<2>末裔



 それからしばらくの間、俺は眠ることが怖かった。
 だからカラオケオールをしたり、ナナキという名の友人を安い居酒屋に誘ったりして、夜を潰した。かわりに昼間寝る。大学生に許された特権だ。

 そんな事を考えながら、午後の講義には参加し、教室を出た時の事だった。

「祀理くん」

 誰かに声をかけられ、俺は顔を上げた。
 そこには――見覚えはあるのだが、誰なのか分からない人が立っていた。

「少し時間をもらえないかな?」
「ああ」

 きっと大学の、主にテスト時にノートを回してくれる誰かだろうと判断し、俺は頷いた。
 大学構内にあるスタバに移動するまでは暫し雑談をして、俺もそいつも飲み物を頼んだ。
 綺麗な薄い茶色の髪に、同色の瞳をしている。
 ただ目の色を見る限り、それは天然のものに見えた。眉毛の色も同じ色だ。

「――正直さ、僕のこと覚えてないでしょ?」

 暫しの雑談の後そう言われ、俺はカプチーノを吹きそうになった。

「え、ああ……そ、その」
「無理もないよ。一回しか会ったことがないんだし」

 クスクスと笑った同年代の彼の言葉に、俺は心底安心していた。

「悪い。名前は?」
「佳織って呼んで。呼び捨てで良いからね。二葉佳織」

 続いた声に、俺は背筋が凍りそうになった。あの、謎の遺言状公開の時に集まったメンバーは、俺以外みんな、一から九までの数字が名字に入っているらしかったからだ。だが、その意味が俺には今でも分からない。

「ど、どんな用?」

 タメ語で良いような雰囲気だが、正直困惑せずにはいられない。他の襲名者が決まった場合は、弁護士の土岐さんから、連絡が来ることになっていたからだ。

「僕が宗主を務める二葉と、由馬が宗主を務める四條、それに祀理君の弟が宗主を務める八坂は、君が第三十代、安倍榊(あべのさかき) を襲名するのを応援してるって話がしたくて」
「え、いや……それは、ちょっと……」
「祀理君はさ、榊様になるって事の重要性が分かってないんじゃないかと思って、ちょっと話をしたかったのもあるんだ」

 確かに俺は、全然分からない。
 何せ講義中に、いきなり拉致同然に京都まで連れて行かれたのだから。

「そもそも、安倍九尾家が何か知ってる?」
「全然知らない」

 俺が首を振ると、佳織が苦笑した。

「じゃあ、榊様のこと、柊様のこと、桜様のことは?」
「全く分からない」

 正直に答えると、何度か佳織が頷いた。

「じゃあ説明するね。さすがに――安倍晴明は聞いたことあるよね?」
「ああ、陰陽師だろ?」

 それは俺でも知っている。何年か前に、陰陽師ブームが来たような気もする。

「そ。その安倍晴明の母親は、九尾の狐だって話は?」
「知らない。狐だって言うのは聞いたことあるけどな」
「九尾の狐だったんだよ。それでね、土御門から分家する時に、いつか対≪鬼≫用に、≪力≫を、狐に表象して残したんだ。それが、安倍九尾家の祖先になった」

 その言葉に、俺は夢で見た、平安時代みたいな場所を思い出した。
 確かあの場所で青年は、≪鬼≫だと口にしていた。そしてそれらが、俺の時代には≪異形≫と呼ばれる、と言うようなことを言っていた気がするような、しないような。何せ夢の中の出来事だから、記憶は曖昧だ。

「さらにそれらは分家した。君の母方の阿部家はその末裔だったんだよ」
「でも漢字が違うし」
「正体がばれないようにしていたんだ。そして父方は、八坂。安倍九尾の直系だ」
「そっちは弟が継いでる」
「うん。けど本来はどちらも長子相続なんだ。君には、二つの家の力が宿っている」

