<3>安倍の三役


 ――ある日俺は、安倍柊(あべのひいらぎ) さんに呼び出された。
 場所は京都で、貧乏学生を舐めるなよ、と思ったが、『大切な話だから』と、真剣さが滲む声で言われたから、断り切れなかった。新幹線代が辛い。

「よく来てくれたね」

 二十代後半だろう青年は、濃紺の和服を着ていた。
 そこにウィンドブレーカーを着ている俺は、明らかに場違いだった。
 柊さんは、柔らかそうな髪をしていて、少しだけその茶髪には癖があるようあった。
 ワックスを付けている様子はないから、地毛なのだと思う。

「お待ちいたしておりました」

 柊さんの隣には、安倍桜さんが立っていた。
 こちらもまた和服姿だった。
 光の加減で桃色に見える髪と瞳をしていたが、こちらも地毛に見える。
 後ろで一つに束ねた髪は、長い。色が透き通るように白かった。

「僕ら二人はね、榊様にご指導して頂いたんだ」
「うん。だから……その榊様のご遺言を無碍には出来ないのです」

 どちらも笑顔だったが、俺を見る目は何処か冷ややかだった。
 やはり二人も、本音を言えば、俺が襲名することに対して途惑っているのだろう。
 何せ俺本人ですら、全く現実感が分からないのだから。

 緩い大学生活を、それなりに楽しんできた俺が――いきなり旧家の跡取り、宗主になるなんて馬鹿げている。

「困惑しているのは、分かるよ」
「ただ――三役だけの秘密を、確認して欲しいんです」
「いえ、あの……俺は、その三役というものになる気はないですし、見ない方が……知らない方が良いと思うんですけど」

 知ってしまったら、帰ることができない気がした。
 何も知らない方が生きやすいと、二十数年しか生きてはいない俺だって分かる。
 だが、俺の言葉を気にした様子もなく、二人は歩き始めた。

 ちょっと、本当に俺の話を聞いて欲しい。
 けれどこんなにも長い廊下に置き去りにされたら確実に迷子になると思って、慌てて二人の後を追いかけた。

 連れられていったのは、奥の離れで、畳と布団が見て取れた。

「っ……!」

 そして俺は、目を見開いた。
 そこには、眠っている、夢の中の青年……(自称では)安倍晴明が、横になっていたからだ。強いて違いを挙げるのであれば、まるで死人のように、顔色が白い。だが、微かに聞こえる寝息に、生きているのだと分かった。けれど人工呼吸器も、点滴もどこにもない。

「千年近く、彼は眠っているんだ。知ってるかな、安倍晴明の名を」

 嘆息するように柊さんが言った。その意味に、俺は判断がつきかねた。それは、ブームゆえに、娯楽として知っているかという問いなのか、それとも夢の中であったことを告げているのか。

「目を覚まさない彼の代わりに、≪鬼≫――今では≪異形≫を倒すことが、我々の使命なのです。いつか赤紫の二つ目の月の下を跋扈する≪異形≫を駆逐するために、安倍九尾家は存在しているのです」

 桜さんの声に頷きながら、俺は冷や汗が出てきたのを自覚した。
 当然眠っていることなどは知らなかったが、≪鬼≫や≪異形≫と言った言葉は夢の中で耳にしたし、何よりも赤紫の二つ目の月は、夢の中で俺も見た。

「これは三役にのみ伝わっている真実なんだ。何せ代替わりの時に、僕らは晴明様と交わるのだから。その時にだけ、晴明様は人の器に、お戻りになる」
「交わるって……?」
「基本的には形式的なものです。我々の体は赤い布紐で拘束され、その上に着物を羽織り、朝が来るまでの間、晴明様から気を頂くのです」
「何も難しいことはないんだ、祀理君」
「だけどやりたいって人があんなに沢山いたのに……」
「彼等はこの”秘密”を知らないし、今際の際の榊様の口からも、名前は挙がらなかった。その価値がない――と、までは言い切る気はないけどね。榊様が指名したのは君で、祀理君はこの秘密を守り、目を覚ました晴明様と交わることになる」

 柊さんと桜さんが、それまでの柔和な笑みを消し、俺を真剣な顔で見据えた。
 ゾクリと背筋が粟立った気がした。

「無理に晴明様と交われば、いくら榊の名を襲名していたとしても、その人物は死んでしまう。その分身体に大きな不可がかかるんだよ。――一度交われは、君は大きな力を得る。君越しならば、その力は、安倍九尾の各家にも恩恵を与えられるんだ」
「貴方しか、いないのです」

 死ぬ――その言葉に、思わず眼を細めた。
 俺は霊安室で見た両親の姿を思い起こす。
 あの時隣には、無表情の舞理がいたのだっけ。
 泣き崩れそうになった俺よりも、弟はずっと強かった。

「俺は何をすれば良いんですか?」

 反射的に、俺は答えていた。
 誰も――死ぬ姿なんて、見たくはなかった。

「赤い紐を体に巻いて、その時にだけ目を覚ます晴明様と交わればいい」
「難しく考える必要はありません。当然全裸ではないのだし。上には、和服を着てもらいますから」

 二人に押し切られるようにして、気づけば俺は頷いていた。
 思わず自身の髪を撫でたのは、癖だからだ。

「分かりました。一度だけで良いんですよね?」

 確認するように俺が告げると、揃って二人が安堵するように吐息した。
 彼らは、明らかに年下の俺に向かって、頭を下げた。
 なお、自慢ではないが、俺はいまだに居酒屋で、年確をされる程の童顔だ。

「ああ。何か不安があれば、安倍柊として僕は全力でバックアップをするよ」
「僕も安倍桜として、助力いたします」
「よろしくお願いいたします」

 この時の俺は、それから始まる恥辱に塗れた宴のことなど、何も知りはしなかった。