羽染良親と羽染小夜(兄妹!)


 違う戸籍を得た後、外交官として赴任してから、保科の帰国と共に羽染は大日本帝国へと戻ってきた。死んだことになっている羽染自身も、妹の小夜も、現在は別の戸籍を手に入れている。

 諜報部の手により新たに作られた戸籍だったが、名前自体は変わらない。

 だから、極力第二天空鎮守府に近寄らないようにしている以外は、人々の雑踏の中、東京で二人は生きていた。羽染が帰国した時分は、丁度小夜が退院して暫くしてのことだった。


「ただいま」

 小夜が住んでいるのは、朝倉の持ち家の一つであり、朝倉の妹の桜が時折手伝いに来てくれているらしい。しかしながらその日は、羽染の帰宅日であることもあって、桜の姿はなかった。

「お兄ちゃん!」

 エントランスで出迎えた小夜が、羽染に抱きつく。
 その温もりが嬉しくて、背中に手を回しながら、羽染は微笑んだ。

「元気にしていたか?」
「うん。毎日二重跳び三百回くらいしているよ!」
「そ、そうか」

 小夜は、体こそ弱いが、運動神経は抜群なのだ。また、病床にいた時は読書三昧だったため、勉強が出来るというわけではなかったし、流暢に喋れるというわけではなかったが、読み書きだけならば、かなりの言語を堪能に扱える。

「お兄ちゃんは?」
「ああ、独逸土産を買ってきたよ」
「それは秋ちゃんからも貰うよ!」
「だろうと思って秋嗣とは別の物を買ってきた」

 兄妹二人きりだから、保科の下の名前を告げながら、羽染は苦笑する。

「何々?」
「時計だ」
「わー独逸に一切関係ない!」
「そんなことはない。新生プロイセンの国旗入りだ」
「すごくいらない!」
「小夜……ブルストも買ってきたから」
「有難う!」

 花より団子の妹の声に、羽染は苦笑する。病床にいたせいか、食事制限があったせいか、小夜の食欲はずば抜けているのだ。なのに太る気配がないのは、血筋だろうと羽染は思う。軍人になってから、何度か羽染も体重を増やそうとプロテインを飲んでみたりしたのだが、いっこうに太れなかったのだ。

「茶が飲みたいな」

 中へと入り、畳の上の座布団に座りながら羽染が言う。

「え、お兄ちゃんはコーヒーでしょう?」
「ああ」

 羽染が応えた時には、既に小夜が、フィルターとコーヒーの粉をセットし、ポットからお湯を注いでいた。何も言わなくとも意思疎通が出来る間柄。妹とのそんな距離感が心地良い――しかしながら、羽染には悩みがあった。未だに、有馬のことを紹介できないで居るのだ。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」

 二人で、テーブルを挟んで向かい合う。
 本当に元気になってくれて良かった。

「小夜は、どんな風に過ごしていたんだ?」
「ええとね、手紙に書いたとおりだよ」
「……いや、全然よく分からない手紙だったんだけど」
「どこらへんが?」
「女友達とTDRに行きました★秋ちゃんLOVELOVEレボリューションのあたりかな」

 たった一度届いた手紙を回想しながら、羽染が言う。

「ええとね、由香ちゃんていう友達が出来たの。で、由香ちゃんは、秋ちゃんとラブラブ革命なの」
「秋嗣のことが好きだという事か? 女友達と言うことは、家時様でも紫陽花宮様でもないよな?」
「え! その二人も、秋ちゃんのこと好きなの? っていうか、その二人誰?」
「いやいい。聞かなかったことにしてくれ。それよりも由香ちゃんて誰だ?」
「なんかねぇ、元老院議員だって言ってたよ。鷹司って家の子」
「ぶ」

 思わず羽染は珈琲を吹いた。

「おい、まさか、鷹司家の由香梨様じゃないだろうな?」
「そうそう」
「どこで親しくなったんだ?」
「お兄ちゃんがいなくなってた頃に、お見舞いに来てくれたんだよ」
「なんで?」
「さぁ。秋ちゃんのお友達だからじゃない?」
「だからって……」
「私と秋ちゃんの仲誤解してたんじゃないかな。きっぱりと否定して、私は由香ちゃんと秋ちゃんの仲を応援してるけどね」
「……由香梨様は、秋嗣のことが好きなのか?」
「お兄ちゃんが有馬大尉のこと好きなのと同じくらいは好きなんじゃない?」
「っ、な、な、な!? なんだ、なんで――」
「水くさいな、なぁんで言ってくれないの?」
「いや、おい、小夜。誰に聞いた!?」
「え、由香ちゃんが有馬大尉から聞いたって言ってたよ?」
「な」
「紹介してよ!」
「……ああ」

