15:東京


「いやぁ、本当にヒヤッとした、あの時は。本当羽染は、良く断ったと思うぞ。あれだけ忠誠を尽くされれば、保科様も悪い気はしないだろうな」

 山縣が、そう言いながらビショップを動かした。
 朝倉の家で二人、今日はワインを飲みながらチェスをしている。

 どこからどう考えてみても、やはり自分が羽染だったならば、断らなかったと山縣は思うのだ。朝倉暗殺の件も、有馬との関係を考える上でも、妹の身の安全の確保が出来れば、ずっと今より良くなるのだろうから。そうでなくとも、宮家の人間の言葉を無碍にすることなど、普通は難しいのが今の世だ。

 実際あの時、会津の病院では、宮家の息のかかった人間が、羽染がYESというその瞬間を待っていたのだ。羽染が同意していたならば、その日の内に、転院していた可能性が高い。山縣の手配した諜報部の息のかかった者達は、どのようにしてその足止めをするか検討までしていた。

「僕は正直、羽染が紫陽花宮の転院の誘いよりも、有馬との関係を認めた方に驚いているけどね」

 朝倉が、白のルークを手にしながら、あからさまな溜息をついた。

「俺の部下が、会津の人間は情が深いとか言っててな。そう言うもんかと思って、突いてみたんだ」
「余計なことをしたねぇ、山縣」
「俺もそう思ってる。結構本気で後悔してる。が、まぁ、アレだ。大人の魅力って奴で、羽染が弱ってる時にかっさらうから、問題ない」
「僕はどうしようかな。有馬よりも先に体の関係を上手く持てば、持った方が有利だとは確信してる――とはいえ、それじゃあ羽染の気持ちがね。苦しめたい訳じゃないから難しい」

 互いにそんなことを言い、顔を見合わせる。

「それで、山縣。抱き込めそうなのか? 宮家と徳川」
「今のところは、外堀を埋めてる段階だな」
「攻めて行った方が良いんじゃないのか。チェックメイトだ」
「まじかよ。後一手でチェックだったのに――」
「これと一緒で、意外な盲点から、チェックさえされずに、打つ手を封じられるかも知れない」
「不吉なことを言うな。朝倉みたいに攻めてばかりでも、上手くねぇだろ」
「どうだろう」
「俺は慎重派なんだよ」

 そう言って山縣がチェス盤を、ひっくり返した。
 転がるナイトを一瞥しながら、朝倉が肩を竦める。
 いつもの通りの、穏やかな休日だ。
 若葉が庭に、舞い落ちる。





 徳川家時から街へ行こうと誘われたのは、突然のことだった。

 お忍びで出かけるとのことだったから、保科は気合いを入れて町民に見える格好を模索した。街で量産されている流行物の袴を選び、最近人気だというニット帽を合わせた。個人的には、和装と洋装を一緒くたにすることに、保科は違和を覚える。しかし街ではその方がとけ込めるようなのだから、まあ良い。

 何でも、待ち合わせをすると言うことだったので、保科はぼんやりとハチ公像を眺めていた。人混みに酔いそうになる。周囲を見渡せば、人・人・人だ。会津はこんなに栄えては居ないし、普段はあまり外に出ないから、息苦しい。その上、待ち合わせをしている人々が多すぎて、『待ったか』だとか『お待たせ』と言うような声が聞こえる度に、そちらを向いてしまう。

 この人混みでは、さぞやSPも苦労するだろうなぁと保科は溜息をついた。

「俺と待ち合わせているって言うのに、溜息とは随分だな」
「ま、待ち遠しくて……一秒が悠久の時に思えて!」

 保科は唐突にかかった声に、慌てて顔を上げた。
 務めて嬉しそうな顔を取り繕う。

「お待ちしておりました、家時様!」
「まだ十分前だぞ、待ち合わせ時刻の」
「いえその……楽しみすぎて、少し早く来てしまって……」

 照れた素振りで保科は言った。
 そんなこと、心にも思ってはいない。
 だがまんざらでもない様子で、家時が頬に朱を指した。

 ――随分と分かりやすく喜んでくれるから、本当やりやすいんだよね、慣れれば。

 保科は内心そんなことを考えていた。

「何を楽しみにしていたんだ?」
「家時様にお会いできることです」

 満面の笑みで保科が言うと、家時が言葉に詰まった。

「あ、だ、だからその……行きたいところでもあるのか?」
「え?」

 その言葉に保科は、虚を突かれた。
 特にない――考えていなかった。てっきり、家時の方に何か用事があるのだろうと思っていたのだ。そもそも、東京のこと自体、あまりよく保科は知らない。だから咄嗟に地名も出てこない。

「何処でも案内してやる、この辺は俺の庭みたいなものだ」

 そりゃあ東京選出の議員なんだから当然だろうと保科は思う。

「家時様とご一緒させていただけるのなら、何処でも楽しみです。僕には気を遣わないで下さい。家時様に気を遣っていただくなんて――……僕、僕、嬉しいけど凄く辛いです。それに東京は、何処も魅力的で……ぜひ、その中でも、家時様が特にオススメの場所を、知りたいです。家時様のことが、もっと知りたいです!」
「そうか」

 ものすごく嬉しそうな顔で、家時が頷いた。
 やはり誰でも地元を褒められると嬉しいのかなと、保科は思った。

 ――東京は魅力的、よし、これからわざとらしくならないようにしつつも多用しよう。

 ひっそりと保科が誓う。

 だが家時が喜んでいるのは、『一緒にいられるのが、楽しみ』『気を遣われると嬉しい(けど辛い)』『もっと知りたい』という保科の言葉だ。さすがにそれだけで、此処まで嬉しそうな表情を浮かべるとは、保科は思わなかったのだ。

