<8⇒0>”殺戮人形”……a puppet show(※/★)



 圧迫した曇天が、黄色い月を覆い隠しているというのに、赤紫色の月は消えない。
 純粋に不思議だと思った僕は、≪異形≫を切り裂きながら、刀についた血を振り払って、空を見上げた。白い死に装束を纏った僕の額には、白い布は無いし、合わせ目が逆なだけで、誰も地獄に堕ちた時に三途の川を渡る賃金をくれない。

 ――ヒトは死ぬと、棺桶の中で眠って、渡し賃を得るんだよ。

 嘗て僕にそう告げた誰かがいた。
 僕はその人を殺してしまったし、顔すら覚えてはいないけれど、今でもその言葉だけは覚えている。そんな事を考えながら、今度は横に刀を振った。芋虫みたいな腹部をした巨大な蛾が、緑色とも黄色ともつかない体液を撒き散らして、アスファルトの上で羽だけバタバタと蠢かせている。

 誰かが良く言う――僕には、感情が欠落しているのだと。

 けれど僕には、”感情”とは何なのかが分からない。
 ただ殺せと言われたら、殺すだけだ。
 それが≪異形≫に対して、最も攻撃力を持つ≪七木家≫の人間の役目だ。
 達筆な筆を走らせ、陰陽道の勉強をしている兄がいる。
 兄のことは、殺してはならない。
 なぜなら兄は、僕の肉親であり≪七木家≫の当主だからだ。
 三つ僕より年上だから、今年で九歳だ。
 僕はただ兄のために、影となり闇となり、ただ≪異形≫を屠る。
 それだけだ。

「君は?」

 ある日、本家の縁側に座っていた僕に、誰かが声をかけた。
 白衣を纏った青年だった。
 僕は白衣を着ている人間をそれまでに、≪六月家≫の当主しか見た
 ことが無かったから、当時はそれが”白衣”である事すら知らなかった。

「……使用人です」

 誰かに会って何かを聞かれたら、そう答えるようにと、僕は厳命されていた。

「そうなんだ。学校には行かなくて良いの?」
「ガッコウ?」

 何の話しなのか首を傾げる。ガッコウ――恐らく、学校だ。そう問われた時の模範解答もまた、僕には用意されていた。

「イジメにあっているから、行きたくないんです」
「そうなんだ。悪いことを聞いたね」

 焦げ茶色の髪と目をした青年は、そう言って苦笑すると、僕の隣に腰を下ろした。
 隣に座られた場合の模範解答を、僕は生憎持ち合わせていなかった。

「名前は?」
「ナナキです」
「それは知ってるよ。七木家に、いるんだから。そしてこの家にいて、登校拒否をしているのが許されるなんて、使用人じゃなくて血縁者じゃなきゃ有り得ないと思うんだけど」

 そういうものなのだろうか――僕には判別がつかない。
 単純に僕の存在を疑って、カマをかけているのかも知れない。

「もしかして……亮くん?」
「……」
「弘くんから、弟がいると聞いたことがあるんだ」

 二十代――くらいだろうか。最近六歳になったばかりの僕には、よく分からない。
 だが兄が僕のことを話題にしたと言うことは、少なくとも怪しい人間ではなく、客人なのだろうと判断した。新橋色の薄い緑の着物をきていた僕は、縁側から庭へと降りる。だとしても、だ。余計なことを口にすることは躊躇われたのだ。回避するべき相手だ。

