13:恋の自覚


 昨日は久しぶりに、麦酒を飲んだ。

 たまに飲むと美味しいなと回想しながら、羽染は朝倉のデスクの隣に立っていた。
 執務室のレースのカーテンからは、心地の良い日差しが差し込んでくる。
 書類整理をしている朝倉を見て、残るは朝倉自身の手による捺印のみだなと確認する。

 手伝えることは何もない。
 他に作業もない。
 お茶は先ほど既に出した。

 そんなことを考えていた時、ノックもなく、乱暴に朝倉の執務室の扉が開いた。

「?」

 驚いて羽染が、一歩前へと出る。

「羽染!」

 駆け込んできたのは、有馬だった。

「何かあったのか?」

 同じ長州同士という事もあるし、有馬が火急の報せを朝倉に持ってきたのだろうかと思い、振り返る。しかし朝倉もまた、単純に驚いたように顔を上げるだけだった。

「羽染! 昨日の午後何処で何してた!」
「――は?」

 呆気にとられて、声を上げる。
 すると肩をガシッと掴まれ揺らされた。
 わざわざ朝倉の執務室にまでやってくるほどの、用件であるはずだ――そう考えて、羽染は昨日のことを回想する。保科と会っていたことは、薩長土肥の人間である有馬には話せない。無論、朝倉にもだ。その上、可能性としては、現在薩長土肥ともかなり関係の深い、鷹司由香梨が絡んでいるかもしれないのだ。もし鷹司家からの命令で有馬が動いているのだとすれば、尚更何も話せない。

「――有馬には関係ない」

 言えるわけがない。
 言えるわけがないではないか。
 羽染が顔を背けて嘆息する。

「久阪と半休取ってお好み焼き屋デートしてたって本当か!?」
「は?」

 しかし続いた有馬の声に、ポカンとして羽染が眉を顰めた。

 ――久阪とお好み焼きは、確かに食べに行った。

 だが羽染にとってそれは、別段デートではない。
 そもそも出た話題はと言えば、有馬との話である。

「違うんだな? 俺はお前のことを信用してるし、友達と二人で飲み明かそうが文句は言わない。俺だって、二人っきりで飲むことはある。でもな、浮気したら許さないからな」

 信用、と言う言葉に、羽染はなんだか狼狽えた。
 ――第一、浮気……浮気?

「有馬……所で、用件は何だ? 朝倉大佐はお忙しいんだ」
「あー、残りの作業は僕一人で出来るから、羽染はその辺に座って、暫く話してて良いよ」
「ですが――」
「有馬、ちゃんと仕事は片付けてきたんだろうね?」
「はい! あ、すんません、いきなり!」
「良いよ別に。僕も、羽染がデートしてたのか気になるしね」

 朝倉はそう言って微笑むと、書類に視線を戻した。
 頭痛を覚えながら、羽染は、肩から有馬の手を外した。

「朝倉大佐のご厚意だ。窓際の応接席へ。すぐに茶を淹れる」

 羽染はそう言って有馬を席へと促すと、壁際にあるコーヒーサーバーへと歩み寄った。
 カップを二つ用意し、珈琲を淹れる。
 それから座っている有馬の前に、一つ置いた。その正面に、羽染も座る。

「兎に角これからは、誰かと二人で遊びに行く時は、基本的に俺に言ってからにしてくれ」
「どうして?」
「当然だろ、恋人の安否は常に知っておきたい。俺も必ずお前に言うから」
「別に言わなくて良い」
「それは、俺が浮気しないって、お前も俺のことを信用してくれてるって事か!」
「は?」
「嬉しいな」
「いや、あの――」
「兎に角次からは連絡な。これは約束」
「……何処に連絡しろと言うんだ」
「何処って、それは俺のスマホ。え、俺の連絡先知らなかったり……? あ」
「有馬だって、こちらの連絡先を知らないだろ」
「いや俺は知ってる。山縣さんに聞いた」
「なんだって? どうして山縣大佐殿が、俺の連絡先をご存じなんだ?」
「え?」
「……」
「ごめん羽染、山縣があんまりにもしつこいから、僕が教えちゃったんだ」

 書類仕事をしながら、朝倉が声をかける。
 実際には、そんな事実など無い。

「いえ……そうですか」

 そう言うことならと何度か頷いてから、羽染が私用の携帯を取り出した。

「有馬、ちょっと連絡してみてくれ」
「おぅ」

 頷いて操作を始めた有馬を一瞥してから、羽染は画面を眺める。

「送ったぞ」
「着てない」
「は?」
「ちょっと見せてくれ」

 羽染の言葉に、有馬が素直に差し出す。
 表示されている送信先のアドレスを見て、羽染が何度か瞬いた。

「悪い有馬、今着た」
「あ、そうか」

 羽染はそう告げ、有馬にスマートフォン返してから、立ち上がった。

「朝倉大佐、もう一杯いかがですか?」
「うん、まだ大丈夫」
「後どのくらいで終わりそうですか?」
「あと五分」
「承知しました――有馬。もう用件は済んだだろう? 帰れ」
「いや、この後昼飯だろ。一緒に行こうぜ」
「悪いけど、昼休みは少し用事がある」

