14:約束は三つ


 職務を終えた羽染は、一人寮へと向かっていた。
 随分と日が高くなった。
 まだ空は明るい。

 胸騒ぎのする夕焼けの下、近道である小さな公園を横切るため、羽染は角を曲がった。
 大抵いつも、一人の時は此処を通る。そして何時だってこの場所には、人気がない。
 そう考えていた羽染は、ブランコの前を横切った瞬間、驚いて視線を向けた。

 白い服を着た青年が、一人そこに座っていたからだ。
 どこかで見た覚えのあるその顔に首を傾げながらも、立ち去ろうとする。

「羽染大尉」

 しかし声をかけられ、足を止めた。
 ブランコから降りた青年は、羽染よりも頭一つ分背が高い。少し年上に見えたが、それでも二十代だろうと分かる。少し長めの癖のある髪をしていて、眼差しは涼やかだ。

 ――確実に何処かで見た覚えがある。

 だが、相手が誰なのか分からなくて、羽染は眉を顰めた。
 二度ほど瞬いてみる。
 身なりからして、軍人ではない。

「はじめましてだね」

 その上続いた言葉に、いよいよ誰だか分からなくなった。
 可能性が最も高いのは、元老院議員だが、さすがにこの年代の者は少ないから納得がいかない。

「俺は紫陽花宮隆明」

 その言葉に、反射的に羽染は、地に両膝を着き深々と頭を下げていた。
 地面すれすれに額を持っていったため、髪まで砂に付きそうになる。

 ――冗談で語るにしては、畏れ多すぎる宮家の名前。その上、思い返せば、ハッキリとテレビで時折見る第二皇位継承者だと判断できた。

「楽にして。こちらから急に声をかけたのだから」

 羽染は恐る恐る顔を上げた。
 相手は雲の上の存在だ。何故自分の名前を知っているのか、全くもって理解できない。
 保科ですら、そうだろうと羽染は思っていた。
 一元老院議員程度の立場では、気軽に話すことなど出来ない相手なのだ。
 だから、直後に驚くことになる。

「保科君から、よく君の話を聞いていてね。一度直接、言葉を交わしてみたいと思っていたんだ。迷惑だったかな?」
「いえ、とんでもございません、有難き事で感激いたしております。また……当藩の藩主が、畏れ多くも――」
「うん、保科君に声をかけたのは俺の方だから、何も気にすることはない」
「……」
「鷹司家の由香梨は、俺の従妹なんだ。迷惑をかけて居るんじゃないかと心配で、保科君に声をかけたんだよ。それがきっかけでね、たまに話し相手になってもらっているんだ。俺は立場上、中々私的な場で話が出来る相手がいないのでね」
「藩主にとって、至極光栄な誉れだと存じます」
「だけど残念だ、君は俺の顔を知らなかったみたいだね」
「大変失礼いたしました」
「おや、認めてしまうのかい?」
「っ」
「そう言う時は、手の届かない雲の上の存在が、人気のない公園に一人でいるなんて思わなかったと、オブラートに包みまくって言うと良いんだよ」
「……は、はい」
「それに、俺にとって一番残念なのは、保科君の口から俺の名前を聞いていないという事だし」
「……」

 保科の立場を危うくしてしまったのではないかと思い、羽染は今までよりも更に動揺した。

「俺はね、保科君のことを本当に大切に思っているんだ。保科君は、俺のことをどう思っているんだろう」
「……宮様にその様に仰っていただいていると知れば、歓喜すると存じます」
「表面上は、そうだろうね」
「……?」

 相手の言いたいことが分からず、羽染は僅かに首を傾げた。

「内心は、どうだろう?」
「? 嬉しいと思います」

 当然ではないかというような羽染の眼差しを見て、紫陽花宮は、それまでよりも表情を軟らかくした。

「君から見た保科君は、裏表が無いのかな?」
「ええ」

 反射的に頷いてから、羽染は思案した。
 確かに――……裏表がないわけではないが、見ていればそれが作ったものか否か、大体分かる。それこそ違う人間である以上完全に理解できることなど何もないかも知れないが。少なくとも、元々の保科は大変優しい。それ故に苦労性でもある。

