綻びた着物


 綻びた着物のように、心が瓦解していく。少しずつ、少しずつ。
 己のちっぽけな世界でさえこれだ。
 世界が腐敗しているのではない。醜く腐っていくのは自分自身。それが嫌と言うほど分かるから、気分が悪くなる。そんな中で一筋の光があって。それが笑っている山縣の顔だというのが少し癪だと朝倉は思っていた。

「退屈そうだな」

 魚を土産にその日訪れた山縣は、いつもの通り酒浸りの朝倉を見て、素朴な感想を述べた。



 麦酒麦酒麦酒。

 冷蔵庫をからにする勢いで、朝倉は飲んでいる。
 本日朝倉は、多数在るマンションの一つで、ソファに座りぼんやりとしている所だった。
 居場所を山縣に伝えた覚えはない。
 それでもやってくるこの友人。流石は諜報部の人間だなんて考えてみる。

「なんで僕と山縣は交わらないんだろうと思ってさ」
「なんだそれは」

 苦笑した山縣が、キッチンの流しに魚を水にさらしておいた。
 それから戻ってきて、朝倉の正面に陣取る。
 視線がかち合う。

「なにかあったのか?」
「あったら山縣になら分かるだろ」
「まぁな」

 あっさり頷いた山縣は、麦酒を一つ拝借し、プルタブを捻った。
 それからカチリと音を立てて、煙草に火をつける。

「次の戦地でこそ、僕は死ぬかも知れない」
「賭けるか?」
「そうだな。死なないに賭けるけどね」
「賭にならないな」

 時は第四次世界大戦が迫ろうとしていた。迫り来る時流の波。その渦中にあって、ただもう少しだけ山縣と話しをしていたいと朝倉は願っていた。

「羽染が軍部に公的に復帰するんだろう?」
「ああ。諜報部を正式に公開するからな」
「よく今まで隠し通したよね」

 窓の外からは雨の音が響いてくる。ああ、こんな日は鈍い頭痛がする。

「お前、寝てないだろ」
「話を逸らさないで欲しいな」
「別にそう言うつもりじゃねぇよ。お前が仕事の話なんか持ち出したからだ」
「仮に僕が寝てないとしても、山縣が困ることは何もないだろ?」
「心配くらいさせろ」

 そう言って笑ってから、山縣が缶を傾けた。心地の良い炭酸。舌の上で踊る酔い。

「お前、本当は軍部から抜け出したいんじゃねぇのか」
「かもね。けどさ、他に行くところがないんだよ」
「あんだろ」
「どこそれ」
「俺の隣」
「すでにいると思ってるけど」
「そりゃあ光栄だな」

 そんなくだらないやりとり。けれどその人時に幸福を感じる自分がいることを、朝倉は正確に理解していた。

「何気ない日々ってさ」
「ああ」
「すぐに終わるよね」
「変化の連続だからな。それでも俺が一緒にいてやるよ。だから泣くな」
「僕、笑ってると思うんだけどな」
「顔はな」

 ああ距離感が分からなくなっていく。山縣が己にとってどういう存在なのか、境界線が曖昧になる。それが、辛くも優しかった。


 ――恐らくそこにあるのは、愛だった。