<6>”翡翠”as”リスナー”



「……”翡翠”?」
「うん。改めまして。そう呼ばれるよりは、”リスナー”の方が多いけどね」

 白いイヤホンを弄りながら、青年が笑った。
 先ほどはあまり注視しなかったが、ブリーチのしすぎで銀に近い髪色に、カラコンには何故なのか見えない翡翠色の瞳をしている。差し出された思いの外華奢な手を、僕は握り替えした。そして――手首をキツく掴まれた。

「お客さん、頭悪いでしょ。このまま俺にへし折られたらどうする気だった?」

 猫のように眼を細め、”リスナー”が笑う。
 その間も、手首をねじ上げる力は強くなっていく。
 僕の右手の血管が、浮いてきた。

「冗談だけどね。何せお客さんは、常連さんが初めて連れてきた”お友達”だから。何飲む? いやぁ、まさか”ネコ缶”の知り合いだとは思わなかったなぁ」

 何でもないことのように手を離し、朗らかな笑顔で”リスナー”が言った。

「え、あ……」
「麦酒ね。本当は、生はお掃除面倒だから嫌なんだけど、”ネコ缶”は、とりあえずいっぱい、って感じで、麦酒飲むんだよね。ちょっと待ってて」

 溜息混じりにあからさまに哀しそうな顔をしながら、”リスナー”が準備を始めた。

 だから僕はカウンターの右手にある薄型のモニターを何とはなしに見据え、そして眼を細めた。

「ねぇ、これって」
「ん。そうそう、池袋駅の監視カメラの映像。チャンネル変えると、スイカとかの使用履歴も出せるけど、そっちの方が好み? それとも他の場所が良い? ネット弄ってて気がついたんだけど、”夜月時計の世界”でも、映像は変わらず見られるんだ。流石に≪異形≫は映らないけど≪人同士なら一対多数でも一対一でも≫映るよ。もしかしたら、これは俺が、”夜月時計の世界で、正確に機能する懐中時計”を持っているからなのかも知れないけどね。だから襲撃も絶えなくてさぁ――はい」

 麦酒とミックスナッツを差し出された僕は、何も言えなかった。

 その時扉の音がした。

 嵯峨さんが来たのかと思って振り向こうとした僕の横を、白い楕円形の何かが飛んでいく。室内には銃声が谺した。

 床には――割れた巨大な腐った卵と、銃弾が落ちている。

「とりあえず生をくれ」

 まるでそれがいつもの事であるようにそう告げ、嵯峨さんが俺の隣に座った。

「悪いな、ちょっと長引いた。で、コイツで間違いないのか?」

 本人を前にして、なんて事を聞くのだろうかと、瞠目せずにはいられない。

「そうそう。庇ってくれても良いけど、ね。”ナナキ”くん」

 名乗っていないのに名前を呼ばれ、僕は呆然とする。

「”リスナー”は、有り体に言えば、情報屋、あるいは故買屋だ。世話になってる」
「めっずらしー。嵯峨さんが俺に、『世話になってる』なんて」
「黙ってろ」

 二人のやりとりを見据え、僕は眉を顰めて頷いた。

 正直なところ――僕は正義の味方になりたかったわけでも何でもない。寧ろ、顔を目撃してしまったことで、今度は僕が襲われるのではないか何て、恐怖すらしていた。その上、盲目的に、警察官が正しいと信じているわけでもない。

 だが……それでもどこかで、僕を助けてくれた嵯峨さんの事を、信じていたんだと思う。
 何もない夜の世界で、僕に光を与えて、助けてくれた人なのだから。
 こう――取り押さえてくれると盲信していたのかもしれない。

「ショックだった?」

 ”リスナー”の声で我に返った。

「いえ、そんなんじゃ……」
「ふぅん。けど、嵯峨さんの方は、好み何じゃないの? 狼にならないでね。もう”ナナキ”君も俺の大事なお客さんなんだから」

 信じているのかいないのか、揶揄するように、彼は僕を見た。
 第一、仮にショックを受けるとして、だ。何に、だ? 僕にはそれすら分からない。

「ところで」

 勢いよく麦酒を飲み干した嵯峨さんからグラスを受け取り、すぐに次を”リスナー”が渡す。同時に、僕の前にだけ、チーズとサラミが差し出された。

「なんで、殺した?」
「だってさ、俺の事を『好きだ』『愛してる』もしくは『友人』『親友』だって言うんだよ。本当、吐き気がする。ちょっと”ネコ缶”、一杯奢って」
「好きなのを飲め、いっぱい3000円以下な」

 そんな高い酒があると、僕は知らなかった。
 同時に、何に対して”リスナー”が、苛立ち嫌悪しているのか分からず首を傾げた。

 ――嵯峨さんは、知っているのだろうか。察しているのだろうか。
 彼はただ膝を組み、両肘をカウンターにおいて、指を組んでいる。
 眼光は相変わらず鋭い。

「”外”で殺すなって、何度言えば分かる?」
「どうして”夜月時計の世界”の世界なら良くて、”朝陽時計の世界”じゃ駄目なの? あ、いただきます」
「俺の仕事が増えるからだ」

 新しい麦酒を受け取りながら、嵯峨さんが溜息をついた。
 僕にはそれが”普通”なのか、まだ分からなかった。分かりたくもなかった。
 ただ――いつか嵯峨さんが死んでしまうような気がして、ひどく怖かった。
 人間誰しもが死ぬというのに、なぜいきなりそんなことを思ったのかは分からない。

 ――僕のカンは、滅多に外れない。