<3>夜月時計の世界



 嵯峨刑事の説明は、こうだった。
 ――この世界には、表と裏があるらしい。

 一つは表。
 いつも皆が暮らしていて、夜ですらそこから出ることは不可能。
 多くが認識しない。
 それが”朝陽時計の世界”だそうだ。

 そして、もう一つ。
 世界の裏側に存在する、≪異形≫が闊歩する世界。
 それが”夜月時計の世界”なのだという。
 何故、いかにして、【そこ】に巻き込まれるのかは不明だそうだ。

 ただ一度でも”夜月時計の世界”を経験すれば、毎夜毎夜強制的に、もう一つの月……赤紫色の二つ目の月が輝く、”夜月時計の世界”に引き込まれるらしい。

 同時に――その中でも、数人が”眼球”を身体に宿すそうだった。
 眼球を宿す部分は、人それぞれだそうだ。勿論、宿さない者もいる。
 だが宿さない者の内の大半は、≪異形≫に喰われて死ぬから、存在は消えてしまうらしい。夜の世界で死ねば、表の世界でも死ぬ――よりも悲惨に、消滅し、初めから存在しなかった事になるそうだ。

 勿論、”瞳”を持たずに生きながらえている人々もいるのだという。
 彼らは徒党を組み、人数の多さで、≪異形≫を討伐しているらしい。

 いくつかそうした組織があるらしく、中でも最も大きいのは、”遮断機”と言う組織だそうだ。組織に属していない人も多いのだとか。特に眼球の所持者は、所属している方が少ないのだという。

 なお、この世界で生きる人々は、皆一様に”贄羊(にえひつじ) ”と呼ばれているらしい。眼球保持者はその中でも特に、”贄黒羊(くろひつじ) ”と呼称されるそうだ。

 現在眼球を保持していると確認されているのは、

(あめ) ”:紫闇の瞳の持ち主
(あかり) ”:紅い瞳の持ち主
(みぞれ) ”:青い眼球の持ち主。
”リスナー”:緑森の眼球の持ち主。『翡翠』とも呼ばれる。
”コンポタ”:黄の瞳の持ち主。
”ネコ缶”:茶色の瞳の持ち主――嵯峨旭、嵯峨刑事自身だそうだ。
”智徳”:橙色の瞳の持ち主。自称智徳法師の生まれ変わりだという(誰だろう、それ)。
”芦屋”:白い瞳の持ち主。自称芦屋道満の子孫。

 との事だった。ただそうした、公式(?)に確認されている者を除いても、他にも十数人はいるだろうと言われていると聞いた。例えば、ここに僕を入れれば、

”ナナキ”:黒金色の瞳の持ち主

 となるらしい。
 淡々と説明を聞いてから、僕は首を傾げた。

「この前、”雨”から聞いたんだけど」
「――前にも会ったのか? よく生きて帰れたな」

 嵯峨さんの瞳が険しくなった。もしかしてあの時僕は、死の間近にいたのだろうか。

「”眼球狩り”から逃れるか、”狩る”か、”朝陽時計の世界”に戻るか、って言われたんですけど」
「成る程。あいつも新人には優しいのか……いや、無いな。朝が来たんだろう」
「ええ。朝になりました」
「まぁ、”朝陽時計の世界”に戻るか、って言うのはそう言うことだ。朝が来れば俺達は、夜の世界から、元の世界に戻れるんだ。その原理は知らないが。月は一つになる。普通の世界に俺達は戻れるんだ。その上、睡眠はちゃんと取った気分になれる。だから祐助なんかは、夢じゃないのかっていつも言うんだ」
「夢だったら良いんですけどね……」

 僕は呟きながら、先ほど会った天草先生の事を思い出した。

「俺だって見ているのが俺一人なら、そう思っただろうな。けどな、妄想の伝播は、他の場所にいる多数間では起きないんだ」
「そうなんですか。所で……”狩る”とか、”雨”は言っていたんですけど」

 僕の声に、嵯峨さんが忌々しそうに唇を噛んだ。

「”眼球狩り”は、そのまんま。眼球を持つ者は、戦闘能力が急激に上がる。だから眼球を欲しがっている人間は多い。それから――保持者同士でも、二つ目・三つ目の眼球を得ようとしている人間がいる。ま、それは理由付けに過ぎない場合もある。”雨”も”灯”
も敵が多いんだ。見てて分かっただろう? あいつらは、人も含めた生き物を殺す。こちらで死んだら、復活はない。その上、あいつら同士も殺し合ってる。要するに、あいつらに殺されないようにすること、及び他の眼球を持たない組織に殺されないようにすること、それが、”眼球狩り”から逃れるという事だ。”狩り”はその逆。眼球の持ち主と殺し合うか、狙ってきた人間を殺すか――単純に殺し合いを楽しむ奴も、ここには、いる」

 まだ僕には、その言葉に対する現実感は無かった。
 ただ先ほど目の前で見た、猫の死や、切断された手首がありありと思い浮かんだだけだった。

「ま、死なない限りは、朝が来て表に戻れば、怪我は癒える。後遺症もない。死ぬこともないんだ」

 僕を安堵させるように、嵯峨さんが言った。
 ただ、どこに安堵すればいいのか、僕には分からなかった。

「あの……」
「なんだ?」

 煙草の煙を吐きながら、嵯峨さんが首を傾げた。

「僕はどうすれば?」
「――そうだな」

 考えるように再び煙を吸い込んでから、スッと彼は眼を細めた。

「兎に角逃げろ」
「逃げる?」
「ああ。特に、雨、灯、リスナー、コンポタ、霙の五人は、特にヤバイ」
「ヤバイって?」
「容赦なく殺す。殺すことに慣れてるんだ」

 そんな事を言われても、”雨”と”灯”しか顔を知らないのだから難しいなと思った。
 だから腕を組んで俯いた。

「みんな、武器を持ってるですか?」
「まぁな。俺は銃。”雨”は糸、”灯”はナイフ、か。”リスナー”は腐った巨大な果物を使ってるみたいなんだが、アレがなんなのか、俺には分からない。”コンポタ”は、でかい熊とかのぬいぐるみ。ま、でかい人形が来たらアイツだな。霙は、ごつい指輪で殴ってくるか、銀の鎖って言うかチェーンで絡んでくる」

 その特徴を頭に入れ、これで何とか回避できるだろうと頷いた。

「お前は?」

 だが不意に嵯峨さんに聞かれて、首を傾げた。

「え?」
「何か無いのか?」
「普通の大学生が武器持ってたら怖いと思うんですが……銃刀法違反じゃ?」
「……普通ね。普通の大学生は、こんな世界に来ないと思うけどな」

 返す言葉が見つからず、顔を背ける。

「まぁ、個人的に使いやすい武器が無いとしたら、実家とか、”家に伝わる”なにかは無いのか?」

 その声に、実家のことを思い出して憂鬱になった。

「無い」
「そうか――じゃあ、お前だけの”ナニカ”が見つかるまで、しばらくは逃げろ。逃げ続けろ。それは相手が”人”であっても、≪異形≫であっても、だ」

 頷いてから、嵯峨さんが、煙草を灰皿でもみ消したのだった。