「俺と君は、良い友人になれそうだね。羽染大尉」
「もったいないお言葉です」
「所で、妹の小夜さんの話を、保科君から聞いたよ。良かったら、俺にも何かさせてもらえないかな? 会津よりも、設備の整った病院がこちらには多い。小夜さんも、君が近くにいた方が安心なのではないかな」

 羽染は息を飲んだ。表情こそ変えなかったが、保科の姿と妹の姿が脳裏を過ぎる。

 もしもこの提案を飲めば――今後は、紫陽花宮の息がかかった場所に、妹が居るという事になる。それは、可能性の一つとしては、会津藩と宮家の繋がりを公表するに等しく、保科にとって追い風にもなるかもしれない。

 その上、会津藩の重鎮達とて、宮家の申し出ならば断れないはずだ。
 そうなれば、最早妹が殺される可能性はない。
 朝倉を暗殺する必要はなくなる。
 このまま――一人の部下として、軍人として生きていくことが出来る。

「――恐れながら、そのご厚意だけで私も妹も満足です。妹は、慣れ親しんだ会津の地で療養したいと申しております。ふがいないことですが、その願いだけでも、叶えてやりたいのです」

 だがきっぱりと羽染はそう返した。
 申し出を飲み、保科が紫陽花宮に、必要以上に接近されること――紫陽花宮に気を回さなければならない事態を考えれば、やはりそれは回避しなければならない。もしも保科が本当にそれを勧めるとすれば、昨日の時点、あるいは少なくとも近日中に、直接打診があるはずだ。紫陽花宮のサプライズの可能性も0ではないが、そもそも自分のような一般人が、そのご厚意にあずかることは畏れ多いのだ。

「そうか、残念だよ」
「大変感謝致しております。厚く御礼申し上げます」
「本当に他意はなくて、好意だったんだけどな。新しい友人への……会津の人は、みんな君や保科君のように疑い深いのかな?」
「滅相もございません。決して疑うなどと、そんな――」
「そう、ごめん。深読みしてしまったよ」

 羽染の言葉を遮るようにそう告げてから、紫陽花宮は、羽染の隣まで歩み寄った。

「今度、食事にでも行かないかい? 二人きりで。誰にも内緒でね」
「は……い、その、」

 頷こうとしたところで、羽染は言葉を止めた。

「大変光栄なのですが、それは出来ません」
「どうして? 保科君には内緒に出来ない?」
「いえ」

 間をおかずに羽染が首を振ったので、紫陽花宮は虚を突かれた。
 目を丸くしながら、問う。

「もしかして俺の護衛をカウントしているとか? 確かに護衛無しでは、俺は動けないけど――頑張ればどうにか。それに部屋の外で待たせるし」
「護衛は是非いつもお側におくべきです」
「……じゃあなんで? 俺と二人で食事をするのは嫌なのかな」
「誰かと二人で食事に行く時は、事前に知らせるようにと約束した――……好いている相手がいるからです」

 羽染は少しだけ言いづらそうにしながらも、率直に口にした。
 それにこそ驚いて、紫陽花宮は息を飲む。

「へぇ……そう。ふぅん、そっか。良いね、そう言うの。約束は守る人なんだ」
「はい」
「誓って俺が君に手を出したり、君をアヤシイお店に誘ったり、女の子を侍らせて誘惑するようなことはしない。それに勿論俺と出かけることは、伝えて構わないよ。その条件ならば、食事に出かけてくれるかい?」
「光栄です。ご配慮に感謝いたします」

 まかさ、『俺が手を出したり』などという冗談を、宮家の人間が口にするとは思わず、羽染は顔が引きつりそうになった。殿上人でも、冗談を言うのだなと考えて、当たり前ではないか同じ人間なのだからと自嘲する。

 まさか紫陽花宮が同性愛者だなんて事は、羽染は全く考えてはいなかった。

「なんだか羽染大尉は、想像していたのとちょっと違うな。男前だね。それじゃあ、その内改めて誘わせてもらうよ。また今度」

 紫陽花宮は、それだけ言うと、公園から歩き去った。
 見送りながら、羽染は、一連の出来事が白昼夢だったような心地になる。

 結局よく分からないまま、羽染は立ち上がった。
 ――紫陽花宮は、一体何をしに来たのだろう?



