<2>”雨”と”灯”(※)



 僕は、ありきたりで強いて言うならば、毎日が退屈な大学三年生だ。

 就活時期を待っているだけの、単位数もギリギリの大学生。それ以外には、僕の身分を証明してくれるのなんて車とバイクの免許証と大学の学生証、他にはパスポートだけだ。

 七木亮(ななきりょう) と言う名前で、皆はナナキと呼ぶ。

 身長は178m。背は高い方かも知れないが、ひょろい。やせ形だ。
 クスリでもやってんじゃないか何て言われたこともある。

 ――ああ、腹が減ったな。

 夢から覚めた僕は、嘆息しながら財布の中身を確認する。
 僕は、池袋から数駅の、有楽町沿線に住んでいる。

 怠いなぁと思いながら、コンビニへと向かうと、途中の住宅街にある場違いな小さいお地蔵様の前で、一心不乱にお祈りをしている老婆を見た。祈って何かが解決するのか僕は知らないけれど、その老婆が、何かを必死に願っている姿に、まぁ心は救われるのかなんて考えながら、横断歩道は無視して、道路を走って渡った。

 ファミマで大盛りのパスタ(ミートソース)を買い、アパートへと戻る。
 面倒なので、僕は自炊をしない。料理はバイト先でやるので十分だ。
 嫌いではないが。

 帰り道では、既に老婆はいなかった。時刻は、午前四時。随分と遅い時間にお祈りをしていたんだなぁと、腕時計を見据えながら思う。僕の時計には、時差をしっかりと見分けるために、文字盤が三つ付いているのだが、生憎僕は国外には二度ほどしか出かけたことがない。本当無意味だ。

 夏の暑さも、次第に和らいできたなと思いながら、道を横切る仔猫を眺める。


 早く帰ろう――そう思った瞬間だった。

 どうしようもない違和を感じて、僕は歩みを止めた。まるで夢を見ている感覚だ。
 だが、何がおかしいのかが、全く分からない。
 そうして気がついた。満月が――二つあることに。

 片方は、僕がよく見知った黄色をしていた。
 そしてその側に、赤紫色の満月がもう一つあったのだ。

 なんだコレ……天変地異?
 思わず眉を顰めた瞬間、アスファルトの上を、白い視神経で走ってくる眼球を見つけた。

「っ」

 呆気にとられてその大きな眼球を見ていると、それが僕の右手首に絡みついてくる。

「え、なに、なんだよ?」

 呆然としていると、視神経が皮膚を突き破り中へと入ってきた。
 何故なのか、血は出ない。

 そしてその眼球は、まるで自然だとでも言う風に、僕の手首にはまりこんだ。
 ああ、コレにも、二つ目の月にも覚えがある――そうである以上これは、夢なのだろう。
 何度も繰り返される少年の夢とは少しだけ違ったが。


 ポカンと僕は、瞬きをするそれを見据えた。
 状況が全く分からない。
 困惑していた僕は、だから、正面に歩み寄ってきた『誰か』に、眼前に影が伸びるまで気がつかなかった。

「新しい”贄羊(にえひつじ) ”かぁ」

 楽しそうに響いた声と、ガリッと言う音に、僕は顔を上げる。
 見れば棒付きキャンディを噛み砕いたらしい少年が一人そこに立っていた。

 ブリーチした後、銀と緑(茶)を入れて、更に暗めのダークシルバー入れてる感じの薄い金茶色の髪をしていた。僕より大分背が低いから、169cmくらいだろうか。

 水色と紫茶色のしましまが横のラインを築き、大きな間隔を開けて並んでいる、ロングのTシャツ姿だったが、後ろ側にはフードがついているようだ。ブラックジーンズを穿いていて、靴は大きめのハイスカットの焦げ茶色をはいている。

 何よりも目をひいたのは、青い猫耳付きの毛糸の帽子だ。本来の人耳の部分が長く、その部分は隠れてる。両耳の部分からは長い紐が付いていて先っちょにはモコモコぼんぼん付いていた。少年が、右手で、唇から棒を手に取る。

 そこで 僕は目を瞠った。彼の右手の甲には、紫闇の瞳があったからだ。
 僕の手首に絡みついた眼球とそっくりだった。

「よろしく。俺は、”(あめ) ”。みんなそう呼ぶんだ」

 楽しそうな声音で言うと、少年が唇で弧を描いた。
 おずおずと会釈を返し、僕も答える。

「ナナキです」
「固い固い。気楽に喋ってよ。お兄さんの方が、年上っぽいし。じゃあ、ナナキさんて呼ぶよ。良い? まぁ、拒否権なんて無いけどね」
「別に良いけどな――……それより聞いても良い?」