 貝のように黙し、何も言わない事。
 それが、僕に望まれている事だと熟知していたからだ。

「何処に行くの?」
「……」
「僕は、天草。天草創助――いつかまた、君とは会う気がするから、覚えておいて」

 その言葉に僕が振り返ると、彼は穏やかに笑っていた。
 次に会う時は、きっと彼を手にかける時だろう。

 京都の街に≪異形≫が押し寄せてきたのは、その年の秋のことだった。

 刀を片手に、僕はただひたすら≪異形≫を切り裂いた。
 斬って斬って斬って――けれどそれでも、どんどん数は増えていく。
 何かあれば増援があるはずだった。

 それは≪異形≫を相手に戦っている、例えば安倍九尾家が設立した

 機関である≪狐提灯≫から等だ。しかし援軍は無かった。ここで、数多の”贄羊”が死のうとも、”贄黒羊”が死のうとも、血脈と九尾の力を繋いでいく方が、大切なのだとか。

 僕にはその意味がよく分からなかったけれど、ただ≪異形≫の群れを斬っていた。
 何度黄緑色の体液に頬が濡れたか何て、最早分からない。

 腕を噛み千切られそうになる事もあれば、首を噛まれて呻いた事もある。

 ――僕は次男だ。本来は、必要の無い存在なのだ。けれど、”戦う力”があるから、生かされている。生まれつき、僕の左目には、”贄黒羊”の象徴である青紺の瞳がはまっていたらしい。

 まじまじと見据えるだけで、≪異形≫を氷づけに出来るらしい。武器は自然と出現し、僕のそれは刀だった。

 何度も刀を振り、血とも体液ともつかない何かを振り払う。
 僕自身からも、ダラダラと血が流れているのが分かった。

 けれどこんな怪我、どうせ朝になれば消える。

 それを知っていたから、僕は家族に渡された注射器を腕に突き立て、血管など知りもしなかったから、適当に液体を押し込んだ。それだけで瞬時に痛みは消えていく。

 その間にも、赤紫色の歯茎を持つ【口ダケ】が、僕に向かって口を開いていた。
 それを切り裂き血を浴びた時、【トゲ球体】が五体も、ふよふよと宙を漂っている事に気がついた。――一人で倒すには、困難な相手だった。だが、此処には、誰も助けは来ない。

 刀を構え、僕は唇を噛んでいた。
 けれどいつも無表情で、人形みたいだと評される僕の表情は、きっと動かなかったはずだ。足に力を込めて、跳ぶ。

 そのまま三体を真っ二つにした時、無数の触手が、残る二体から伸びてきた。
 慌てて回避したが、足首に絡みつき、地面に引き倒されて、体を引っ張られる。
 激突した後頭部が痛くて、傷が付き、血が流れたのが分かった。

「っ」

 僕を絡め取った触手は、無理に巨大な赤黒い触手を三本、口腔へと押し込んできた。
 苦しさで唇を大きく開いたが、涙がこぼれそうになる。

 泣いたのなんて、いつ以来だろう。

 そのまま口腔を蹂躙されるがままに、僕はダラダラと涎を垂らした。
 もう一体の【トゲ球体】は、僕の手首と両足を拘束したまま、宙へとつり上げる。
 着物の合間から入り込んでくる蛇のような感触に、逃れようと身をよじった。
 そして、手から刀を奪われる前に一体を斬り伏せ、僕は着地した。
 自身の唇からは、まだ涎がこぼれているのが自分でも分かる。
 だが無我夢中でそれを斬り伏せた。

 ――恐らくそれが、この夜最後の≪異形≫のはずだった。

「亮!!」

 そこへ、聞き慣れた兄の声が響いてきたから、僕は目を見開いた。

「御当主様、まだ危険は去っていません」
「何を言っているんだ。ちょっと来い」

 強引に僕の手を取り、兄が近場の別宅へと入る。
 人払いというよりかは、皆が逃避し、誰の姿も無い屋敷だった。

 血族は皆、”夜月時計の世界”が視え、識る事が出来るのだ。仮にそれが使用人であっても――それが、安倍九尾家の現実だった。

「馬鹿」

 畳の座敷で抱きしめられ、僕は困惑した。
 こんな事、いつもの事であるはずなのに。
 何故――兄は、泣いているのだろう?

