<7>嵯峨 旭――(※)


 普通、人間であれば、頭を叩きつぶされたら死ぬ。

 けれど――それが、どうしようもない致命傷でさえなければ、”夜月時計の世界”では死ぬことはない。死ぬことは許されない。ただ、ただ、そうただ、苦痛に耐えて生きることを強制されるのだ。鈍く、そして熱く痛む頭に手を添え、肉の感触と滑る血液の感触に辟易しながら、嵯峨は立ち上がった。

 ――最後に見たのは、虚を突かれたような”ナナキ”の顔だったな。

 回想しながら正面を見て、窓から入ってくる月明かりを目にする。
 月はやはり二つある。
 けれど夜の色は、蒼一つだけだ。

 曖昧模糊とした意識でいたそんな瞬間――嵯峨は血にまみれた死臭を感じ取った。

 瞠目して、周囲を一瞥する。
 床には、首だけ、あるいは腕だけや足だけ、上半身だけ、下半身だけとなった、最早この”夜月時計の世界”においてすら、死ぬことが確定した人々の部位が転がっていた。白い骨は、時折黄ばんでいて、≪異形≫を彷彿とさせる。流れでている血液は、大半がどす黒い。そんな死体の山の中央に……白い着物を纏った”ナナキ”が一人立っていた。

 握っている刀は床を向いていて、今でも時折血が垂れている。
 刀身から柄にかけては、眼球の視神経が紫色の半透明な触手になって、絡まっているように見えた。

「……ナナキ?」

 そこに立っている他者の顔を、良く嵯峨は知っていた。
 けれどこちらを向いた氷のような瞳も、死に装束のように合わせ目が逆の和服姿の彼も、そして手にしている刀も、何もかもを、嵯峨は知らなかった。

 咄嗟が歩み寄ったのは、”ナナキ”の表情が、あまりにも青白く見えたからなのかも知れない。静かな死の香りが、まとわりついているようにすら見えた。

「ナナキ」

 再び声をかけた瞬間だった。

「っ」

 首を半分ほど刀で横に切られ、僅かに体を揺らして、嵯峨は首を刎ねられるのを避けた。
 しかし、骨にまで食い込んだ刀が、ギリギリと、自身の首を切り離そうとしているのが、嫌と言うほど分かる。

「ナナキ!!」

 気づけば思わず叫んでいた。
 これは――自身がよく知る”ナナキ”ではなく、自身の知らない”ナナキ”だと確信していた。それはあるいは、直感だったのかも知れない。

「目を覚ませ」

 あまりの力に、ついに嵯峨は座り込んで、片膝をたてた。
 彼の緑色のコートが揺れ、血で染まっていく。
 それには構わず、銃口を、彼は”ナナキ”の額にあてがう。

「いい加減に――目をさませ、起きろ。もう、朝が来るんだぞ? それにお前、俺のことが好きだと言ったじゃないか。あれ、嘘なのか?」

 もう、それでも良いやと、嘘でも良いやと、どこかで考えながら、
 嵯峨は笑った。

 もしかすれば――何故なのか、とうに理由もなく、嵯峨は”ナナキ”に惹かれていたのかも知れない。ならば、だからこそ――この”夜月時計の世界”で狂ってしまうくらいであれば、此処で殺して消滅させてやるのが優しさだろう。だが果たしてそんな力量が自分にあるのかと思えば、喉で笑ってしまった。

「なぁ、ナナキ……俺も多分、結構好きなんだ、お前のこと」
「!」

 その時、ナナキが目を見開いて、小さく息を飲んだことが分かった。

「だからいい加減目をさましてくれ――きっと、俺にはお前が撃てない」

 苦笑するように笑ってから、嵯峨が目を伏せた。
 さすがに――こんな、最後は想定外だった。


「――コレ、僕が?」


 瞬間、響いた声に、嵯峨は顔を上げた。
 元々着ていた服に戻っている”ナナキ”が、周囲を見渡し、口を掌で覆っていた。

「俺が聞きたい。コレ、お前が?」
「……分からない。僕はただ、頭が砕けた嵯峨さんを見て、それで……――っ、何で生きてるんですか?」
「”夜月時計の世界”だから、だろうな。生きていない方が良かったか? 死んでた方が良かったか?」
「まさか……うあ」

