21:久阪歩



 頭が鈍く痛んだ。
 何度か瞬きをして、自分が机の上に突っ伏していることを理解する。
 目の前には倒れた徳利と、猪口が一つ。

 ――……此処は何処だ?
 慌てて顔を上げ、周囲を見渡す。
 ビジネスホテルであることに気づき、急速に久阪の意識は鮮明になった。

「!」

 慌てて時計を見ると――午後十一時。
 神保皐月と共に、この部屋へと入った時間は十時半頃だったと記憶していた。

「……逃げられた? 三十分ならそう遠くには……」

 慌てて立ち上がるが、薬による目眩で、すぐに絨毯の上に倒れ込んだ。


「寝ぼけてんのか、久阪ぁ」

 響いた声に息を飲む。
 すると反転した久阪の視界に、ベッドから立ち上がった山縣の顔が入った。

「お前がすやすや眠り初めて、もう丸一日以上経ってる」
「山縣大佐……」
「いつもどおり、山縣さんって呼んでくれて良いぞ」
「……」

 久阪は何も言えなくなって、唾を飲み込んだ。
 ――全て知られている。

 徳川との二重スパイだった事も、神保を取り逃がしたことも。

「羽染の後輩に感謝しろよ。お前の命を取らなかった上に、ご丁寧に俺に一報までくれたんだからな」
「どうして……」
「そりゃお前なら、三重スパイが出来るからだ。やってくれるんだってなぁ? よろしく頼むぞ」

 山縣はそう言って笑うと、横たわったままだった久阪を助け起こした。
 絨毯の上に座り込み、久阪が眉を顰めたまま、山縣を見上げる。

「結局アイツ、何者だったんですか?」
「物事は単純に考えろ。ただの会津の間諜だ」
「……けど」
「会津に鷹司のスパイが居るのは正解。神保が第二の諜報部と取引して、羽染に情報を漏らしたのも正解。この部屋に盗聴器がないってのは、不正解」

 ニヤニヤ笑いながら、山縣が椅子に座って膝を組む。

「トイレ言ってきた方が良いんじゃないのか、膀胱限界だろ」
「っ」

 その言葉に尿意を自覚して、慌てて久阪は立ち上がった。

「ぶったおれんなよ」
「倒れませんよ!」
「無理すんなー。まだ薬残ってるんだから」

 急いでトイレを済まし、久阪は部屋へと戻った。

「俺のことは兎も角、ちっとも状況が分からないんですけど!」
「まぁお前の今後の仕事は、後できっちり振ってやる。そこは安心して良い」

 山縣はそう言いながら、未開封の焼酎のボトルを、テーブルの下にあったビニール袋から取り出した。

「久阪、氷とグラス持ってきてくれ。冷蔵庫の上にあるだろ」
「はい! って、え? 飲むんですか? それ神保が置いていったやつですよ」
「俺に土産だって言ってたぞ。中身は特上の焼酎に入れ替えられてる。外だけ代えて、コンビニの棚に仕込んで置いたらしい。面白いことするな、アイツ。お前は日本酒派だって事も知ってたぞ」
「え……何それ怖い」

 グラスと氷を用意して、久阪は山縣の正面の席に座った。

「ま、飲め」
「有難うございます」
「うん」
「それで、あの」
「ああ。仕方ないから、正答教えてやるよ。これでお前の、第二諜報部の人間としての研修は終了だ。無事に終了おめでとうございます」
「研修って……」
「安心しろ。諜報部の人間は、全員どこかの藩お抱えのスパイか暗殺者あがりだ。だから俺は羽染狙ってんの。いやぁ、怖いね、元老院議員て。いや、恋心?」
「え」
「要するに始めから、お前が徳川のスパイだって事は、こっちで掴んでたんだよ」

 山縣は手酌で焼酎を注ぐと、グイッとグラスを傾けた。
 呆然とその姿を久阪が見守る。

「それって――山縣さんも、元々は土佐の……」
「そう言う事だ。まぁそれは別にどうでもいいだろ? 久阪が気になってるのは、神保が諜報部と、どんな取引をしたか、だろ」
「はい」

