<1>”狐提灯”



 ”狐提灯”――それは、安倍九尾家を指す呼称だ。
 いつからそう呼ばれるようになったのかを、少なくとも一宮は知らない。
 そんな彼の前にココアが入ったカップを置いてから、正面の席の二葉が座った。

「悪いな」
「良いよ、僕も飲みたかったから」

 二人の間には、その後沈黙が訪れた。鬼畜と腹黒――そう評価される二人に声をかける者は居ない。黙々と何を話すでも二人はカップを傾けていた。

「……そう言えば、”榊様”を囲ったんだって?」

 暫くしてから微笑して沈黙を破ったのは、二葉だった。

「囲ったと言うよりも、あんなセキュリティの甘い場所に”榊様”を置けなかっただけだ」

 ふぅん、と頷きながら、二葉がカップを傾ける。

「じゃあ、恋人関係じゃないんだね、一宮は」
「まぁな。なる気も起きない」
「僕が貰っても良い?」
「それは困る。一宮を”榊様”には優先してもらわないとならないからな」
「だけど、恋はしていないんだろ?」
「当たり前だろ……お前はしているのか?」
「まさか」

 そんな一宮の声に、二葉は失笑した。
 ”榊様”は、あくまでも器にすぎない。この関係に、恋などと言う名前は付けられない。

 ただ、最近二葉には考えることもあった。

 それは祀理の――”榊様”の体を暴いてから、ずっと考えていたことなのかも知れない。

「一宮はさぁ、ヤってる時、祀理君と視線があったことがある?」
「何だ急に」
「知ってた? 確かにこっち見てはいるんだけどさ、ヤってる時、絶対に”榊様”は目を合わせてくれないんだよね」

 確かに言われてみれば、一宮にもそんな記憶は無かった。
 だが、今まで全く気にしたことも無かった。
 なにせ体を重ねるのは、当主としての務めにすぎないのだから。

「顔を背けようとしてることも多いし」
「それが?」
「誰か九尾以外の他に好きな人に重ねてるんだったりして」

 その言葉に、思わず一宮は息を飲んでいた。
 ピシリと罅が入ったかのように、周囲の空気が冷たいものに変わる。

 二葉もまた珍しく冷たい笑顔をしていた。

 まるで凍り付いたようなその場に、七木弘が帰ってきた。
 血塗れだ。刀振って血を払っている。
 一宮がそれを見て腕を組んだ。

「大丈夫か?」
「ああ」
「四條君と六月君は?」
「まだ≪異形≫を嬲ってる」

 そう言いながら七木が嘆息して、一宮の隣に座った。

 その正面にも、二葉が珈琲を置く。
 カップを傾けながら、ようやく七木は一息ついたようだった。
 こんな怪我などいつものことだからと、一宮と二葉は会話を再開する。

「それで? 誰だと思う? 一宮は。んー、候補は、順的に考えれば、晴明様? まぁ、普段は意識喪失状態で寝てるって調べはついてるし、ヤってるとしたら夢の中だろうけどな。後は、大学に好きな人がいるとかか? 一番仲良いのは、七木家の亮君だって」

 その声に、カップを持ったまま、険しい顔で七木が固まった。
 それには構わず――というよりは、意地の悪い顔で二葉が笑う。

「けど亮くん、恋人(?)がいるみたいだね」

 また室内が凍り付いた。
 しかしそれを気にすることもなく二葉は続ける、近親相姦で弟を愛している七木家当主になど、今は興味が無いのだ。

「イッチーは誰だと思う?」
「その馬鹿げた名称は、俺を指していないだろうな? ただ、そうだな、どうせ時雨だろう」
「時雨って、茶丘の時雨!?」
「この前廊下でスルーされて泣きそうだったしな。興味はないが、時雨の側は恐らく惚れてる」
「見た見たその場面。中庭をはさんで廊下の反対側で、だったけど」

 一宮の言葉に、二葉が腕を組んだ。
 少なくとも――……安倍九尾家の誰かを好きだという可能性は低い。

 だが、挿入する方とは異なり、いくら体が疼いたとしても、体を好きでもない相手に暴かれることに対して、祀理はどう思っているのだろう?

「本人も現状を受け入れてるみたいだし、仕事だと思ってるんだろうけど」
「笑ってるのもあれ、本心なのかな? 自分の心すら誤魔化してないかな、アレ」
「まぁ当然と言えば当然だけど――本当は、嫌なんじゃないかな」

 二葉が続ける。

「器だから、体の快楽が強制的に煽られて、要するに体だけでも、もうどうしようもなく気持ちよくなってしまって、本人も困惑してるんじゃないかな? いっそ酷くしてあげた方が親切なのかもね」
「好きなだけ泣けるだろうしな」
「快楽あおってあげるのも親切心だったんだけど」

 そうして二葉が溜息をつく。

「良い声で啼くんだよね」
「今まで耳障りだとしか思わなかったけどな」
「快楽にとことん弱いのも、多分器になったせいなんだよね」
「何せ、九尾の狐の末裔だしな」

 九尾の狐は、高名な相手を籠絡していったのだ。
 自分達にはその血が流れているのだし、晴明と交わった以上、きっと祀理が感じる快楽は、尋常ではないはずだ。

「逆に痛くしてみるとか? 調教とか」

 ポツリと二葉が言う。

「それにしたって、一人一人に心を開いてないんじゃないか、会ってまだ少ししか経ってないし。体だけほだするのは、現状と何も変わらないだろ。今後を考えると、仕事上での信用はある程度欲しい」
「なるほど、じゃあ仲良くなる計画を立てようか」

 呆れたような一宮を見ながら、二葉が手を叩いた。ポンと音がする。

「――お前とやるのが、気持ちいいとでも言うのか?」
「黙っていたら、分からないでしょ」

 七木はそんな二人を、黙ったまま眺めている。

「後さぁ、結構ガンガン声だしてるけど、アレって演技だったりしない?」
「一回口でもしばってみるか? それでも声を上げれば本心だろ」

 二葉の声に一宮が首を捻った。

「うーん」
「じゃあとは、声出すなと命令だな」
「元々ノンケだったみたいだし」
「女扱いされるのが嫌だってことか?」

 真剣なはずなのに、どこかずれている二人の会話に、七木がカップを置いた。

「なんか仲良くなる計画を立ててるはずが、いじめる計画になってないか?」
「「っ」」

 二人は、七木の言葉に、そろって息を飲んだ。
 その様子に七木が溜息を漏らす。

「普通、仲良くなりたいんなら、デートとかすればいいだろ」

 そう言う物かと、揃って頷いた。
 だが――デート? デート!?
 頷いた自分自身を、一宮は呪った。

「まぁそうだね、都合があった九尾の当主で、それぞれデートしてみよっか」

 その時朗らかに、二葉の声が響いたのだった。