<1>”ネコ缶”の模様替えと、恋人達


 何がどうしてそうなったのか、嵯峨には全く分からない。

 嵯峨の記憶が正しければ、”コンポタ”は”天草祐助”と仲が悪かったように思う。悪くなくとも、お互い興味を持っていたとは思えなかった。

 二人の間に親戚関係があることも、全くといって知らなかった。
 なのだから”コンポタ”の本名が、”四條由唯”だなんて知るよしもない。

 それなのに――なにがどうしてそうなったのか。

 最近の嵯峨は、珍しく同じマンションにいる。
 本人としては、同棲しているつもりはない。
 朝になれば、大学へ行く前に、最近”黒キリン”と呼ばれるようになった、ナナキは帰っていく。七木亮が本名だという事くらいは知っていたが、ナナキ以外の名前で呼んだこともない。ただ少なくとも、それなりには、嵯峨はナナキのことを考える日が増えた。

 顔を見ない日が在れば不安になるし、何故なのか寝入っている姿を見れば、胸が痛む。

 この”夜月時計の世界”に囚われているのだから、いつ何時死んでしまうかも分からない。本当ならば、可能ならば、職務を放棄して一緒にいたいくらいだ。

「いやもう、絶対それ、恋だから」

 断言された嵯峨は、リビングの入り口を開け放ち、煙草を銜えたまま眼を細めた。

 長く黒いソファの上には、うつぶせになって足をバタバタさせながら、雑誌を読んでいる”コンポタ”がいる。その頭の前には、天草祐助が座っている。

 向かいの席には、何故なのか『人の心の声を読み取る能力』を時折発現させる”リスナー”がいた。それは”リスナー”の武器の副産物らしい。例えば”霙”こと”ヤンキー”が、”全ての汚れを消し去る”ような能力を得ているのに近い。

 現在は昼間だから、情報屋の”リスナー”が、店を閉めた後、此処の場所を知って訪れたのは分かる。”コンポタ”も、何故なのか己の家を知っていることが多いから、此処にいるのは分かる。そして

 この家の場所は、いつか気絶した”黒キリン”――ナナキの往診に来てもらったことがあるから、プリンを食べている医師の天草祐助がいても、おかしくはない。

 だが、三人が揃って此処にいる理由は、全く持って分からない。

 その上、先ほどの”リスナー”の断言。
 一体それは、誰に対してのものなのだろうか。

「恋って良いよねぇ……先生、プリン食べさせて」

 雑誌の上に頬杖をついて、”コンポタ”が楽しそうな顔をした。

「え」

 狼狽えたように”コンポタ”を見据え、口をパクパクさせている天草。

「あーん」

 目を伏せ、口を開いた”コンポタ”。

「っ、く」

 羞恥からか息を飲み、目を伏せ斜め下へと首を動かしてから、意を決した様子で目を開き、真っ赤な顔でプリンを差し出す天草。

「ん、美味しい」

 飲み込んでから満足げに笑う”コンポタ”。

 ――オイオイオイオイ、ちょっと待て。一体どういう状況だ?

 そんな心境で、自分の家であるはずのリビングで繰り広げられているイチャイチャ(?)っぷりに、思わず嵯峨は、扉を開けたまま、固まっていた。

 煙草の灰が落ちそうになる。

「さ、嵯峨君、実はさ――……」

 恐る恐ると言ったように、天草が嵯峨を見た。

「何かむかつくなぁ。”ネコ缶”には言えないわけ?」
「いや、その、なんていうか……」
「祐助先生」

 焦っている天草と、冷たい顔をした”コンポタ”……二人の姿に、困惑しながらも、漸く嵯峨は、灰皿に煙草を置いた。

「先生。僕、怒るよ?」
「っ」
「喧嘩別れしちゃうよ?」
「……」

 眼を細めているのに、笑顔で言う”コンポタ”の言葉に、天草が息を飲み俯いた。
 あんまりにもその姿が憐憫を誘う。酷く哀しそうだった。

 ――ああ、やっぱり僕なんかじゃ、駄目なんだろうな。いつでも捨てられる。
 息苦しくなって、天草は俯いたまま唇を噛んだ。
 恋がこんなに辛いものだとは知らなかった。勿論、待つ辛さは知っている。だが、惚れた方の弱みというか、叶った恋の終焉への恐怖と、相手と自分では自分の方が圧倒的に好きだという悲愴は知らなかった。

