<12>七木家当主


 七木家当主が来訪したのは、その日の夜のことだった。
 報せを聞いた時俺は、昼間の衝撃が強すぎて、布団に横たわり、ぼんやりと天井を見上げていた。

 確かに、確かに――舞理は当主なのだ。
 俺が断った八坂家の。

 ただそれでも、もし仮に俺が当主だったとしても、舞理を抱けと言われたら、きっと拒絶した。いくら”力”が必要であろうとも……たった二人きりの兄弟なのに。

 舞理は俺に対して、何を思っているのだろう。
 淫乱――宗信さんにも、そう言われたことがある。それを喚起すれば、俺は何て気持ちの悪い生き物なのだろうかと、自分自身を失笑した。

 きっと舞理もみんなも俺のことを軽蔑しているのだろう。
 そんな事を考えながらも起き上がり、寝間着から和服に着替えさせられた。

「遺言状の公開以来だな」

 宛がわれた榊の間で、俺は彼を見た。
 七木弘、確かそんな名前だったはずだ。

「次に会う時は、榊様の襲名披露の時か」
「……そうかもしれません。七木さんでしたっけ?」
「弘で良い。どうかしたのか、顔色が悪い」

 彼はそう言うと、俺に歩み寄ってきた。不意に額に触れられて、息苦しくなる。
 どうせ彼も俺に触るのだろう。そうして体を重ねるのだ。
 そう思えば、嘲笑が浮かんできた。

「どうした?」
「早く抱けばいいのにと思って」

 俺の言葉に、短く弘さんが息を飲んだのが分かった。俺よりも年上に見える、暗い髪色の青年だった。僅かに切れ長の瞳が、友人に似ていた。ああ、アイツもナナキだったな。結局電話をかけ直してはいない。

「――悪いが、それは出来ない」
「え?」
「望むのであれば、他に人を寄越す。誰でも選べ。貴方と交わりたい人間は多い」

 想定していなかった言葉に、思わず目を見開いた。

「俺には、好きな相手がいるんだ。貴方に興味がないわけでも、貴方が悪いわけでもない」

 淡々と言い切り、それから弘さんが腕を組んだ。

「勿論七木家当主として、”力”は貰わなければならない」
「どうやって……?」
「七木の家は、昔から”力”が強い。体を重ねずとも、口づけだけでもすれば、それだけで十分な威力を得られるんだ」

 そう言うと彼は、俺に歩み寄ってきた。
 顎を捕まれ、上を向かされる。

「ン」

 それから目を伏せた彼に、唇をふさがれた。それから舌が口腔を犯し、暫くしてから俺達の間には、透明な唾液が線を引いた。

「七木の家には、コレで十分だ。十分すぎる。貴方も本意じゃない相手に体を暴かれ、辛いだろう? ただこればかりは、我慢してくれ」

 淡々とそう口にし、弘さんが立ち上がった。
 元々座っていた場所に戻ると、珈琲を淹れてくれる。
 なんだかその対応だけで泣きそうになり、俺は必死で唇を噛みしめた。

「少し、話をしよう」

 俺の前にカップを置くと、無表情のままで弘さんが言った。
 何度も何度も頷いて、陶器を手に取る。ブラックの灼熱が、俺の喉には心地良かった。

「八坂の舞理とは兄弟なんだってな」

 しかし続いた思い出したくない記憶に、気づくと目を伏せていた。

「俺にも弟がいるんだ」

 が、俺の思いを気にした素振りはなく、そう言って弘さんは静かにカップを傾けた。
 どんな情事が交わされたかなど、当人でなければ分からないのだろう。

「貴方と同じ歳の大学生だ」
「そうなんですか」
「――祀理。大学で、仲が良い奴はいるか?」
「います。弘さんと一緒で、ナナキって呼んでます」

 思い出したら、なんだかほっとして、珈琲を更に飲んだ。

「どんな性格だ?」
「俺の次に……やる気無いっていうのかな」
「親友か?」
「多分。少なくとも俺はそう思ってるんだと思います」
「そうか――恵まれているみたいだな」
「え?」
「楽しそうか? その……親友の、彼は」
「サークルも講義も一緒だから、一緒にいることが多かったけど――ああ、楽しそうでした。ま、あんまり顔には出ないんだけど。ただ、後輩にも慕われてたし、先輩とか、同級生の俺達とも、仲が良かったよ。自分から、仲良くなりに行くタイプじゃなかったけど」

 クスクスと俺は笑みを零していた。
 以前に由馬とドライブした時もそうだったが、何故俺の交友関係を、皆が気にするのだろう。よく分からない。ただ、今、弘さんの目が少しだけ優しくなったように見えたのは分かる。

「弘さんの弟さんは、どんな人なんですか?」
「……七木の家では、死んだことになっている」
「え?」
「正確には、”いない”モノとして、扱われているんだ」

 よく意味が分からなくて、俺は首を捻る。

「七木の家は、”九尾の力”が無くても、それこそ”晴明様の力”がほとんどなくても、攻撃力に秀でている。俺の弟も――そうだった。次の柊様に推す声があったほどだ。強かったんだ、アイツは。寧ろ、強すぎた」
「それで、どうなったんですか?」
「≪異形≫に襲われた」
「え」
「何があったのかは、前任の榊様しか知らないと聞いている。だが、≪異形≫の住む世界と、こちらの現実世界は違うと聞いているのに――発見された時、俺の弟は怪我を負っていた」
「……そうなんですか」
「ああ。その上、”力”も”記憶”も失っていた。あの時の”榊様”は、ただ時期が来れば、戻るから、放っておけと言った。しかし何年経っても戻る気配は無かった。そして七木家は、アイツを切り捨てた。もう戦えないから、イラナイから、とな」
「そんな――」
「実際、俺の弟は、俺が当主となった後、補佐をするのが主な役目で、元々生かされていたんだ。それが出来なくなって以後は、不要な存在だと考えられても、仕方が無い」

 事実を淡々と語っているように見えたのに、弘さんの瞳は、何処か切なく見えた。焦燥感が滲み出てくるようだった。

「もしもいつか、俺の弟に会ったら、伝えて欲しい」

 弘さんの声で我に返った。

「帰る場所は、此処にあると。当主になった俺が、その場を作ったのだから。そして――愛しているから、と」

 それだけ告げると、弘さんは帰っていったのだった。