 そんな事よりも、僕には余程気になることがあった。
 眼球のこと、赤紫の月のこと。

「ああ、目? 眼球の”贄黒羊(くろひつじ) ”になったら、それは死ぬまで取れないんだ」
「え」
「それとも、ここのこと? あの赤紫の月の事?」
「両方」
「ここは”夜月時計の世界”って呼ばれてる所。ここで死ぬと、元の世界に戻っても死んじゃうんだけどね。怪我は治るけど。怪我は無かった事になるみたい」
「”夜月時計の世界”……」
「そ。で、ここでは、”眼球狩り”から逃れるか、”狩る”か、”朝陽時計の世界”に戻るか。その三つしか、選択肢は無いんだよね」
「どうやったら、戻れるんだ?」
「日が昇ったら――まぁ、ナナキさんは、その前に俺に”狩られる”んだけどね」

 気がつくと、そこいら中にテグスが張り巡らせられていて、一歩でも動けば、首が切れそうだった。星が輝く度に、キラキラと細い糸が輝く。

「――と、思ったんだけど、あー、残念、もう朝だ。じゃあ、またね」

 それだけ言うと、不意に、少年の姿が消えた。
 周囲を見渡せば、白んだ空が、全てが嘘だったとでも嘲笑するかのように、いつもの表情に戻っていた。

 まるで全てが狐に摘まれた夢だった気がして、僕は呆然と暫く突っ立っていた。
しかしコンビニ袋を改めて握りしめ、唾を飲み込む。
 ――早く帰って、食事にしよう。


 その翌々日。
 なるべく夜は外出しないようにと決めていた僕は、不意にシャープペンの芯が切れたことに気がついた。明日の朝、買いに行こうか。ただ、手書きが指定されたレポートのためには、早めに購入した方が良いという考えが浮かんでくる。。

「まぁ、この前のは幻覚だよな」

 そうじゃなければ、僕は今後も夜は外出できなくなってしまう。
 何より、まだ午後の十時だ。
 人気だって0じゃない。

 そう決意し、僕はコンビニへと向かうことにした。
 ――止めておけば良かった。そう思ったのは、コンビニへの近道である裏路地にさしかかった所での事だった。

「あーあー、吐き気がするなぁ」

 小馬鹿にするような”雨”の声が聞こえた気がして、俺はピタリと、そばの壁に背を預けた。嫌な感覚がしたから、僕は空を見上げた。そこにはやはり、通常の月のすぐ側に、赤紫色の月があった。

 息を殺してチラリと一瞥すると、そこには二人の少年の姿があった。
 どちらも同じくらいの背丈だが、ほんの僅かに”雨”よりも(それこそ1cmくらい)背の高い初めて見る少年がいた。

 少年は、猫にナイフを向けていた。

 ”雨”が吐き気を覚えるのも、もっともだろう。そう
 思いながら、僕はすっぱりと仔猫の首をナイフで落とした少年を見た。血を流して転がった猫の胴体。白い骨がのぞいていて、赤黒い血液がこぼれだしている。

 気のせいだとは分かっていたが、僕のもとまで血の臭いが漂ってきたように感じる。

「”灯”と会うなんて、本当最悪だよ」

 しかし、”(あかり) ”と呼ばれた少年の前に立った瞬間、”雨”が死に絶えた猫の胴体を踏みつぶした。飛んだ血肉が、アスファルトを汚していく。骨の折れる音が響き、ただ猫の生首だけが暗い地面に残った。吐きそうになって、僕は必死で両手で口を覆った。

 ”灯”は、スモーキーマットアッシュの髪で、一見すれば色は焦げ茶の髪をしているようだった。ただ、フードを被っている上に、そこに巨大なヘッドフォンをしているため、前髪しか見えない。手には、まだ猫の血に濡れたナイフを持っている。

 二人とも、高校生くらいだ。

 人好きのする笑顔の”雨”は、今日も棒付きキャンディを手にしている。
 一方対峙している”灯”は、無表情だった。

「それは、僕の台詞かな」

 それから僅かに唇の片端を持ち上げ、その瞬間”灯”の姿は消えた。
 僕が壁の影で呆然としている前で、続いて”雨”のすぐ正面に躍り出た”灯”がナイフを横にひいていた。のけぞるようにしてそれをかわした”雨”は、それでも首の皮を一
枚切られた様子で、白い喉に手を当てていた。

 こぼれ落ちた紅が”雨”の指に垂れた。
 雨はそれを見て、嘲笑するように眼をスッと細めて、血を舐めとった。

 気づけばテグスが”灯”の手首に絡まっていて、ナイフは赤紫色の月明かりを反射している。”灯”は、それに気にした様子もなく、蹴り上げる。

 それから”灯”は、テグスには構わず、ナイフを逆の手に持ち替えた。再び無表情に戻っていた。テグスごと――最初にナイフを持っていた右の手首が地に落ちた。肉を切る音など、一切聞こえなかったが、テグスの仕業に違いない。噴き出す血液と、紫色の肉、そして走る白い脂肪を見て、僕は唖然とした。

「あーあ、右手捨てちゃった」
「手は一本在れば十分だからね」
「そう……?」

 馬鹿にするように笑い、”雨”が今度は、テグスを”灯”の首に絡ませようとした。
 だがナイフでそれを切り裂いて、”灯”が”雨”の鳩尾に膝を叩き込む。

 ガリ、とキャンディを噛む音が響き、白い棒が地に落ちた。
 ボキリと言う音がして、肋骨が折れたのだろうと僕は思った。
 恐らくそれが肺に突き刺さったのだろう――”雨”の唇から血が滴った。

 ――なんなんだよ、これは。

 僕にはもう訳が分からない。
 だって、閑散とした住宅街の合間をぬって、僕はただコンビニに行くだけだったはずなのだ。なのに何故、目の前では、殺し合いがくり広げられているんだ?