「いや、あの、先生――……ああ、もう、可愛いなぁ!」

 ”コンポタ”は、呟くように言った後、叫ぶようにしてから、天草を抱きしめた。
 急にソファから起き上がったため、雑誌が落ちる。
 目を見開き、押し倒されるように抱きしめられる形になって、天草が息を飲む。
 その唇に、小鳥のようなキスをしてから、”コンポタ”がイヤミに笑って嵯峨を見た。

「先生さぁ、また余計なこと考えて一人で不安になってるんでしょ?」
「え……」
「僕がどれだけ執着心が強くて嫉妬深くて束縛激しいか、まだ分かってないの?」
「……」

 分かるはずがなかった。何せ、執着された覚えも、嫉妬された覚えも、束縛された覚えも、天草にはない。もう、見るからに全部、実行されているにもかかわらず、叶った恋の不安さから、天草は何も見えないのだ。

 また哀しそうな顔で曖昧に笑った天草を見て、呆れた顔で”コンポタ”が溜息をついた。

「簡単なことでしょ?」
「だって君は――……」
「もう先生の哀しい妄想は止めて。止め止め! 辛そうに笑うの禁止! 良い? 先生が今すべきことは、たった一つ。それで全部解消されるんだから」
「? 僕は何をすればいいの?」
「だーかーら! 何のためにここに来たの? 忘れたの? 記憶力悪いの?」
「ああ」

 頷いた天草は、それから嵯峨を見た。

「その……僕たち、付き合うことになったんだ」
「……そうか」

 そんなの見ていれば分かる。まだ点いたままだった煙草をもみ消してから、嵯峨は漸く一息付けた気がして、ネクタイを外した。

 成る程、既に付き合っているらしいが、先ほどの”リスナー”の言葉は、この二人に向けた発言だったのだろう。

 そこへ”リスナー”が、嵯峨へと視線を向けながら声をかけた。

「本当、幸せそうで良いよね」
「ああ、そうだな」

 だが何も、自分のマンションでやらずとも良いだろうと思いつつ、ましてや何故自分にわざわざ告げに来たのかいまいち分からない嵯峨は、首を傾げた。

「自分も、あんな風になりたいとは思わない?」
「いや、全く」

 首を振りながら、思わず落とした鞄を拾う。
 三人も人がいることが衝撃的すぎて、リビングに入るなり、いつの間にか鞄を落としていたのだ。

 本当、考えただけで気持ち悪い。多分、ナナキに「あーん」とか、一生やらせない。

「”ネコ缶”さ、今誰のこと思い出した?」
「……別に」

 言われて初めて、嵯峨はナナキのことを思い出していた自分に気がついた。
 なんでだよ、そんな心境だ。

「またまたぁ、どうせ”黒キリン”でしょ?」

 ”コンポタ”が笑う。息を飲んで、嵯峨は気づくと動きを止めていた。

「いやもう、絶対それ、恋だから」

 再び”リスナー”が言った声に、思わずもう一本煙草を銜えてしまう。
 紫煙が天上まで昇っていった。

「別に、俺は――」
「そんなんじゃ、”黒キリン”が可哀想だよ」

 呆れたように”コンポタ”に、溜息をつかれた。
 天草が、困ったような顔で”コンポタ”と嵯峨を見ている。

「四條君、あのさ」
「由唯」
「え?」
「由唯って呼んでよ」
「う、ぁ……」

 明らかに天草が困っている。恥ずかしがっているのが分かる。
 羞恥にかられて恋している乙女な感じの、自分よりも年嵩の天草を見ていると、思わず顔を背けてしまった。結果、”リスナー”と目が合う。

