<2>意志のない人形の意志(※)


 その後、新幹線を降りてからの記憶はない――……しかしその間にあった出来事を、嵯峨はよく覚えているし、それは”狐提灯”の人間も同じだろう。


 それは、白い雪が夏の夜空に待った直後の出来事である。



 ――一宮宗信の前で咆哮しようとし、前足で蹴りつけようとしていた【人馬ウツロ】は、首を刎ねられ崩れ落ちた。どちらか片方の攻撃を受けていれば、ほぼ一宮の死は確定的だった。本人にも周囲にもそれは分かっていた。

 ただそれでも、そこにいる一宮の存在を許容していたのは、待避ではなく残るように強要していたのは――単純に”榊様”の存在があったからだった。あるいは、それは、”祀理”に対しての想いに代わっている者もいたのかもしれなかったが。

 ただ――眼前で【人馬ウツロ】の首が跳ぶのを一歩だけ下がって目を細めて見ていた一宮は、信じられない思いで瞬間的に目を見開いてみていた。着物に跳んできた体液がかかった事など、何も気にならなかった。誰かが、一撃で最も強いと言われる≪異形≫を倒したのだから。

 これは――この、圧倒的な強さは何だ? そんな冷静な思考が即座に巡る。

 そこに現れた若い青年は、そんな事には構わぬように、周囲を見回し眺めていた。
 白い頬は無表情で、なのに酷く綺麗だった。青がさしたような黒い瞳。猶言えば、片目にはそれこそ青紺としか言えない色を宿し、何もかもを凍り付かせるかのように鋭く、細められていた。

 周囲には結界を張り終わった面々と、未だ≪異形≫を一体ずつ切り捨て苦戦しながらも、こちらへとなんとか向かおうとしている人々が見える。

 ――その瞬間だった。

「え?」

 呟いたのは、八坂の舞理だった。戦っていた四人、戦力が高い七木・六月・八坂・四條が相手にし、そして彼等を囲んでいた≪異形≫の首が全て刎ねられた。

 呆気にとられた様子で、六月と四條が、その光景を凝視している。
 その前でも、≪異形≫達は、首が元々存在しければ半分に裂かれ、縦に裂かれ、体の中央には刀を突き刺されて、瓦解し消えていく。

 数百はいた≪異形≫達は、ものの数秒で、全て塵芥と化した。ただ残った体液と血液が、飛び散り、あるいは水たまりを作っているだけだった。

「……亮?」

 呆然としたように七木家当主の弘が呟いた声が、静かな夏の夜に響く。消え入るような声だったが、それで、七木家以外の当主は皆悟った。

 ――”殺戮人形(キリングドール) ”だ。

 以前の≪百鬼夜行≫で力を失いただの一般人、それも一般人以下の頭の悪い、使用人にも出来ない、普通の子供として、それ以後は、学生となったと聞く七木弘の弟の名――それは確か、七木亮であり、嘗て”殺戮人(キリングドール) 形”と呼ばれていた”狐提灯”唯一の”贄黒羊”の名前で、最強の力の持ち主ではなかったか?

 その声に、体液で頬を汚した、元々は白磁の頬を持つ若い青年が、双眸を細め半眼で、その場にいる九人を、冷たい目で一瞥した。

 瞬間――弘を含めた全員の背筋に、怖気と言うにはあまりにも冷たすぎる恐怖が駆け上がった。

 ≪異形≫を相手にしているのであれば、まだ”生きている”と感じたり、”熱”を感じたり、するものである。だが、そこに横たわっているのは、ただの”無”だった。

 全員が目を見開こうとした時には、もう既に、”殺戮人(キリングドール) 形”の姿は無かった。呆然としながら、それから地に落ちるナニカの音を聞き、彼等は首を向ける。そこには、首を刎ねられ、あるいは斜めに上半身と下半身を別たれた無数の人間の死体が転がっていた。皆が、騎士のような黒い服を着ている。

 それまで他者が、安倍九尾家以外の人間が周囲にいる事など、誰も気がついては居なかった。

 それから再び、血濡れの頬を拭うでもなく、死に装束らしき白い着物を纏った”殺戮人”が、九尾家の皆の前へと立った。

 その場の威圧感と冷気が、どんどん増していく。嗚呼、これは――一歩でも動けば、身じろぎでもすれば、その瞬間に殺される。そんな事実を何故なのか、全員が理解していた。

 けれどたた”殺戮人形”は、無表情でいる。

 ≪異形≫を屠った事は兎も角、敵かも味方かも分からない相手、それが≪人≫であるにも関わらず、一瞬で殺した青年。だが畏怖を覚えるよりも先に、綺麗だと誰しもが思った。浴びている返り血すらその美しさを煽り、着物に散る血は、華のようにすら見える。

