3:死線を潜る、あるいは、勝負と賭け



 新聞を畳の上に広げながら、朝倉は白ワインの浸るフルートグラスを傾けた。

「まさか、此処まで嫌われているとは思わなかったよ」

 言いながら、桂馬を進める。
 すぐに銀を動かしながら、山縣が肩を竦めた。

「東北方面軍に恨まれるのは兎も角、身内の長州に激戦地へ左遷させられるとは思わないだろうな、普通」

 長州出身の朝倉が、東アフリカ平和維持軍の指揮官となったのは、晩秋のことだった。

「率直に言って後進国。核すらもない。第一次世界大戦レベルの内線地域だ」

 白ワインを飲み干し、グラスを置いた朝倉は、視線でボトルを探している。
 一方の山縣は持参した赤ワインをグラスに注ぎながら苦笑した。

「通常なら、旧奥羽越列藩同盟から指揮官が選出される局面だしな。要するに死んでも良い軍人が行く場所だ。ま、”日本国の英雄”と言われてるお前の周りは、敵だらけって事だ」

 朝倉は、裏の事情がある山縣とは異なり、その武勇で出世を重ねている。
 英雄、そう彼を呼ぶ者も多い。
 反面、若くして地位も影響力もある彼を快く思わない者も多い。

 旧奥羽越列藩同盟の軍人は勿論だが、同郷の人間で、朝倉と雌雄を競っている人間にも反感を抱いている者が多いのが現実だ。今のこの日本において、旧薩長土肥の中で最たる実力者が、”将軍”であるとも言えるからだ。朝倉を目障りだと思う同郷の人間も多いのだ。

「まぁ陛下の命である以上、行ってくるけどね。生きては帰れないかも知れない。その時は、有馬のことを頼むよ」

 以前から自分の副官になりたいと言ってくれている後輩のことを思いながら、朝倉は微笑した。現在朝倉には、特定の副官はいない。

 戦地が変わる度に、その都度人を選んでいる現状だ。それが許される立場に朝倉はいた。

「俺も生きて帰る確率の方が低いとは思うが――有馬のことは引き受けられない。あいつはお前が死んだら殉死するんじゃないか」

 その言葉に、朝倉が肩を竦めて笑った。

「山縣が私の副官だったら、未だ希望が見いだせたんだけれどね」
「階級が上の相手を副官に出来るわけがないだろ」
「分かってる。ただ、この軍部で信用できる人間が、お前しかいないって事さ」
「朝倉。親友として一つだけ忠告する。俺のことも信用するな」

 山縣はそう告げると、赤ワインをぐいとあおった。

「……引き受けるつもりはないが、有馬を頼みたいと言うことは、副官を有馬にする気はないんだな?」

 確認するように山縣が言うと、朝倉が笑みを浮かべたまま頷いた。

「僕の次の代の長州の要は、有馬だ。僕も有馬も居なくなれば、長州は軍内部で力を失う。それだけ、僕は有馬をかっている」
「で、無能の中から、今回の副官を選ばなければならない訳か」
「薩長土肥……長州や、お前の土佐をのぞいても、薩摩や肥後の軍人もいる。もっとも、死線だから、奥羽越列藩同盟側から押し込まれる可能性もあったけどな――副官だけは私……僕の一任で良いように、手配したよ」
「敵ばかりだな。どこから選ぶつもりだ?」
「一番死んで都合が良いのはの旧奥羽越列藩同盟の人間だね。国もそれを望んでいるんだろうさ、僕の首を取りたいのと一緒で」
「間違いないな」

 赤ワインをつぎ足しながら、山縣は静かに目を伏せる。

「誰にするか決めたのか?」
「いいや」

 率直に応えながら、朝倉が白ワインをあおる。
 朝倉の手が、香車に伸びた。

「これは友人として、大佐ではなく少将として言う」

 即座に金を動かしながら、山縣が唇を動かす。

「旧奥羽越列藩同盟――いや、その諸悪の根源と言われてる会津藩。そこ出身の士官に、羽染中尉ってのがいる。知っているか?」
「ああ、有馬が学生時代一度も勝てなかった秀才だな。剣道でも、わざとあちらが負けたと有馬が言っていたよ」
「わざと負けた、か。事実かも知れないな」
「直接見ていたけれど、間違いないね。実際、紙一重だったけどね」