「フラれちゃうよ?」
「なッ、そもそも付き合ってない」
「同棲してるのに?」
「してない」
「え、嘘。え? だってお互い、外出して帰ってきてるの、ここでしょ?」
「事が済んだらあいつは帰る。見れば分かるだろう、アイツの物なんて、ここには一つもない」
「そりゃ、”黒キリン”も、自分はセフレだと思われてるなんて、言うわけだ」
「……そんな事を?」

 思わず眉間に皺が寄った。自分でも険しい顔になったのが分かり、思わず深々と煙草を吸い込む。セフレ――確かに、それは間違いではないだろう。最初はそのはずだったのだから。だが、今は違うような気がする。いつからそうなったのかも、何故そう思うのかも嵯峨には分からなかったが。

「え、セフレだとか思ってないよね?」

 困惑していると、”リスナー”が引きつった笑顔を浮かべた。
 天草と”コンポタ”も、驚いたように嵯峨を見ている。
 しかし嵯峨は、やはりいくら考えてみても、セフレだと告げた覚えしかないのだ。
 そしてそれ以外にはやはり、自分たちの関係を指す名称が思いつかない。

 第一今更、セフレじゃない、何て――……言ってどうする、と、いうか、そもそもなんて言うのだろう。嵯峨のこれまでの経験上、恋人からセフレに格下げする・される事はあっても、逆など聞いたこともない。

 その上、現在の配属先になってからは、恋人自体いたことがない。何せ自分自身が何時死ぬかも分からなかったし、運が悪ければその相手が、他の”贄黒羊”や”贄羊”に殺される可能性も考えたからだ。

 恋愛関係になった女がいたことは中・高・大とあるが、全て向こうから告白され、特にカノジョもいないしという理由で付き合い、大抵向こうから、フラれた。――曰く、冷たい上に、楽しくもない上に、何処にも連れて行ってくれないし、本当に私のこと好きなの? と言われた気がする。

 そもそも――……体の関係こそ続いているが、最初にセフレ宣言をして以降、ナナキの側から好きだと言われた記憶もない。

 ――今でも自分を好きなのかすら、分からない。ただ、もしとっくに嫌われていて、向こうにも、向こうの側からも、自分がセフレだと思われているとしたら、何となく辛く思える。率直に言えば、嫌だ。

「え、最低」

 ”リスナー”の声で我に返った。
 嵯峨は煙草の灰を落としながら、溜息をつく。
 すると天草が苦笑した。

「だとしても、ナナキ君は、多分辛いだろうけど現状に満足してるのかも知れないよ……全く何もない0よりは、体だけでもさ……」
「嫌あの先生、本当、ゴメンね? ね? 悪気は無かったんだよ?」

 ”コンポタ”が、珍しく慌てたように、天草を抱きしめた。
 それを一瞥してから、嵯峨が口を開く。

「どうやって、セフレから今の関係になったんだ? セフレだったって事だろ?」
「僕が告白したんだ」
「で、OKした僕が、その内に、もうこれ以上ないってくらい先生を愛しちゃってるわけ」
「四條く……由唯くん……有難う」
「何でそこでお礼? ちょっと先生、あのさ」
「だって……」
「僕の愛情、伝わってないの!?」

 二人のやりとりを眺めてから、嵯峨が再び煙草を吸い込む。
 そして吐いてから更に聞いた。

「どちらが上だ?」
「ぶ」
「僕僕。先生が下」

 吹き出し咽せた天草の背を撫でながら、”コンポタ”が笑う。
 だとすれば、やはりナナキに再び告白して貰うしか、手はない。
 嗚呼、何故最初にセフレだなんて言ってしまったのだろうか。
 いや、今でも恐らくそう言う関係なのだろうが……嵯峨は困惑した。

「えっと、何? 要するに、セフレじゃなくなる方法を考えてるの?」

 ”リスナー”に言われ、恐らくそうなのだろうと嵯峨は気づいた。
 だが、今更――という思いが強い。

「それこそ、天草先生と”コンポタ”みたいに、告白すれば一発じゃん」
「あいつが今でもと言うか……俺のことが本当に好きなら、な」
「え」
「分からないだろ」

 嵯峨の言葉に、”リスナー”がポカンとした顔をした。
 ”コンポタ”は、それを聞いて笑い出した。

「まぁ確かに、分からないよなぁ。僕だって、まさか先生が僕のこと好きだって思わなかったし。ヤってる理由とか、相手の気持ちとか、分からないよね」
「けどさぁ、俺の店ではいつも『好き』だって言ってるよ?」
「酔っぱらってるんだろ」