 次の休暇日。
 羽染は有馬と共に、少し遠出し、美味しいと評判の喫茶店に来ていた。
 着物の上に、白いレース付きのエプロンをした店員が可愛い。
 その奥の席の一角で、二人テーブルを挟んで座っている。

「羽染から誘ってもらえるとは思わなかった。付き合ってからの初デートは、俺から申し込むと思ってた」

 注文し終えてすぐに、有馬が言う。
 本気で驚いている様子の表情に、羽染は苦笑した。

「有馬、本気で俺と付き合うと言っているんなら、頼みがあるんだ」
「なんだよ?」
「今日わざわざ遠出したのは、何故だと思う?」
「此処が美味いって評判だからだろ? 自分でそうメールに書いてただろ」
「――確かにそれはそうらしいんだけど」

 二・三十分電車に乗って出かける場所で、良い店はないかと尋ねたところ、久阪からごり押しされた喫茶店である。

「だけどな、一番の理由は人目を避けたかったんだ」
「人目?」
「うん。今後、本気で付き合うって言うんなら、俺達の仲を誰にも言わないで欲しい」

 羽染の静かな声を聴き、有馬が首を傾げた。

「なんで?」
「俺はあまり囃し立てられるのは好きじゃない。それに――俺達が知っていれば、何も問題ないだろう?」
「俺と付き合うのが恥ずかしいか?」
「そんなんじゃない。そうなら、断ってる」
「だったら……それこそ俺達の問題なんだから、人目なんて関係ないだろ」

 僅かばかり不機嫌そうに、有馬が言う。

「有馬、お願いだから……そうでなければ、付き合えない。ここで終わりにしよう」
「ちょっと待て。何でそうなるんだよ。今度から、冗談でも別れるなんて言うな。本気の時だけにしろ、そう言うことを言うのは」
「分かった、悪かった」
「――それに、俺はまだ、お前から好きだとは言われた記憶が無い」
「これからいくらでも言ってやる」

 その言葉に、有馬はガラでもなく照れた。
 頬が熱くなってくる。
 有馬とて、考えないでもなかったのだ。

 羽染は本当は自分の事などこれっぽっちも好きではなくて、付き合っていると思っているのは、本気で付き合いたいと思っているのは、自分だけなのではないかと。

 だが、どう考えてみても、自分から押さければ、羽染との仲が進展するとは思えなかったのだ。その上、付き合っていると公表して外堀を埋めなければ、他の誰かに羽染を奪われる気がしたのだ。

「付き合っているのかと聞かれたら、嘘はつけない。それじゃ駄目か? 自分から吹聴したりはしない。付き合っていると言うこと以上は、基本的に何も話さない。だからお前も、誰かに聞かれたら俺と付き合ってるって、はっきり言えよ」

 有馬のその言葉に、羽染は右手の指を唇に当て、考え込む。
 瞳が静かに揺れていた。

「ああ……そうだな。分かった。付き合っている、それだけは良いとしよう。俺も聞かれたら答える」
「これで約束が三つになったな」

 有馬はそう言って、笑みを浮かべた。
 羽染が頷く。
 丁度、そこへ、二人が頼んだ巨大なパフェが運ばれてきた。久阪オススメの、巨大パフェだ。二.四人用の特大の代物だ。

「一つ、誰かと二人で私的に出かける時は言う。二つ、付き合っているとちゃんと言う。三つ、二人の仲に関してそれ以上は言わない」

 有馬がそう言いながらスプーンを手に取った時、不意に羽染は思い出した。

「そうだ、今度紫陽花宮様と食事に行くことになった。部屋の外に、宮様の護衛はいるだろうが、一応二人だ」
「――は?」

 突然の言葉に、思考が追いつかず、有馬が目を見開く。
 それには気づかず、羽染はスプーンをパフェに突き立てた。

「ちょっと待て、それは一体どういう――」
「俺にもよく分からないんだ」
「分からないって……いや、ちょっと待て、本気でちょっと待て」
「俺もいきなり宮様に声をかけられて、本気で驚いたんだ」
「声をかけられた、だ? ふざけんな」
「ふざけてなんかいないさ。帰り道に、ばったり遭遇したんだ」
「するわけ無いだろうが!」
「事実なんだから仕方がないだろう。正直、心臓が止まるかと思った」
「今、俺の鼓動が停止しそうだ!」
「有馬、煩い」