 思い出すように朝倉が笑う。

「お前、どうせ死ぬ気で行くんだろう?」

 山縣が赤ワインをなめながら問うと、朝倉が頷いた。

「何時だって僕は死んでいるんだ」
「少将としての情報で、羽染がお前の暗殺を命令されたと聞いている」
「そうか。彼には残念だね。僕は戦地で死んでしまうのだから」
「そうでもない。俺の直感がわめくんだ。羽染は使える、ってな。どうせ死ぬつもりで、落とす気でいる命なんだろう、朝倉。副官に、羽染を連れて行け」
「……好きこのんで殺されるほどの享楽主義者ではないよ」
「どうせ戦地での大した策もないんだろ?」
「あったら今頃お前と酒なんか飲んでいないさ」
「もしも羽染がお前を殺さず、この戦況を打破する案を見出したら?」
「前者は兎も角、後者は夢の見過ぎだ。暗殺者とは大抵尻込みするものだからね」
「前者は寧ろ遂行してくれた方が俺にとっては都合が良い。それでこそ”諜報部”に勧誘のしがいがあるというものだ。問題は後者――ただのお飾り的な文武両道なのか、実践に応用できる実力者なのか。俺みたいに”本当の中央”までくるとな、一人でも優秀な人材が欲しくなるんだよ」
「それは僕のような親友の命で試しても、と言うことかい?」
「親友だからこそ、お前が暗殺されるようなタマじゃないって信じているんだよ」
「――王手。もし、羽染が僕らの賭に勝って、いや負けてかな、僕と一緒に帰還したら、じゃあ悪いけど、僕が貰うよ」
「なっ」

 山縣が息を飲む。それは朝倉の一手に対してだったのか否か。





 四月に帝都東京に着任し、八ヶ月が経った。
 久方ぶりの帰郷を果たした羽染は、私立病院で眠る妹小夜の顔を眺めていた。

 『旧薩長土肥軍閥の朝倉継通中佐を暗殺せよ』その命が下ったのは、五月の最初の帰省時だった。妹の見舞いに訪れた羽染を、会津藩の重鎮達が取り囲んだのだった。

 本音を隠し腰を低くし、会津のために尽力している保科様とは中々顔を合わせる機会が無くなった頃合い。妹の心臓の鼓動を管理する機器に手をかけた医師が羽染に、日新館の道場へと行くように指示をした。断れば妹は死ぬ。それを羽染は知っていた。

 そしていつか保科秋嗣と二人きりで話した道場で、羽染は会津藩の重鎮達に囲まれたのだ。

「朝倉が居なくなれば、長州の勢力をそぐことが出来る」
「そうすれば、会津にも名を上げる機会が訪れる」

 そんなことを口々に言う面々に、羽染は眉を顰め、唇を震わせた。
 その瞳は困惑と憤怒、そして悲愴に濡れていた。

「朝倉中佐が何をしたのですか?」
「存在が害悪だ」
「人とし生きることは、最低限の権利です」

 反論した羽染の前で、会津藩の重鎮が溜息をつく。

「では人間として不完全な、病を得た主の妹は、生命維持装置を切っても構わぬか?」

 その言葉に羽染は目を見開いた。

「全ては、この会津のためなのだ。分かってくれるな?」
「……」
「お主しか、帝都にて朝倉を暗殺できる者はいないであろう。他の東北方面軍の者は皆監視されておる」

 羽染は目眩を覚えた気がした。

 ――顔すら知らない相手を、暗殺?