 その時――一瞬、”殺戮人形”の姿が消えた。

 次に同じ場所に彼が立った時、安倍九尾家の各当主は、七木弘以外の当主は、全員が頬と首、そして腕に刃が突き立てられ斬られている事を自覚した。一宮だけは、斬られた腕が、皆と逆だった。≪異形≫に喰いちぎられたのとは、逆の腕だった。また、祀理を抱きかかえていた二葉は、腕ではなく、足を切り裂かれていた。

「”榊様”を置いて去れ」

 氷のような声音で、小さな声で、ポツリと”殺戮人形”が無表情で言った。誰も、何も言えなかった。

「――亮」

 意を決し、改めて、七木弘が声をかける。すると、彼の首の真横の壁際に、”殺戮人(キリングドール) 形”が刀を突き刺した。息を飲む暇すらなかった。

「御当主様、私は”榊様”を、お守りする事を、御当主様を、お守りする事よりも優先するよう命じられております」

 その目は、普通の兄弟が交わすような温かい視線とはほど遠く、”殺戮人形 ”の瞳には、何も映っては居なかった。

 七木弘は、頷く以外の答えを持ってはいなかった。

 それを確認した後、”殺戮人形”は、二葉が抱える”榊様”――祀理の方へと歩み寄ろうとした。

 ――その瞬間だった。

 銃声が谺し、皆の視線が一方向へと集まった。その時には既に、そちらへ”殺戮人形(キリングドール) ”が近づき、間合いを詰めていた。

 その刀を大きな銃の側部で受け止めながら、淡々とその場に入ってきた青年が溜息をついた。今にも”殺戮人形(キリングドール) ”が刀を振ろうとしたその時――「黒キリン」と、青年が呟いた。シャツに黒いネクタイをしめ、黒い背広を着ていて、上には暑くないのかと問いたくなるような、深緑色のくしゃくしゃの外套を着ている青年だった。

「黒キリン」

 再度ゆっくりと青年が口にした時、”殺戮人形”の瞳が揺れた。
 刀が僅かに震えたのを見て取って、七木弘は息を飲む。

 ――安倍九尾家の各当主を守るために戦うのは、そして弟を殺して生きていくのは、己に科せられた運命なのではないのかと。

 その隙があるのはきっと、今だけだ。
 例えそれが、愛する弟の結末であっても、だ。
 気づいた瞬間には動く――……それが、戦う運命を一番科せられた、七木家の矜持であり、家訓だった。今しか殺す機会はない。皆を守る機会はない。

 間合いを詰め、動きを止めた弟を、やってきた青年ごと斬っても良いという気持ちすら抱いて、刀を振りかぶる。その瞬間だった。

「っ」

 己の額に、ピタリと冷たい感触がした。
 見れば現れた青年の巨大な武器の銃口が、己の眉間に当てられていた。

 一瞥すれば、辛うじて振り返ろうとしていた”殺戮人形”――弟の、何か不思議な触手のような視神経のようなものが絡みついた刀を、刃ごと握りしめている青年の手があった。片手で刀を握り制して、もう一方の手で、己へ向かって銃口を宛がっているのだ。ポタポタと刃を掴む手からは、血が滴っていた。

「ナナキ」

 その時青年が、静かに唇を動かした。弘はそれが自分ではなく、弟へと向けられたものだと、何となく確信していた。とても優しい声音だった。

「もう終わったんだ”榊様”は無事だ」

 彼の言葉に、先ほどまでとは異なり、今度こそ大きく”殺戮人形”が目を見開いていた。

「お前の”友達”の”祀理”は、無事なんだ。無事なんだよ。俺が保証する、お前のおかげで助かったんだぞ、ナナキ。お前の大親友がな」

 優しく告げた彼は、穏やかな顔で、”殺戮人形”を見据えていた。
 威圧感も恐怖も何もかも、気にしている気配なんて全く無い表情で、静かに双眸を伏せる。きっと片方の掌で掴んでいる刃の痛みだって、半端ないはずなのに、”殺戮人形”にも何故なのか、彼の手を切り落とす気配は見られない。

 それから目を見開いた来訪者の青年は、今までの表情を消し、強い眼差しで”殺戮人(キリングドール) 形”を見た。

「ナナキ!!」

 そして叫ぶようにそう告げ、無理に”殺戮人(キリングドール) 形”を抱きしめた。銃口が離れたが、弘もまた目を瞠り、何故なのか動けなくなっていた。

「っ」

 ”殺戮人形(キリングドール) ”が息を飲んだのが分かる。

 その内に、力が抜けていくかのように、青年の腕の中に、”殺戮人形 ”――確かに、弟である、泣きたいぐらい愛している、亮が倒れ込んだのを、七木家当主である弘は見て取った。

