったくせに、すぐ側にあった次の赤信号で、あっさりと黒い車は停止した。

「ちょっと」

 運転席の窓硝子まで歩み寄り、コンコンと僕は二度叩いた。
 すると静かに扉が開いて、中には気怠そうな無精ヒゲの青年がいた。

「なんだ?」
「轢き逃げは良くないでしょ」
「そうか、悪かったな」

 淡々と口にし、扉を開けて青年は降りてきた。黒スーツに黒いネクタイ、くすんだ色の緑のコートを羽織っていた。そして彼は、僕の眉間に拳銃を当て、二発撃った。

 呆然とし後ろに吹っ飛んだ僕を、暫し彼は眺めていた。

 丁度そこは駐車場だったらしく、そこを囲むように狗尾草が生えていたのは覚えている。
 アスファルトに叩きつけられた僕の頭は傷が付き、貫通した銃痕からは、血がダラダラとこぼれていた。

「最初から、銃殺にすれば良かった。気が利かなくて悪いな」
「いやいやいや、ちょっと待って。気にするところ、明らかに違うと思うんだけど」
「ああ、とどめを刺さないとな。一応」

 車に再び乗り込んだ青年は、バックして、僕の体をタイヤで踏んだ。
 ばきばきと骨の折れる音が響き、僕の口からは止めどなく血がこぼれてきた。
 そのまま走り出した黒い車を暫し見据え、立ち上がった僕は、”流転時計”に触れた。
 これは、全てを無かったことにしなければ、きっと絶命してしまうからだ。

 ――なんだか、肉体的にも気分的にも疲労したなと思い、僕は池袋のBarに向かった。

 ”リスナー”の店だ。”流転時計”を手に入れたことを散々自慢した店でもある。

 中へと入り、定位置に座った僕は、奥の常連席を見て、目を見開いた。

「あ」

 思わず声を上げ、睨み付けてしまった。
 これまでには、その常連さんらしき青年と話したことは一度も無かった。この店には普通の客も来るから、僕はどちらかと言えばそちらと話していることが多かったのだ。だから顔をはっきりと見たのも初めてだった。

「さっきの轢き逃げ犯」
「この前店中に聞こえる声で、”流転時計”の力で、現実でも死ななくなったと言っていただろう」
「だ、だからって、え、何? 僕の顔を知っていたから轢き殺したって事?」
「当然だろ」
「犯罪だって分かってやったって事? 普通警察沙汰だよ?」
「”当たり屋”なんてやってるクズに言われてもな。それに警察は俺だ」

 ジョッキを傾け飲み干しながら、無表情で青年が言う。
 ”リスナー”が次の麦酒を用意する間に、彼は黒いネクタイを緩めていた。

「今更だけど、よくお会いしますよね」
「そうだな、多分」
「お、お名前は?」
「聞いてどうするんだ? 通報する気か?」

 次のジョッキを受け取りながら、嘲笑するように彼は嗤った。
 何かムカツクなぁと思って眼を細めていると、”リスナー”が酒のメニューを差し出してくれた。

「何飲む?」
「んー、日本酒。なるべく辛い奴。高知とかの」
「浦霞しかないよ、この店には」
「じゃあそれ、冷酒で」
「つまみは?」
「コレで良いよ、お通しのミックスナッツ」

 そんなやりとりをしてから、僕は改めて彼を見た。
 日本酒とミックスナッツの不協和音っぽい組み合わせは気にしない。

 すると目があった。ぼんやりとした気怠さが宿るのに、切れ長の瞳は、今にもあっさりと僕を殺しそうに見える。気に入ったのは、多分その時だ。

「”ネコ缶”だ」
「え?」
「”ネコ缶”――いつの間にか、そう呼ばれるようになった。お前は? 確か……”コンポタ”だったか」
「うん、そう」
「別によろしくして欲しい訳じゃないし、絡むなよ」

 店内には現在、”リスナー”を除くと、僕ら二人しかいなかった。

 そう、そうだ。
 あの日以来僕は、何度も何度も、それこそ何度も、”ネコ缶”に殺されに行くようになったんだ。

 それから――気がつくと僕は、”ネコ缶”に嫌われたくて仕方が無くなったんだっけ。
 あるいはそれも、一つの愛の形だからなのだろう。
 僕は昔一度だけ、今思い返せば『恋』というものをした事がある。
 だがそれは上手くはいかなかった。

 僕がその相手を、殺したからだ。彼は、全く僕に興味を持ってくれなかったから。

「ねぇ、義父さん。今、何処で何をしてるの?」

 酔いに任せて僕はポツリと呟いた。
 天草創助(あまくさそうすけ) 、それが僕が多分唯一恋をした相手の名前だった。
 どんな顔をして行けばいいのか分からないまま、僕は自分で殺したくせに、葬儀へと参列した。その時出会ったのが、天草クリニックを経営している祐助先生だった。