「っ」

 その時、僕は誰かに、口を掌で覆われて、硬直した。

「落ち着け。あの二人はどちらも”瞳”の保持者だ。朝になれば、体は元通りになる」

 視線だけで振り返れば、そこには、よれよれの緑色のコートを着てた青年がいた。
 中には白いシャツと黒いネクタイをつけている。

「お前もそうなんだろう? ――”贄黒羊くろひつじ”。俺もそうだ。心配するな――ただ、あの二人には、関わらない方が良い。あいつらが遊んでいる内に、さっさと逃げるぞ」

 いまいち何を彼が話しているのかは分からなかったが、眼前の光景に本能的な恐怖を覚えていた僕は、コクコクと何度も頷いた。


 走るように歩きながら、僕は青年を見る。
 走り出したかったが、足音を立てたくなかった。青年の意図もそうだと思う。
 彼は、三十代前半くらいか――僕から見れば、立派な大人だ。

 しかし刑事ドラマや漫画に出てきそうなその風貌と、手にした異質で大きな銃と、銜え煙草に無精ヒゲを見ていると、不思議と落ち着いてくる。

 黒い髪に黒い目をした青年と共に、角を曲がった時のことだった。

「チ」

 あからさまな舌打ちが聞こえた。
 僕は彼の背中に激突した。

 しかしそんな僕には構わず、彼は、巨大な銃把を握りしめていた。

「なんでここで、≪異形≫に遭遇するんだろうなぁ」

 気怠そうな声だったのに、青年の目は鋭さを増していた。
 何を見ているのだろうかと一瞥すれば、そこには、巨大な赤紫色の巨人がいた。

 ドクンドクンと僕の鼓動が騒ぎ立てる――僕は、どこかでコレを見たことがある。

 まるで全身の皮膚を剥がされ、腐った肉だけになったような化物だった。唇のない口元からのぞく、白と黄色の大きな歯、滴る涎、その部位だけは、人に似ていた。

 ≪異形いぎょう≫――どこかで聞いた事がある単語であるような気がして、僕は首を捻った。

 気配をうかがっていた様子の青年は、緩慢に前進している≪異形≫のすぐ後ろに走りより、銃を撃った。瞬間、頭部が破壊され、飛び散り、【ソレ】は潰れて頽れた。

「一体出たって事は、まだいる。逃げるぞ。さすがに複数の相手をするのは、お前を連れてじゃキツイ」

 彼の言葉に僕は頷いた。その時には、すでに青年は走り出していた。
 緑色のコートが揺れる度、暑くないのだろうかだなんて、場違いなことを考えた。
 今は、コートを羽織る季節ではない・


 そのまま僕は、路地を抜け、『天草クリニック』と書いてあるマンションの一階に連れて行かれた。

「本日の営業は終了しています」

 出てきた白衣の青年は、焦げ茶色の髪と目をしていた。
 僕をここに連れてきてくれた青年よりも、さらに少し年上に見える。

「祐助、金なら払う。朝までかくまってくれ」
「怪我じゃないのかぁ、残念だね。病人じゃないんなら帰ってよ」
「頼むから」
「んー、しょうがないなぁ。嵯峨君は、お得意様の上客だしね」

 微苦笑してそう言うと、祐助と呼ばれた白衣の医者は、奥へと消えていった。

「あ、あの……」

 全く現状が分からないでいると、「ああ」と頷いて、背広の奥から青年が手帳を取り出した。

「さっきの医者は、天草祐助(あまくさゆうすけ) 。なにかと世話になってる――ただ本人は≪異形≫なんて信じちゃいないから、あんまり話すと、精神科に電話される。で、俺は、嵯峨旭(さがあさひ) 。警察官だ――警視庁特別第九科……通称怪奇現象対策室の職員」
「え、刑事さん?」

 まじまじと手帳と本人の顔を俺は交互に見据えた。

「ああ。左遷された刑事と言えばそうなんだけどな。X−ファイルみたいに格好良くはない。おい、煙草吸っても良いか?」
「僕は良いけど、ここ病院なんですよね? 天草……先生には、許可を?」

 おずおずと聞く。
 ちょうどその時、奥から珈琲を二つ持って、天草先生が戻ってきた。
 彼は肩を竦めて笑っていた。

「一応許可はしているよ、患者じゃなく友人として数えて――嵯峨くん、何があったのかはよくわからないけど、朝までいていいよ。ホテル代として、二十万円くらいで」
「悪いな」

 頷いた嵯峨刑事に肩を竦めると、天草先生は二階へ行ったようだった。
 それを見送ってから、改めて、嵯峨刑事が僕を見た。

「何処まで何を知ってる?」
「何も知らない」

 断言して僕は首を振ったのだった。