 頷きながら、久阪はグラスに手を伸ばす。
 その焼酎の味に、本当に高名な銘柄のものだと確信して、辟易した。

「正確には、羽染思いの保科様が、諜報部に接触してきたんだ。徳川と宮家を抱き込むために動いてるんなら、協力するからってな。保科の勅命で、神保はずーっと動いてたらしい」
「らしいって、山縣さんも知らなかったんですか?」
「知るわけ無いだろ、羽染さえ知らないほど口固いんだぞ、会津の奴ら。ま、考えてみれば、保科様が何の保険もかけずに、羽染のことを呼び寄せるわけ無いよな。戦地送りは流石に予想外だったみたいだとはいえ」
「どこから保科様に、諜報部の動きが漏れたんですか?」
「分からん。推測しかできない。証拠はない」
「推測で良いから教えて下さい」
「――朝倉か俺の家が、盗聴されてたんだろ。それもこの国で公になってない、他の国の最新機器で。戊辰戦争の頃から、会津は他の国と繋がりあるからな。歴史に学ぶなら、新生プロイセンの情報戦用武器だろ。噂では、そう言うものがあるとは聞いてる。ただ、噂段階だし、入手経路も不明、その上俺の無効化装置でも引っかからない。どころか、いつ設置されたのかも分からん。俺は昨日引っ越したわ。朝倉は、腐るほど都内に家あるから、知らん。まぁ伝えはしたし、しかけられていない家が在ることを祈るしかない」

 つらつらと語ってから、山縣が僅かに苦い顔をして、酒を飲み干した。
 いつもよりもペースが速いから、それなりに苛立っているのだろうと分かる。

「会津が出してきた条件は何なんです?」
「羽染による朝倉の暗殺阻止、及び羽染の安全確保」
「え、じゃあ保科様は、ご存じなんですか?」
「みたいだな」
「けどそれを諜報部に漏らすって……」
「諜報部が知ってることもご存じだ。そして諜報部が表立ってその件で動かないことも確信したから、話を持ちかけてきたんだろう」
「飲んだんですか、その条件……」
「こちらからも一つ、条件を付け足してな。協力は有難くしてもらうことにした。それは前提で――『羽染に情報を漏らせ、神保にも疑いを向けさせろ』、これが諜報部から出した条件だ。神保は邪魔すぎるから、羽染の側に置いておきたくない」
「邪魔かも知れませんけど、あいつ凄いですね」
「どうだろうな。神保皐月は単なる実行犯で、指示通り動いてるだけかも知れない。盗聴器を設置した奴と同一人物かも分からない。いくら有能でも、背後関係が分からない奴は、諜報部には置けない。そうである以上、ただの邪魔者だ」
「会津藩だってさっき言ってたじゃないですか。はっきりしてますよね、背後関係」
「例えば俺は、お前が徳川家時の腹心中の腹心である松平行長に頼まれて軍に入ったことを知ってる。時期も経緯も報酬も条件もな。けどなぁ、神保皐月が、保科秋嗣に何時どんな風に、どんな内容で、どんな条件で、何を頼まれたのか、全く分からない」
「ああ、そうなんですか……」
「お前さっきから、話し終わる度に妙な間を取るの止めろよ。何か言いたいことでもあるのか?」

 ドクドクと更に酒を注ぎながら、山縣が首を捻る。

「いえ……ああでも、それこそ単純なんじゃないかと思います。多分、羽染を引き抜いたのと一緒で、きっと保科様は直接会いに行って、力になって欲しいって言ったんじゃないですか」
「忠信か。しかも単独行動? それこそ怖すぎるだろう。会津藩は宗教か何かなのか?」
「知りませんけど」
「まぁいい。アイツのことは、ひとまず忘れろ。はっきり言う、羽染を諜報部に引き抜くのは、俺の個人的希望で、上にも移籍願いだしてる。それで今の諜報部のメインの仕事――……軍閥解体と元老院制の廃止」
「え」
「近いうちに世界大戦がまた起きる。それに備えて、陸・海・空で編成し直す必要があるんだ。それと、戦時中に備えて、藩主達には地元に帰ってもらって、そこで地方分権を行ってもらう手はずなんだよ。国は宮家を象徴に、ひとまとまりになってもらう必要がある」
「だから……だから、徳川家と宮家に拘ってたんですか?」
「そう言うことだ。新しい時代が来る――というか、作る」