 そうしなければ妹を殺すという同郷の者の方が余程、敵に思えた。
 けれど……故郷の人々を裏切ることは出来ないという気持ちもあった。

 蕩々と、どれだけ会津の人々が、旧奥羽越列藩同盟の人々が、旧薩長土肥の人間から辱めを受けてきたのか聞かされた。上京して知った現実と、それらは違わなかった。

 怒りとやるせなさが、この身を苛んだ――羽染の中には、そんな想いもあった。



「すまぬ」

 朝倉中佐の任命で、副官として東アフリカへと出向くことになった
 羽染は、空港のロビーで立ち止まった。か細い声だったが、聞き違えるはずのない、君主の声だった。

「保科様……」
「すまない」

 振り返った羽染に、保科が駆け寄ってきた。
 自分よりも頭二つ分背の低い少年が、自身の両手の袖を掴んでいた。

「わしが……僕が……僕が、帝都に呼ばなければ……」

 唇を噛みしめ、眦に涙を浮かべながら俯いた幼い君主の姿に、羽染は嘆息し、そして微笑んだ。

 ――暗殺話の件を、保科様は知らない。

「大丈夫です」

 羽染が知っている君主は、決して人の命を奪おうなどとはしない。
 そして実際、保科は、朝倉の暗殺話など知らなかった。
 ただ自分が呼び寄せた腹心の部下が、軍部の采配で死線に送られると聞いて駆けつけたのだ。卒業式にすら顔を出さないと専ら評判なのにもかかわらず。

「保科様、この国のために、私は全力を尽くします」
「羽染……」
「ですから保科様は、会津を、そしてこの国を、より良い場所に」

 国、と言う語を舌にのせながら、やはり外交官になりたかったなと羽染は思った。
 武力ではなく、もっと平和的な手法で、幼君主の力になれれば良かった。

 これから羽染が赴く東アフリカは、第一次世界大戦頃の戦法が主体の戦地であり、最新鋭の兵器は人道的に使用困難だ。である以上、死亡率も高い。

「……生きて帰れ」
「え?」
「生きて帰れ。これは命令だ」

 保科はそう告げると羽染の腕を取り、そこに額を押し付けた。

「――御意」

 思わず苦笑しながら、羽染は、保科の髪を撫でようとして直前で取りやめた。





 朝倉継通中佐は、膠着状態が続いた東アフリカの一角で、簡素な椅子に座っていた。
 背を預ければギシギシと音が鳴る。一人きりの室内だ。

 ――此処が、死地か。

 そんな想いが駆けめぐり、あっけない人生だったなと思う。
 場所が僻地過ぎて、連絡手段が何も使えない。こう言うところで、技術的先進国とその他の差が出てくるのだろう。

 そこへ、ノックの音が響いた。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 入ってきたのは、羽染中尉だった。

「何かあったのかな?」
「ワルデニア公国は進撃準備を整えた模様、右のワーニーズは、まだ準備中の様子です」

 前方と右手に敵軍が居る。左手は海だ。後方には、敵国でこそ無いが敵対的中立国のヤグネリアが位置している。

「援軍と連絡は取れたのかい?」
「いいえ」
「もう積んだと言っていいね」

 終始笑顔のまま朝倉はそう告げた。

 そもそもこの派兵には無理があったのだ。無理を承知で――あるいは死にに来たというのが正しい。実のところ、朝倉自身はそれ程、生命に固執してはいなかった。部下の命を預かる以上、なんて情けないのだと言われても仕方がないのかも知れない。

 朝倉は、極度の享楽主義者だったのだ。人の生死をもてあそび楽しんでいると噂さ
れる山縣よりも余程。朝倉はいつも賭けているのだ。”自分は死なない”と。

 それでも山縣が推薦した羽染を連れてきたことには、僅かながら罪悪感がある。
 けれど親友は恐らく自分を生かそうとしてくれたはずだと朝倉は思う。

「悪かったね、羽染中尉」
「――?」
「僕が連れてこなければ、君は生き残ることが出来た」
「……死線を潜る戦地に赴くのは、東北方面の軍人の定めです」
「それでも僕は、優秀な士官の命を絶ってしまうことに責任を感じるよ」