 あ、ちょっとついて行けなくなり始めた。自慢じゃないが、俺は記憶力が悪いんだ。

「それでね、安倍九尾家には、更に分家として、八坂と同じように一から九までの家が存在する。一宮・僕の二葉・三輪・四條・五瀬・六月・七木・君の弟の八坂・九重の九家だ」
「よく分からないけど、尻尾になぞらえたんだな」
「そんな感じ。そして、安倍晴明様を補佐するべく、この九家から、代々三役が選出される。それが、安倍柊(あべのひいらぎ) ・安倍桜――そして、安倍榊(あべのさかき) 。要するに亡くなった榊様の跡を継ぐ、祀理君。君だよ」
「え。いや、俺やらないし、補佐って何? 安倍晴明って、平安時代の人だよな?」
「詳しい事は三役しか知らない」
「そ、そっか」
「その三人は、全て前任者に指定された後に、襲名するものなんだって事くらいしか、僕たちは知らないんだよ」
「……って言われても」
「最悪でも君は、一度襲名した後に、誰か他の人を指名しないとならない。それは古から続く決まり事なんだ」

 俺が困っていると、佳織がキャラメルマキアートを飲んだ。

「急にこんな事を言われても困るだろうけど」
「うん。間違いなく、俺困ってるよ」
「ただね――うちのライバルの芦屋家の人間も動いてる」
「芦屋?」

 何となく聞き覚えのある声に、俺は首を傾げた。
 ブーム時に見た名前だろうか。
 いいや、もっと身近にもいるのだが……。

「全力で僕たちは君の補佐をするから、考えてくれないかな。真剣に」

 そう言って、佳織はまた静かに笑ったのだった。


 佳織は、新幹線の時間があるからと言って、帰って行った。
 俺はと言えば、逡巡しながら溜息をつく。
 正直、お家騒動にはやっぱり関わりたくないのだ――が、夜になれば多分、そう、起きていない時は、何か不思議な夢に巻き込まれる気がしたのだ。

 現在午後四時。
 アパートへと戻り、布団に転がった。クーラーをガンガンかけて、毛布を抱き枕のように握りしめる。

 目覚まし時計を六時にセットして、少しだけ寝ようだなんて思った。

 止めておけば良かった。

 夢うつつにそんな事を思った時、俺は逢魔が時の夕暮れを眺めながら、縁側に座り手酌で酒を飲んでいる青年を見つけた。ああ、またあの夢だ。色素の薄い髪に、橙色の瞳をしている。

「やぁ」

 声をかけられ息を飲んでいると、手招きされた。
 ああ――何度も夢で見る、青年だった。
 きっと本当はこの時代と俺が喋る言語には、乖離があるはずなのに、少なくとも俺には現代の口語に聞こえる。

「名前、何て言うんだい?」
「なんで?」

 俺が無表情で首を傾げると、青年が肩を竦めた。

「君の口から直接聞いてみたくてね」
祀理(まつり) だよ」
「そう、祀理くんかぁ」
「そっちは?」

 問い返すと、青年がきょとんとした顔をした。

「僕のことが誰だか分からないの?」

 高名な人物だったのかと思い息を飲んでいると、またクスクスと笑われた。
 少々つり目の瞳が、さらに細くなったが、口元には弧が張り付いている。

「僕はね、安倍晴明って言うんだよ」

 ……やっぱり俺の夢は、日中の出来事から構成されているんだなと再認識した。佳織から妙なことを聞いたせいだろう。

「君の祖先になるのかな」

 近くにいる狐を撫でながら、晴明と名乗った青年が言う。衣擦れの音が聞こえた。

「≪鬼≫――いや、≪異形≫か。≪異形≫に、狙われてるみたいだね。その”瞳”はこの世ならざる所から来る怪異に反応する」

 その声を聴いた瞬間、ドクンドクンと俺の左手首が熱くなった。視線を落とせば、そこでは眼球が瞬いていた。絡みついた視神経が時折見える。

「ねぇ、榊」
「だから俺は、榊じゃなくて――」
「祀理君だって事は聞いたけど、”榊”の名前は襲名するものだから、やっぱり君は”榊”なんだよ」

 喉で笑った晴明は、それから首を傾げた。

「君の力になってくれる人がいる。早く見つけてあげてね」

 その言葉を聞いたのを最後に、俺は目を覚ました。
 なんてこともない、いつものアパートの風景が、そこにはあった。