 羽染の言葉に、判子を押しながら朝倉が顔を上げた。

「そうだったのかい? それなら、少し早いけど、先に出ても構わないよ」
「ですが――」
「良いんだよ。羽染の仕事はもう終わっているし、有馬と二人で昼食を食べに行かれるよりはマシだから」

 何がマシなのか、羽染はよく分からなかったが静かに頷いた。

「それではお言葉に甘えさせていただきます」

羽染はそう告げ、二人を残して朝倉の執務室を後にした。



 暫く、ゆっくりと、普段通りの歩幅で歩く。
 しかし人気が無くなったところで、足を速め、気づくと走り出していた。

 向かった先は、寮と同じ組み分けがされている、ロッカーの場所だ。

 静かに扉を開ける。
 それから、無表情を務めて取り繕い、何でもないふりをしてロッカーの扉を開けた。
 監視カメラの位置は分かっていたから、わざわざ見えるように鞄をあけ、一冊の本を取り出す。『ルーラック』という娯楽本だ。一昨日発売された、新作のミステリー小説だ。それを鞄にしまい直して、鞄を手に取り、ロッカーを閉めた。しっかりと施錠する。

 そして何気ない素振りで、部屋を出た。
 そのまま暫く歩く。
 そうして、最も人が来ない、四階の男子トイレへと入った。
 個室を選び、便座を下ろして、その上に鞄を置く。

「……」

 取り出した、一台のスマートフォンの画面を見て、羽染は眉を顰めた。
 そこには、有馬からの着信がある。
 ――何故このアドレスを知っている?

 それも有馬だけではなく、問題は有馬に教えた山縣、だ。
 当然朝倉も、このアドレスを知らない。
 何せこのアドレスには、会津の同窓生や妹といった、上京するまでの親しい相手の連絡先しか入っていないからだ。

 羽染は現在、五台の携帯電話やスマートフォンを使い分けている。
 一台は軍から支給されているもの、二台目は会津藩から支給されているもの、三台目は先に述べた当初より持っていた自分自身の携帯だ。四台目は上京後に作ったこちらの私用の電話で、久阪の連絡先などが入っている。朝倉が知っているのも、こちらのアドレスだ。そして最後の五台目が、暗殺を始めとした人には言えない件で連絡を取る際の物である。

 保科が知っている連絡先は、二台目と四台目だ。
 比較的頻繁に連絡を取る相手には、会津の人間でも連絡先を変えたと告げて、四台目のメールアドレスと連絡先を伝えてある。小夜にもそうしてある。

 その為、三台目の携帯電話は、滅多に鳴らない。
 ――三台目のアドレスを知り得るのは、比較的連絡を取らない、会津の人間だけだ。
 例えば、会津藩の名簿には、三台目の連絡先を登録したままの状態で放置してある。

 別に見られなくなったわけではないし、連絡先であることには代わりはない。

 ――会津藩の情報が漏れている。
 その推測が一番易かった。

 そうでなくとも、自身が郷里で仲良くしていた相手は、少なくとも羽染の連絡先を入手するために、近づかれた可能性がある。もしくは、四台目を持つ前に、何らかの手段でアドレスと番号を控えられたか、だ。

 だとすれば、有馬があのように仕事中にも関わらずやってきたことも、朝倉の副官になったことも、山縣とばったり出会ったことも、全てひっくるめて、薩長土肥の策略の可能性がある。そもそも、旧奥羽越列藩同盟の人間であり、東北軍閥の人間である自分が、今のような立ち位置にいる事は、おかしい。

 ――そうだ、おかしい。

 羽染は、鞄にスマートフォンをしまってから、右手の拳を握った。
 震えていた。
 気づくと涙がこぼれそうになっていたから、嗚咽をこらえようと、その手を開いて唇を覆う。そして、羽染は理解した。何故自分が、これ程までに衝撃を受けているのかを。一つ一つの事態を見ていけば、何も驚くことなど無いのだ。当然のことなのだ。にもかかわらず、衝撃を受けているのだ。

「……思ったより、僕は、ちゃんと……」

 有馬のことが、好きだ。

 気づくと、じくじくと胸が痛んだ。
 きつく目を伏せると、涙がこぼれ落ちてくる。

 有馬のことだけじゃない。朝倉の副官として仕事をしている今が楽しかったし、時に山縣に声をかけてもらう時は、明るい気持ちになれた。この居場所が心地良かったのだ。

「有馬……っ……」

 気づくと、名前を呟いていた。

 ――きっと、少なくとも有馬だけは違う。
 有馬は、人を裏切るようなことは、しない。

 そう思い直し、羽染は唇を噛みしめて、双眸を開けた。
 一瞬でも疑って自分が恥ずかしい。

 そう思えるくらいに、有馬は真っ直ぐなのだ。正義感に溢れている。よく怒り、よく笑う。感情を素直に出し、裏表が無い。そんな所が、最初は疎ましくて、そして今は、どうしようもなく好きなのだ。好きなのだ。