 苦しそうな声を上げ、座り込んでいる嵯峨の体に、屈んで”ナナキ”が抱きついた。

「良かった、無事で」

 その柔らかい黒髪を撫で、抱きしめ返しながら、嵯峨は天井を見上げた。

「――何があったんだ?」
「だから、嵯峨さんの頭が、砕かれて……」
「その後」
「その後……? あれ、僕は」

 すると混乱するように呟いた後、苦しそうに片手で”ナナキ”が額をおさえた。

「その後……? これ、僕が……けど、え? あれ、僕は一体何をしたんだ……?」

 無理に思い出そうとしているかのように、眉間に皺を築いた”ナナキ”は直後、無理がたたったのか、意識を失うようにぐったりとした。

「おい!」

 慌てて嵯峨が声をかけた時には既に、”ナナキ”は意識を失っていて、嵯峨の胸板に体を預けていた。


 仕方がないので、嵯峨は己のマンションに意識を失ったままの”ナナキ”を背負って帰った。寝台へと寝せて、隣の椅子に座る。

 ――まだ、上手く整理は出来ていない。

 けれど、本人には記憶こそ無いようだが、あの状況を見る限り、何らかの虐殺行為があったのは、明らかだ。何があった?

 考えあぐねながら、煙草を一本銜える。
 煙を吐きながら、今後について思案していた時、不意にスマホが鳴った。
 見覚えのない番号に眉を顰めた後、嵯峨はそれに出た。

「誰だ?」
『一つだけ助言したくて電話したんだ。”殺戮人形”は、起こさない方が良いよ』

 それだけの言うと、電話は一方的に切れた。


 ”殺戮人形”……?

 聞き覚えのない言葉に、けれど直感的にそれが、血だまりの中にいた”ナナキ”の事だと分かった。普段の”ナナキ”とは違いすぎる、冷たい瞳だった。同じ顔をしていても、人は、ああも表情一つで印象が変わるのか。そんな感情を抱かせるには十分すぎた。

 そのあと少しして、”ナナキ”が目を覚ました。

「あ」
「大丈夫か?」
「はい、あの、ここ――」
「俺のマンションだ」
「すいません、また来ちゃって」
「連れてきたのは俺だ」

 嘆息してから、嵯峨は腕を組んだ。

「気分はどうだ?」
「えっと……お腹減りました」

 その言葉になんだか脱力して、嵯峨は苦笑した。

「パスタで良いなら、茹でるぞ」
「本当ですか?」
「ああ、ま、ミートソースのレトルトしかないけどな」

 そう告げ、嵯峨はパスタを茹でた。適当に皿に盛り、レンジで温めたレトルトのミートソースをかける。粉チーズとタバスコを、フォークと一緒に差し出すと、朗らかに”ナナキ”が笑った。

「うわ、美味そう」
「ま、レトルトだからな。基本は美味いんじゃないのか」
「いただきます」

 手を合わせそう言ってから、”ナナキ”がパスタを食べ始めた。

 ――その色合い、そして挽肉。

 己の分を茹でなくて良かったなと思いながら、嵯峨は席を立つ。

 そしてトイレ兼洗面所へと向かった。
 便座を上げて、吐き出したが、胃酸しか出ては来ない。
 なのに胃は反り返り、先ほどまでの血の臭いや、脳漿を喚起する。暫く嗚咽した後、洗面所へと移動して、水を勢いよく出した。

 それからシャツのポケットに大抵入れている錠剤を取り出した。水無しでも飲める、すぐに溶ける錠剤を二つ。嗚呼――この甘ったるい味には、本当に気分が悪くなる。プチプチとシートからそれらを取り出し、口に含んでから、飲み込んだ。

 その足でキッチンへと戻り、ミネラルウォーターの蓋を開ける。

「嵯峨さんコレ、すごい美味しい」
「――空腹は最高のスパイスとか言うらしいしな」

 淡々と答えてから、朗らかに笑っている”ナナキ”を嵯峨は一瞥した。
 何故彼は、笑っているのだろう、笑っていられるのだろう。

 いまだに”夜月時計の世界”が夢だとでも思っているのだろうか? そんなはずはない、それは馬鹿げた空想だ。しかし”ナナキ”の笑顔には、まとわりついた死臭の影など一切見られない。その笑みさえが、奇妙に思えた。

 だが――おかしな日常になんて、もう慣れているじゃないか。

 それが、嵯峨旭の感想だった。



 あるいはそれを、どこかで、”流転時(るてんどけい) 計”の所持者は、見守っていたのかも知れない。当然、流転しながら。あるいはそれは、一つの愛の始まりだった。