 僕の義父は、天草創助さんだったのだ。
 だけど――彼の実兄だった創助さんと、実弟だった祐助先生はあまりにも違いすぎた。


「土の下の骨壺の中じゃない?」

 まさか、祐助先生と、リスナーのお店で再会するとは思っていなかった。

 何よりも天草祐助と”ネコ缶”の仲が良いという事実を知った時にも、僕は何故なのか、酷く苛立った。


 ――その日、も。
 気づくと僕は、天草クリニックへと向かっていた。

 別に何か、薬が欲しいというわけではなかった。本来は外科が専門らしいが、天草クリニックは内科を看板に掲げていて、呼吸器・リウマチ・風邪・インフルエンザ・心療内科・精神科まで、なんでも見ているらしい。この適当な性格も、創助さんと違いすぎて嫌いだ。嫌悪すら覚える。

 だけど、コレもまた執着なのだろうと僕は思う。
 嫌いだと思う彼のことを、僕は時折、無性に殺したくなるのだ。

「今夜は雨が降りそうだね」

 僕は、”流転時計”の力も手伝っているのか、ぬいぐるみや人形を出現させて戦うことが出来る。だが、どちらの時計の世界にも属さず、平穏に太陽の下を歩いている祐助先生に限っては、いくら攻撃しようともすり抜けられるだけだ。また、それらの武器は、僕の感情に呼応して出現するらしい。

 白いカーテンに手を添え、先生は窓の外を見ていた。雨脚が強まっている様子だ。

「傘と寝台、どちらを貸して欲しい?」
「祐助先生の体を貸して欲しい」
「僕の体の貸し出し料金は、高いよ?」
「いくら?」
「前提条件として、まず三つがある」
「なにそれ」
「其の一、”ネコ缶”を、いい加減諦めること」
「は? 諦めるも何も……」
「人が話してる時は遮らないの。そこら辺が、まだまだ子供だよね」
「うるさいな。じゃあ、二つ目何なの?」
「其の二、”当たり屋”とか、”無意味な怪我”を、しない事。まぁ僕はそんな世界の存在を信じてはいないから、言う権利がないのかも知れないけど――僕が知らず、僕の知らない場所で、君が怪我をしたなんて話を聞くのは、なんだか嫌だ」
「僕の体の腕が切り離されようが、足がもげようが、関係ないだろ」
「どうかな」
「で? ラストは?」
「うん、其の三。ちゃんと、いい加減に兄さんのことを忘れて、僕を見てくれること。見て欲しいんだ。嗚呼、コレじゃあただの条件じゃなくて、僕の願望か」

 そう告げると苦笑を漏らしながら、天草祐助が珈琲サーバーの前に立った。
 今まで、それこそ単純に、性欲が起因して肌を重ねること以外では、見たことのない彼の体は、白衣の奥で酷く細く見えた。そもそも、こんな条件を出された事は今までには無い。

「分かってる、分かってるつもりなんだよ、コレでもね。君は創助兄さんを忘れられないから、中身は全く違うけど、代わりに僕を抱きたいって言うんだ。そして――兄さんは君に興味がなかったから、抱いてはくれなかったし、抱かせてもくれなかったんでしょう?」
「……まぁ」
「その時辛くなかった?」
「――何が言いたいの?」
「別に”コンポタ”だっけ? 君が、兄さんを好きでも良いんだ。思い出は美しいものだし、叶わなかった愛にはきっとずっと永遠に恋こがれるものだから。だけどね、それでもね――君がいつか味わったものと多分そっくりな感情を、今僕はいだいているんだよ。好きな人に、興味一つもってもらえない。それだけ。馬鹿みたいだけどね」
「祐助先生」
「何? ひいちゃったかな?」
「僕のこと好きなの?」
「その好意を利用されない程度には、恐らくね。君が嵯峨君に毒を盛れと言っても、僕はきっとそれはしない」
「”ネコ缶”とデキてたんじゃないの?」
「そう見えた?」
「だから僕は、先生には興味があったよ。君を殺したら、”ネコ缶”は、どんな顔をするかと思ってさ。同時に、それだけ執着される先生のことが、大嫌いだ」
「ああ、嫌い、か……」

 何でもないことのように、つらつらと僕は続けたのだけれど、『嫌い、か』と、消え入りそうな声で、なのに苦笑していて、それでいて泣きそうな顔をしている天草祐助を見ていたら、息苦しくなった。