 裏切られるのは怖い、嫌だ。
 しかし、好きになった相手のことすら信じられない自分なんて、許せるわけがない。

 羽染は、しっかりと自覚した。
 有馬に対する恋心を。





「山縣大佐、有馬大尉のスマホから羽染大尉のスマホに連絡行きました」


 着信履歴を監視していた久阪の声に、山縣は右の唇の端を持ち上げた。
 現在諜報部内での羽染の監視は、ほぼ久阪に一任されている。

「だけど本当に良いんですか? 羽染、絶対何か悟ってると思うんですけど」
「人の恋路を邪魔するのって楽しいよなぁ」
「馬に蹴られて死ね! じゃなかったでしたっけ?」
「――さ、どう転ぶか見物だな。お前から見て、羽染はどうすると思う?」
「案外、山縣大佐がキューピット役なのかなって思います」
「へぇ」
「羽染に大切だって自覚させちゃうかも知れませんよ、有馬大尉のこと」
「同じように朝倉の事とかも大切に思ってくれると良いんだけどな」
「恋心と仕事は別でしょう?」
「仕事って……朝倉フラれるの決定かよ」
「禁断の恋って燃えるって言いますけど、既に軍閥違うだけで、それも会津と薩長土肥ってだけで、かなりのハードルですもん。そこに暗殺がくっついたところで、もうハードル上がりませんて、そんなに」
「俺も段々若い奴の言うことが分からなくなってきた、歳だな」

 山縣がそう言って、久阪の横に珈琲を一つ置く。

「わ、有難うございます!」
「たまには、な」

 笑みを返してから、近場の椅子を引いて、山縣が座った。

「で、ここからどうやって、羽染をダシにするんです?」

 久阪がカップを手に取りながら、尋ねた。

 ――山縣の計画では、徳川家と紫陽花宮を抱き込むために、保科を利用することになっている。その保科の活用法の一つとして、羽染をダシにすると言うことだった。久阪が知るのは、そこまでだ。

 そもそも何のために、徳川家と紫陽花宮を抱き込む必要があるのかも分からない。本当に朝倉の暗殺阻止や、会津藩への処罰が目的なら、現時点で集まっている情報を根拠に羽染を拘束あるいは殺害して、会津藩に処罰を下す方が早い。

「どうしようねぇ」
「ちょ、大佐。まさかのノープラン?」
「久阪だったらどうする?」
「それって仕事のやり方、教えてくれるって事ですよね?」
「まぁな」
「俺なら――……紫陽花宮に、羽染が有馬大尉を好きだって話しますね」
「なんで?」
「確かに動かしやすいのは、家時公だと思います。だけど、紫陽花宮が動いたとなれば、勝手に動いてくれそうでもあります。よって、より突くのが難しい宮家優先です」
「そうじゃなくて、なんで、『羽染が有馬を好き』って伝えるんだ?」
「羽染が敵じゃないって分かったら、保科様狙いなら味方につけておいて損はないでしょう。だって冗談なら兎も角、本当に羽染を保科様の本命だなんて言ったら、羽染、すぐに消されちゃいますよ。羽染を人質に保科様に言うこと聞かせる、なんて、必要ないでしょう、あの二人には。保科様は現状で言いなりですから。会津藩ていう人質が既に存在するわけですし。大体羽染を人質になんてしたら、もう回復困難なくらい嫌われるなんて、火を見るよりも明らかなのに、あの二人がやるわけ無いですよ」

 久阪の回答を笑顔のまま聞いた山縣は、自分の分のコーヒーカップを手に取った。

「それで、紫陽花宮はどう動くと思う?」
「羽染に接触するの一択です」
「羽染はそれにどう応える?」
「……っ……保科様が、性行為を強要されていると判断したら、殺害後に自害くらいしかねませんね……」
「それでもお前は、紫陽花宮に、『羽染が有馬を好きだ』って伝えるのか」
「いえ……」
「大体、羽染と有馬の噂が出てもう大分立つ。紫陽花宮が、はたして知らないのかどうか。まぁ、羽染の気持ちは、今のところ誰にも分からないが……本人にも分からなかったと思うな、俺は。やっぱり俺はキューピットかも。きっと恋しているんなら、俺のおかげで漸く羽染は気づくだろう」

 冗談めかして山縣は言い、カップを傾ける。

「ま、どのみち、紫陽花宮から羽染への接触はあるだろうな。徳川も動いたんだから」
「模範解答教えて下さい。山縣大佐はどうするつもりなんですか?」
「羽染の妹の監視を強める。以上」

 そう言って、山縣は立ち上がった。

「飯行ってくる。仕事は引き続き、頼んだぞ」

 ひらひらと手を振り、山縣は諜報部の拠点を後にした。