 朝倉は苦笑するようにそう告げた。
 実際、羽染はよく働いてくれた。
 恨みなどおさえきれぬほどあるだろうに、まるで手足のように動いてくれたのだ。

 朝倉のこれまでの軍人人生の中で、羽染のように優秀な部下はこれまでにいなかった。


「朝倉中佐。ならば、勝利への道筋をお考え下さい」


 羽染は、軍服の中に仕込んだ拳銃の銃把に手をかけていた。
 此処で射殺すれば、任務は遂行だ。
 けれど……戦争で死んでくれれば、自身の手を汚すこともなく平穏だ。

 殺せ。殺せ、殺せ。
 それが自身に与えられた使命だった。
 指揮官を殺し、この戦場で負けても、日本軍は大した打撃を被らない。

 嫌と言うほどそのことは、理解していた。
 同時に自分が死んだとしても、何もまずいことはない。
 だがそれでも。

「もう一度言います、朝倉中佐。勝利への道筋をお考え下さい」

繰り返した羽染は、自身のことが統制できないような気になった。

「何か、策があるのかい?」
「成功するかは分かりませんが」

 羽染は、意を決した。

「ワーニーズは、準備までに未だ時間がかかるはずです。各個撃破しましょう」
「誰が先陣を切るんだい? 成功する確率は三割だ。それに同様の作戦は、既にこれまでの大戦で失敗している」
「敗因は十分にひきつけなかったことです。ワルデニアを限界まで引きつければ勝機はあります」
「限界まで引きつける度量がある士官が果たしているかな」

 羽染は思った。
 どうせ殺せと言われている相手だ。端から期待なんてしていない。
 ただそれでも、こんな大胆な作戦を許容してくれる相手なら、部下を信用してくれる相手なら、ずっとついて行きたいと思ったのだ。

「私が行きます」

 羽染のその言葉に、朝倉が目を見開き、何度か瞬いた。

「君は、そんなことをしている場合なのか?」
「――は?」
「いや……お前を信じるよ」

 朝倉は気持ちを切り替え、羽染を身内だと思うことにした。本当は、自分を暗殺する気でいるのだろうと、言おうと思っていたはずなのに。

「ただし僕も行く」
「司令官が戦地に出てどうするのですか。率直に言って、足手まといです」

 羽染が断言した時、朝倉は返す言葉を見失った。

「羽染……君は、日本が好きかい?」
「? ええ」
「じゃあ日本と会津、国と故郷、どちらが好きだい?」
「朝倉中佐? 何の話しですか? どちらも好きです、が、今は、ただ任務を遂行するだけです」

 こうして、後日ムーンナイトと呼ばれる作戦は実行終焉を迎えたのだった。





「――羽染の発案で助かったわけだ?」

 朝倉が大佐に昇進したという新聞を両手で握りながら、山縣が笑った。

「そうなるね」

 赤ワインを二つのグラスにつぎながら、朝倉が微笑んだ。

「良かったな、朝倉大佐。それに羽染大尉か」

 山縣が新聞を折っておいたとき、朝倉がグラスを差し出した。

「有馬も張り合いが出来たんじゃないか。あの年代で大尉に昇格したのは有馬と羽染だけだしね」

 朝倉の言葉に山縣が肩を竦める。

「有馬は危険無しの官軍、羽染は死線を潜ってるからな。どうだろうな」
「山縣が言った通り、羽染を連れて行って良かったよ――ただ」
「ただ、お前の暗殺を実行しなかった羽染は処分を受けるかもな」
「先手を打って、羽染を僕の正式な常時の副官にしようと思うんだ」
「悪くないが、有馬が黙ってないだろ。それに、副官にしたら、それこそ契機に羽染に暗殺させようって言う勢力が声を上げるんじゃないのか?」
「ねぇ山縣。僕たちは、優秀な軍人を守らなければならない。違うかい?」
「違わんな――王手」

 梅の花が色づき始めた頃の出来事だった。