23:おかえり




 羽染が仕事を終え、正門へと向かい歩いている頃。



「どちらへ?」

 家時に促され、保科もまた正門の方向へと引きずるように連れられていった。

「保科。手を振り解きなさい」

 そこへ、鷹司由香梨の厳しい声が飛ぶ。

「は、はい」
「黙ってろ」
「貴方こそ。今の世界に、将軍家なんて無いのに、過去の栄光にしがみついてみっともない」
「好きに言ってろ、邪魔だ、消えろ」

 保科の手を掴み、由香梨が怒りから頬をふくらませる。
 家時と由香梨にそれぞれ手を引かれ、保科は頭痛を覚えていた。
 そして彼らと羽染は、丁度正門へと向かう、出口の前で遭遇した。

「!」

 慌てて羽染が、足を止めて頭を下げる。

「やぁ、羽染大尉。忠告しに来てやった」

 その姿に、家時が意地の悪い笑みを浮かべる。

「あの変態には気をつけろ」
「変態って誰のことかなぁ」

 そこへ、自動扉を丁度潜ってきた、紫陽花宮が声をかける。

「隆明様!」

 由香梨が驚いたように、走り寄る。

「何故此処に?」
「やぁ、由香梨。久しぶりだね。うん、少し羽染大尉に話があって」
「羽染大尉に……?」

 保科の部下だと聞いたことがある青年の名に、由香梨が振り返って羽染を見た。

「貴方が羽染大尉?」
「はい。いつも藩主保科がお世話になっております」
「まったくよ! 昨日は勝手に休むし。家臣ならきちんとなさい」
「申し訳ございません」

 彼らがそんなやりとりをしていた時、そこへ走り寄ってくる者がいた。

「羽染!」

 唐突に名を呼ばれ、反射的に羽染が顔を向ける。
 焦るような調子で走ってきたのは、山縣だった。

「山縣大佐殿……なにか?」
「間に合って良かった。保科様もいらっしゃるのか、丁度良い、兎に角まずい。すぐにここへ行け」

 紫陽花宮にも、家時にも、一切構うことなく、真剣な瞳で山縣が言う。
 受け取った紙には、第三軍病院の住所と電話番号が記されていた。

「これは?」
「お前の妹が急変した。今、会津からヘリで搬送中だ。向こうではもう手の施しようがない」

 緊迫した空気が、その場を覆う。

「後は引き受ける、終わったら戻ってこい。兎に角保科様をお連れして、すぐに行け。一刻を争う」

 その言葉に、羽染は硬直した。
 妹が――小夜が死ぬ?

 その現実は、何度も考えたことがある。しかしいつも現実感を伴わずに、羽染の意識からこぼれ落ちていくのだ、砂のように。あるいは考えたくないだけなのかも知れない。

「良親さん!」

 羽染の意識を引き戻したのは、保科だった。

「行きましょう」
「あ……ああ」

 少年に腕を引かれ、息を飲んでから、羽染は足を速めた。
 紫陽花宮にも、家時にも、由香梨にも、何もかける言葉が見つからない。

 ――そうだ、生命維持装置など切ろうが切るまいが、いつか妹は死ぬのだ。

 それは確定的な未来だ。
 そして人は皆死ぬ。死ぬのだ。死んでしまうのだ。両親と同じように。

 ――終わったら? それはどういう意味だ?

 やるせなくなって、羽染は唇を噛んだまま走る。
 二人はそのすぐ後に、タクシーを拾った。





 残された三人に、山縣が向き直る。

「申し訳ございません、ええと……説明を、俺で良ければ」

 山縣が切り出すと、由香梨が困惑したように瞳を揺らした。

「山縣、何があったの?」

 朝倉や有馬同様、自分の仲間であると山縣のことを認識している由香梨は、歩みよって山縣の袖を掴んだ。

「羽染には、妹が居るんです。保科様の会津でのご学友です。これまでは、会津の病院に入院していたのですが――……先ほど、急変の報せが」
「大丈夫なの?」

 少女の声が、少しだけ震えていた。
 気が強そうに見えて、本当は大変彼女は繊細で、優しい心の持ち主だ。
 他者のことを、自分のことのように心配できる。

「今夜が峠です――……恐らく、越えることは出来ない」

 山縣はそう口にしてから、紫陽花宮を見た。

「そういう事態ですので、羽染との会食は、別の機会にこちらでセッティングいたします。大変申し訳ございません」
「――構わないよ。身内の生死に関わる瞬間を、我が儘で奪うようでは、宮家として形無しだ」

 ふるふると首を振った紫陽花宮は、苦笑を浮かべていた。
 ここのところ容体は安定していると聞いていたが、そもそも何時急変してもおかしくない病を患っているのだと、知っていたからだ。