 そう言って、羽染がスプーンを、己の口へと運ぶ。

「羽染、悪いことは言わない。何とかして断れ。紫陽花宮様は、ホ……非常に特殊な趣味をお持ちだという話しだ」
「ほ?」

 パクパクとアイスクリーム部分を攻略しながら、羽染が首を傾げる。

「今となっては俺達も、そうだけどな……」
「?」
「男にしか興味がない」
「っ、ホモ!?」

 今度は羽染が声を上げる番だった。
 さすがに衆道が広まっているとはいえ、完全な同性愛者の数は少ない。

「お前、羽染……知らなかったのか!? 有名だろ、徳川の家時様と宮家の隆明様は、そっちの方面で……!」
「な……」

 唐突に出た家時の名に、羽染はスプーンを取り落としそうになった。
 まさか……そんな思いが強かった。

 しかし、羽染は納得した気がした。

 保科に呼び出された後ではないか、家時と遭遇したのも、紫陽花宮と遭遇したのも。
 寧ろ保科と話しをしたからこそ、あの二人は声をかけてきたのではないのか。

 保科が仮に本当に、望まぬ性的関係を結んでいるとすれば――それは、あのどちらか、あるいは両方のことではないのか?

「悪い有馬、ちょっと電話してくる」
「え、おい」
「悪い」

 羽染は慌てて鞄を手に立ち上がった。
 紫陽花宮に会った日、保科に電話をして連絡をいれた事を思い出す。


『珍しいね、羽染から電話なんて』
「紫陽花宮さまが、お越しになりました」
『っ』
「ご存じなのですね? 面識が、おありなのですね?」
『何か……言っていた?』
「保科様と親しくしていると。また、小夜をご厚意で、都内の病院に転院させて下さるとのことでしたが、そちらはお断りいたしました」
『親しく……って、良親さん、具体的には?』
「由香梨様と親戚関係にあるため、保科様とも知己になり、良い友人だとお喜びでした」
『そっか。それなら、良かった』


 あの時保科は、良かったと言った。
 それを羽染は、『良い友人』という立場であり、良かったと少年藩主が口にしたのだと思った。

 ――違う、紫陽花宮との肉体関係が露見していないことに、安堵したのではないのか?

 羽染はそう考えながら、人気のないトイレの前で、保科に電話をかけた。

『もしもし』
「保科様」
『どうかしたの?』
「紫陽花宮様のことなのですが」
『――食事に誘われたんだってね。好いている相手に隠して、二人で食事をするわけには行かないって言う羽染の姿勢に感銘を受けたって言って、僕に連絡が来たよ』
「え」
『羽染、僕のことは心配無い』
「……」
『――僕もこの件で、羽染を心配したりしない。……用件は、それですよね?』

 その言葉に、羽染は確信した。
 間違いなく、少なくとも紫陽花宮と保科は、関係を持っている。

 保科はだからこそ、羽染が言おうとしていた『自分の安否を心配せず、嫌なら紫陽花宮から逃げろ』という声を、先取ることが出来たのだと思う。その上恐らく、羽染が肉体関係にあると気づいたことを、保科は理解している。

 実際、その通りで、電話の向こうで保科は苦笑していた。

『良親さん、有難う。だけど――これは藩主としての命令だ、羽染。この話は、二度としない』
「……御意」

 そのまま電話は切れた。
 しばらくの間、羽染は無機質な電子音に、耳を傾けていた。



 席へと羽染が戻ると、有馬がパフェの三分の二を攻略していた。

「遅い」
「悪い」
「何処の誰になんて電話してたんだよ?」
「妹にデート中だと、恋人が出来たと電話しようとして、止めた」
「ぶ」

 有馬がパフェを吹き出しそうになる。

「冗談だ」

 羽染はそんな姿に、肩を揺らして笑みを浮かべたのだった。
 もしかしたら、最低最悪なことなのかも知れないが、無力な自分を
 忘れ現実逃避したかったのかも知れない。