「ごめん、ごめんな。助けに行けなくて」
「……御当主様こそ、こんな危険な場所に、何故足をお運びに?」

 逃げて当然、保護されて当然なのが、兄である弘だと僕は認識していた。
 すると血に濡れた僕の白装束を一瞥した後、兄が急に畳に僕を押し倒した。

「亮……」
「御当主様?」
「もう、弘とは呼んでくれないのか?」
「それは――」

 禁じられているからと続けようとした僕の顎を持ち、不意に唇が振ってきた。
 それは幼子同士のキスだったはずなのに、舌が入り込み、どこか淫靡だった。

「ふ、ぁ」

 困惑した僕は瞬きをしたら、何故なのか、涙がこぼれた。

「俺は、お前を人形だなんて思ってはいない。思えない」
「……ですが」
「亮。好きだ、お前がいれば、他には何もいらない」

 兄の声が谺したその時だった。

「何をしている?」

 入ってきたのは祖父だった。僕らは揃ってそちらを向いた。

「待って下さい、コレは――」

 兄が何か声を上げた。ただ僕だけが、事態の理解が追いつかなくて、呆然としていた。

「いくら兄弟であろうとも、いや、だからこそ、当主を惑わす”傀儡”など、”人形”など、それも”殺戮人形”など不要だ」

 そう言った祖父が、僕の顔の真横に、日本刀を刺した。
 掛け軸の前にいつも置いてあったものだった。

「まだ、”百鬼夜行”は、終わっていない。死にたくなければ、すぐに行け」

 祖父の言葉に、反射的に僕は、立ち上がっていた。

「待て」

 僕の手を兄が掴んだが、振り払う。祖父の命じる声は、いつだって僕を強制するのだ。縛り取って、絡め取って、離してはくれない。その度に心みたいな名前をしたナニカに罅が入るようで、そこは既に鎖で雁字搦めにされているようだった。

 祖父の声を聴くと、他に何も考えられなくなってしまうのだ。

 気づくとまた外にいた僕は、新たにふってわいたらしい≪異形≫を、ただひたすら、刀で斬り裂いていた。時には触手に再び、腕を取られ、着物の下をまさぐられ――「うあ」

 後孔へと太く赤黒いものが侵入してきた。

 その熱ときつさに声を上げて、僕はまた泣き叫んだ。
 しかし赤黒い触手は、更に一本、二本と、僕の中を蹂躙していく。

「い、うぁアアアア――!!」

 それから声が嗄れるまで蹂躙され、肩や腕は他の≪異形≫に喰われ、僕は意識を何度も失った。しかしその度に、痛みや鞭を打つような刺激、酸が垂らされる感覚で、無理矢理意識を引き戻された。

「あ、ああっ、ゥ、ン」

 奥を突き上げられる内に、入り口が裂け、血がダラダラと自身の太股を伝っていくのが分かる。しかし痛み以外の悦楽が、その時確かに、まだ六歳で、射精すらしたことのない僕の自身を絡め取り、尿道を弄っては、嘲笑うかのように達しさせようとしていた。

 乳首に絡みつかれ嬲られながら、別の≪異形≫には、脇の下を嬲られ、もう一方の肩は、食い破られる。

「ヤぁ――!! いや、いやだ、止め――!!」

 無我夢中で叫んだその時のことだった。

 真夏だというのに、そこには、深々と白い雪が降ってきた。

「は、っ、ふぁ」

 苦しさで呻きながら、僕はそれをぼんやりと眺めていた。
 その眼前には、雀茶色の着物を纏った、数度だけお会いしたことのある老年の女性が立っていた。

「離してもらえんかねぇ、私の大切な孫を」

 彼女のその言葉と同時に、雪が触れる度に≪異形≫が消え去っていく。
 唐突に地面へと激突し、受け身も取れず、着物が乱れたままで、僕は虚ろな視線を向けた。

「辛かったなぁ」

 歩み寄ってきた彼女は、僕の頭を撫でてくれた。
 たったそれだけの行為だったのに――どこかで多分張り詰めていた糸が、ぷつんと切れた。気づけば、着物を直されていて、その膝に蹲るようにして、僕は泣いていた。