 何度現実世界においてですら、人を殺める事にすら何も思わなくなって久しいから、人体から流れる涙になど、興味はそそられないはずだったのに。――ただ一滴だけ、苦しそうな辛そうな笑顔を浮かべて、涙の下をぬぐい、天井を見上げた天草祐助の表情が、脳裏に焼き付いた。

 天井から視線を戻した時、彼はいつも通りに笑っていた。

「寝台は、奥のを使って」

 そう言った彼の白衣を、気づけば丸椅子から立ち上がり、僕は引き留めていた。

「……何?」
「まだ、条件聞いただけなんだけど。それも前提条件。高いらしいけど、何?」
「笑わない?」
「うん」
「キスして。優しく」

 苦笑しながら、天草祐助が口にした。苦笑が浮かんでいたが、まだ悲愴を宿した瞳からは水滴がこぼれ落ちそうになっていて、必死に泣くのを堪えているのだと分かる。

 気づけば僕は、思わず先生のことを抱きしめていた。いつもゆったりとした白衣に身を包んでいたから、その骨張った身体のことを知らなかったのだろう。呆然としたように、祐助先生が額を、僕の胸元に押し当てた。というよりは、僕が押し付けた。

「キス一つなら、安いものだよ」
「前提条件満たせてからならね」
「じゃあ、質問。其の一、僕は”ネコ缶”の何を諦めるわけ? まさか先生こそ、僕らがデキてたなんて、本気で思ってないよね?」
「……でも」
「でも?」
「僕ですら知らない嵯峨君の家を、大概全部”コンポタ”――四條君は知ってる」
「僕の兄さんが、四條家っていうちょっとした名家で、調べてくれてるんだよ」
「嗚呼、創助兄さんと由香義姉さんの所か。でも、どうして? 確
か、一人目が……由馬くんだったね。二人目は、由季くんか。それで三人目が、由唯くん……由唯君が、君だね」
「今は、そんな親戚の話は良いから。ようは、其の一のマンションはそう言うこと。強いて言うなら、あいつの好きな者を殺したら、どんな顔するんだろってゾクゾクするから、嫌がらせをしたい、って、ところかな。けどこの僕の趣味思考を此処で消し去るのは無理だって、先生だって分かるでしょ?」
「……うん、多分」
「ただ、少なくとも、苦痛を見る顔が好きなだけだから、好きだの愛だのは、絶対にないと断言できるよ。これじゃ、条件1の”諦めた”には該当しない? 最初から、諦めるも何も、そう言う興味の対象じゃなかったけど」
「該当……するかな」
「じゃ、条件2。これさぁ、昼なら怪我しても良いの?」
「不可抗力じゃなければ駄目だよ」
「夜も、そう言うこと?」
「そう言うこと」
「じゃあ怪我したら、ここに来る。これで、其の二の条件はクリア? 嗚呼、自分から”当たったり”はもうしない事にする。アレは半ば仕事だからいつでも止められる。それなら不可抗力の怪我しか、してないから」
「……そう。満たしているかも知れない」
「其の三、に行って良いかな。はっきり言って、最近じゃ、思い出す頻度が格段に減ってたよ、でも、やっぱりきっと、まだ好きなんだ」
「うん。僕も、それで良いと思ってる。兄のことを一生覚えていて欲しいんだ。忘れ去られた時こそが、ヒトの本来の死だと思うから」
「そっか。後は――確かに僕は、祐助先生に対しては、創助さんの弟だとか、”ネコ缶”が殺したら悲しむだろうか、くらいにしか思っていなかったんだよ、正直」
「知ってる」
「だけど僕はちゃんと知ってる。好きな相手に、興味を持ってもらえない苦痛を」
「同情してくれるって事?」
「さぁ、けどなんでなんだろ、僕は今、そんな顔で僕を見る先生のことを、どうしようもなく抱きしめたくて、キスがしたい」

「ッ」

 息を飲んだ先生の唇を、僕は反射的に奪っていた。
 柔らかい唇、そしてその奥にある、官能的な舌。

 それだけで――それだけで、十分だった。

 苦しそうに口を離した先生を見て、息継ぎの仕方にすら慣れていないんだろうなと思えば笑ってしまった。

「それと、先生は創助さんに似てないよ。顔の作りはそっくりだけど、中身と表情が違いすぎるから、同じ人には見えない。なんだから、それはSEXする理由にはならない」
「っ」
「今日僕は、奥の寝台を使わせて貰うよ。最後の条件をまだクリアできてないのに、高額報酬は払っちゃったけどね」

 僕がそう言って肩を竦めると、肩で息をしながら、目を丸くしたままで、何度も何度も祐助先生が頷いた。

「だけどこの僕に絡め取られるなんて、本当に馬鹿な奴」

 僕はその夜ポツリと失笑してから、眠りに落ちたのだった。