「家時公にもお詫び申し上げなければなりません。恐らく明日は、通夜がありますので……」
「気にするな。その……――なんとかならないのか?」

 家時は思い出していた。
 いつか保科が、郷里に仲の良かった幼なじみがいると口にしていたことを。
 それは唯一家時が知る、保科の子供の頃の話だった。
 嘘偽りのない記憶だろうと、家時は思っている。
 二人で山に迷い込んで、現在は上京し仕官している軍人が探しに来てくれたという話だ。
 保科はその時、迷子になっていたのだと笑っていた。
 だけど強がって、幼なじみの前では、ずっと大丈夫だと口にしていたという昔話だ。
 恐らくあれは、羽染と、その妹との思い出だったのだろう。

「できるものなら、私が手配しております」

 山縣がやりきれないような表情で、そう口にする。

「そう言うわけですので、お引き取り願います」
「嫌よ」

 その時由香梨が首を振った。

「保科は帰ってくるんでしょう? 明日は議会もお休みだし、私は待つ。待ちます」
「ですが――」
「山縣大佐、心配はいらないよ。俺も待つから、由香梨のことは任せて欲しい。俺達は従兄妹だから」
「では……護衛に、有馬を呼びます。宜しいですか?」

 SPはいるものの、軍部と議員会館の狭間にいる彼らの側に、軍人を手配しないわけにはいかない。山縣が、由香梨の顔見知りである有馬を推薦したのは、道理だ。

「俺も残る」

 淡々と家時が言うと、山縣が頷いた。

「承知しました。では、関東軍閥から――」
「不要だ。一人、来るんだろう? 十分だ」

 吐き捨てるように言った家時に対し、山縣は少しばかり思案するような顔をしてから、ゆっくりと頷いた。

「寛大なお言葉に感謝申し上げます。では、私はこれにて」

 山縣はそう言って、歩き去った。





 病院に到着した羽染と保科は、手術室の前のベンチに座り込んでいた。
 暗い廊下には、緑色の明かりと、手術室から漏れる光だけが存在を主張している。
 影に覆われたかのようなその場所で、両膝の間に羽染は組んだ手を置いていた。
 保科は壁にもたれかかっている。

「小夜は、大丈夫です」

 少年君主のそんな声に、羽染は目を伏せる。
 どうしようもない罪悪感が浮かんでくる。

「何から何までしていただいて……なのに僕は、保科様の力になれない」
「そんなことはないです、良親さん」
「保科様……」
「良親さんは、もっと自分のことを考えて下さい」

 二人の影が、長く長く伸びていた。




 山縣に命令を受け、有馬がエントランスへと向かった。

「あ、由香梨様――って、あ、紫陽花宮様!」

 姿を見て取り慌てて有馬が、床に跪く。

「やぁ久しいね。楽にして良いよ」
「恐縮です……それに、家時様も」
「薩長土肥の軍人か。名前は? 座れ」

 由香梨と紫陽花宮が座る左側のベンチの真正面、右の壁際にあるベンチに一人で座っていた家時が声をかける。

「有馬宗一郎大尉であります。もったいないお言葉です」

 そう返答してから一礼して、有馬が家時の隣に腰を下ろした。

「大尉か……同じ階級の羽染を知っているか?」

 家時が話を振ると、有馬は大きく頷いた。

「ええ。あ、そういえば、朝一騒動あったって噂になってたな」

 思い出して有馬が口にすると、家時と紫陽花宮が視線を交わした。

「有馬、何があったの?」

 由香梨が尋ねると、有馬が腕を組む。

「よく分からないんです。羽染に家時様と宮様が会いに行ったとか何とか。そんなわけ無いですよね」

 有馬が空笑いをすると、家時が嘆息した。

「事実だ。その時食事をする約束を取り付けたんだ」
「は? 聞いてないです」
「噂になるほどのことでもないだろう」
「そうじゃなくて、羽染から俺、何にも聞いてない。あの野郎……約束破りやがったな」

 ブツブツと呟く有馬の姿に、紫陽花宮が苦笑する。

「破らないと思うよ、彼は。何せ俺を相手に、好いている相手との約束だから、二人きりで内密に食事には行けないと言っていたからね」
「ああ、宮様の話は聞きましたけど」
「おい、どういう事だ?」
「え、いえ、別に」