 二人がそんなやりとりをしていると、呼び鈴が鳴った。

「はぁい」

 小夜がすぐにエントランスへと向かう。

「あ、え」

 開いた扉の向こうで、息を飲んだのは――有馬と由香梨だった

「え、え? ここ、羽染の家じゃ?」
「はい、羽染です!」
「……有馬。彼女は、羽染大尉の妹よ」
「いや、顔知ってるからそれは分かるけど。ちょ、由香梨様! 妹もいるとか聞いてないし」
「なんで羽染大尉と貴方の逢瀬に私が付き合うのよ! 私は元々、小夜に会いに来たの!」
「えー? よくわからないけど由香ちゃんいらっしゃい。それに有馬大尉? 噂の有馬大尉?」
「噂ってなんだよ」
「お兄ちゃんがいつもお世話になってま――」

 挨拶しようとした小夜の口を後ろから、羽染が塞いだ。そして笑顔を浮かべる。

「由香梨様、ようこそお越し下さいました。妹が平時大変ご迷惑をおかけしております」
「べ、別に! 仲良くしてあげているだけよ!」
「またまた由香梨様。初めての女友達に胸キュンなくせに。山縣さんが言ってましたよ」
「黙りなさい有馬! 山縣大佐のことは、後でシめるわ!」
「有馬。急で悪いんだが、とても由香梨様をお通しできる部屋じゃない。帰ってくれ」
「オイ羽染、此処朝倉さんに借りてるんだろ、失礼だろ」
「あのな、由香梨様は、仮にも鷹司家の――っ」

 そう告げた羽染の手から逃れ、小夜が声を上げる。

「友達が会う場所にそんなの関係ないもん。お兄ちゃん、古!」
「小夜!」
「これまで何度も遊びに来てくれたし、泊まったこともあるんだよ。ね、由香ちゃん」
「え、ええ」
「……小夜、空気を読んでくれ」
「お兄ちゃんにだけは言われたくないよ!」
「まぁまぁ羽染。妹も由香梨様もこう言ってることだし、とりあえず上げてくれ」

 このようにして、暫定羽染宅に、四人が入った。

「それで有馬大尉はお兄ちゃんのどこが好きなんですか?」
「「ぶ」」

 小夜の声に、有馬と羽染がコーヒーを吹いた。

「さ、小夜! もっと、柔らかに聞いた方が良いと思うわ!」
「じゃあ由香ちゃんならなんて聞くの?」
「……初夜は、どうでしたの?」
「いやちょっと由香梨様、更に生々しくなってるから!」

 有馬が声を上げる。
 双眸に掌をあてがい、羽染が天井へと顔を向ける。

「え、え、それって、そういう意味なの?」
「小夜。小夜にはまだ早い」

 羽染がそう言うと、小夜が首を傾げた。

「なにが? 初夜って、付き合って初めて食事をする事じゃないの?」

 盛大に墓穴を掘った気分になり、羽染が赤面した。

「違うわ小夜!」

 しかし由香梨が首を振った。

「はじめて、キ、キスする事よ!」

 その声には有馬が両手で顔を覆った。
 ――え、ちょ、嘘だろ、今時こんな純粋な中学生とかいるのかよ!

 そんな心境だった。


「――なにやってるんですか?」


 そこへ声がかかった。
 一同が振り返ると、扉を開いた保科がそこには立っていた。

「すいません、声かけても返事なかったけど鍵が開いてたから、のぞいちゃいました」
「構いませんが……」

 羽染がそう呟くと、小夜が満面の笑みを浮かべた。

「秋ちゃん!」
「秋嗣!」

 小夜と由香梨が声をかける。

「ちょ保科様、俺と羽染、女子中学生からセクハラ受けてるんですけど」
「なにそれ有馬大尉」

 保科が首を傾げる。

「秋ちゃんは、初夜ってなんのことだと思う?」

 小夜が尋ねると、保科が硬直した。

「キ、キスよね?」

 由香梨が繰り返す。

「え……」

 保科は暫し思案してから、満面の笑みを浮かべた。

「手を繋ぐ事じゃないんですか?」

 逃げやがッた!!
 そんな想いで有馬と羽染が視線を交わす。



「本当は私たち知ってるけどね」

 小夜と由香梨が、後ほどそんなことを呟いたのを、彼らは知らない。