 山縣はそう言って、氷を一つ口に含み噛んだ。
 ガリッと響いた音を耳にしながら、久阪は瞳を揺らす。

「けど、文民統制は……」
「新しい政府を作る予定だから問題なし。政治はそっちでやって貰う。兎に角藩主ではない、それは。藩主の他に、このだだっ広い日本の各地を、きっちり纏められる連中は、一応居ないことになってるだろう。いくら無能な藩主でも、各藩に有能な部下の一人や二人
はいるしな」
「……え、政治は誰がするんですか?」
「有能な立候補者は、もう準備と根回しを始めてる。そこは気にしなくて大丈夫だ」
「各藩の、有能な部下って人と同じ意味ですか?」
「その場合もあるし、違う場合もある。メインに据えてるのは、外国情勢に詳しくて、外国の息がかかってない連中だけどな。諜報部の半数は、候補者の身元を洗ってる状態だ。本当に、この国はスパイ天国だからなぁ。そう言うわけで、国内でいがみ合ってる場合じゃないんだよ」
「戦争が始まったら、日本はどうするんですか?」
「国防しつつ武器を売りさばく。ま、その為にも、さっさと国内の再編成を間に合わせなきゃならない。俺や朝倉が暗殺される前にな」
「山縣大佐も狙われてるんですか?」
「俺も朝倉も、敵だらけだ」
「……保科様は、何処までご存じなんですか?」
「分からん。ただし、会津の備蓄の動きは、結構気になるな。上手いこと隠してるが」
「俺、ちょっと挫折しそうなんですけど。容量オーバーって言いますか」
「此処が踏ん張り処だぞ、久阪。松平行長に、上手いこと情報を漏らすって言う仕事があるんだからな」
「待って下さい。会津藩主が気づいてるんなら、行長様だって……絶対感づいてますよ。徳川のお庭番は、尋常じゃないんです」
「何それ自画自賛か?」
「いや、そういうの良いんで。逆に俺がいきなりそんなこと言い出したら、怪しまれます」
「だから『上手いことやれ』って言ってるんだ。久阪はこう言えばいい。『第二の諜報部が、行長様の手で行われている、徳川家財源の海外銀行保有を怪しんでいます』とかな」
「それを言ったらどうなるんですか?」
「まぁ松平は、諜報部がわざわざ海外の隠し銀行を見つけ出した、恐らくそれは偶然ではなく戦争に備えて軍が海外への金銭の流れを把握しようとしている、十中八九世界大戦が起こる、その時国の中心であるために動かなければ、なーんて考えてくれたらいいのにな」
「ただの希望じゃないですか!」
「酔ってきた。ま、これからはお前も研修終わったんだし、自分で考えろ。失敗したら、自分で責任を取れ。もし自分の考えを俺に相談した後で、俺の答えがGOで、それで失敗した時は、俺が責任を取ってやるから」
「分かりました」

 頷いて、久阪もまた酒を飲む。

「後なぁ、お前が寝てる間に、保科様が家時様に監禁されて、今こっちで保護してる」
「は?」
「羽染か紫陽花宮がこれを知ったら、旧将軍家VS宮家+会津藩になる。幸い、神保は知らないか、知っていても動けないようだ。いやぁ、帰しといて良かったよ会津に」
「ご無事なんですか?」
「まぁ、うん。今のところはな。危ないのは寧ろ、やらかした家時様だ。今はまだ、徳川が潰されちゃ都合が悪い。その辺の上手いフォローも、久阪に期待してる」
「無茶振りです!」
「とりあえず、実際に動き始めるまでは、これまで通り羽染の監視頼むな。動き始めても、羽染の監視は基本的にお前担当だから」
「今より忙しくなるって、どんだけブラックなんですか、この部署!」
「真っ黒。それが諜報部だ」

 山縣は肩を竦めて、酒を飲み干した。


 すぐに瓶が一つ空になった。