「それに、私服も大変洗練されていて……僕、隣にいて大丈夫でしょうか?」

 家時の、一切目立たないようになどという配慮のない、雑誌から抜け出てきたのかというような格好に対し、保科が不安げな顔を取り繕って尋ねた。

 それとなく周囲を見れば、あちらでひそひそ、こちらでひそひそと、正体がばれているのかいないのかは兎も角、見目の良い家時をみんなが見ている。まさかその中に、自分を見ている視線が含まれているなんて、保科は全く気がつかなかった。


 いつもなら時間通りならばまだマシで、大抵遅刻して姿を現す家時が、十分も前にやってきたのは、何も偶然ではない。

 ついに、保科をナンパしようとしている人間を見つけたのだ。
 声をかけようとずっとうろうろしているのに、保科には全く気がついた様子が無かった。
 ナンパされた直後に助け出すのも美味しいだろうと家時は考えていたのだが、ついに我慢できなくなった次第である。

 実のところ、保科よりも早く待ち合わせ場所に到着しているのが家時の常だった。
 そして保科がどんな顔をしているのか、眺めるのだ。
 大抵面倒くさそうな、つまらなそうな顔をしている。
 二人で居る時とは、全く違う。

 あれが素なのか、それとも自分が居るから笑ってくれるのか――前者だろうなと家時は思っていた。後者だと思うほど、うぬぼれは強くない。

「安心しろ。もっと地味でも良かったくらいだ」

 家時のその言葉に、そっくりそのまま返したいと、保科は思った。
 しかし言わない。

「じゃ、行くか」

 そう言って、家時が保科の手を握る。
 虚を突かれて、保科の足が縺れた。
 まさか手を繋がれるとは思っていなかったために、困惑する。
 これまでに手を繋いだことがあるのは両親と、乳母、重臣の神保爺、後は羽染だけだ。

 幼い頃迷子になった時、羽染が探しに来てくれたことを思い出す。
 あの時は、その体温が力強く思えた。

 しかし今となっては、他人の温度というのは、中々慣れないなと保科は考える。


 それから夕方まで、保科は家時に連れ回された。

 ――楽しくなかったわけではない。

 実際保科は、家時と一緒にいることが、それ程苦痛ではないのだ。
 肉体関係さえ無ければ、そしてその行為の時に、酷くされないのであれば。

 そうであれば案外紫陽花宮よりも、家時といる方が、保科は気楽だと感じたかも知れない。

 しかし、現実は残酷だ。
 保科は今のところ、家時のことが大嫌いである。

 紫陽花宮はまだどうでも良いと思えても、家時と居るのは無理だと保科は考えている。
 口が裂けてもそんなことは言えないが。

「今日は楽しかったです」

 路地裏を横切りながら、保科は笑みを浮かべた。
 そろそろ帰りの時間だ。

「俺も楽しかった」

 家時の言葉を聞きながら、保科は背後の気配を探る。
 人気がない場所だからなのか、SP達の姿が大分遠い場所にある。

「よし、此処を曲がる」

 それにしても、こんなにクネクネとした細い道を、よく暗記できるなと保科は感動した。
 会津の鶴ヶ城の周囲も、一番最初の戊辰戦争の時の砦の跡だから、かなりおかしな曲がり方をしてはいる。しかし何の意味もなく、ここまで複雑怪奇だと恐れ入る。

 そう思い、曲がった瞬間、唐突に家時に腕を強く引かれた。

「え」

 驚いている内に、走り出した家時に、強引にさらに路地裏に引っ張り込まれる。
 そして雑居ビルの一つへと、連れ込まれた。

「家時さ――っ、!」

 口を手で押さえられ、保科は目を瞠る。
 不安になって、恐る恐ると家時へと視線だけで振り返る。

「保科――安心しろ、すぐに帰す」

 そう小さな声で告げてから、家時が保科の顎に手を添えて、唇を落とした。

「んッ……っ……」

 突然の事に保科が小さく唇を開くと、中へと強引に家時が舌をねじ込んだ。

「っ、ぁ……」

 強く吸われ、性急に快楽を煽ろうとするかのような舌使いに、保科の体をゾクゾクと快楽が駆け上る。今度は舌を引きずり出されて、甘噛みされた。

「ン」

 思わず目を伏せ、体を震わせる。
 それからまた口腔を貪られた。

「はッ、ぁ……ゃ……」

 漸く唇が離れた時、保科はもうすっかり体から力が抜けていて、家時に抱き留められた。

「家時様ぁ……ッ……ハ」

 息が上がって収まらない。
 意識がぼんやりとしている保科は、事態が上手く把握できないまま、生理的な涙を浮かべた瞳で家時を見上げる。

「……」

 そんな少年の姿に、苦しくなって家時は、抱きしめる両腕に力を込めた。

 ――どうしようもなく、保科のことが好きだ。

 しかし好きだと告げて、その気持ちまで利用されることには堪えられなかった。どうせバレバレなのだろうとは分かっていても、直接言わない事が、今家時にできる唯一の抵抗なのだ。

「帰るぞ。またその内遊んでやる。今度はホテルでな」

 それだけ言って、再び強引に家時は、保科の手を取った。
 腕を引かれるまま、小さく頷き、保科も歩く。


 二人が心配の言葉を口にしながら激怒している互いのSPの合同集団に遭遇したのは、その数分後のことだった。