 有馬が天井を見上げて誤魔化した時、由香梨が立ち上がった。

「有馬、まさか羽染大尉と……え? そ、そうなの!?」
「由香梨様には未だ早い話です」
「ちょっと、子供扱いしないでもらえるかしら」
「そんなつもり無いです」

 有馬と由香梨のやりとりを見て、家時は眉を顰めた。

「お前、保科に嫉妬することはないのか?」
「え、なんでですか?」

 その言葉に、有馬が首を傾げる。

「俺は、羽染のこと信用してるんで」
「「……」」

 何とも言い難い微妙な表情で、紫陽花宮と家時が顔を見合わせる。

「付き合っているのね?」

 由香梨がポカンとしたように口にした。

「まぁ」

 聞かれたのだから良いだろうと思い、有馬が大きく頷く。

「それにしても、皆様こちらで、何をなさっておいでなんですか?」
「山縣大佐から聞いていないのかな?」

 紫陽花宮のその言葉に、有馬が眉を顰めた。

「いえ、何にも。ただ、護衛をしろとしか」
「――お前の恋人の妹が、今生死を彷徨ってる。保科と羽染が病院に向かった。俺達三人は、保科を待ってる。お前を寄越したのは――……そうだな、薩長土肥というだけではなく、羽染への配慮かも知れないな」
「え」

 家時の言葉に、有馬は息を飲んで目を見開いた。

「あいつの妹、事故か何かにあったんですか?」
「羽染大尉から聞いていなかったの?」

 紫陽花宮がそう尋ねると、有馬が首を振った。

「妹が居るとは聞いてましたけど……それしか」

 いつかパフェを食べている時に、妹に連絡しようとして止めたと羽染が言っていたなと思い出す。

「病気で、長いこと入院していたそうだ」

 家時が補足すると、有馬が眉を顰めた。

「そんなこと、一言も……」
「私は、羽染大尉の気持ちが分かるような気がする。恋人と一緒の時くらい、嫌なことは忘れたくなる。笑って過ごしたくなる。忘れたくなる、苦しいことは全部」

 由香梨がそう言うと、有馬が俯いた。

「けど、頼りにして欲しいって思うのが、男です」

 有馬のその声に、紫陽花宮が頷いた。

「その気持ち、よく分かるよ。俺は、頼ってもらえなかったから」
「宮様にも恋人が?」
「残念ながら、片思いなんだ」

 そう言った紫陽花宮は、苦笑するように家時へと視線を向ける。

「家時君もそうだろう?」
「……一緒にするな」
「同じ相手を思う者同士、今日くらいは、この心配する心を分かち合えるんじゃないかと期待したんだけど、家時君じゃ無理か」
「……そうだな。悪い、絡んだ。俺は、今苛立ってる」
「俺もだよ」
「心配で仕方がない」

 二人のそんなやりとりを聞いていた有馬は、ふと思い出した。
 パフェを食べていた時、この二人の名を出したら、羽染が顔色を変えたことを。

「もしかして、お二人は保科様のことを……?」
「そんなの認めないわ!」

 叫ぶように由香里が言った。

「保科は私のものよ。いくら隆明様でも、家時様でも、絶対に渡さない」
「ごめんね、由香梨。これだけは俺も譲れないんだ」
「俺も譲る気はない」
「それだけ想われてたら、保科様も幸せですよ。きっと」

 有馬がそう言うと、三人の視線が揃って向けられた。

「受け入れられている余裕があって羨ましい」

 率直に家時が言う。

「相思相愛になってみたいものだよ」

 紫陽花宮が溜息混じりに続けた。
 由香梨は何も言わない。
 その様にして、彼らの時間が過ぎていった。




 羽染と保科が戻ってきたのは、零時を回ろうとする頃のことだった。




 出て行く時とは真逆で、羽染に支えられるようにして、保科が入ってくる。

「保科……!」

 立ち上がって歩み寄り由香梨が声をかけるが、保科はその横を無表情で素通りした。
 今まで由香梨の言葉を保科が無視したことなど一度も無い。

「保科?」

 家時が声をかけると、これまでに見たことがないほど冷たい瞳で、一瞥された。
 端正な保科の顔が、真っ白になっていて、より一層作り物のように見える。

「保科君、」

 紫陽花宮もまた立ち上がるが、一時視線を向けた後、保科は真っ直ぐ前を向いて、無言で歩いていく。その一歩後ろに、羽染がいた。

「おい、羽染、大丈夫か?」

 有馬が声をかけると、それまで無表情だった羽染が顔を向け、そして静かに笑った。

「ああ。平気だ。有難う」
「妹の具合、どうなんだよ?」
「……何も、聞かないでくれ」
「羽染……」
「話したくない。自己嫌悪で吐き気がするんだ」

 羽染がそう言って、何度か首を振り、すぐに保科の後を追いかける。
 待っていた彼らは、二人が去っていくのを、ただ呆然と眺めることしかできなかった。

 誰も、おかえりと、声をかけることができなかった。





 人の生死に纏わる嘘をつくなんて、苦痛だと羽染は歩きながら思っていたのだった。