 嵯峨がそう言うと、”リスナー”と”コンポタ”が顔を見合わせた。
 それから”リスナー”が問う。

「ええと――整理すると、”ネコ缶”は、セフレじゃなくなる方法を考えているけど、”黒キリン”の気持ちが分からないって事?」
「まぁ……」
「じゃあ、俺の理解としてはさ、”ネコ缶”は”黒キリン”の事が好きで、かつ、向こうにも好きになって欲しいって事で、良い?」
「さぁ?」
「さぁって……」
「分からないんだ。そうかもしれないけどな、仮にそうだったとして、今の関係が終わって二度と会わなくなるんなら、現状維持で良い。そもそも自分が好きなのかすら分からない」

 一人頷いた嵯峨を見て、天草が隣で大きく頷いた。

「すごくよく分かるよ。僕もさ、告白するべきかしないべきか迷った。ただ嵯峨君と違うのは、自分の気持ちは分かってたけどね」
「してくれて良かったよ……」

 呆れたように”コンポタ”が笑っている。
 ”リスナー”が腕を組む。

「この前、恋って何か聞いてたじゃん」
「あいつが俺のことを好きだと思ってたから、聞いてみたんだ。俺が、じゃなく。ただいまは、よく考えてみれば、ナナキが俺を好きだとは思えない」
「どうして?」
「さっきお前も、最低だって言ってただろ」
「あー……けどさ、それならさぁ、やっぱり好きになってもらえばいいじゃん」
「どうやって?」

 その言葉に、”リスナー”が部屋を見回した。

「模様替えでもすれば? ナナキ君のために」
「あ、分かるよ僕。先生が僕の分の歯ブラシ買っておいてくれたりすると、キュンとする」
「っ」

 天草が照れたように息を飲んだ。

「大体さぁ、俺から言わせて貰えば、この部屋、ほとんど何もないじゃん。黒いソファが二つと、テーブルだけ。フローリングで絨毯もないし、棚もないし、テレビは兎も角、家具がなさすぎ。気を遣ってる気配がない」
「当然だろ、此処は、≪異形≫から緊急待避するために借りた部屋だぞ」
「寝室も、ベッドとサイドテーブルと椅子しかないよね」
「ちょ、先生、何で知ってるの? 僕凄く気になるなぁ」
「往診できたんだよ、どうして?」
「どうしてって……好きな人がさ、他の奴の寝室の中を知ってたら嫌でしょ」
「好きな人……」
「何でそこで照れるんだよぉ、先生。先生サァ、本当に僕の愛情を疑ってるよね」
「ちょっと二人とも、ラブコメは他でやって。今は部屋の話しだからさ」

 ”リスナー”はそう言うと立ち上がった。

「とりあえず、歯ブラシとかの備品案はいいね。お皿とか、コップとか、お箸とか、”黒キリン”の分も用意しよう。後は、使ってない部屋、確実にあるよね、此処」
「まぁな。4LDKで、リビングと寝室しか使ってないからな。キッチンはたまに使うし、ダイニングにもテーブルがあるけどな、他は空室だ」
「服は何処においてるの?」
「寝室のクローゼット」
「じゃあ、二人で使う寝室は兎も角、一部屋、”黒キリン”用の部屋を作ろう。本人の好みもあるだろうから、とりあえず荷物とか服とか置ける感じのさ。大学の資料とかもあるだろうし。それで、リビングと寝室は、模様替え。もうちょっとお洒落に行こうよ! 人を呼んでも恥ずかしくない部屋」
「今も別に恥ずかしくない」
「だから、恋人と過ごすのに、恥ずかしくない部屋。ドキドキさせるような部屋!」

 力説する”リスナー”に、嵯峨は溜息をついた。