「……あれ……僕……」

 すると、虚ろな瞳で、紛れもなく今度は”弟”の声が聞こえた。
 響いて聞こえたその言葉に、弘は刀を取り落とし、気がつくと唇を噛みしめていた。そして気づけば、泣いていた。頬を、温水が滴っていく。

「――お前ら、”狐提灯”だろ?」

 その時、青年がかけた言葉で、ようやく全員が我に返った。

「ナナキ……ああ、弟の方、って言った方が良いのか? が、気づいて屠ったのは、全員”騎士団”の人間だ。何か恨みでもかってるのかは知らないが、結界をぶち破って、中に≪異形≫を招き混んでたのは、奴らだ。”贄羊”同士の殺し合いは、どうせ朝には消滅してるんだから、罪には問われない」

 青年のその言葉に、刀を拾い、掌の中で消しながら七木弘が、倒れ込んでいる弟を心配そうに見据える。その横まで歩み寄り、一宮宗信が顔を上げた。そして半眼で聞く。

「助かった。まずは、その事の礼を言おう」
「別に良い。ナナキは、あー、コイツの方な、面倒だから俺の口から”ナナキ”って名前が出たら、コイツの事だと思ってくれ。ナナキは、どうしても友達を守りたかったみたいなんだよ。”榊様”って呼ばれてるらしいが――祀理の事を、だ。阿部祀理。お前らに加勢したわけでも何でもない。ただの利己的な友人への感情にすぎない。俺はコイツのそう言うところが好きなんだけどな」

 嘆息しながら、気怠そうに青年が言った。

「煙草吸っても良いか? 携帯灰皿なら持ってる」
「好きにしろ、それで、お前は?」
「そう言う事なら好きにさせてもらうが――」

 そう言って一本銜えて火をつけながら、青年が改めて一宮を見据えた。

「着物に匂いが移ったりするんじゃねぇのか?」
「――ある意味、助けてもらった以上、構わない、というか、我慢できる。それよりも質問に答えろ。お前は誰だ?」
「”贄黒羊”だ」
「ッ」
「”ネコ缶”なんて馬鹿げた名前で呼ばれてるが、本名は嵯峨。刑事だ」

 息を飲んだ一宮に向かい、警察手帳を取り出しながら、意識のないナナキをお姫様でも抱くかの様に抱き上げる。

「”狐提灯”とは、戦略的友好関係。特に争っても居ない。ここにる”黒キリン”――要するに黒髪の”殺戮人形”の略称で呼ばれているコイツの今の居場所の”仲間”だよ。コイツを連れてきたのは、ただの厚意だ。すぐに帰る」

 ”ネコ缶”のその言葉に、一宮が一歩、歩み寄る。

「待て」
「あ?」
「今夜は何処に泊まるんだ?」
「まだ決めてないな。探そうとしてたんだけど、電波が悪くてな。それから、着いたら探そうとしたら、”黒キリン”――ナナキが走り出した。駆けつけてくれる友人がいるなんて、そんな親友がいるなんて”榊様”が羨ましい限りだよ。ただまぁ、もうちょっと穏便だと良かったんだけどな。あ、ちなみに普段は温厚だぞ」

 そう告げると”ネコ缶”が苦笑した。

「――礼に、九尾で部屋を用意する。それに”殺戮人(キリングドール) 形”……”黒キリン”は、ナナキリョウは、こちらの縁者だ。親戚だからな。たまにの帰省だ」
「そうか。もう午前二時を回ったところだし、助かると言えば助かるな――ただなぁ」
「なんだ?」
「”殺戮人形”の意識が無い時に手を出すなよ。本人には、”殺戮人形 ”の時に何をしたかの記憶が無くなるらしいが、命の危機は兎も角、特に緊急時――例えば、何て言えばいいのか、今回みたいに”榊様”に手出しなんかすれば……何かあれば、お前らが死ぬ事になる。どうせ――俺達……ナナキと俺は、別々の部屋に案内されるんだろ?」

 目を伏せ静かに笑った”ネコ缶”の言葉に、僅かに表情を硬いものへと変えながらも、一宮は大きく頷いた。

「この目でしっかりと実力を見た、安倍九尾の人間が、手出しできるわけがない」
「それは勿論、”榊様”に危険が迫ってもヤバイって事も分かってるんだろうな?」
「勿論だ」

 その回答に、暫しの間眼を細めて一宮を眺めた後、口角をつり上げて”ネコ缶”が頷いた。こうしてこの日、彼等は、安倍家の本家に泊まる事になったのだった。