「美しき家族愛、かぁ」

 その時響いた声に、僕が顔を上げると、十数人の人々が僕らを囲んでいた。
 嗚呼、眼球狩り”を生業としている人々だと、直感的に分かった。

「そうだねぇ。だから見逃してはくれないかねぇ」
「婆一人とガキが一人。絶好の獲物だろ、逃すわけがない」

 誰かがそう言って笑った時には、既に僕は立ち上がっていた。

 後は――簡単なことだった。

 もう二度と、”朝陽時計の世界”ですら、狙われないようにするだけだった。
 無数の生首が宙を舞い、落下していく。
 刀を、音もなく鞘へとしまい、淡々と噴き出す血液や、脂肪の走った肉、そして中央にある骨や神経を僕は見ていた。先ほどまで体は酷く辛かったが、初めてのことではない。”力”あるものを、様々な手腕で、”喰う”のが≪異形≫なのだと教えられて育ったからだ。

 いつか誰かから――たった今僕を助けてくれた安倍榊様を初め、三役の『精力』や『精神力』を奪う九尾の各家と≪異形≫には差がないなんて、聞いた覚えもある。

 血飛沫を頬に感じながら、そんな思考を打ち消して、寧ろ思考があるのかすら曖昧模糊とした頭で、僕は榊様を見た。六歳の僕には、酷くお婆ちゃんに見えた。

「亮」
「はい、榊様」
「無意味に人を殺しては、いかんのよ」

 何を言われているのか理解できなくて、僕は首を傾げた。

 頬から流れてくる血を、片手で無意識に押さえる。じくじくと痛むその傷は、≪異形≫ではなく≪祖父≫ に刀で傷つけられたものだから、きっと朝になっても消えない。

「――それとも、殺したいほど、憎んでいるのかい?」
「え?」
「≪異形≫を――いいや、≪ヒト≫を」

 どこか苦しそうな顔で、お婆ちゃん――榊様が言った。

「憎む?」

 それがどんな感情なのか、僕は知らない。
 ただ、何故なのか気がつくと、皆に無表情だと言われる僕は唇に笑みを張り付けていて――そして双眸から、涙をこぼしていた。静かに流れて線を作るだけだったから、嗚咽も漏れない。何故僕は、笑っているのに、泣いているんだろう。それすらも分からない。

「普通に生きて、普通に楽しんで、普通に遊んで、普通に日々を謳歌する権利も、そしてその可能性もあるんじゃよ」
「普通?」
「そう。普通に。何にも囚われる事は無い――今が、辛いのであれば」
「……普通が分かりません。だけど、弘様を、兄さんを、御当主様を、僕は守らなきゃならない」
「本来当主とは、守る側の立場なんだよ。亮が、守られるべき何じゃ」
「だけど、お祖父様は――」
「他者は関係ない。今は、酷かも知れないが、此処で決めるんじゃ。このまま”人形”と呼ばれ続け、”殺戮人形”として、≪異形≫あるいは≪人々≫を殺すか、それとも、”自分自身だけの生”を選ぶのか。無論、後者を選んだからと言って、守って悪いという道理はない。好きにすれば良いんだよ」

 僕にはちょっと難しすぎて、何を言われているのか、分からなかった。
 けれど。

「できるなら――……御当主様とかじゃなくて、僕は、兄さんを弘って呼びたい」

 そう言って唇を噛んだら、微かに血の味がした。

「ならばそれまで、いいや、亮が力を欲する場合や、再び巻き込まれるまでの間、その”瞳”の力は封じようなぁ」

 それを聞いた後、僕の意識は途切れた。

 次に気づいた時には、病院の寝台にいて、上半身を起こしていた。
 額には包帯が巻かれていて、頬にはガーゼが張り付けられている。

「?」

 ――どうして、僕は此処にいるんだろう?
 ――――僕は、一体コレまで、何をして生きてきたのだろう?



「有り体に言えば、記憶喪失です――記憶がいつ戻るのかは、保証しかねます」



 それはあるいは、”殺戮人形”の終幕の端緒だった。